第333話 巫女舞(DAY7-7)

「――その話をどこでお聞きになられた!?」


 出雲大社――その広大な境内の一角、神門通りから大鳥居を二つくぐって手水舎のところを西に少々進んだところにある社務所。

 その一室で、士郎たち一行は温和な顔をした初老の男性と相対していた。同行しているのは、出雲守備隊隊長、高木健一。占領下の日本にあって唯一中国軍から不可侵扱いされ、仮初めの自治を行っていた出雲の街の防御を人々から託された、義勇兵たちの総大将だ。


 当然、事がここまでに至った原因の一端はまさに、出雲大社そのものにある。

 この地に大社が存在するがゆえに、この街は占領軍と真っ向から対決するという道を選んだ。人民解放軍が全国の神社という神社に手を突っ込み、そのご神体を毀損するだけでなく共産党教育の拠点としていくなかで、出雲の人たちはそれを良しとしなかったのだ。

 人々は大社のために義勇兵からなる守備隊を結成し、その当然の帰結として、双方不本意ながら今まで多くの血を流してきた。今朝だって、数百人、あるいは数千人の市民が犠牲になったのである。


 その奉仕の意味を、大社の神職が分からないはずがない。たとえ宮司が相当の格式を持つ存在であったとしても、守備隊隊長の面談要請を無碍に断れるものではなかった。


「――どこ、と言いますか……まぁ、いろいろと知見を深めてきた中で耳にした話です」


 士郎は、この出雲の地が『幽世かくりよ』の中心地であるという話を、まさか「神さまの娘から直接聞いた」とは言えず、なんとなく誤魔化し気味に質問をはぐらかす。


「……そうですか……あまりに突拍子もないことを仰るので、つい……」


 初老の男性は、穏やかに微笑んで一行を見回した。


「――清瀬宮司、宮司はその……この方々が仰っている話に、何か心当たりがあるのではありませんか!?」


 高木が前のめり気味に問い質す。彼としては、事の真贋はともかく、どんなことであれ士郎たち国防軍に協力したいという思いで一杯だった。今朝ほどこの街を救ってくれたのは、この人たちなんですよ――


「ふむ……確かにここ出雲は、豊葦原の瑞穂の国と讃えられた我が国のいしづえをお創り給うた大国主命オオクニヌシノミコトたてまつる大社の門前町として栄えた地であります。そういう意味では、この地を我が国の中心――あるいは発祥の地という表現をされる方がおっても不思議ではありませんな」

「――いえ、そういうニュアンスではなく、文字通りの意味での首都だと……」


 髙木がなおも食い下がろうとするのを制し、清瀬宮司は士郎に向き直った。


「中尉殿――、貴殿の部隊がこの街をお守りくださったことについては深く感謝申し上げます。本当にありがたいことです。だが、この地が我が国の首都というのはいささか過分なお言葉かと……」

「……では、宮司はこの街がただの地方都市に過ぎないと?」


 士郎は努めて冷静を装った。ここでこの人と口論しても意味がない。


「えぇ、まさに仰る通りです。確かにこの街には大社がありますし、そういう意味では由緒正しい土地であることに間違いはありませんが……ご承知の通り一国の首都と申しますのは、その国の元首がおわします場所であります。そういう意味では、やはり東京こそが首都であることに、万人異論はございますまい」

「ではなぜ中国軍はこの地を襲ったのです。あるいは、なぜ過去5年間、手出しをしなかったのでしょうか!?」

「……それは……そうですな――攻められたのも、攻められなかったのも、やはり大社があったから、としか言いようがありません。その点は、私どもの存在自体が氏子の皆さんに迷惑をかけておること、まことに心苦しく――」

「なるほど……どうやらこちらの質問の仕方がまずかったようです。宮司殿……この大社はどのような機能を有しておられるか、教えていただくわけにはまいりませんか!?」


 士郎は、この宮司が何かを必死で隠そうとしていることに、既に気付いていた。ことさらに出雲大社の「本来の価値」を低く見せようとしているかのように思えたのだ。


「――機能……と仰いますと……?」

「そうですね……例えば、何らかの力によって神域を守護するように出来ているのではありませんか!?」

「……何らかの……力……ですか……」


 はて――と言った表情で、宮司は宙を仰いでみせた。このままでは埒が明かない。しょうがない……


「――宮司……実は、紹介したい者がおります」


 そう言うと士郎は、斜め後ろに控えていた久遠に目配せをした。すぐに彼女は席を立つ。

 ほどなく、部屋の外側に人の気配がやってきた。


「――失礼します」


 久遠が連れて入ってきたのは、咲田広美だった。その瞬間――


「……あ……あぁ……」


 清瀬宮司が、なんとも形容しがたい呻き声をあげて彼女を凝視した。


「――どうされました?」


 士郎は、わざとらしく宮司に問いかける。というか、広美を一目見ただけでこの反応を示すということは、この人はやはり本物の神職だ。彼女の持つ神性に、気付いたのだろう。


「……い、いえ……こちらの方は……?」

「我々の世界にある宮内庁という役所で、陵墓課の職員をしている咲田広美さんと言います」

「――さっ……咲田ですっ……どっ、どうぞよろしくおねがいします……」


 相変わらずのぎこちなさだった。まぁ普通の公務員なら、ここまで人とのコミュニケーションが苦手な人物はそもそも採用されないだろう。だが、彼女の本職はかんなぎだ。“神々との対話”こそが彼女の仕事なのだ。なにより――


「……いえ、あの……咲田さん、とおっしゃられたか……貴女は何かその――」

「お分かりになりますか!?」


 士郎はすかさず宮司に詰め寄る。


「――え!?」

「お分かりになりますか? 彼女が本当は何者なのか……」


 士郎の言葉に、広美は顔を真っ赤にして俯いた。だが、宮司のリアクションの方がさらに目を引く。


「……し、失礼を承知で……お尋ねしますが……こちらの方は何かその……神にご奉仕するお役に付いているのでは……?」

「……まぁ……近からず、遠からずと言ったところです」


 士郎は、隣で小さくなっている広美を横目で見ながら、宮司にさらに畳み掛ける。


「清瀬宮司――、我々が別の世界線から来た軍隊だということは、先ほどご説明した通りです。そのことについて、宮司は特に驚かれなかった……」

「え、えぇ……皆さま方の伝説は、この世界では誰でも知っています。この国難に際し、それが現実のものとなってもいささかの不思議はありません」

「――では、その我々がこちらの世界に来たのか、ご興味はありませんか?」

「そ……それはもちろん、摩訶不思議な話ではあります。いったいどういう仕組みで、別の世界の方々がこちらの世界に来られたのか……それは普通のことではありませんから……」

「では何か、特別な力が働いた、ということ自体は信じていただけますか?」

「……も、もちろんです……それこそ、神が人知の及ばぬ神威をお示しになったのでしょう――」

「その神威を示してくれたのが、ここにいる咲田さんなんですよ」


 へ――!? という顔をして、清瀬宮司は広美の方を凝視した。彼にしてみれば、それは余りにも予想外だったのかもしれない。この幼い顔立ちをした、平凡な女性が――!?


「――そ、そんなことが……」

「あるのです。こちらにいる咲田広美さんというのは――」

「中尉!?」


 士郎の言葉を、広美が遮った。はにかみ気味の表情で、士郎を上目遣いで見つめている。

 士郎は首をすくめた。


「――あ、あのっ……ここからは……私が……」


 そう言うと広美は、はぁーっと深い溜息をひとつ吐くと、意を決したように宮司の方に向き直った。


「清瀬宮司……私は現世うつしよ――私どもの元いた世界です――で、かんなぎをしております」

「か、巫ですか……?」

「はい……神和かむなぎのほうです。故あってこのたび神威をお借りし、ここ幽世かくりよにこの者どもとくつわを並べてお邪魔いたしました」


 おぉ――という驚愕の顔つきで、宮司は広美を見つめる。次の言葉を、待っているのだ。


「――我が母は神阿多都比売カムアタツヒメと申し、大御神おおみかみの皇統の守護者として現世うつしよにて千歳ちとせご奉仕して参りました――」


 広美ちゃんって、こんなキャラだったっけ……という顔で、士郎は彼女を見つめる。その横顔は、いつの間にかいつものキョドり顔ではなく、まさしく朝廷の巫そのものと化していた。


「……か、神阿多都比売カムアタツヒメがご息女と仰られたか――!?」

「いかにも。故に、この度は今上陛下の名代として、ぬしさまにお目通り願いたてまつる次第。そなたの、神域を守らんとする滅私の心にて、このやしろいたづらに軽んじてみせんとする振る舞い、無用であるぞ」

「……は、ハハァ――!」


 最後は知らないうちに、主従関係のような言葉遣いになっていた。だが、まさしくそれが本来在るべきお互いの立場なのである。なんたって、広美ちゃんは神阿多都比売カムアタツヒメ――別名「コノハナサクヤビメ」の実の娘なのだ。そしてそれはすなわち――


「あ、あの……ということはつまり――こちらの咲田さん、いえ、咲田殿は、大国主命の……」

「――その通りです。ヌシさまは、私の実のお父上です」


  ***


 ――その瞬間の、清瀬宮司の顔と言ったら……

 士郎は、拝殿の中でジッとその先を見つめながら、本殿にしずしずと入って行く広美の後ろ姿を追いかけた。


 今の彼女の装束は、まさしく巫女のそれである。

 白小袖にまち有りの緋袴、上半身には薄く透けて見える千早ちはやを羽織り、長く後ろに垂らした黒髪は、白色の檀紙を用いた丈長たけながによって、首の後ろで一本に纏められていた。また、後腰からは長く伸びたがトレーン状にたなびき、高貴さを印象づけている。さらに、頭頂部の向こうには金色の天冠の先端部が輝く。


 あれが――本来の広美ちゃんの姿なんだろうな、と士郎は感心する。それはまさに、絵巻物でしか見たことのない、神々しいまでの巫の姿であった。兵士で言えば、まさに「フル装備」という奴なのだろう。ちんちくりん――と思っていたのは取り消さなきゃ……


「――綺麗ぇー……」


 前から巫女装束に憧れていたゆずりはが、うっとりした顔で彼女を見送る。


「……お、おぃ久遠……広美ちゃんって、あんなに髪長かったっけ……?」

「士郎……野暮なことをいうものではない。あれはかもじといってな……言ってみればエクステのようなものだ。彼女は公務員をやっておるから、職場で長髪が許されんかったのだろう」

「へぇ……久遠の髪が長いのは、やっぱり巫女さんやってたからなのか?」

「うむ、本来巫女というのは、長い黒髪も装束のひとつと見做されているのだ。だから私はどうしてもこれを切れずにいる……士郎はその……私の髪はどう思うんだ……?」


 久遠がほんのりと顔を赤らめて聞いてくる。


「――そ、そりゃあまぁ……日本人ならその、す……好きなんじゃないか……」

「そ、そうか////」


 士郎の答えを聞いた久遠が、さらにドギマギしながら自分の長い黒髪をツルツルと撫でる。


「……へぇー……そうなんですね士郎くんは……」

「えっ!?」


 反対側から、いつの間にか未来みくがジト目でこちらを窺っていた。


「――い、いや……それはその……べべべ別に……銀髪も悪くないっていうか、その――」

「……銀髪も……黒髪は、……」

「い――いやいやいやいや……!? そ、そういう意味では――」

「しッ――」


 ドツボに嵌まりかけていた士郎に、期せずして救いの手が差し伸べられる。亜紀乃が澄ました顔をして唇に指をあてていた。


「……どうやら始まるようなのです……」


 一同は、慌てて居ずまいを正す。

 すると、奥の本殿から、シャーーン、シャーーンと鈴の音が聞こえてきた。

 広美ちゃんが、巫女舞の奉納を始めたのだ――


「……ねぇ、ここからじゃまったく見えないね……」

「そ、そうですね……」


 かざりとくるみが、少しだけ不満そうな顔をする。


「――し、仕方がないのだ。舞はあくまで神に捧げるものであって、我々が拝見できるかどうかは関係ないのだ」


 久遠の言うとおりだった。恐らく今、本殿のご神体前では、広美ちゃんが神々しいまでに舞を舞っているのだろうが、その姿はこの位置からは伺い知ることができない。

 だが、しばらくするとその本殿の方から、うっすらと黄色――いや、淡いピンク色の光が漏れてきたではないか。

 その様子は、ここ拝殿からも十分に確認できた。一瞬、ざわっとする一同。ちなみに宮司も拝殿に列席しているが、オメガたちのリアクションに、驚愕の表情を浮かべる。


「――み、皆さんは……この気配を感じ取れるのですか!?」

「え、えぇ……気配というより、その……見えるというか……」


 士郎の言葉に、宮司はさらに目を丸くした。


「――そろそろのようじゃな」


 いつの間に顕現したのか、ウズメさまがちょこんと士郎の隣に腰掛けていた。


「ウズメさま……」


 小声で彼女に呼びかけると、ウズメは士郎の方を横目で見て、ニヤリと笑った。

 傍でその様子を見ていた宮司は、もはや何が何だか訳が分からないという顔をしている。「ウズメさま――!? まさか……」だが、士郎はとりあえず彼の反応をスルーする。

 とりあえず、広美ちゃんが神さまの娘だというカミングアウトだけでも、宮司の衝撃は計り知れないのだ。そのうえここにガチの神さままで一緒に座っているなどと言ったら、彼はショック死するかもしれない。

 その時――

 

 空間が一瞬ひずんだような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る