第318話 オロチ(DAY6-15)
何かの強烈な力によって、無理やり空中から地面に叩きつけられたアイシャは、近寄ってきた村人と思しき人々を、あっという間に血祭りにあげる。彼らの敵意にムカついたからだ。
気が付くと、辺りにはただ、肉塊と化した村人たちと、凄惨な血飛沫が飛び散っているだけだ――
――この殺戮の中心にいるのは、私……?
我ながら、その光景の中に佇む自分の姿は、まさに悪鬼そのもののように思えた。
――悪者は……私なのか――!?
ふと、足元に転がる誰かの頭部と目が合う。光を失ったその瞳は大きくカッと見開かれ、血走っていた。その表情に滲むのは「恐怖」か……「困惑」か?
いや、「無念」だ……
――なんでッ!? 私が……悪いの――!?
(――あぁ、そうだ。
不意に、何かの思念が頭の中に直接響き渡った。誰ッ――!?
アイシャは慌てて周囲を見回す。すると――
そこには、視界を圧倒する大きな黒い影が、いつの間にか立ち塞がっていた。気が付くと、先ほどまで程よく射していた陽の光もすっかり消え去り、辺りはどんよりと曇っている。
コイツは……何だ……!?
先ほどの思念の正体……なのか……!?
すると、黒い影が唐突に大きくなった――いや、鎌首……?
鎌首をもたげたのか――!?
するとこれは――ヘビ……?
違う、これは……龍だ――!!
アイシャがそう認識した途端、黒い影は俄かに実体を伴い始めた。その体表面は、幾何学的な模様で覆われていた。縦長の……六角形……これは……「
その鱗が波打っているのは、この怪物が
そんなことより――あぁ……何より、アイシャはその大きさに驚愕する。まるで潜水艦のような太さのその怪物の胴体は、目の前だけでなく、その奥までずっと――そしてよくよく周りを見渡せば、いつの間にか彼女を四方八方からぐるりと取り囲んでいた。
その様はまるで、先ほど上空から見た川のようだった。それはウネウネと曲がりくねっており、辺り一帯にとぐろを巻いている。
やはり……ヘビ、なのか――!?
だとすれば、とんでもない大きさの大蛇だ。これこそが「悪鬼」ではないのか!? ということは、私は人々を守るため、この悪鬼を駆逐しなければならない――!!
(――笑止! 鬼は
再び、思念が頭の中に響き渡った。
「――なぜッ!? 私はガンダルヴァ――人の子を悪鬼の手から救う善神なり!」
(……ほぅ? 八部衆の
「……わッ……分からない……でも、私は鬼の頭を切りて、鉾に貫く者にして――」
(だから
ゴォォォォ――
大蛇がその鎌首を動かすと、それにつられて嵐のように風が吹き荒んだ。アイシャは思わず重心を下げ、ひしっ――と地面に両足を踏ん張る。
(――この童どもは、ただひたすらに神域を守らんと欲した者なり。憐れその身は、鬼に切り刻まれし――)
「……なッ……何を――! 私は鬼じゃな――」
(――その無念、
大蛇はその
それは見る間に膨張したかと思うと――
ゴォォォォォぉっ――――!!!!
火炎放射器のように、その口から巨大な火炎の奔流が
アイシャはすんでのところで飛び上がり、それを避けようとする。だが、紙一重で逃げ遅れた右脚が、その火箭に捕まった。
ウガァァァァぁッ――――!!!!
火炎のフレアに、少し触れただけなのだ。なのに彼女の脚首から先は、ものの見事に蒸発する。燃えたのではない。一瞬にして炭化したかと思うと、ボロッとその部分が粉々になり、大気に吹き飛ばされたのだ。1万本の針で貫かれたような痛みが、彼女の足先を襲う。
だが、辛うじて致命傷は避けられたか――
と思ったのはアイシャだけだった。刹那、今度は背中にものすごい熱気を感じ、弾かれたように慌ててその場から飛び去る。しかし――
ジュッ――
肉の焼ける臭いと共に、背中全体の生皮がいきなりベリベリと引き剥がされたかのような絶望的な痛みを感じる。驚愕して振り返ると、やはりそこには大蛇の巨大な
なんで――!?
あの図体で、そんなに早く移動できるわけが……
――――!!??
あ……あれは……!?
アイシャは、転げるようにその場から飛び去る瞬間、視界の隅に捉えた光景に心臓が飛び出しそうになる。
頭が……二つ――!?
何でもいい! 早くここから離脱しないと――!!
アイシャは、全身を襲う激痛と戦いながら、まるで自分が地対空ミサイルになったようなつもりで全速機動し、螺旋状に一気に空高く飛び上がろうとする。だが――
次の瞬間、その退避機動がまったく無意味であることをついに悟った。
もうひとつ、鎌首が現れたのだ! 三ツ首っ――!?
その巨大な顎は、彼女の進行方向に待ち構えていた。アイシャは間一髪それを躱そうと試みる。
ガキィィィィン――!!!!
くッ――!!!
その一本一本が、アイシャより遥かに大きいと思われる鋭い牙が、まるでトラバサミのように彼女を真っ二つに断ち割ろうと襲い掛かった。だが、ここでもアイシャはすんでのところで身体を捩じると、辛うじてこれを避ける。
しかし右腕を掠めたその牙は、彼女の二の腕の肉を削ぎ落としていった。
「――ひぐッ……!!」
逃げるのに、必死だった。先ほどから、やられてばかりだ。何とか反撃しなきゃ――! この怪物が、きっと10万の軍勢を食い散らかしたに違いない。
アイシャはキッと怪物を睨みつけた。残る左腕で、その首を刎ねてくれよう!
(――
怪物が、また脳に直接語りかけてくる。
うるさい! うるさいうるさいうるさいッ――!!!!
「――こッ……これは神のっ……神の怒りで――」
(――はぁっ? 神と申したか――邪神よ……)
その小馬鹿にしたような物言いに、アイシャはまた腹を立てる。
「じゃ、邪神ではないッ!! オマエこそ、怪物のくせにッ!!」
(――神の名を騙るとは、不遜な奴め……では滅するしかあるまい――)
その瞬間、アイシャの目の前に、更に多数の頭が覆いかぶさってきた。な、なんだ――!?
また頭が増えた……三ツ首じゃないのかッ!?
ダァァァァァ――ン!!!!
いつの間にか、アイシャは地面に組み伏せられていた。その周囲には、正確に言うと全部で八つの頭が蠢いているのだが、既に彼女はその数を数えるだけの余裕を失っていた。なぜなら――
彼女の身体は、その八つの
「――うぉのれッ!! うぉのれうぉのれうぉのれうぉのれッ!!!!」
アイシャは怒りに任せて吠えたが、その身体はビクとも動かない。既にその四肢はそれぞれ異なる頭に噛みつかれ、四方八方、大の字に引っ張られていた。
(――あとは、
「ぅがあぁぁァァァァッ――!!!!」
アイシャは絶叫した。その時突然――
別の「声」がさらに頭の上から降ってくる。
「――オロチよ、その辺にしてやれ――」
今度は誰っ――!?
アイシャは、まるで赤子のように――いや、ゴミのように翻弄される我が身に憎しみを募らせながらも、その声の主を必死で探した。すると、地面に組みしだかれてただ空を見上げるしかない己の視線の先に、一人の女性がぼぅと浮かんでいるのを認める。
あれは……人なのか……!?
(――ウズメどのか……なに、この者が神と称するのが片腹痛くてな……神騙りの邪神に祟りを喰らわせるところじゃ)
オロチ――と呼ばれたその怪物が、ふと我に返ったようにその女性――ウズメ? というのか――に意識を向けた。
ウズメ……!? オロチとは……いったい何だ!?
「――確かにの……この者は、神のように見えて神ではないの……だからといってヒトでもなさそうじゃ。難儀なものよ……」
わ、私のことをいっているのか――!?
神でもないし、ヒトでもないと……では、私はいったい何なのだ!?
「おい、おぬし――何しに来た!?」
ウズメと呼ばれたその女性が、アイシャに問いかける。
(――答えぬと脚を一本引き抜くぞ!?)
オロチが畳み掛ける。もはや四肢に感覚はない。万力で締め上げられたかのように引っ張られているので、あと少しでも力を加えられたら、腕でも脚でも本当に引き抜かれそうだ。
「……わ、たしは……
アイシャは、辛うじて名乗りを上げる。それが、神たる者の務めだ。悪鬼は、神の名のもとに滅しなければならない。
「――ほぅ、
(――辟邪と申したか!? なんと憐れな……)
ウズメとオロチが、微妙な反応を示す。そうだ――私は辟邪だ。何が悪い――!
「
「あ、当たり前だ! 我は辟邪神『ガンダルヴァ』――この国の流儀で言えば『
「ふむ……どうやら何者かに
(――憐れな……)
「――なぜっ!? 何が憐れなのだっ!?」
アイシャはムキになって声を荒らげる。だって、さっきからコイツらは私のことを全否定して――
「――そこに転がっておるのは何じゃ?」
ウズメが、すぐ傍の
「これは……悪鬼――」
「ただのヒトじゃ……里の平穏を願っただけの、弱き者どもじゃ」
「……いや……ちが――」
アイシャは、恐る恐る村人たちの遺骸に目をやった。男たちのそれは、首と胴体がバラバラに転がったままだ。どの顔も無念に歪み、恐怖と絶望の宿った虚ろな目がただ中空を漂っている。
女の遺体は、誰がやったのかその胴体が上下に両断されていた。最初ピンク色だったその臓物は、少し時間が経って藤色に変色しつつある。
私が……やったのか……?
「――もう一度訊こう……おぬし、何しにここに来た!?」
「…………」
「おぬしのいう悪鬼とは、か弱き人の子のことであったか……わらわは寡聞にして知らなんだわ」
「…………」
アイシャは、愕然としていたのだ。
リーチャチャに言われ、勇んでこのイズモ地域に乗り込んだ。そこは悪鬼が跋扈していて、自分たちを寄せ付けないのだという。この国の平穏を実現するには、彼の地を平定せねばならない――
だが、実際はどうだ――!?
そこにいたのは、ただ弱き者であった……
(――ウズメどの……こやつはもはや話すらできぬ。里の者の無念も、察するに余りある――)
「うむ――過ぎたるは及ばざるが如しじゃが……」
(――なら良いの? こやつは、
待って……待って……
「……致し方あるまい。こやつ神ではないが、かと言うてヒトでもない。こういう場合は一旦わらわが預かって習合させるのじゃが……」
あぁ……私……悪気はなかったのに……
(――では、心置きなく滅ぼすとしよう――)
「――ひと思いにやるのじゃぞ?」
(――分かっておるわ……)
や……やめ……て…………
あや……謝る……からっ…………
アイシャは、自分の頭上にいる二つの圧倒的な存在に、心から恐怖した。
それこそがまさに、神の審判と呼べるものに違いない。なぜなら――
自分という存在を1ミリも認めないという、圧倒的にして決定的な意思が、アイシャの全身を射抜いたからである。
これが――本当の……神……!?
私は、偽物……だった……!?
この世界は、私が“神”として存在してよいところでは……なかったのだ――
その時だった。
アイシャの全身が、青白く光芒を放ち始めたのは――
う……うが……
ウガァァァァ――――!!!!
彼女の変化にオロチが、そしてウズメも……目を見張る。
「――これはまさか……」
(――あり得ぬ……あり得ぬぞ――!?)
「じゃが! 現に今――」
(――
そうこうしているうちに、アイシャの全身はさらに眩いばかりの光に包まれていく。
「しかしこれはッ!」
(認めぬと言っておる――おのれ――!)
オロチが、アイシャの変化を否定するかのようにその神力を解放し始める。
その太く巨大な胴体はビクビクと脈打ち、辺り一帯に地震のような激しい揺れが巻き起こった。やがて、その脈動は虹色の光芒を伴い始め――
アイシャの青白光と融合し、さらに白熱する――
(うぉあぁァァァァ――!!!!)
「――オロチッ!?」
その瞬間――
辺りは真っ白くハレーションを起こしていた。すべてのものが形を失い、そして――
***
「――あまり……記憶が定かではない……」
事情聴取に応じてアイシャが証言したのは、結局この話の10分の1程度だ。
だから、自分が「ニセモノ」だと言われたことも、どこか深層心理に刻まれている程度だ。それは、結果的に
何せ、このことがそう遠くない将来、アイシャの運命を決定づける重要なきっかけになったのだから――
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