第274話 血縁(DAY3-3)

「――青藍? どうしたの!?」


 太宰府天満宮の境内を偵察していた未来みくとくるみは、帯同していた未来のペット、ハイイロオオカミの青藍せいらんが激しく唸り声を上げ始めたことで、一気に警戒モードになった。

 もともとこの場所を偵察していたのは、高千穂峡から進軍してきた部隊をここに一旦集結させるためである。福岡都市域ミッドガルドまであと少しというこのロケーションで、部隊の陣形を整えるためだ。

 斥候の役割は、境内の安全を確認すること。万が一ここに敵兵が潜んでいたら、取り返しのつかないことになってしまうから、未来たちは慎重に境内の隅々まであらためて回っていたのだ。

 敷地の中には、あちこちに戦闘の残滓があった。全体的に元の姿を十分留めてはいるものの、各所で灯篭が倒れていたり、無数の弾痕が残っていたり、小さなやしろが焼け落ちていたりして、それなりに激しい暴力が繰り広げられていたことを物語っていた。


 未来は青藍の異変に気が付くと、駆け寄っていってその太い首をワシワシした。だが、相変わらず青藍はウゥゥゥゥ――と唸り声を上げ続ける。やがて、たくさんの絵馬が奉納されている古い絵馬堂にその巨体を押し込むと、天井を向いてガゥッと一声吠えた。


「なに? そこに何かあるの?」


 未来は青藍が睨みつける天井を見上げるが、辺りは既に暗いこともあり、特に異変は見当たらない。持っていたライトを当ててみても、そこには鈴なりの絵馬がぶら下がっているだけだった。

 すると、青藍はその真下でクルクルと円を描くようにギャロップを始める。途端――


 バンッ――と跳躍して、垂れ下がる絵馬の中にその鼻先を突き刺した。

 と同時に――


「うわわッ――」


 ドーーーーン!!!

 鈍い音がして何かが天井からドサリと落ちる。


「――えっ!?」

「…………」


 まっすぐ床に落ちてきたその塊は、しばらく床にノびていたが、やがてのっそりと起き上がった。

 未来たちは慌ててライフルを向ける。人間――!?

 その塊は、確かに人間だった。


「――いてててて……」


 男はぎこちなく辺りを見回すと、やがて自分を見下ろす2人の少女と大きな銀色のオオカミに気付く。途端にあわあわとその口をパクつかせた。


「……や、やぁ……」

「「……き……キャアぁぁァァァァつ!!?」」


 未来とくるみは、あまりのことに思わず悲鳴を上げ、ライフルを男に突きつける。


「――ちょちょちょちょちょ! 待った待った待ったァァ!!」


 男は思わず突き出された二本の銃身を両手で掴み上げた。


「待て待て待てッ!! 俺は日本人だッ! 君たちも日本人だろッ!!」

「え――!?」

「あ!」

「バウッ!!」


 男の必死の呼びかけに、未来とくるみはようやく落ち着いて相手をまじまじと見た。

 確かに顔立ちは日本人のようだった。これでも二人は大陸で中国人たちと何度も戦っている。同じ東洋人の顔つきでも、彼らと日本人は明らかに顔立ちや立ち居振る舞いが違うのだ。

 だが、同時に違和感もあった。特にその服装だ。カーキ色の時代がかった服装。もちろん洋服だが、なんというかその――野暮ったい。襟なんかはいわゆる立折襟で……そう、マオカラーのような……。そして何よりその足許だ。茶色の革靴のようなものを履いて、そして脛の部分には何やら薄汚れた包帯のようなものをグルグル巻きにしている。そして頭には……そう、まるで旧日本軍が被っていたような短い鍔の布製戦闘帽――


「せ……姓名官職を名乗れ――」


 思わずくるみは、まるで軍人に誰何すいかするような聞き方をしてしまう。そう――この男はどこか……軍人のように思えたのだ。

 すると男は、ホッとした表情で両手を上に挙げた。


「――良かった……やっぱり日本人だ。俺は石動いするぎ清麻呂きよまろ……報道班員です」


 その名前を聞いた途端、二人は目を丸くしてお互いの顔を見合わせた。


「――石動……!?」

「そう、いするぎ。珍しい名前でしょ? 多分全国でも千人いないと思う。でもそのお蔭で覚えてもらいやすい。俺みたいな報道班員にはぴったりだ」


 だが、二人はあらためてその石動と名乗った男を見ると、一言も言葉を発せないでいた。


「あれ? なんか俺変なこと言いました? いや、確かに絵馬堂の天井に貼り付いていたのは変か……いやいや、突然兵隊さんが境内に現れたから、つい隠れちゃったんですよ。悪気はないんで、どうかひとつご勘弁を――」

「あなた……石動さん……って、どっちの世界の人なんですか?」


 未来は思わず訊き返す。だが、言葉のチョイスを間違ったようだ。


「え? どっちの世界……って……どういう意味です? もしかしてここ、もうなんですか?」


 未来もくるみも混乱していたのだ。何せ自分たちが慕う石動士郎と同じ苗字だったからだ。しかも、この男の言うとおり「石動」という姓は割と珍しい。もしかして親戚か何かなのか――と思わず考えてしまう。

 だが、その前にこの男に感じた違和感――それは、彼の着ている服装だ。そして「報道班員」なる名称。少なくとも2089年の日本では普通の恰好ではないし、なによりその言葉の端々に垣間見える、ほんの少しの違和感だ。


「――いえ……ここはまだ現実世界ですよ。ただ、あなたの元々いた世界とは少し違うかもしれない」


 未来の言葉に、石動と名乗ったその男は、鋭い瞳の奥にキラリと光を宿した。


「それってもしかして、パラレルワールドのことですかい? お嬢さん……あんたたちこそ、俺の知っている自由日本軍の兵隊さんとはずいぶん違うようだ」

「自由日本軍――!?」


 もう間違いなかった。この男は五次元世界パラレルワールドの住人だ。異世界から中国軍がやってきたということは、同じ異世界から中国軍以外の存在が出てきても何の不思議もない。


「石動さん……と仰いましたね……ちょっと詳しく事情を聞かせてもらえませんか?」

「――もちろん……あ、でもひとつ条件があります」

「なんでしょう」

「一人、怪我人を連れてるんですよ。その人も一緒にお願いできませんか?」


 未来とくるみはお互いを見て頷くと、無線機に手を伸ばした。


  ***


「――石動……清麻呂さん? 初めまして。私は叶元尚と申します」


 太宰府天満宮の社務所の一角。士郎たち福岡攻略部隊が天満宮に入城したのはそれから1時間後のことだ。

 未来たち斥候から「異世界から来た日本人らしき人物と接触した」との報を受けて、叶は俄かに色めき立った。何せ、異世界から現れる者たちは今まですべて中国兵だったからだ。同じ日本人が現れたとあっては、詳しい事情を聞くしかない。そしてそれは今、どんなことよりも最優先事項だ。

 しかも、その男が名乗った名前の報告を受けた途端、今度は士郎が卒倒する番だった。


 石動清麻呂――

 その名前は、誰あろう、士郎の祖父の名前と同じだったからである。


 動揺する士郎を見て、叶は是非とも彼とその人物を対面させなければならないと直感した。軽く鬼である。で、まずは叶が話しかけてみようということになってこの場に臨んでいる。

 士郎は、叶の後ろで馬鹿みたいに立ち尽くしていた。立ち尽くして、そして祖父の名を名乗ったこの謎の男を先ほどから茫然と見つめている。


「あ、はい……こちらこそ……その……あ、ありがとうございます」

「ん? 何が?」

「あいえ……彼女の治療をその……引き受けてくださって……」

「あー、気にしないでください。どうせ怪我人はいっぱいいますから、一人くらい増えたってどうということはありません」


 清麻呂が気にしていたのは、無理やり同行させた女性のことである。身体中に銃弾を受けて意識不明の重体であったが、恐らく彼の応急処置が適切だったのだろう。なんとか一命を取り留め、今は臨時の救護所で眠っているところだ。


「――あの……彼女、助かるんでしょうか?」


 清麻呂は恐る恐る叶に訊ねる。すると、医師でもあるこの天才科学者はこともなげに言った。


「えぇ、助かりますよ。あの程度の傷なら、数日もすれば歩けるようになるでしょう」

「よかった……もう、一時はどうなることかと! ――あ、いえ……あの……皆さんは、日本軍……なんですよね?」

「――ほかにナニ軍に見えますか?」

「あ、いえ! 良かった……ならいいんです……いえ! やっぱり良くない! その――」

「石動さんの知っている日本軍とは違いますか?」


 叶が、彼の動揺を予見していたかのように冷静に問い返す。すると、石動清麻呂は我が意を得たりとばかりに話し始めた。


「え、えぇ! そりゃあもう! 何せ皆さんは見るからに強そうだ。持ってる武器もその……見たこともない……というか、その恰好といい……まるで未来から来た軍隊みたいだ。それにさっきのあの女性、助かるって言いましたよね!? あんだけ蜂の巣にされてるのに、ホントに助かるってんなら、恐らくとんでもない医療技術も持ってるはずだ。どうです!? 違いますか!??」


 清麻呂はここまで一気にまくしたてた。まるで、いくつもの疑問を持っていて、質問が許された途端ダムの水が堰を切ったように放水を始めたような勢いだ。


「――石動さん、あなたは今が何年かご存知ですか?」


 叶が穏やかに話しかける。


「も、もちろんです。今は昭和43年……あ、いや……今は元号を禁止されているから、せんきゅうひゃく……1968年です。それが何か――」

「なるほど……先ほど敵兵から聞き出した時系列と一致しますね……確かにあなたはあっち側の人間のようだ」

「あっち側の人間て……先刻からあのお嬢さんといい、こっちとかあっちって、いったいどういうことなんです?」


 清麻呂はわけが分からないといった顔で叶を見つめる。そんな彼を真正面から見つめ返した叶は、珍しく大真面目な表情でおもむろに口を開いた。


「石動清麻呂さん。あなたが今いるこの空間は、あなたが本来生きてきた世界とは異なる世界です。あなたは時空を超え、別の時間軸を歩んできた2089年の日本にいる」


 その言葉を聞いた清麻呂は、ピクリとも動かなかった。いや、動けなかったといったほうが正確か。


「…………」


 突然目をぱちくりさせ、それからようやく驚いたようにその顔を叶の方へ突き出す。


「……え、えと……何の冗談です?」

「冗談ではありません」

「…………」

「冗談ではありません。大事なことなので2回言いました」

「……え……は……?」

「――あなたは、別の世界の日本から、私たちの世界の日本に迷い込んできました。ご苦労様です」


 清麻呂は突然椅子から立ち上がった。そして慌てたように周囲を見回し、部屋の隅に立つ士郎と、そして彼を連れてきて同じように部屋の壁沿いに立っていた未来とくるみを見つめる。

 彼が見ているのは、士郎や彼女たちが着ている防爆装甲装備だ。それはいかにも厳めしく、ヘビーデューティーで、洗練されていて、そして確かに未来的だった。日本軍の陸戦装備は、世界のミリタリーマニアからも評判のカッコよさである。

 清麻呂は、そんな彼らの未来的な装備をまじまじと見つめると、あらためて叶に向き直り、そして力なく椅子に座り直した。


「――えと、私なにかかつがれています?」

「いえ、見ての通りです」

「……そ、そうだ! キャメラ――あれ?」


 そう言うと、彼は自分の胸や腰回りをまさぐり、そして足許をキョロキョロと覗き込んだ。


「あ、スミマセン。カメラならそのテーブルに――」


 叶が言うが早いか、清麻呂はテーブルに横っ飛びに走り込んで、そこに置いてあった自分のカメラを乱暴に奪い取ると、突然士郎たちに向けてシャッターを切りまくった。

 その様子を、半ば呆れたように見つめる叶と、そして相変わらず茫然としている士郎、戸惑った表情の未来とくるみ。

 カメラはかなり旧式のようで、一枚一枚、シャッターを切るたびにグリグリとつまみを回している。だが、しばらくすると急に挙動不審になった。


「――どうしました?」


 叶がなるべく穏やかに声を掛ける。すると清麻呂は、焦ったような顔で叶を睨み返した。


「あ、あのっ! フィルムが……フィルムがもうないんです!」

「あぁ……」


 叶がいかにも残念そうな顔で彼を見つめ返した。


「スミマセン――こちらの世界にはもう、その手のフィルムは存在しないのです」

「あ……そ、そう……ですか……」


 そう呟くと、清麻呂は諦めたようにようやくテーブルに腰を落ち着けた。


「――気が済みましたか!?」

「あ……いえ……商売道具がないんじゃあ……とりあえず……今は……」


 急に元気がなくなった。だが、彼が自分のことを「報道班員」だと言ったのは、どうやら事実であることがこの一連の行動で裏付けられたようだった。


 あらためて叶が清麻呂と向かい合う。


「――ではあらためて、石動さん。いろいろとお伺いしたいことがこちらにもあるのです。よろしいですか?」

「あ……はい……」

「ではまず、あなたはご結婚されていますか?」

「……いえ……こんなご時世ですから……」

「――そうですか……では、あなたのお住まいは?」

「は、はい……東京です」

「東京のどちらです?」

「立川です……」


 叶は士郎の方をチラリと見る。すると士郎はかぶりを振った。


「そうですか。では――」


 その時だった。突然社務所に、衛生兵の一人が駆け込んできた。


「――失礼します」

「何だ? 急ぎか!?」


 思わず士郎は、その衛生兵に訊き返す。今は大事な話をしているところなのだ。不要不急の話はできれば後にしてもらいたい。


「――あぁ、石動君、いいんですよ。私が頼んでいたのです」


 叶が思わず士郎の名前を呼ぶ。清麻呂は、思わず後ろを振り向いて、壁際に立つ若い中尉の顔をまじまじと見た。珍しい苗字なのだ。自分以外の「石動」姓を見るのはほとんど初めてに違いなかった。

 衛生兵が話を続ける。


「――えと、少佐。先ほどの女性が意識を取り戻しました。お名前も、確認したところです」

「えっ!? 目を覚ましたんですかッ!? 良かった!!」


 清麻呂が、思わず大きな声を上げる。石動姓の士郎のことは、一瞬にして忘れた風情だ。


「――それで、お名前は?」


 叶が急かすと、衛生兵は握り締めていた小さな紙を広げる。


「はッ! 彼女の名は、七瀬――和希さん……と仰るそうです」

「はぁ!?」


 それを聞いた士郎がのけぞった。


「ん? どうしました中尉?」

「――それって……ばぁちゃんの……旧姓……」

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