第271話 助ける手段(DAY2-28)

 元役場跡のその建物の一角には、ヂャン秀英シゥインをはじめ楊子墨ヤンズーモー、そしてオメガ研究班長の叶元尚など、重量級の幹部たちが陣取っていた。

 目の前に積み上げられたカートリッジを見ながら、溜息をつく。


「――まったく、見てられん……」


 元「華龍ファロン」黒竜江省軍団長で、今は日本軍第101独立混成旅団――通称「狼旅団」の旅団長を務めるヂャン少将が、かぶりをふりながら思わず言葉を漏らす。

 彼が、目の前の透明容器にまるでホルマリン漬けのように押し込められた幼い少女たちを、怒りと悲しみの入り混じった表情で見るのも無理はない。

 実の妹――張詩雨シーユーも、ほんの少し前まで似たような境遇だったからだ。

 当時の地獄のような心境が蘇ってきて、秀英シゥインは心が張り裂けそうになる。


「――先生、この子たち、なんとか助けてやれませんか!? わしも不憫でなりません……」


 猛将・楊子墨も、鋭い猛禽のような瞳の奥に、何やら光るものを滲ませる。

 叶はそんな二人の言葉を背に受けながら、先ほどからじっと瓶浸けにされた少女たちを見つめていた。その顔のほんの数十センチ先には、液体の中でじっと目を瞑った、無表情のままの少女たちが数十体。みな、音繰オンソウたちが先ほど戦場から回収してきたものだ。


「――念の為の確認ですが、容器が割れた子はそのまま死んでしまったのですね!?」

「は、はい……突然苦しみだして……激しく痙攣して、そのまま……」

「ふむ……」


 音繰が慌てて答える。

 この天才科学者である叶少佐が、今何を考えているのか――

 秀英には何となく察しがついていた。彼だって、内心はすぐにでも容器から取り出して少女たちを助け出したいに決まっているのだ。

 だが、現場の兵士からの報告を聞くと、どうやらこの容器は、中の子供たちの生命維持装置を兼ねている可能性がある。瓶が割れた途端に、苦しみだして絶命したというのが何よりの証拠だった。

 叶先生――なんとか解決策を見つけて、少女たちを助けてやってください……

 秀英は心の底からそう思った。そして、その思いはここにいる狼旅団の兵士たち全員の思いでもあった。

 異世界からの侵略軍とはいえ、元は同じ中国人……つまり、奴らは秀英たちにとって同じ言葉を喋る同邦人のようなものなのだ。ソイツらのせいで、こんな非道な扱いを受けているこの少女たちを、一刻も早く悪夢から解放してやりたい……

 秀英たちのせいでないことは十分頭では分かっているのだが、理屈でない感情の部分では、とても後ろめたく、申し訳ない思いでいっぱいだった。

 誇り高き中国人であれば、決してこのような悪魔の如き振る舞いなどしないものを――


「――そうか!」


 叶が突然大声を出した。

 すると、おもむろになにやら腰から棒状のものを取り出すと、容器の外殻に押し当てる。見ると、たいていの兵士なら常に携行しているストロボライトだった。ライトは容器に近付けると、スイッチを入れるまでもなく強烈な光を放った。


「……やはり……このカートリッジは相当の電荷を帯びているようです」

「……というと……?」

「もともとこの子たちは、誘電体としてこのカートリッジに組み込まれているのでしょう。いわば、電力源みたいなものです。それが何らかの理論によって恐らく何十倍、何百倍……あるいは何億倍もの電力を増幅してカートリッジ全体に帯電させるようになっている」

「奴らは『生体電池』と言っておりました」


 音繰が口を挟む。叶が「うむ」と頷いた。


「――で、このままいきなり取り出そうとすると、彼女たちが浸かっているこのゲル状の液体に電気が直接流れ、恐らく中の子は感電死するのです」

「じゃ……じゃあどうすれば……?」

「とにかく、彼女たちをこの容器から取り出すには、まずはカートリッジに溜まった電力をすべて放電させるしかない」

「――で、でもそれじゃあ、この子たちの心臓が止まっちまうんじゃないですか!?」


 音繰がもっともなツッコミを入れる。


「……まぁ……それはやってみなければ分からないところもありますが……彼女たちの心臓部分に埋め込まれているこのデバイス……これはおそらく心臓の鼓動から電力を得る何らかの装置です。だとすると……容器全体が過負荷状態になっているだけで、案外この中は清浄かもしれない――」

「つまり、放電させて容器自体の電力量をゼロにすれば、中のこの子たちを無事に取り出せるのではないかと……そういうことですね!?」


 秀英が前のめりに確認を求める。僅かだが、助けられる可能性が出てきたのだ。


「――問題は、恐らく100億ワット、すなわち10ギガワット以上の電力を帯電させているであろうこの生体電池を、どれくらいで放電させられるかですが……」

「――10ギガワット!?」

「そうです。こちらの世界の理論では、荷電粒子ビーム砲を発射するために必要な電力はそれくらいだとされています。ちなみにこれは一発あたりの必要電力です。もしこのカートリッジひとつで何発もビーム砲を撃てるレベルの電力を保持しているとすると、その蓄電力は10ギガどころではないかもしれない……ちなみにこれは、原子力発電所でもなかなか発生させられないレベルだと申し添えておきましょう」

「そんな……いくらなんでもそんな電力使い切れない……それが数十発も……」


 一同は再度叩きのめされる。


「……あ、あの……」


 音繰が遠慮がちに手を挙げる。


「なんだ? 気付いたことがあったら遠慮なく言ってみよ」


 ヤン大佐が促す。


「――えと……向こうの連中の話しっぷりからすると、この容器一個で一発、というようなニュアンスでした……」

「なに!? 本当か?」

「え……ええ……地面に転がったこの容器を見て、『もったいねぇ』と言っていました。『あと10発分くらいあるのに』とも言ってました。ソイツがそれを見た時、俺も見ましたが、この容器、確かに10個くらいその先に転がってました……」

「――ふむ……10個くらい転がっているのを見て、その敵兵は『10発分』と発言したのですね……ということは一発撃つごとに使い捨てか……」


 叶がしばし瞑目する。おそらくその頭脳は今、ものすごく活発に動いている。もしも脳波計が今ここにあって叶の脳活動を計測したら、針が振り切れていたかもしれない。

 やがて――


「――そうか! 分かったぞ」


 叶が、まるで子供のように素っ頓狂な声を出した。


「――プラズマ防壁だ!」


 突然出てきた単語に、一同は呆気にとられる。


「プラズマ……防壁……?」

「――先生、それはいったい……」

「あぁ、そうか……皆さんにはあまり馴染みのない言葉かもしれませんね。これは、日本の各都市域ミッドガルドで導入されている、ある種のバリアのことです」


 もう一度確認しておこう。

 日本という国土には現在、深刻な放射能に汚染されている立入禁止地域PAZと、それに続く緩衝地帯UPZ、そして一応は「安全」とされている都市域ミッドガルドという三種類のエリアが存在する。


 PAZはその名の通り、一般人が立ち入ることを厳禁されたいわば“死の世界”だ。

 放射能が蔓延し、生身で立ち入ったらたちどころに大量被曝し、命の保証ができなくなる。国民は強制的にそこから移転させられ、そこにかつて存在した街や住宅は既に廃墟と化し、郊外は徐々に森に呑み込まれつつある。

 21世紀半ばより少し手前、当時はまだ存在していた半島国家の特殊部隊による原発テロに端を発し、その後核搭載の弾道ミサイルが日本に降り注いだことから、広範にわたって放射能汚染が深刻化したのである。今では日本国土全体のおよそ40パーセントがPAZに指定されているという有様だ。

 もっとも、それから数十年が過ぎて、PAZ内にも高濃度の放射能が滞留しているいわゆる「ホットスポット」と、そうでもない場所がに現れるようになっていた。

 戦時下となり、統制の厳しくなった都市域から逃げ出したたちがそういったところに逃げ込んで、日本中でいくつもの「隠れ里」を形成しているのは今や公然の秘密である。何を隠そう、オメガたちが発見されたのは例外なくこうした「隠れ里」であった。


 さて、そうした生存に厳しく危険性の高いPAZに隣接して設けられているのが「UPZ」と呼ばれる緩衝地帯だ。

 ここはいわば「都市域」とPAZの間に設けられたバッファーゾーンで、限られた面積しかない都市域の内側には置けないような大型発電所や水利施設、あるいは秘匿性の高い軍事関係施設などが集中的に配置されている。

 もちろん、広い土地を必要とする畜産関係をはじめとする農業関係施設も、主にはこのUPZに配置されている。


 そして最後に都市域だ。ここは通称「ミッドガルド」と呼ばれおり、放射能に汚染されていない清浄な地とされている。

 今や多くの人々がこのミッドガルドで生活しており、その生活様式ライフスタイルも戦前のそれとほとんど変わらない。たくさんの商店や繁華街、学校、病院その他、都市生活を送るための施設・設備が整っていて、電車も走っているし、道路も普通に整備されている。

 ちなみに「ミッドガルド」という名称は、北欧神話で「人間界」を表す言葉だ。いつからこの通称で呼ばれるようになったのか定かではないが、PAZがあまりにも“この世”とはかけ離れた過酷な世界であったことから、それと対比するように都市域の安全性を政府が必死で広報していた頃に、ネット世界で盛り上がった言葉らしいということまでは分かっている。当初は一部の若者たちが使っていた言葉が、時代を経てその世代が住民の主流になっていく中で定着したといったところだろうか。


 ともあれ、そうした以前とほとんど変わらない都市風景において、唯一住民たちが意識するのが、その都市域外周をぐるりと囲う巨大な発電施設だ。

 発電施設といっても単なる発電所ではない。これは、「いざというときに安全地帯であるミッドガルドを守る防壁」だ。防壁といっても、中世ヨーロッパや中国のように、都市全体を高い城壁で囲み、外敵の侵入を物理的に防いでいるわけではない。

 これは、いわば電磁的なバリアだ――


 現代日本にとって、都市を襲う一次リスクとはすなわち「汚染大気」である。

 放射能と言うのは基本的に目に見えないうえに、風に乗って、あるいは降雨によって、簡単に広範囲に拡散してしまう。

 だから現代日本では、放射能を含んだ汚染大気の動きを、如何に予報するかが極めて重要だ。気象予報の精度がまさに国民の生死を分けるといっても過言ではない。

 大気汚染予報が出ると、都市域はその外周に張り巡らした電磁的バリアを展開し、流入する大気や放射性の雨を遮断する。

 この電磁的バリアこそが「プラズマ防壁」と呼ばれるものだ。

 これには、風や雨など、一般的な地球の大気変動をすべて跳ね返す……というか逸らす効果がある。よくSFなどに登場するバリアのように、砲弾やら何やらを弾き飛ばす力はないが、凹面レンズの要領でまさに空気の流れをまるでエアーカーテンのように「逸らす」のだ。この装置を完備することで、ミッドガルドの安全は常に保たれている。


 だが、問題はその電力供給だった。

 巨大な都市域全体をプラズマ防壁で覆うためには、想像を絶する電力を必要とする。それは、都市全体の電力供給量に匹敵するものだ。だからこそどのミッドガルドにも、隣接するUPZには巨大な発電所があるし、当然ながらそんな大量の電力を必要とするプラズマ防壁は、常時稼働することはできない。防壁が発動するのはあくまで最低限、汚染大気の流入が警告された時だけだ。

 そこで、警報が発せられるとその都市域は、すべての電力供給をプラズマ防壁発生のためにシフトする。当然都市内のすべての電力は停止し、道路の信号機も、電車も、そして民間企業や一般住宅の電気も、すべてが停電する。僅かに稼働しているのは、一部の公共機関と病院の集中治療施設くらいのものだ。当然、電力供給が途絶えた都市というのは防犯上きわめて脆弱となるから、一時的に都市の中には戒厳令が発せられ、憲兵隊が展開する。そして、治安擾乱行為を行った者は問答無用で射殺されるのだ。以前士郎たちが渋谷で遭遇した事件も、そんな一場面だ。

 つまり叶が言っているのは――


「……そのプラズマ防壁の電力源として、あのカートリッジを活用しようと……そういうことですか?」


 秀英が納得したように訊き返す。


「ええ、この子たちがこれだけの電力を蓄積しているのであれば、十分に防壁は起動するし、そしてあっという間にその電力は吸い上げられていくでしょう」

「つまり、安全に放電することができる……」


 楊大佐も相槌を打った。


「なるほど、手段は分かりました。しかしそのプラズマ防壁とやらは、一部の大都市――ミッドガルドにしかないのでしょう? あいにく隣接する熊本市は既に壊滅している……」

「えぇ、分かっています。ここ九州で、防壁設備を持っている都市はあとひとつしかない――そこに転戦するしかないでしょう」

「それは――」

「福岡ですよ。あそこはまだ、僅かながら現地部隊が抵抗を続けている」

「それではすぐに――」

「いえ、まだ石動いするぎ君たちの部隊がどうなっているか、確認できていません」


 叶の言葉に、秀英と楊ははたと思い直す。

 少女たちの痛ましい姿に居ても立っても居られないのは事実であるが、本来この高千穂地域の攻略は、敵の大軍がこの世界に入り込んでくる、まさにその元栓を絶つのが目的だ。

 首尾よくゲートを発見し、破壊してくれればいいが――


「――というわけで、私はちょっと石動君たちの部隊の様子を見てきます。先ほどから峡谷の方でも派手な戦闘音が響いているようだ。きっと今、盛り上がっているところだと思いますから」

「……そんな……こんな戦場を一人で突っ切るなんていくらなんでも無茶ですよ!?」

「では……一個分隊ほど私の護衛に貸してもらえませんかな? その間に将軍たちは、他のカートリッジを回収していただければ――」

「わかりました……では、一人でも多くの子供たちを救出しておきます」


 そしてこのあと、士郎たちの元に辿り着いた叶は、神代未来みくが数百人の敵兵を惨殺した直後の現場を目の当たりにすることになる――

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