第267話 地球の覇者(DAY2-24)

 目に見える世界――『現世うつしよ』と、目に見えないが確実にそこに存在しているとされる世界――『幽世かくりよ』。


 この両者が、それぞれ三次元世界――つまり我々の住むこの「現実世界」と、五次元世界――すなわち今回異世界中国軍が出現してきた「並行世界」を表しているとするならば、日本神話の世界観はどこまでもリアルで、世界のを克明に描写していた、ということになる。


「――おそらく昔は……というか現在においても、この『幽世かくりよ』の描写はほとんど誰にも理解できていなかっただろうね。“目には見えないけど間違いなくそこにある世界”だなんて、相対性理論を知らない人々にとっては、単なるおとぎ話としてしか受け止められないだろう」

「まぁ……そうですよね……というか、自分だって今の今までこれが異世界パラレルワールドのことを表していただなんて、気付きもしませんでした」


 だが日本人はとてもイマジネーションが豊かだ。神話に記述されたその存在を正確に理解できなかった人々は、この『幽世かくりよ』のことを、妖怪もののけや怪異、異形の棲まう地として受け止めた。しかもその世界は「人間世界と表裏一体として存在する」とご丁寧にも多くの書物、創作物で描かれているのである。

 ちなみに、このような目に見えない世界があることを古来より言い伝えている民族は日本人だけだ。諸外国には、こうした世界観を持つおとぎ話フォークロアは一切存在しない。


 士郎もそうした作品をいくつか目にしたことがあるし、日本各地に残る伝承や怪異譚の中には、実際にその幽世かくりよに絡んだエピソードも数多く残されている。

 たとえば「神隠し」ひとつ取ってしても、今となっては五次元世界とのゲートが何かの拍子に繋がってしまい、向こうへ取り込まれたせいだったのではないだろうか、と思うのだ。

 有名な「浦島太郎」伝説だってそうだ。竜宮城に行って帰ってきたら一気に歳を取っていたなんて、昔の人がただの思い付きでそんな現代SFにも匹敵するような物語のプロット、というかオチを本当に思いつくだろうか。

 今だったら、次元回廊を通り過ぎる際に発生した時間軸のズレによって、別の時代に放り出された、と考えれば一瞬で理解できる。

 つまり、浦島太郎の物語は、実際にそれを体験した人の実話がベースになっているのだ。


「――まぁ、日本神話がどこまで真実を記述しているのかについては、また時間がある時にでも掘り下げていこう。今はもうひとつの話、神々は我々の一体何を変えたかったのか、という点を整理しようじゃないか」

「……あの……」


 未来みくがおずおずと割って入った。申し訳なさそうな、自信なさそうな声で。


「なんだい?」


 叶はあくまで良き教師であろうとしている。確かに先ほどから延々と続くこの話題は、他でもないオメガの秘密に関わる話でもある。未来には正しく知る権利がある。


「先ほど教えてもらった『ボトルネック』の話……なんですが……」


 叶が顎をしゃくって先を促す。


「……少佐はそれが、何十万年も前から何度も発生していると……」

「あぁ、言ったとも」

「ということは……まだ人類が十分進化し切れていなかった時から、オメガは存在する、ということなんでしょうか……?」

「あぁー……」


 叶は驚いたように間延びした声を出した。確かに、そう言われてみればそうだ。未来のような凄まじい異能を持つ存在が、まだ石器時代の原始人の中にもいて、群れを追い立てている姿というのは、ちょっと想像しづらい。本当にいたとしたら少し滑稽かもしれない。


「いやはや……これは一本取られたかな!?」


 もともと陰気な顔をした叶の表情が、思いがけず朗らかな笑顔に包まれた。


「いや、すまんすまん。君たちオメガのような存在が現れたのは、あくまで歴史時代に入ってからだと思うよ」

「――あ、そうなんですか?」


 思わず士郎も、間の抜けた声を出す。


「いやだって、オメガの異能自体が、シリウス人が仕込んだジャンクDNAの中に組み込まれた時限発動式の変異だと思うから……」

「えっと……じゃあ私たちが遺伝子改変されたのは、もっとごく最近……ということですか?」

「あぁ、さっき『いつ遺伝子改変されたのかは問題じゃない』と言ってしまったから、少し混乱したかな……そうだね……じゃあもう一度その辺から整理しよう」


  ***


 叶曰く、人類の興亡の歴史とはこういうことだ。

 ここでいう「人類」とは主に、現生人類ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の物語である。


 すごくざっくり言うと、その昔――約70万年前――アフリカ大陸にはホモ・エレクトゥスから進化したホモ・ハイデルベルゲンシスという人類種が棲んでいた。このうちの一部が約40万年前、アフリカを旅立ち、さらにその中の一部の集団が、回り回ってヨーロッパ大陸に移住した。

 これがネアンデルタール人である。彼らは約20万年前からヨーロッパ大陸に棲む人類種だった。

 これに対して我々の直接の祖先であるホモ・サピエンスは、アフリカ大陸を出なかったホモ・ハイデルベルゲンシスがそのまま進化した種族だ。化石から、約30万年前にはホモ・サピエンスに進化していたことが確認されている。

 つまり、この両者は先祖を同じくしていて、十数万年は共存していたことになる。

 共存していたといっても、住んでいる場所が大きく異なっていたから、当初はほとんど接触する機会はなく、お互いの存在も知らないまま呑気に暮らしていたことだろう。

 ところがある時期、ホモ・サピエンスの一部がアフリカを旅立つことになった。そして当然ながらその一部がヨーロッパ大陸に辿り着き、とうとう先住民だったネアンデルタール人と遭遇することになる。

 今から4万7千年ほど前のことだ。


 この頃既に、先住民であるネアンデルタール人は徐々にその勢力を減らしていたらしい。その最大の原因は寒冷化だ。ネアンデルタール人はヨーロッパ大陸全域に生息していたが、4万8千年前の寒冷化で、彼らの中で北方に棲む人々が決定的に人口を減らしたらしい。

 ホモ・サピエンスがヨーロッパに進出したのは逆に温暖化に伴うものだ。4万7千年前、地球温暖化に伴ってバルカン半島を北上したホモ・サピエンスは、ヨーロッパ南部でネアンデルタール人に出会っただろう。

 だが、この時の遭遇はネアンデルタール人社会にそれほどの混乱を与えなかったとされる。北上してきたホモ・サピエンスの数が大したことなかったからだ。


 決定的な影響を与えたのは、4万3千年前のことだ。

 大量のホモ・サピエンスがヨーロッパ大陸に進出してきたからだ。彼らは圧倒的な数で大陸を席捲し、それまでネアンデルタール人が好んで棲んでいた温暖な地中海沿岸地域をあっという間に占拠してしまった。

 いっぽうネアンデルタール人はそれに反比例して減少し続け、集団は分散し、群れは孤立して、結果的に4万年前には絶滅してしまう。


 つまり、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに駆逐されたのだ。

 たったの3千年という短い期間で――

 

 これは恐るべき数字だ。

 結局、ネアンデルタール人という人類種がこの地球上に存在したのは約17万年間だ。16万7千年間は、様々な試練を乗り越えながら、徐々にその棲息範囲を広げ、繁栄していったのだ。

 彼らは道具を持ち、火を使った形跡もあるし、家族と思われる共同生活を送っていたことも分かっている。貝殻のような装飾品を作り、埋葬したと思われる人骨の傍には花の花粉の化石が出土したこともあるから、死者に花を手向けたりもしていたのだろう。

 それがたった3千年で、後からやってきたホモ・サピエンスに絶滅させられたのだ。

 ある発掘現場では、槍や刃物によって傷つけられたネアンデルタール人の骨が見つかった。その傷痕は、ホモ・サピエンスが使っていた武器と一致した。

 またある場所では、子供を含む大量のネアンデルタール人の骨が見つかったが、それらは明らかに刃物で均等に切断されていて、ところどころ火で焼かれた形跡がくっきりと残っていた。つまり、喰われたのである。その発掘場所は、もともとホモ・サピエンスの集落跡だった。


 もっとも、これらのことを根拠に、ホモ・サピエンスが組織的かつ積極的にネアンデルタール人を襲撃し、絶滅に追いやったとは言い切れない。

 もともとネアンデルタール人が棲んでいたところに厚かましくホモ・サピエンスが乗り込んできたわけだから、当然それに伴ういざこざ、戦いはいくらか発生しただろうし、当時は農耕などまだ発明されていなかったから、食糧は主に狩りに頼らざるを得ず、飢餓も当たり前のように発生しただろうからそれに伴う「食人」も当然あったはずだ。逆にネアンデルタール人がホモ・サピエンスを喰った事例もあったかもしれない。


 とはいえ、ネアンデルタール人が絶滅したのは明らかにホモ・サピエンスの影響だ。

 それまで自分たちだけの狩り場だったところに、別の人種が入ってきたのだ。食糧の奪い合いは当然起きたはずだ。そして、ホモ・サピエンスは明らかにネアンデルタール人よりも狩りが上手かった。それは、彼らが使っていた石器や道具を見ればわかる。

 おまけに、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも一回り身体が大きく、脳容量も大きかった。これが何を意味しているかと言うと、一言で言うと「燃費」が悪いのである。

 「脳」は非常にエネルギーを使う器官だ。身体が大きいことと合わせ、ネアンデルタール人は生命を維持するために必要なエネルギーが明らかにホモ・サピエンスより大きかったのだ。つまり彼らは、ホモ・サピエンスより多くの食糧を必要としたのだ。

 数の上でも劣勢に立たされ、相手の方が狩りが上手く、いっぽう自分たちは相手よりも多くの食糧を必要とする。そんな生活環境の激変に耐え切れず、ネアンデルタール人は自滅してしまったのかもしれない。ホモ・サピエンスが直接手を下すまでもなく――


 真相は依然藪の中だが、いずれにせよ、ネアンデルタール人の絶滅はホモ・サピエンスのせいだ。氷河期などの気候変動によって、それまで何度か『ボトルネック』を経験したネアンデルタール人は、ここでついに命運が尽きる。

 逆にホモ・サピエンスがアフリカを飛び出した理由のひとつも『ボトルネック』であり、彼らは新天地を求めてヨーロッパに辿り着いたわけだが、幸い彼らは先住民を追い出す、というか絶滅させることで代わりに自分たちの居場所を確保した。


 ここまでは、自然との闘いの結果両者にもたらされた運命である。


「――シリウス星系人が地球人、すなわちホモ・サピエンスと接触したのは、この後だと思うんだよ」


 叶は「――あくまで仮説だけどね」と断りながら説明を続けた。


「それはつまり――この地球の覇者が決定してから、ということですか!?」

「まぁ、そうとも言えるね。恐らくシリウス人は、人類種が地球で一番進化していくことを知っていた……ところがその人類種はまだ複数存在していたから、最後にどの種族が勝利するかを見守っていたと思うんだ。結果としてホモ・サピエンスが覇権を握り、ようやくシリウス人のカウンター・パートになる権利を手に入れたんだ」

「ちょっと待ってください――なぜシリウス人は人類種が地球の覇権を握ることを知っていたんです?」

「簡単なことだよ。脳化指数さ――」

「脳化指数?」


 脳化指数――

 これは、脳の重さを体重の4分の3乗で割って定数を掛けたものだ。通常、脳の大きさ(重さ)は知性に比例すると思われがちだが、これはまったく違う。

 たとえば、地球上で一番大きな脳を持つのはマッコウクジラで、それはおよそ8キロにも及ぶ。それに対して現代人の脳容量はだいたい1350㏄で約1.3キログラム。クジラは人間のおよそ6倍の大きさの脳を持つが、知性は遥かに人間の方が高い。

 この矛盾は、クジラが人間に比べてはるかに巨体だから起きる。成体のマッコウクジラの体重はおよそ40から50トン。人間の約700倍だ。身体に対する脳の占める割合を考えれば、クジラは人間に比べてはるかに小さい脳しかもっていないことが分かるだろう。

 じゃあ、身体に占める脳の割合を比べれば、知性に比例するのかというとそうでもない。人間のそれは約0.02だが、ネズミのそれは0.1だ。ネズミのほうが人間より頭がいいわけがない。

 そこで編み出されたのがこの「脳化指数」というわけだ。この計算式を使うと、身体の大きさによる偏りを補正して、ほぼほぼ正確に脳と知性の関係を数値化できるとされている。

 もちろん大雑把なものだし、同じ人間の中でこれを使おうとするといろいろ問題があり過ぎるので、それをそのまま頭の良し悪しに直結させるのはNGだ。絶対に友達同士でやってはいけない。


 だが、それを踏まえたうえで地球上の生物と人類の脳化指数について考えてみよう。人類種がチンパンジーと分岐した約700万年前、その脳化指数はおよそ2.1だった。これは現在のアカゲザルと同程度である。当時地球上で一番頭が良かったのはイルカだ。その数値は約2.8。

 その後しばらく人類種の脳化指数はさっぱり向上しなかった。ようやくイルカを抜いたのはおよそ150万年前。ホモ属が登場してからである――

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