第357話 山岳猟兵(DAY9-8)

 出雲市の北側は山――というか森林地帯である。

 森林といっても樹海のような深い森が延々と続いているわけでもないし、山といってもそれほど標高が高いわけでもない。かといって雑木林程度かと言えば、それほど安易なものでもない。

 要するに、少し田舎の方によくある、比較的小規模な山稜地帯と言えばイメージがつきやすいであろうか。


 今回の中国軍の出雲市攻めについていえば、連中は市街地の全方位から攻め立ててきた。国防軍と出雲守備隊は、この北側の山稜地帯からの敵侵攻線を「北戦線」と名付け、その敵部隊をフォネティックコード「ノベンバー」と符牒合わせした。


 このノベンバーを迎え撃つのが国防軍の一個中隊と、それに急遽加わったオメガ少女――かざりゆずりはである。

 ちなみに国防軍には森の道案内役として、守備隊の地元兵士が数十名、分隊ごとに随伴している。


 部隊は出雲大社の裏山を取られないよう、北戦線の西側から大きく北東方向に扇状に展開して防衛線を張るところであった。


「――結構深い森だねー、これで虫ちゃんがいたら嫌になるとこだった」


 楪が陽気にボヤく。

 確かに、季節は既に冬に向かっていて、おまけに今は冷たい雨が降っている。少なくとも羽虫や藪蚊は既に活動を終えているようであった。


「でもホントに真っ暗だね。足元がヤバい」


 今度は文だ。

 山岳地帯、と一口に言っても、その環境は地域によって実にさまざまだ。同じ日本国内でも、たとえば北アルプスなどは本格的な山岳地帯だし、富士山麓に広がる樹海は標高差こそそれほどでもないが、起伏の激しい森林地帯が延々と広がる「緑の悪魔」だ。

 いっぽうでここ、出雲市の北側に広がる山々は、よくある日本の山稜地形である。地形に慣れていて読図能力を持った者ならば、コンパスを持って半日もあれば山陰海岸まで到達できないこともない。規模感としては、その程度だ。


 だが、問題なのはそうした「山、あるいは森の規模」ではなく、足元の地形だ。このあたりの山の標高はせいぜい数百メートルで、山地としては比較的小規模なのだが、だからといって楽に踏破できるかといえばそうでもない。

 当然ながら道はないし――あるのはせいぜい獣道だ――樹齢を重ねた古木がぐねぐねとその太い根を地面に這わせ、広葉樹林ということも相まって圧倒的な枯れ葉が何層にも山肌を覆っている。低層の灌木や名もなき大きな雑草が頭の高さくらいにまで繁茂し、見通しはすこぶる悪い。常緑の木々は分厚い綿のように頭上を圧迫し、黒々とその影を拡げて夜空を覆いつくしている。山の傾斜も一様ではなく、たまに大きな岩の塊が転がっていたり、地面そのものが隆起したり陥没したり、時には深い亀裂が走って底に小さな流れがあったりする。


 だから当然、ここでは車輛を使うことができない。兵士たちはみな、例外なく徒歩なのだ。徒歩の上に、場所によっては急峻な地形を進むから、装備品もそんなに抱えていられない。

 普段の特戦群兵士たちは、割とこれでもかと装備を身に着けていて、その総重量は軽く20~30キロになったりするのだが、さすがにここではそんなに背負っていられない。

 一人一挺のアサルトライフルに、あとはその弾薬、最低限の携行食糧、医薬品。余裕があれば擲弾筒とその弾薬を持つ者もいるが、普段は背中に背負っているVLS発射装置やミニガンの類はすべて外して、総重量はせいぜい10キロくらいに抑えてある。

 逆にこの程度に留めておかないと、とてもではないがこの山稜地帯を踏破し、あるいは戦闘状況に対処することが困難なのだ。それほどに足許は限りなく悪く、兵士たちの体力は黙っていても削られていく。そんな厳しい戦場なのだ。

 だがそれはすなわち、彼らのスタンダードでもある「圧倒的大火力」は、今回に限って持ち歩いていない――物理的に持ち歩けないということでもある。


 そんな状況でいざ敵と遭遇したら、どうやって戦線を維持するのかと心配したくもなるが、実際のところ敵だってそんなに重装備で侵攻してくるわけではない。少なくとも重火器の類は始めから持ち歩けないだろうし、当然戦闘車輛だって随伴していないはずだ。

 要するにこの北戦線では、お互い軽装備の兵士たちが、ほとんど徒手格闘に近い形で肉弾戦を行う。それが山岳戦闘というものなのだ。


 二人のオメガは珍しく、鉄帽のバイザーを完全に降ろして、夜間暗視モードで険しい山道を進んでいた。前方を歩く坂田分隊長が、左手の拳を握り締めて頭の横に突き出す。

 「とまれ」のハンドサインだ。

 分隊は全員そのままそっと立ち止まり、音を立てずに静かに腰を下ろす。


『――分隊長より各員、前方に異常振動』


 坂田の囁き声がインカムから聞こえてくる。こちらの気配を悟られないよう、無線の会話さえ必要最小限という秘匿行動。オメガたちも慌てて無駄口を閉じる。

 どうやら、小隊よりさらに前方数十メートルを単騎先行する斥候兵が、異常を感知したらしい。


 これが市街戦ならば、国防軍の標準装備である赤外線やソナー系の人感センサーを周囲に照射しながら索敵できるのだが、ここまで森が深いとそうした装備品はまったく役に立たない。

 風がそよぐたびに木や草が揺れて、周り中すべての自然物を異常と感知してしまうからだ。おまけに今夜は雨も降っている。水滴の重みで葉が跳ねたら、それすらも敵兵と誤感知しかねない。

 まぁどっちみち、そうした装備はすべて置いてきたから、今頼りになるのは生身の兵士の目と耳だけだ。


 続いて坂田は、次々と指を立てたり折ったりして矢継ぎ早に指示を下していく。


(――2名は右翼、3名は左翼、それぞれ展開して指示を待て)


 ハンドサインの内容だ。こちらに敵部隊――ちなみに現時点では規模不明――が進行してくるから、左右に分かれて伏兵になれ、と言うことらしい。正面から迎え撃つ本隊と左右に潜んだ数名ずつの兵士で、罠に誘い込んだ敵兵を十字砲火で仕留めるのだ。

 この時もちろん、敵部隊がまっすぐこちらに進んでくる保障はない。そうなったら、場合によっては右翼と左翼から先に仕掛け、まっすぐこちらに追い込むというオプションもあり得るだろう。


 あとは敵部隊の規模に応じて、包囲の環を狭めたり広げたり、場合によってはそのままやり過ごして後方から不意の襲撃を企てたりと、さまざまな戦術アレンジも検討されることになる。

 要するに山岳戦闘というものは、高低差があるうえに地形も多彩、遮蔽物も無数にあるから、ありとあらゆる戦術が取れるのだ。


 だが、それはあくまで一方的にこちらが敵を発見し、待ち構える場合だ。

 万が一敵もこちらを既に発見していたのだとすれば、罠にかけるつもりで、こっちが敵の罠に知らずに嵌まっている可能性だってある。


 だから、こんな時は辛抱が大切だ。

 敵味方お互いの不注意で、森の中で不意に遭遇した場合は別として、山岳戦とは常に敵に先んじて獲物を見つけた方が勝つ。

 その際に、慌てて飛び出ては台無しだ。静かに、敵に気取られないよう殺意を隠し、機が熟したら一気に攻勢をかけて一撃のもとに仕留める。

 そういう意味では、山岳戦とはまさに「狩りハンティング」と一緒だ。


 山岳兵のことを、古来より日本では「猟兵」と称し、陸軍国ドイツでは「イェーガー」と称してきた。いずれも「猟師」から来ている名称だ。先達は彼らの兵科特性を、よく理解していたと言えるだろう。


 そして今この戦域に展開している兵士たちは、第一戦闘団の中から急遽選抜された、山岳部隊出身者が多くを占める。特にこの坂田分隊長は、「対馬警備隊」の出身だ。


 対馬警備隊――

 彼らは元々大陸と半島に睨みをきかす、離島防衛部隊だ。「対馬」という、離島でありながら山岳地形を有する極めて困難な地域を防備することに特化した兵士たち。

 当然寡兵で大規模侵攻部隊の相手をするために遅滞戦闘を得意としているほか、着上陸して侵攻してきた敵部隊を、山岳地帯に誘い込んで迎え撃つゲリラ戦闘にも秀でている。

 サバイバル術にも長けており、森の地形や野生動物の特性も熟知する――まさに山のマスターだ。

 彼は特戦群に志願して入隊するまで、その対馬警備隊で先任軍曹をやっていた男だ。


 他の分隊員たちも、全員が全員山岳部隊出身というわけではないが、もともと特戦群兵士はほぼ全員がレンジャー資格を有している。ロープを使って渡谷したり、命綱なしで岩肌を登ったり――自他ともに認める精鋭たちだ。

 猟兵である分隊長の指揮のもと、その彼らによる「狩り」が、今まさに始まろうとしていた――


 ガガガガガッ――!!


 突然、森の中に機関銃の音がこだました。敵兵の発砲――!


「――ひゃッ!!」


 楪が小さく悲鳴を上げる。機関銃の発砲炎が、大閃光となって夜間暗視モードの画像生成装置イルミネーターを襲ったのだ。こうなるともはや、網膜をやられてまともに見ることすらできない。


『全員――バイザーを上げ、モノスコープ!』


 坂田から鋭い指示が飛ぶ。

 単眼暗視装置モノスコープは、その名のとおり片目だけ覗き込むようになっている夜間暗視装置だ。鉄帽の前鍔部に装着し、クイっと目元に下げて片目は暗視スコープ、片目は裸眼で周囲を見る。

 こうすることによって、今のように敵の発砲があった場合は素早くスコープサイドの目を閉じる。その代わり、裸眼の方で発砲の方角や位置を即座に確かめるのだ。目を瞑ってしまえば、大光量の太陽のような閃光も、どうということはない。


 兵士たちは素早く坂田プロの指示に従った。

 どうやら前方の斥候が、複数の敵兵と遭遇してしまったらしい。数十メートル先の茂みの中で、断続的な発砲炎と激しい射撃音が交錯している。


『――敵は素人だ。恐れるな』


 坂田が冷静に分隊員へ呼びかける。


「……ねぇかざりちゃん……どういうこと? なんで素人だって分かるの?」

「――さぁ……」


 バイザーをフルオープンにしているので、インカムで会話するより顔を寄せ合ってひそひそ話した方が手っ取り早い。だが、そのナイショ話が坂田の耳に入ったらしい。突然後ろを振り返って、オメガたちにウインクした。


「こんな森の中で、やたらめったら発砲する奴は、素人なんですよ」

「え? 聞こえてた?」

「じ、地獄耳……!?」

「――これでも専門家ですから、聞き耳を立てるのは得意なんです。ウサギの足音も聴き取れますよ」

「マジで!?」

「しーッ! 静かに……夜の森では、人の声はよく通ります。声を立てずに、ヒソヒソ声で」

「わ……わかったよ」


 相変わらずゆずりはは誰に対しても割とタメ口なのだが、可愛らしい彼女の囁き声は、それはそれで魅力的だ。かざりは声を上げずに、こくこくこくと激しく頷いている。

 楪が、必死に声を抑えながら質問を続けた。


「――じゃあ、斥候さんは撃ち返してないの?」

「もちろん――大内一曹は優秀な猟兵です。今頃茂みに隠れて、ナイフを握り締めているはずです」

「助けに行かなくても大丈夫?」

「大丈夫です。暗闇の中で下手に動くと、味方の位置をロストします。そうなれば、大内も帰ってくる場所が分からなくなる」


 すると、「アァッ――」という小さな悲鳴と、ドサッと何かが倒れる音が聞こえた。

 その途端、またもや滅茶苦茶な発砲音が森中に響き渡る。

 ガガガガガッ――!! タタン! タタタタン!! バンバーンッ――!!

「XXXXXッ!! XXXXXXッ――!!!」

 ガサガサガサッ―― ザザザザッ――


「ほら、敵陣が滅茶苦茶に混乱している。最初の物音は、大内が不意打ちで敵兵をナイフで片付けた音でしょう。敵はどこから狙われているか分からなくて、恐怖心から滅多撃ちの乱射をしている」


 少女たちは、坂田の説明に目を丸くした。自分たちの知らない戦闘が、目の前で展開されている。


 すると、突然目の前の茂みからスズムシの鳴き声が聞こえてきた。

 スズムシ――!? こんな季節に?


 すると、坂田が二人の前に腕を伸ばし、「動くな」というサインを出す。

 その途端、茂みはさらにガサガサと動いて、次の瞬間――何かが突然目の前に現れた。


 顔に真っ黒のドーランを塗りたくり、目だけがギョロリと白く浮かんだ兵士だった。え――この人が、大内一曹? さっきのスズムシさん!?


「――分隊長、敵と接触したので後退してきました。すいません」

「了解だ――状況は?」

「敵は一個小隊規模です。ただ、厄介なことに迫撃砲と重機を持っています」

「――重機関銃? 足付きか?」

「そうです。4人がかりで運んでます」

「ご苦労なこった」


 どうやら敵は、相当な重火器を持ち歩いているらしい。こんな道なき森の中を、よく運んできたものだ。

 だが、確かに厄介だ。こちらは限りなく軽装備だ。見つかったら、ひとたまりもない――

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