第273話 斥候(DAY3-2)

 『イ号作戦』の発動は、士郎たちに特別な意味を与えることとなった。


 通常、軍の作戦名はカタカナの五十音を元に命名される。

 母音を表す“ア行”は戦略的に最も重要な作戦であることを示し、以降“カ行”“サ行”の順に戦略的意義は軽くなっていくことが多い。また、縦順もある程度意味を持ち、例えば五十音表の一番上の「アカサタナ……」は、全軍が連携する統合作戦、逆に表の最下列「オコソトノ……」は極めて局地的で、陸軍なら陸軍、海軍なら海軍などひとつの軍種による個別の戦術作戦であることを示す。その中間はそれぞれ作戦規模や強度によって恣意的に選択される。

 この法則は大抵の将兵が知っていて、だから作戦名を聞いただけで、今回自分が従軍する作戦がどれくらい重要で、どの程度の規模感を持つのかが理解できるというわけだ。ちなみに、今回の高千穂地域降下作戦は、陸軍主体で一部空軍の協力も仰いだ局地的作戦ということで、作戦計画上は『ケ号作戦』と呼ばれている。


 それでいくと、今回の『イ号作戦』はまごうことなき戦略的大作戦であった。


 前回の『ア号作戦』は、神代未来みくの奪還作戦であったが、これは不老不死の特異能力を持つ彼女を奪還することが、日本国にとって死活的に重要な案件だったからである。敵の手に彼女の異能が渡ってしまったら、を生み出される可能性があり、それはイコール日本の滅亡を意味していたからだ。まさに国家存亡の危機、不退転の決意で勝利をもぎ取らなければならないであった。

 すなわち、今回発動された作戦名が『イ号』であるということは、それに勝るとも劣らない重要な戦略的意味があるということを示している。勝利すれば現在の状況を大逆転できるし、負ければ次に打つ手がなくなるくらいの致命傷を負う。

 だからあの時、士郎が本作戦名を全部隊に通達した時、声にならないざわめきが走ったのである。


 いよいよ決戦ということか――


 『イ号作戦』の概略はこうだ。

 まずは、福岡都市域ミッドガルドの奪還だ。士郎たち第一戦闘団とヂャン少将率いる狼旅団は、奪還した高千穂地域に必要な防備部隊を残し、熊本方面を避けて――これはつまり大分経由をしろということだ――福岡県に転進し、現在福岡都市域で抵抗を続ける現地部隊と呼応して敵を撃滅する。

 この間、熊本方面の敵勢力は、主に海空戦力によってこれを殲滅し、これをもって九州全域を平定する。それが終わったら別命を待て、とのことだ。


 要するに、既に陥落した熊本方面は諦めたうえで、戦略的にも重要な福岡方面の奪還を優先せよということだ。熊本は海空戦力で殲滅する、というのは、この際生き残っている可能性のある友軍捕虜や民間人は諦めて、空爆と艦砲射撃によって焼け野原にする、ということだ。

 もちろん、誰も好きでそんなことを考えたわけではないのだろうが、大兵力によって占領された熊本の街は、敵味方の区別をつけながら戦闘して奪還できるような次元ではもはやないのだ。泥沼の市街戦に持ち込むのではなく、街全体を敵味方もろとも焦土と化す。現場の指揮官には極めて抵抗感の強い方針となるから、敢えて“大本営”とも言える東京の総司令部が作戦に明記する。こうすることで、戦後万が一責任問題となった場合でも、すべての責任を総司令部が持つ、ということも意味している。

 そして、九州全域を取り戻して後顧の憂いを断ったところで、おそらく本土逆上陸を果たすつもりなのだろう。行き先は近畿地方か、あるいは……


『――中尉、まもなく福岡都市域です』


 八七式指揮通信車に乗車する士郎に、田渕から無線が入った。彼は士郎たちの車両の前方数台前を七六式機動戦闘車で先行している。

 福岡攻略部隊およそ1千名を乗せた長い車列は、高千穂町から国道325号を阿蘇方面へ向かい、途中で県道8号線を右折して阿蘇山の東側を迂回するように北上、大分市、別府市を掠めるように今度は西に転針して日田市を抜けてきたところである。敵の勢力圏下にあるかどうか分からない阿蘇山にはなるべく近寄らないよう組まれた進攻ルートだ。


「了解した――だいぶ避難民の姿は見えなくなってきたな」

『そのようです。もう自力で移動できる者はあらかた避難してしまったのでしょう』


 先ほどの日田市内は、酷い有様だった。おそらく福岡方面からの戦災避難民と思われる民間人多数が、まるで幽鬼のように延々と道路を東進していた。市内の何か所かでそうした人々に対する炊き出しや避難所も開設されていたようだが、日田市民自身も多くが大分・別府方面に避難を始めていたため、その対応も万全とはいえなかった。

 心身ともに疲れ果てたような彼らであったが、それでも避難民の流れに逆らって西進する士郎たちの部隊を見ると、うっすらと笑顔を取り戻して手を振り、道を開けてくれる人々が多かった。そして彼らは決まって、士郎たちの車列が半端なく長い――すなわちそれなりに大部隊である――ことに気が付くと、徐々にその瞳に光を取り戻し、やがて必死になって沿道から声援を送ってくれるようになるのだ。

 オメガ特戦群と狼旅団が、みな既に一戦交えているのは一目で分かった。多くの兵が硝煙に塗れ、装甲車などへの弾痕も生々しい。だがその士気は旺盛で、どう見ても「敵をやっつけてきた」のが明らかだったからである。

 そんな兵士たちが、今度は自分たちが逃げてきた福岡方面に進撃している――

 その事実は、避難民たちを大いに勇気づけた。「頑張れよー!」「頼んだぞーッ!!」「あんな奴ら、やっつけちまえーッ!!」次々に掛けられる言葉は、兵士たちをさらに鼓舞していった。


「父ちゃん!」


 壮年の男性に背負われた小さな子供が、肩越しに父親に呼び掛ける。


「――あぁ、凄いな! いいかシンスケ、日本は絶対に負けん。あん兵隊さんたちが、必ず敵をやっつけてくださる。だけん、絶対に泣いたらあかんど」

「……うんッ!」


 そう言って、男の子は父の肩をぎゅっと鷲掴む。車列は、まだまだ続いていた。


 避難民たちの、祈るような願いをその背中に受けながら、士郎たち福岡攻略部隊は順調に福岡都市域外縁部に達した。太宰府まで、もう目と鼻の先である。

 国道3号線沿いで、車列は一旦停止する。左側に見える鉄道は、鹿児島本線か。残念ながら、電車が動いている気配はなかった。日没はとっくに過ぎて、辺りは心地よい夜の空気に覆われている。

 長い車列の先頭車両から、田渕が飛び降りて駆け寄ってきた。士郎の指揮車まで近づくと、軽く敬礼を交わす。


「中尉、前方を見てください」

「――ああ、まだ現地部隊は必死に戦っているみたいだな」


 士郎の視線の先には、暗闇の中でボウッとオレンジ色に照らし出された雲が夜陰に浮かび上がっていた。進行方向のその先には、まさに福岡市街地が広がっている。あのオレンジ色は、市街地の戦闘の明かりだ。建物が広範囲に亘って燃えているのか、あるいは戦闘に伴う炎上か――


「――この先数キロで、太宰府天満宮に達します。一旦そこに集結して陣形を作りましょう」

「了解だ。ただし、斥候を出した方がいいだろう」

「はい、それで相談なのですが、青藍せいらんを同行させてよろしいでしょうか?」


 青藍とは、未来が大陸から連れてきたペットだ。ペットと言ってもその正体はオオカミ――しかもハイイロオオカミで、鼻先から尻尾の先までの体長は優に3メートルを超える。もともと今回横須賀から出撃する際に一緒に連れてきていて、高千穂町での戦闘が一段落したタイミングで地上に降ろし、ここまで部隊に同行させていたというわけだ。


「えっ? 青藍が行くなら私も行きたいな……」


 傍にいた未来が唐突に口を挟む。


「え、だって斥候だぞ!?」

「分かってるもん」


 本当に分かっているのか――と思いつつ、士郎はまぁいいかと結論づける。帰国して以来、横須賀の基地の一角で隊員と共同で飼うようなかたちになってはいたが、もともと青藍のご主人さまは未来である。ただ、さすがに日本国内でオオカミを犬感覚で飼うわけにはいかなかったから、やむを得ず基地で飼っていただけのことだ。彼女には、青藍の扱いに関して優先的に決める権利がある。


「……じゃ、じゃあ……そうだな、誰かもう一人、オメガを連れて行ってくれ。それなら許可する」

「わーい、ありがとう」


 この辺り、やっぱり未来も年相応の女の子だなとふと思ったりする。まぁ“年相応”というのは、本当の実年齢のことではない。見た目年齢相応、ということだが。


「えと……じゃあ……くるみちゃん」


 士郎の指揮通信車にたまたま同乗していたのは、他に久遠とくるみだった。久遠は士郎の副官という位置づけだから、順当なところだ。


「――いいですよ。じゃあ行きますか」


 くるみは軽やかに車から降りて、未来の腕に抱きついた。いつの間にか連れてこられていた青藍に2人で駆け寄っていくと、そのままワシっと彼に抱きつき、それから楽しそうに飛び出していった。


「――あ! ちょっと待ってくださいよぉー!!」


 もともと斥候に出る予定だった若い兵士が、慌てて追いかけていく。


「おい! 走っても間に合わないぞ! バイクに乗っていけ!」

「は、はいっ!」


 田渕が慌てて声を掛けると、兵士は近くに止めてあった偵察用のモトクロスバイクに飛び乗って2人と一頭を追いかけていった。あれでオメガたちの走る速さとちょうど同じくらいになる。


「――良かったのか士郎?」


 久遠が見送りながら呟く。


「あぁ、まぁ心配は心配だが……そんなこと言ってたら、お前たち誰も戦場に出せなくなっちまう」


 士郎はおどけたように久遠を見つめ返した。


「そ……そうか……士郎は私たちのことが……心配か……?」


 久遠が少し頬を赤らめる。何やら嬉しそうだ。そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、士郎は続けた。


「当たり前じゃないか。今だって、久遠の傷のことが心配で気が気じゃないんだぞ」

「あ……私はもう……大丈夫だぞ」


 そう言って久遠は脇腹に手を当てた。

 高千穂峡での単独偵察行動中、敵に撃たれて貫通銃創をこしらえたのだ。結果的におよそ半日後に無事救出できて、その後現場での救急治療で事なきを得たが、さすがに横腹に風穴が開いたわけだから、本来なら後送してもおかしくない状態だったのだ。

 それなのに「どうしても残る」と本人が駄々をこねた結果、絶対に単独行動は禁止、という条件付きでようやく部隊との同行を認められている。

 それどころか、士郎は福岡に転進する道中、片時も久遠から離れようとしなかった。途中何度かのトイレ休憩のための小休止でさえ、毎回すぐ傍まで付いてきたのである。

 久遠はそのたびに死ぬほど恥ずかしかったが、同時に泣きたくなるほど嬉しかったのだ。自分がどれだけ士郎から大切に想われているか、彼女はもう十分理解することができた次第だ。


「――そんなこと言って、久遠はすぐに無茶をするからな……とにかく今は、俺が良いと言うまで傍を離れちゃ駄目だ」

「……は……はい////」


 そう言うと士郎は、久遠の頭を何度も撫でた。彼女は耳まで真っ赤にしながら、素直に頷く。

 その時だった――


『――イモータルより指揮官CO。太宰府天満宮に到着』


 指揮通信車の無線から未来の声が流れてくる。早いな――もう着いたのか。


『今から周辺索敵に入る――』


 そう言うと、無線機はまた静かになった。


  ***


 太宰府天満宮――

 福岡の中心地、博多から車で30分もかからない郊外に位置する神社。造営されてから既に2千年近くが経過しているが、その境内の風景は昔とほとんど変わらない。学問の神様として知られるかの菅原道真公――天神さま――を祀る由緒正しいお社である。つまり、全国に12,000社あるとされるいわゆる「天神さま」の総本山というわけだ。

 戦前は、修学旅行先としても賑わっていた。まぁ「学問の神様」が祀られているわけだから、さもありなんと言ったところだが、おかげさまである一定年齢を超えた人たちは、一度くらい行ったことがある人も随分多いと聞く。だが、今の時代はそんな旅行も絶えて久しい。未来ももちろん来るのは初めてだった。


「くるみちゃん、これ何かなぁ」


 未来が見つめていたのは、小さな板に何やら絵とか文字が書かれたもので、それがびっしりと壁や天井から結び付けられていた。


「あぁ、これは『絵馬』って言うんですよ」

「えま?」

「そう、ピクチャーの絵にホースの馬と書いて絵馬。願い事を書いて神社に奉納するという昔ながらの習慣です」

「……へぇ……ほんとだ……よく見るといろいろお願い事が書いてある」

「ここが残っていて良かった……でないと、なんだかみんなの願い事が焼かれたみたいで嫌だわ」


 そう言うとくるみは辺りを見回した。確かに、参道向かいの小さな社は炎上して焼け落ちている。この神社の中でも、一時的に戦闘が行われていた証拠だった。


「なんで絵馬っていうの?」


 未来は相変わらずマイペースだ。


「あー、えっと確か……昔は神社に本物の生きた馬を奉納していたらしいの。それが徐々に馬の形をした米俵とか野菜、木材とかになっていって、最後はただの板に馬の絵を描いてお金を添えて奉納するようになったんだって」


 さすが知能指数の高いくるみである。学校の勉強だけでなく、こうした文化習俗に関わる知識を持っているのは、自ら率先して知性を高めようとしている者の特徴だ。


 その時、帯同していたハイイロオオカミの青藍が急に唸り出した。

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