第334話 ご神体(DAY7-8)

 出雲大社――御本殿。

 そもそも、この中に広美ちゃんが入って行ったこと自体が、極めて異例のことなのだ。


 どこの神社であれ、本殿というのは「ご神体」を納めている建物のことを指す。では「ご神体」とは何かといえば、それは“神さまが宿るとされている物体”――神の依代よりしろのことだ。

 この“物体”には実に様々なものがある。例えば伊勢神宮のご神体は『三種の神器』のひとつ『八咫やたのかがみ』だし、熱田神宮のそれは、同じく神器のひとつ『天叢雲あめのむらくものつるぎ』だ。

 こうしたメジャーなもの以外にも、それは『石』だったり『骨』だったり『木』だったり、あるいは富士山のように、とされているものすらある。まさに、森羅万象あらゆるものが“ご神体”になり得るのだ。


 で、多くの神社ではこの「ご神体」を直接見ることを禁忌タブーとしている(もちろん富士山とか、滝とか、そういう自然物がご神体である場合はその限りではない)。八咫鏡だって、天叢雲剣だって、そう呼ばれているだけで、実際にそれを直に見たものはいないのだ。少なくとも公式には――


 そんなことだから、その神社に奉仕する神職ですら、自分のところの本殿に何が納められているのか実際には見たことがない、というケースもざらにある。天皇陛下だって、三種の神器を直に見ることは許されていないのだ。


 そしてここ――出雲大社のご神体も、ご多分に漏れず門外不出とされている。だからその本当の姿かたちを見たことのある者は、ほとんど存在しない。

 このため、その正体については古来よりさまざまな憶測を生んできた。謎が謎を呼び、いつからかその真実を探求すること自体憚られるようになった。下手な詮索をすると神罰が下るとされ、今や日本最大の謎となった感さえある。

 それほど厳重に人の目から隔てられているご神体を奉安している御本殿は、そもそも一般人が一切立ち入りを許されていない。物理的にも、その御本殿を中心とした一帯の社殿は瑞垣と玉垣で厳重に囲われ、「八足門」と呼ばれる大きな門によってその外側と完全に隔てられていた。


 広美ちゃんはその中に入り、ご神体のすぐ目の前で舞を奉納したのだ。繰り返すがそれは、普段祭祀を行う「拝殿」ではない。まさに“神の御前で”行ったのだ。

 そんなことが許されたのもひとえに、彼女がそのご神体の主である大国主命のという驚くべき事実があったからだ。


 そして先ほどから、本殿のみならず拝殿に至るまでの全体の空気が、明らかに神性を帯びてきていた。そのことに気付いた宮司が、思わずその場に両手をつき、感極まって平伏する。


「――清瀬宮司、あのもやみたいなものが見えるのですか!?」


 士郎が、宮司の傍でヒソヒソ話しかける。すると、逆に宮司は吃驚して士郎を見つめ返した。


「え――中尉殿こそ、何か見えるのですか!?」

「あ、はぃ……まぁ……ピンク――いえ、桜色の、モヤモヤした蒸気のようなものが本殿に漂っています」

「……何たることだ……私には何も見えません」

「ではどうして――」

「気配を――神のおわします気配を、ただ感じるのです。これほどの神気を感じたことは、未だかつてありません……」


 そんな宮司の横に、ウズメが体育座りでちょこんと腰掛けている。


「――ほんに難儀よのぉ見えぬというのは……じゃが、さすがは明階一級宮司じゃ。これからも励むがよい」


 ウズメちゃん……そこまで言うなら、何かの方法で見えるようにしてあげればいいのに、と思うのは野暮なのだろうか。特に神さまに奉仕したことのない自分が、宮司を差し置いてことに、なんとなく申し訳ない気持ちになる。


「……これ、華麗にスルーするでない」


 ウズメが、ノーリアクションの士郎にしなだれかかってくる。


(だ、だって……今これ以上話をややこしくしたくないんですよっ)


 士郎も、ものすごい囁き声で応酬する。宮司の方に目線を送り、彼に悟られたくないのだというニュアンスを必死でウズメに伝える。


「――ふむ……では、今この瞬間はやりたい放題ということじゃな」

(――ちょ! 何やってんですかウズメさまっ!?)


 悪戯っぽい視線で士郎をねめまわしながら、ウズメが首に手を回してくるのを見て、士郎が必死に口パクで抗議する。

 それを見たオメガたちは一斉に顔を真っ赤にさせ、ものすごい形相でウズメと士郎を睨みつける。


(――いやいや! 俺は悪くないだろう!?)

(何言ってるんですかっ!? 鼻の下が延びてますよ士郎くんっ!)

(そ、そうですよ士郎さんっ! 隙があるからウズメさまに付け入れられるんですっ!)

(えぇ!? 勘弁してくれよぉ……)


 拝殿いっぱいに充満する神々しい気配に、感動して目に一杯涙を溜めている清瀬宮司のすぐ傍で、ウズメのハレンチな悪戯とオメガたちの攻防戦が水面下で繰り広げられていた。士郎はもはや白旗寸前である。その時だった――


「――おぉ……タタラではないか! あな嬉しや! いかがいたしたのじゃ!?」


 突然雷鳴のような声が轟いた。その声に、一同は一斉に本殿の方を仰ぎ見る。


「この声って、まさか――」

「うむ、ようやく起きてきたようじゃ」


 そう言うとウズメは、ひゅんっ――と本殿の方へ飛んで行ってしまった。


「あ! ちょ――」


 士郎とオメガたちが、慌てて追い縋ろうとするが、拝殿からは容易に本殿一帯に入ることができない。物理的に厳重に隔てられているからだ。

 思わず宮司の方を振り向くが、彼は呆気にとられたままだ。外は晴れていたはずなのだが、雷の音が響いていた。


「――これってもしかして……広美ちゃんのパパさんの声なのかな!?」


 ゆずりはが、ふと我に返ったように耳を澄ましていた。ハッとしてもう一度本殿の方を振り向くと、いつの間にか先ほどの桜色の靄のようなものは掻き消えている。どういうことだ――!?

 もしや、ウズメさまたち――神々との意識同調が……ズレた!?


 だが、幸いそれは杞憂だった。一瞬のち、あらためて先ほどの桜色の靄が周囲に漂い始める。すると、どこかからウズメの声が響いてきた。


『――おぬしたち、中に入るがよかろう。ヌシの許可は取っておいたぞ』


 と同時に、八足門の重厚な扉が、まるで自動ドアのようにギギギと開く。


「……な……なんということだ……中尉殿、貴殿たちは入内じゅだいを許されましたぞ……」


 清瀬宮司が仰け反りながら驚愕の表情を向ける。ハッとしてまた宮司を見つめ返すと、彼はこくこくと激しく頷いてみせた。


「……で、では……失礼して……おい、みんな行くぞ!?」

「ほーい」「はいっ」「よかったぁ」「ありがたいのです」「う、うむっ」「いぇーい」


 つくづく、宮司に申し訳ないと思いながら、士郎は意を決してオメガを引き連れ、本殿に乗り込んでいく。


  ***


 八足門を抜けると、すぐ目の前には楼門があった。御本殿はその向こうだ。楼門自体は、特にくぐることを禁じられておらず、一行はそのままスタスタと奥へ進む。

 そしてついに、御本殿に辿り着いた。


 それは、一般に『大社づくり』と呼ばれる独特の形状をしている。伊勢神宮に代表される『神明造』あるいは『住吉造』と呼ばれる、直線を基調とした一般的な神社とは異なり、大社造の大きな特徴は、その切妻屋根の優美な曲線だ。屋根の傾斜は強く、その分軒に行くほど先端が反り返って、他の地域の神社とは明らかに異なる趣を見せる。

 屋根と言えば、その昔「瓦屋根」というのは寺院のことを指す別名であった。元々仏教は中国伝来で、瓦屋根はまさに中国建築そのものだったからだ。

 これに対し、神社は一般的に昔から萱葺かやぶきで、江戸期以降は徐々に檜皮葺ひわだぶきとなっていく。今でも神社の大半は檜皮葺だ。瓦屋根の神社はおそらくほとんど存在しないだろう。神道では、海外建築は好まれないのだ。


 同様に、本殿そのものも、神社の大半は日本古来の建築様式を踏襲している。基本的に、弥生時代の高床式建築が元になっているのだ。ただし、神明造が長方形であるのに対し、大社造はほぼ「田」の字――すなわち正方形だ。

 その建物本体は、いわゆる『堀立ほりたて柱』という、地面に深く丸太を突き立てて、それを基礎として丸太と板を組み合わせて造られる。


 そしていよいよここからが、出雲大社御本殿の特筆すべき構造上の特徴だ。

 まずその「田」の字の中心、「十」の真ん中のところに『心太柱』という、いわば大黒柱のような太い柱が突き立っている。

 そして本殿の入口は、当然ながら拝殿から続く南側に設けられているのだが、少しだけ右側にズレて造られている。

 さらにその内部は「田」の字の下半分と上半分に仕切られていて、肝心のご神体は上半分の、さらに右側に位置しているのだ。

 面白いのが、そのご神体の向きだ。実は、出雲大社のご神体の正面は、左側――つまり、西を向いている。ということは、拝殿は南側にあるから、普段は神さまの左側に向かって祭祀を行っているわけだ。

 そして当然ながら、今回広美ちゃんは、「田」の字の上半分の、左側に位置して舞を奉納した――つまり、正式に神さまに正対して踊ったわけだ。


 士郎たちは、南側の入口から「田」の字の中に入っていく。階段を上り切ったところでふと左斜め前方を見ると、広美が心ここにあらずといった表情で、ご神体の方を凝視しているのが見えた。


「――これは……神懸かり……!?」


 士郎は思わず呟く。

 それは、かんなぎ本来の姿と言っていい。彼女は今、完全にトランス状態に陥り、シャーマンとして神をその身に降ろしているのだ。そして、その身に宿る神こそが、大国主命――出雲大社の主神にして、幽世かくりよの王その人であった。

 広美ちゃんが、ゆっくりとこちらを向く。


『おぉ――苦しゅうない。近う寄るがよい』

「ぬ……ヌシさま……この方たちがお伝えしたつはものどもです」

『そうであるか』


 ん――!?

 一人二役!? いや、広美ちゃんは、自らの意識と大国主の意識を、同じひとつの身体に宿して会話しているのだ――

 隣でウズメが神々しい笑みを湛えている。


「――え、えと……お初にお目にかかります……現世うつしよから参りました、国防軍中尉、石動いするぎ士郎と申します」

『……うむ、じゃが、そちは元々こちらの血を引いておるな』


 出逢って数秒で、あっという間に士郎に幽世の血が混じっていることを見抜かれる。


「は――はい……父が……」

『よい。よくぞ戻ってきた……そしてまたそちも――じゃな!?』


 今度は久遠を凝視する。


「ははははいっ! えっと、蒼流神社の久遠と申しますすす……」


 久遠は緊張し過ぎだった。だが、オオクニヌシはそんな彼女を気に入った様子だった。


『ふむ……オロチに助けられたか。そちもまた、巫女であるな。こちらの肉体は滅びたようだから、見事転生てんしょうを果たしたか――』


 どうやら、一切の隠し事は通じないようだった。士郎は、意を決して王に直言する。


「お、王さま……と称してよいのか分かりかねますが……このたびはお願いがあって参りました」

『む? 申してみよ』

「は――はい、実は、今現世が大変なことになっております。こちらの世の――幽世の外敵に侵入を許したのです。そこで、やむを得ずこちらまで足を運び、その外敵を討ち滅ぼさんと決意しております。つきましては――」

『――ウズメ殿の話はまことであったか!?』

「はぁ? じゃから何度も申したであろうが――わらわは今、あっち行ったりこっち行ったり大変なのじゃ」


 ウズメちゃんが、半分不貞腐れたような顔で広美ちゃんの外見をした大国主命に目を剥く。なかなかシュールな光景だった。


『……う、うむ……それは……』

「――まぁ良いわ。分かればよいのじゃ。ホレ、こやつの話の続きを聞いてやれ」


 ウズメちゃんは、こんな時でも気を回して話を転がしてくれる。滅茶苦茶いい神さまじゃねーか。


「あ――はい……それで、えっと……つきましては、この出雲大社に少々手を加えさせていただけないかと……」

『…………』


 大国主命が黙り込む。


「――あ、あのっ……実はその、中国軍がこの後……ここに総攻撃を仕掛けてくると思われるのです。それは、恐らく大社を――ご神体を破壊することで王さまの神威を滅し、一帯の神域を我が物にしてこの国全体の支配権を確立するためと思われます。そうなると、ますます現世の中国軍は力を増し、幽世のみならず現世まで、すべてを敵に明け渡すことになると……懸念しております……」


 それを聞いたオオクニヌシは、今度は突如として第二人格――いや、本来はこっちが第一人格か――を発動させる。


「――ヌシさま、私からもお願いたてまつります。今上陛下は現在の事態を大変憂いておいでです。私は、こちらの中尉さんに朝廷として手を貸すよう仰せつかっております」

『――なるほど。まぁ、タタラがそう申すのであれば致し方あるまい。で、具体的には何をどうしたいのじゃ!?』


 良かった――聞き入れてくれた! さっすが広美ちゃんだぜ――


「――で、ではまず、ご神体の疎開を! 毀損されるのももってのほかですし、奪われて悪用されても困りますので――」

『そうか、ではそこにあるからどこへなりとも持っていくがよい。ただし――重いぞ!?』

「あっ――ありがとうございます! お、重いですか!?」

『……うむ、そうじゃのう。何せ、岩じゃからな』


 ――――!!

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