第287話 ホトギ(DAY5-5)

「――よりしろ……って?」


 亜紀乃が、何のことだかさっぱり分からないという顔で士郎に助けを求める。他のオメガたちのリアクションも、似たり寄ったりだ。

 ひとりだけ、その少女だけはすました顔をしている。


「あぁ、依り代っていうのは、一般的に“神”が宿るとされるうつわのことだ」


 士郎は、かいつまんで説明を始める。


 依り代――

 それは、神道のように「万物には生命が宿る」という御霊信仰に基づく考え方だ。あらゆるものには魂が宿っており、それは“神”と呼ばれたり“精霊”と呼ばれたりする。これとよく似た概念として、南太平洋の島々には「マナ」と呼ばれる土着の精霊信仰がある。

 要するに、太陽や月、それこそ海や川、山、野山の草木、果ては岩や石に至るまで、神羅万象この世界のすべてには、人間や動物、虫や魚のような、一般的に“生命”と認識される存在と同じように「意識」や「思考」があり、それが生きとし生けるものすべてと相互に関連し合ってこの世の営みを築いているという考え方だ。


 もちろん、太陽や月、夜空の星々など、スケールの大きなものについては、卑しい人間とは格の違う、もっと神聖性の高い上位存在として、それこそ「神」の扱いを受け、信仰の対象となってきた。

 天照大御神は長い間「太陽神」として崇められてきたし――実際は「シリウス神」であったということは今まで何度も言ってきた通りだが――他にも全国各地の神社には、あちこちで「ご神体」とされる古い巨木や大岩が祀られている。

 それら「ご神体」には大抵「注連しめ縄」が張られているのを見たことはないだろうか。あれがまさに「依り代」である。神々は、そうした古木や岩塊にその存在を乗り移らせ、この世に顕現しているとされる。


 だが、この少女がいう依り代とは、もう少し厳密な意味のようだ。

 これら巨木や岩塊などの“ご神体”は、説明した通り「依り代」と言って間違いはないのだが、神道の世界ではむしろこうした自然界の万物に神が降りる依り代のことを「御霊代みたましろ」とか「神代かみしろ」と呼んで普通の依り代と区別している。


 では一般的に言う「依り代」とは何か。

 それは、「モノ」であり「ヒト」である。古い道具に魂が宿るとされる「つく神」信仰は、神羅万象の中に存在する精霊がモノに宿ったとされるものだ。この場合、そのモノ自体が「依り代」とされる。

 あるいは、神や精霊がヒトに憑依して、実際にそのヒトの言葉や行動を介して神意を伝える場合、その人間そのものが「依り代」となる。神の言葉を伝えるシャーマン、すなわち「巫女」は、その存在自体が「生ける依り代」なのだ。


 だが、この依り代に憑依するのは決して人間より上位存在である“神”に限ったことではない、というのがポイントだ。

 依り代というのは俗世間では一般的に「ホトケ」と呼ばれる。

 よく誤解されがちだが、死んだ人間のことを「ホトケさん」と呼ぶのは、別にその人が死んだことで徳を積み、仏教の世界で言う「仏陀ほとけ」になったからというわけではない。

 生前修行に励み、功徳を積んだ高僧が解脱してようやく涅槃に行けるというのに、煩悩の塊である庶民が、たかが死んだくらいで仏陀になれるわけがないではないか。

 ここでいうホトケとは「ホトギ」――すなわち「いれもの」のことである。死んで魂が抜け、空っぽになった人間の遺体を、「ホトギ」と呼ぶのだ。「ホトケ」というのはそれが訛っただけのことだ。


 で、この中身空っぽの入れ物には、いろいろなモノが入り込んでくる。悪い感情や怨念が入り込んで、この世の人々を惑わす「悪霊」になることもあれば、神羅万象の清浄な存在が入り込んで精霊化することもある。この場合は、その土地の「守り神」になったりするわけだ。

 そして単純に、もともとの魂とは別の魂が後から入り込むこともある。陰陽師などが使役する依り代は、意図的に自分やその使役する「式神」をこれらホトギに憑依させるものであるし、彼ら専門家以外にも、期せずしてこの空っぽの容器に自分の意識を乗り移らせることがある。


 この少女が今言っている「依り代」とはむしろ、そちらの方の意味なのであろう。

 すなわち、月見里文の「魂」というか「意識」が、この少女に憑依しているのだ――


「――えっと、じゃあ……あなたはもともとかざりちゃんとは何の関係もない人ってこと!?」

「完全に関係がないか、と言われると、ちょっと自信がない。だってほら、私あんたたちが知っているその人と、見た目そっくりなんだろ?」


 確かにその通りだ。少なくとも外見は、寸分たがわぬと言っても過言ではない。何らかの血縁があるのか、あるいは何か別のはたらきがそうさせているのか――


「――それはともかく、まずはなぜ君にかざりの意識が憑依してきたか!? ということだ」

「あぁ――」


 少女は何度か頷いて、オメガたちを見回した。


「――実は……私、昔から夢を見ていたんだ」

「夢……?」

「そう、もうひとつの世界の夢。今になって考えると、それはアンタたちの世界だったんだ。アンタたち、この世界とは違う世界から来たんだろ? 違う?」

「――え? そ、そう……だけど……」

「――やっぱり!」


 まぁ、少女がそんなことを言ったって、特に不思議はなかった。だってこの一両日、我々がこちらの世界に進軍したことは、現地の大半の日本人に「伝説が実現した」として受け止められているからである。自分たちとは異なる世界からやってきた日本軍によって、圧政から解放されるという、まるで今回のことを予見していたかのような伝説――


 この少女も、だから我々が異世界から来た日本軍であることは十分に認識しているはずだ。


「――いや、そんなことはもうとっくにみんな知ってるんだけどね……もっと具体的に言うと、私、アンタたちの顔を、夢で見たことがあるんだよ」

「「「「「えぇ!?」」」」」


 そのあまりの発言に、オメガたちは思わず声を揃えてしまう。

 夢で自分たちを――!?

見たことがある――!?


「え? それって、このわたしを、夢の中で見たことがあるってこと?」


 ゆずりはが自分の顔を彼女に突き出しながら訊いた。


「うん、そう――アンタもそうだし、みんなとってもキレイで可愛いから、夢から覚めても鮮明に頭に残ったよ」

「――そんな……」

「ねぇ、アンタもそうだよ?」


 そう言って、少女は士郎の前にグイっと自分を突き出した。


「――アンタはこの子たちの隊長さんだろ? まぁ隊長さんってより、保護者? いや、この子たちは大半が……恋人みたいな気持ちでアンタのことを見てるみたいだけども」

「え?」

「ちょ、ちょっと……」

「やだ////」


 オメガたちが動揺する。まぁ、人によってはまんざらでもない、という顔をしているのもいるが。


「――そだ、そういえば、みんなで素敵な街に繰り出して、あれこれ買い物したり美味しいご飯食べたりしたこともあっただろ? あれは羨ましかったな! でもそっちとこっちの子はその時一緒じゃなかったよね?」


 それは、中国戦線で未来を拉致されて失意の帰国をした後、気分転換を兼ねて原宿にみんなで繰り出した時のことだ。楪はその時右腕切断という重傷を負って入院していた。つまり、彼女の描写は極めて正確ということだ。


 間違いない――

 この子は、明らかにかざりの目を通して、こちらの世界を見ていたのだ。でなければ、こんな詳細を知っている筈がない。


「ねぇ、それって――」

「最初――最初は、ただの夢だと思ってたんだ。でもそのうち、それは単なる夢じゃないって気が付いた。だって、この夢を見るたびにアンタたちが登場して、そんで実際に物事が進んでいくんだ。何度も同じ夢を見ることってあるだろ……? この夢は……夢の舞台はいつも一緒なんだ。アンタがいて、アンタがいて……そんでちゃんと時系列で話が進んでいくんだ。それって、夢って言うより、誰かの意識を通じて実際の世界を覗いているんじゃないかって……」


 確かに、「夢」が妙にリアリティを持っていることが、士郎にもごくたまにあった。

 でもそれは、誰もが経験したことがあるのではないだろうか。

 その“夢”は、キチンと色も匂いも付いていて、絶体絶命の危機だったりする。それで、運よく目が覚めると、身体中汗びっしょりで、夢の中で感じた恐怖や焦り、怒りの感情をそのまま持っていたりする。だが、夢の中の自分は、そもそもなんでそんな環境にいたのか、前後の脈絡はどうなっていたのか、まったく分からないままなのだ。


「――なんか……そんなことを言われると、私も似たような夢を見たことがあるかもしれん……自分が知らない別の世界に……自分がいる夢……」


 久遠が不思議そうな顔で呟く。

 それは、他のオメガたちも同様だった。


「……じゃあ……その手の夢って……無意識に異世界を覗いていた……ってことなのか……?」


 士郎も、思わず口走る。少女が言葉を継いだ。


「まさに――! 私もそのうちこの夢のからくりに気が付いたんだ。だって、あの街は正直見たこともない華やかな街だった。そんなところ、こっちの世界には存在しないだろ? 見たこともない、想像すらしようのない街を夢で克明に見るなんて……その時点で、それが私個人の無意識が生んだ風景じゃないってことだろ?」


 確かにこの少女の理屈には筋が通っている。

 夢の大半は、おそらく人間の深層心理や、過去に自分が見たり聞いたり経験したことを、脳が思い出して再現しているものだ。だから夢の世界では、基本的にその人の常識や経験値の範囲内でそれが再現される。ただ、その「経験値」の中には、映画やアニメ、小説など、創作物に触れたものも含まれるから、仮に夢の中でそういった世界にいたとしても、それがイコール別世界を覗き見た、ということにはならない。

 だが彼女の場合は明確だ。なぜならこの異世界日本では、士郎たちの世界のように「娯楽」や「創作物」が一切存在しないからだ。彼女の人生の中で、一度もそうした空想の産物に触れたことがないにも関わらず、見たこともないような夢の世界を見たということは、それはとりもなおさず「実際の光景」である可能性が高い。

 つまり、自分の見た光景が単なる「夢」でなく、リアルに存在する「別世界」を覗き見ているのだ、という結論に達するのは、不自然なことではない。

 少女の話は続く。


「――だけど、ある時ぱったりとその夢を見なくなったんだ。見なくなる前に、とても悲しい夢を見た。森の中で、とても激しい戦いが行われて、何かとても大切な人を亡くす悲しい夢だ。私は――いや、この場合はその、夢の中の誰か、ってことだけど――すごく悲しくて、悔しくて、腹が立って……それでその時の夢は終わり。でも、それ以来ずっと……随分長い間、夢は見なくなった」

「――それって……かざりちゃんが昏睡状態に陥った時のこと……かな……」

「――でも、そのうちまた夢を見るようになった。それまでと違って、とても暗い……すべてが停止した……海の底にいるような夢だ」


 それはまさか――文の……昏睡状態の彼女の調していた、ということなのか――!?


「――でもって、最近になって急に頭の中に……その……かざりちゃん、って言うのかな……その子の声が聞こえるようになったんだ」

「なんだって!?」


 士郎は思わず上ずった声を出す。昏睡状態の彼女と、会話を交わす――!?

 他のオメガたちも、茫然と彼女を見つめる。亜紀乃が、再び目にいっぱい涙を溜め始めていた。


「声が聞こえる――って言っても、別に会話を交わしていたわけじゃないし、耳から声が聞こえるわけじゃないんだ。なんというか……思念……みたいな……」


 少女は慌てて言い訳めいた口ぶりになる。


「――いや……いいんだ、続けてくれ」

「あ、あぁ……それで、何て言っていいか分からないんだが……とにかく夢の中の私のパートナーは、私の身体を使って現実の世界に出てきたいんだなってことが、なんとなく分かったんだ」


 あぁ……そうか……文は、元の世界の自分の生体機能が停止しているのを自覚して、別の出口を探そうとしたんだ――

 士郎にはなぜだかそう思えた。彼女は、肉体こそその機能を最低限の生命維持レベル程度にまで落としているが、意識そのものは復活を遂げつつあったのだ――


「で、私は自分の身体をこの子に貸してあげることにしたんだ……どうせこっちの世界で生きていても、死んでいるのと大して変わんないから……そうやって、この子を受け入れることに決めたら、徐々に自分の意識とその子の意識が私の頭の中で一緒に住むようになってきた……」

「え!? じゃあ、今あなたの中には、ちゃんとかざりちゃんの意識もあるってこと?」

「――いや、あったりなかったりだ。今はオリジナルの私だけど、さっきまでは半分くらい、そのかざり? って子の意識が混じってた……」

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