第306話 幽世の王(DAY6-3)

 出雲大社――


 島根県出雲市大社町にある、日本で唯一「大社」という名称を名乗ることが許された神社。世間一般では「いずもたいしゃ」と呼ばれているが、正式な名称は「いづもおおやしろ」である。

 この神社にまつわる話題エピソードは多い。


 トリビア的なところからいくと、まずはその拝礼方法だ。一般的な神社は「二拝二拍手一拝」を基本とするが、ここ出雲大社では「二拝一拝」である。

 また、世間では「9月」の和名を「神無月かんなづき」と言うが、ここ出雲では「神有月かみありつき」と呼ぶ。日本中の、それこそ八百万の神々が、すべてここ出雲大社に集結するとされているからだ。

 さらに、そのご利益としては「縁結びの神さま」として有名だが、決して異性同士で参拝してはいけない――とされている。神さまが嫉妬して、愛する二人をわかつとされているからだ。ただし、夫婦は構わないとされているからちょっと謎。


 そしてその社殿。それこそ神代かみよの時代に造られたとされているが、創建当時は今と違って相当大きかったらしい――今でも十分巨大建築で、その本殿はそれ自体国宝という、凄まじい仕様であるが――

 大きかったというか、。その建物高は実に48メートル――今でいえば、優に10階建てビルくらいの高さの高床式で、本殿に至る傾斜参道は実に数百メートルの長きに亘ったという。敢えて似たような建築物を探すとすれば、南米アステカのピラミッドか。

 高層建築など存在しなかったはずの古代日本において、その威容は恐らく周囲を圧倒しただろう。それほどまでに、この出雲大社というのは古代より特別な存在だった。

 ちなみに現在の本殿は江戸時代の造立。16世紀の戦国時代に創建された拝殿は、失火により焼失し、明治時代に再建されている。


「――そば! そばだよみんなっ!?」


 士郎の乗る指揮通信車に無理矢理乗り込んだ6人のオメガが、すし詰め状態で何やら騒いでいる。


「何がそばなんだ? ゆず」

「えっ? 士郎きゅんは知らないの? 出雲はそばで有名なんだよ!?」

「あぁ、蕎麦か」

「いいや、出雲といえば和菓子だろう? 松平公の直轄領で、献上品の和菓子作りが盛んだったのだ」


 久遠が反論する。みんな、歴史は詳しくなくともグルメハンターらしい。だが、大事なことを忘れているようだ。


「――あのなお前ら……こっちの世界は中国軍に占領されてるんだ。そんなものがおいそれと残っているわけないだろう!?」

「あっ――」


 まったく、緊張感のない連中だ。とてもじゃないが、これから決戦場に向かうとは思えない。


 決戦場――

 そう、士郎たちが向かっている出雲は、この幽世の“首都”とされる場所らしい。だとすれば、とても穏便に事が運ぶとは思えない。間違いなく、何らかの戦闘――しかも、とびっきり大きな戦闘になることは避けようがないのではなかろうか。

 それくらいのつもりで乗り込む必要がある――士郎はそう考えていた。


「ところで士郎さん、なぜ出雲が幽世の首都とされているんですか?」


 くるみが、言われてみればそうだな、ということを今更ながら聞いてくる。


「えっ? それは、大国主命オオクニヌシノミコトが出雲大社の主神だからに決まっているじゃないか!?」

「ん? オオクニヌシ……?」

「え? 違うのか!? 俺はてっきり――」

「いや、中尉の認識で合っていると思うよ」


 オメガたちにグリグリ端っこに追いやられ、兵員区画の壁際に追い詰められていた叶が、口をパクパクさせながら辛うじて会話に加わる。


「……ねぇねぇ、オオクニヌシって何?」


 かざりがきょとんとした顔で皆を見回す。


「なんだ!? かざりはそんなことも知らないのか!? 因幡の白ウサギだぞ?」


 久遠がドヤ顔で文をねめつける。


「うさぎ? かわいー!」


 ゆずりはが恐らく何の考えもなく脊髄反射で反応する。そんな様子を見て、未来みくと亜紀乃がふふっと笑った。未来はともかく、14歳の亜紀乃に笑われる高校生って……


 この調子じゃ、無駄話ばかりしているうちに、出雲に着いてしまうではないか!? これでいいのかオメガチーム――!?

 士郎は頭を抱える。


  ***


 大国主命とは、日本神話に出てくる神の一人だ。

 例によってその物語は複雑で、だがそのおよそ半分は兄弟の諍いとか女の取り合いとか、そんなところだ。久遠が少しだけ触れた「因幡の白ウサギ」のエピソードは、そんな兄弟争いの中で起きるひとつの因果応報的出来事だ。


 だが、大国主命の話で一番大事なのは、彼が最終的に『幽世かくりよの支配者』として君臨したことだ――


 具体的には、オオクニヌシはいろいろあって、最終的に中つ国――すなわちこの日本国――を造り上げていく責任者になった。いわゆる「国造り」だ。そうして出雲を中心にどんどん国が発展していったのだが、その偉業を成し遂げる直前になって、突然横槍が入る。

 この世界の最高神「天照大御神アマテラスオオミカミ」が、オオクニヌシの国造りがので、別の神を下界に遣わし、その任を解こうとしたのである。


 ここで現代人は誤解してはいけない。オオクニヌシは、別に傍若無人に振る舞っていたわけではないのだ。ただ、中つ国は当時、さまざまな国家や武装勢力が群雄割拠する混乱の時代。彼はそんな中、時に知恵を尽くし――すなわち「謀略を用いて」ということだろうか?――時に武力をもってこれを次々に平定していったとされる。

 いわば、日本国平定の現地軍司令官といったところか。


 だから、途中で天照大御神がしゃしゃり出てその任を解こうとしたということはさしずめ、彼の作戦が気に喰わなくて司令官を解任し、代わりに別の司令官を送り込もうとした、ということなのだろう。


 アマテラスは次々に神を送り込むが、何度も失敗する。みな、魅力あふれるオオクニヌシの虜になって、シンパになってしまったからだ。

 最終的には、神界最強の戦神、武甕槌神タケミカヅチまで送り込んでこれを解決しようとする。


 それが功を奏したのかどうか、オオクニヌシはようやくその矛を収めるのだが、その際に彼がアマテラスに要求したのが、「この世界の統治は諦めるから、替わりに幽世かくりよの王にさせてくれ」という条件だったというわけだ。

 アマテラスはその要求を呑み、オオクニヌシを祭祀者として立派な宮を造営したという。これがすなわち『出雲大社』の興りである。

 以後、オオクニヌシはこの出雲大社を本拠地とし、幽世の王となって中つ国を見守ったという。


 これが、後の世に『国譲り』――国引き――として知られるようになった、日本神話における権力移譲の物語だ。


  ***


「なるほど……だから出雲が幽世の首都、とされているわけですね」


 くるみが感心したように大きく頷いた。


「後世の歴史家は、これを古代日本で実際に起こった戦乱を神話に見立てて描写したものだ、とみている人も多いんだ」


 叶が補足する。


「え? そうなのですか!?」


 亜紀乃が驚いたように反応する。


「うむ。いいかいキノちゃん、神話というのは決して只のファンタジーや空想物語ではないんだ。必ずそこには、現実世界で実際に起きた出来事が暗喩的に描写されている、と見た方がいい」

「そ、そうなんですか……」

「あぁ、今回の例でいうと、オオクニヌシはもともと土着していた武力集団、そしてアマテラスは渡来人か、あるいは後発の新興武装勢力か――」

「――そしてそのアマテラスが、単純にオオクニヌシを『滅ぼす』のではなく、並行世界、すなわち幽世の王に祭り上げた、という描写も見逃すことはできない」


 叶の説明に、今度は士郎が被せてきた。そういうところを推理していくところが、歴史の面白い点なのだ。


「ど……どういうこと!?」


 未来が興味深そうに問いかける。


「うん……つまり、新興武装勢力だったアマテラス軍は、土着のオオクニヌシ軍から正当にその支配権を譲ってもらうカタチにこだわったんだ。だからこそ、それまでみんなのヒーローだったオオクニヌシはキチンとアマテラスからリスペクトされつつ、ここではない別の世界でついに大願成就し、その絶対的な支配者になる。こうすることによって、“親オオクニヌシ派”だった土着の民たちを、なんとか納得させる必要があった、ということだ」

「……な……なるほど……」

「――最も象徴的なのは、神々の呼び名だ。オオクニヌシ軍の神々は、一括りで『国津神くにつかみ』と呼ばれている。それと区別するかたちで、アマテラス軍の神々は『天津神アマツカミ』と呼ばれる。要するに、戦いが終わった後も、この両者はお互い対等に相手を『神』と認め、平和的にその権力を移譲した、という形をとる必要があったということだ。でないと、アマテラス軍の統治の正統性を人々に示すことはできないからね……」


 士郎は噛んで含めるようにオメガたちに説明する。


「もちろん、今となっては少しその解釈を変えなければいけないだろう。主神アマテラスはシリウス人だったのだから、ここでいう『高天原』というのはシリウスの母星だった可能性が高い。オオクニヌシはさしずめ『地球先遣隊の隊長』といったところか――

 その隊長が、母星の大本営の意に反したか、あるいは想定以上に戦果を挙げ、彼の政治力が危険なレベルにまで高まったんだろう――いずれにせよ、母星はこれ以上先遣隊長が力を持つことを恐れたのだ。

 結果として彼は次元通路の仕組みにより、並行世界――すなわち幽世に封印されたか、あるいは条件闘争に勝って、自ら並行世界かくりよに本拠地を移すことに同意した。

 恐らくこれが、出雲大社とオオクニヌシを巡る物語の真相だ」


 オメガたちは、いつの間にか真剣に、士郎たちの話に耳を傾けるようになっていた。


「――し、神話には、そんな裏読みの仕方があったんですね……」


 くるみが感心したように口を開いた。最近彼女は、いつも感心しっぱなしだ。ただ単に知識があるということと、物事を解釈して読み解くということは、まったく別の能力だということに気付いてくれるようになったらしい。


「ところで士郎、結局のところ私たちは、その出雲に行っていったい何をすればよいのだ?」


 久遠が問いかける。


「……それは……だな……」


 士郎はしどろもどろになる。確かに、四ノ宮に言われたから出雲に向かっているが、そこで具体的に何をすればいいのか、よく分かっていない。

 慌てて叶の方を見るが、彼はひょいと肩をすくめて明後日の方向を向いた。に、逃げた――!?


 すると突然、車外から独特の金属音が聞こえてくる。それとほぼ同時に、指揮通信車の運転席から声を掛けられた。


「――中尉、友軍機が直上に!」

「ん!?」


 士郎は慌てて立ち上がり、装甲車両の天蓋ハッチをガバと開けて上空を仰ぎ見た。風がゴウッ――と車内に舞い込んでくる。

 そこにいたのは、『飛竜』より一回り小さい、連絡用垂直離着陸VTOL電磁推進機マグレブだった。


「ひゃあぁぁぁぁ――!!」


 突如として絹を裂くような悲鳴がどこからともなく聞こえてくる。と同時に、何か黒い塊がバサッと士郎の頭上に落ちてきた。


「――さっ……咲田さんッ!?」


 指揮通信車の直上、ほんの十数メートル上空を並行して飛行していた連絡用マグレブから突然吊り下げられたのは、宮内庁書陵部に所属する小柄な真面目女性、咲田広美その人だった。


「――ひっ……ひぃぃぃぃっ!!」


 広美は、両脇の下をくぐらせるように太い懸架ワイヤーを通され、まるでてるてる坊主のようにブランブランと空中に浮かんでいた。

 士郎は慌てて彼女の足首を掴み、ぐいっと手元に引き寄せる。彼女が着ていたチャコールグレーのタイトスカートが、強風にあおられてバッと太ももの付け根までめくれ上がる。白くて細いが、ほどよく肉のついた彼女の脚が丸見えになった。

 思わず士郎は赤面する。付け根の奥に見えたのは、白――


  ***


「――しっ……失礼しましたっ……!」


 ようやく車内に引きずり込み、兵員室はますますギュウギュウ詰めになった。広美は、オメガたちの真ん中、お誕生席のような位置で、車両の床に直接へたり込んでいる。さらさらの黒髪が、風にあおられて滅茶苦茶にこんがらがっていた。


「広美ちゃん! どうしたのいったい!?」


 楪が、彼女の髪を撫でつけながら驚いたようにその顔を覗き込む。ここにいる全員が、同じ気持ちだった。


「は、はひぃー……それはもちろん……出雲の王にお会いするためで……」


 広美が、未だ緊張解けずといった風情で、ようやく声を絞り出す。確かにその目は、蚊取り線香みたいにグルグルだ。


「出雲の――」

「……王!?」


 その言葉に、一同は困惑するしかない。士郎が口を開く。


「……咲田さん、出雲の王とはいったい……」

「ひゃ、ひゃい……それはもちろん、大国主命さまです」


 ようやく広美が平静さを取り戻しかけて、斜めにズレた眼鏡の位置を元に戻す。


「大国主命って……だってそれは神話――」

「し、神話は神話ですが……ヌシさまはこちらでご健在のはずです」

「は!? ど、どういうことなんだ!?」

「どういうことって……幽世のあるじはヌシさまですよ? あなた、ご存知ないんですか!?」


 広美がようやくいつもの感じを取り戻す。と同時に、士郎は無慈悲に馬鹿にされる。


「――い、いえ……もちろん知っていますよ。現世うつしよは天照大御神、幽世かくりよは大国主命……上手く棲み分けたって――」

「なんだ、ご存じだったんですか。では話は早いです。今回は、現世を統べる陛下の名代として不肖私が、幽世の王であらせられるヌシさまに、こうやってご挨拶に参るのです」

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