第258話 肉弾攻撃(DAY2-15)

 古来より、歩兵にとって「戦車」とは悪魔のような存在である。


 たとえば大通りに面した歩道に暫く立ってみればいい。目の前の道路をバンバン走り抜ける自動車に対し、我々はそれだけで漠然とした恐怖を感じないだろうか。もしドライバーがハンドルを切り損ねてこちらに突っ込んできたら、生身の人間はひとたまりもないからだ。

 自動車など、別に分厚い装甲があるわけではないし、何かの武器をこちらに向けているわけでもない。それでも人は何となく不安になるのだ。大型ダンプが道幅いっぱいに走ってきたら、本能的に歩行者は道の端に避けるだろう。ただの民間自動車でさえこのありさまなのだ。


 その点、戦車は明らかに人を殺すために作られた乗り物だ。

 分厚い装甲に、何でも踏み潰す履帯。絶望的な破壊を辺りに撒き散らす巨大な砲塔。近づく者を虫けらのように蹴散らすための、機関銃などの各種補助火器。おまけに乗り組んでいる乗員たちは、敵兵を見たら轢き殺すように訓練されている。

 そんな鉄の塊が、戦場で明らかな殺意を抱いて自分に突っ込んでくるのである。独特の金属音を軋ませながら……大地を振動で震わせながら……


 だから歩兵たちは、いつも塹壕の中で顔面蒼白になりながら、自らの勇気を試される羽目になるのである。奴らの撒き散らす圧倒的な殺意と存在感に比べ、自分が今握り締めている武器のなんと貧弱なことか――


 だがそれは、実は戦車兵からしても同じだった。

 初期の――とりわけ前大戦頃のいわゆる第一世代と呼ばれる以前の――戦車は、見た目ほど頑丈ではなかったという。もちろんドイツ軍のティーガーなど、存在自体がチート級の戦車は別として、初期のソ連軍戦車などは粗製濫造品が多く、本気の対戦車戦闘を仕掛けられると中の乗員はまさに嬲り殺しの目に遭ったそうだ。

 まず、戦車は死角が多い。圧倒的に外が見えない。今でこそ各種センサーなどで近づく敵や障害物を早期に発見することができるようになっているが、前大戦中の戦車にはそんなお役立ち装備はついていない。だから、気が付いたら敵歩兵が群がっているということもよくあったのである。


 歩兵は残酷だ。

 戦車の僅かな覗き窓から、平気で中に銃を乱射する。当然銃弾は車内で恐るべき跳弾となって延々と跳ね返り続け、その間乗員たちをズタズタにする。

 ガソリンエンジンの戦車の場合はさらに悲惨だ。エンジンルームが被弾したり、何かの拍子に排気スリットから小さな火種が車内に混入した途端、車内では火災が発生する。乗員区画に炎が侵入すれば当然生きたまま焼かれるしかないし、仮に炎が回らなくても、車体全体の温度が急激に上昇すれば今度は蒸し焼きにされるのだ。

 この他、満州方面でソ連軍と激しい戦いを繰り広げた当時の帝国陸軍などは、敵戦車のエンジングリルにシアン化化合物と硫酸を入れた手榴弾を放り込み、発生した毒ガスによって中の乗員を殺すという戦法を取ったという。


 まさに戦車とは「走る棺桶」でもあったのだ。


 だが多脚戦車の時代を迎え、とうとう「戦車対歩兵」の、陸戦における勝敗の決着がつく。


 その名の通り、多脚戦車はそれまでの履帯による装軌走行を捨て、代わりに巨大な脚を使ってまるで蜘蛛のように移動する方法を選択した、新しい概念の第五世代戦車だ。

 つまり、この時点で歩兵は戦車の本体――中央装甲殻――に物理的に届かないことになった。また、各種センサー・電子機器の発達で、多脚戦車の搭乗員は完全に隙間のない装甲殻の中に閉じこもったまま、外部映像をほぼ360度の視界で確保できることとなったのである。

 この時点で、歩兵がつけ込む弱点がほぼなくなった。

 当然そうなると、あと狙えるのはその脚部だけということになるが、これがまた恐ろしく堅牢なのだ。開発段階で、ここが急所になるだろうということは当然分かっていたため、脚部に対する防御は恐ろしく入念に考慮され、およそ通常武器では破壊できないよう何重にも防護措置が施されている。

 たとえばその複雑な装甲傾斜が本物のカニの脚のように造形されている理由は、徹甲弾やミサイルをどの角度から当てても跳ね飛ばすように計算されたものだからだ。ジョイント部分も然りだ。それでも取り付いてくる敵兵がいたとしても、今度は車体表面に瞬間的に高圧電流を流すという自律型防御装置も付いているので何かの小細工もしようがない。

 おまけにその脚は、最低3本あれば走行できる設計になっているため、1本や2本破壊されたところでどうということはない。


 そして戦車はついに、陸戦の王者という地位を不動のものにする。この時点で世界各国の軍隊は「多脚戦車を斃せるのは多脚戦車しかない」という結論に達したのである。

 だから以前、今は亡き各務原かがみはら伍長が生身の身体でタケミカヅチの多脚戦車と刺し違えたという事実は、多くの陸兵たちに尊敬と畏怖を与えたのである。

 だがそれは、あくまでもレアケースだ。普通の兵士に、そんな芸当は出来ない。


 それどころか、装軌車輛である通常型戦車ですら、多脚戦車には敵わないのである。以前ヤン大佐が華龍ファロン時代に使っていた戦車は中国製の99式戦車、いわゆるZTZ-99というタイプの第三世代戦車だが、ハルビン攻防戦でその攻撃に士郎たちが苦戦したのは、美玲メイリンたち多脚戦車を駆る第3小隊が間に合わなかったせいである。

 二次元的戦場で戦うことを前提とした第三世代や第四世代の戦車と、三次元的空間で戦う前提の第五世代多脚戦車では、所詮土俵が違うのだ。


 そして、多脚戦車はその複雑な機構ゆえに、限られた先進国の軍隊でしか開発し取り扱うことができない。具体的には、多脚戦車を保有しているのは今のところ日本、米国、ロシアくらいのものだ。その時点でこれら諸国は陸戦において圧倒的優位性アドバンテージを持っているのだ。

 だから今回のように、第一世代ですらない旧式のT-34に日本軍の多脚戦車ゴライアスが苦戦するなど、悪夢以外の何物でもないのだ。

 それもこれも、奴らの持つあの謎の兵器――荷電粒子ビーム砲のせいだ。


 だが、だからこそ叶は気付いたのだ。

 ビーム砲以外は、結局のところあの戦車T-34は旧時代の代物なのではないか!? しかも美玲によると、連中の練度は極めて低いという。だったら、昔ながらの対戦車戦闘を繰り広げれば、奴らの足を止めることができるはずなのでは――!?


 そう、第二次大戦中の歩兵たちが、戦車に立ち向かった時のように――


  ***


 楊大佐配下の歩兵たちが戦場に展開したのは、それから僅か20分後のことだ。

 今のところ狼旅団が確保している高千穂町役場跡を中心とする一帯と、未だ敵部隊が占拠している地帯との間には、僅かばかりの「緩衝地帯」とでも言うべき“どちらの支配下にも落ちていないフィールド”が存在している。

 お互いが相手の様子を見るために、少しずつ後退したことで自然にできた、帯状の空白地帯。その帯の幅は広いところでせいぜい100メートル。狭いところだと50メートルほどしかない。

 つまり、どちらかが突撃しようと思えばすぐにでも渡り切ってしまう程度の幅しかないのだが、それでもお互い何度かの突撃の末、今は無理に押し込まなくてもよいという結論に達していたのだ。その損害がお互い余りに多すぎたからだ。

 戦線が膠着しつつあるというのは、つまりこういうことだ。


 だが、敵戦車は多脚戦車の出現により、俄かにこの前線に進出してきていた。

 何度かの砲撃――しかもビーム砲の攻撃だ――によって、日本軍の多脚戦車がもろくも擱座かくざしたことに気を良くして、今が攻め時と前のめりになっているに違いなかった。

 狼旅団の歩兵たちが向かったのは、そんな敵戦車が鼻先を突き出してきた一角である。自陣からほんの少しだけ――せいぜい20メートルくらいか――突出した辺りだ。


「とりあえずッ! とっとと穴を掘れ!!」


 指揮官が兵たちを叱咤する。とにかく、戦車を相手にするには塹壕を掘らなければならない。


「ひぇぇっ! マジかよー!?」

「おいッ――文句言ってるとどやされっぞ!!」

「んなこと言ったって! こんなことなら音繰オンソウについていきゃよかったぜ」


 ごちゃごちゃ言っているのは、ハルビンで未来を匿った音繰の小隊の、残留メンバーである。別に彼らは無気力でも、無責任でもない。むしろ音繰たちと同様、日本に亡命して日本国籍を取ってから、あらためて日本軍に志願したという、信義に厚くて誠実な部類の兵士たちだ。

 だが、今回ばかりはヤバいのだ。敵戦車に肉弾攻撃を仕掛けろという。


 そう言って渡されたのが、彼らの傍らに立てかけてある、長い柄の付いた地雷みたいな武器だ。要するに、デッキブラシの先端がブラシの代わりに何かの爆薬みたいなものになっている代物だ。「昔のドイツ軍の、パンツァーファウストみたいなもんだ」と日本人工兵が言ってたな。つか、これってそもそも肉弾攻撃前提の武器じゃねぇか。日本軍はそんな武器を当たり前のように持ってるのか――!? 

 兵士たちはその見慣れない武器を横目に、必死で穴を掘る。


「――まったく! 俺たち兵卒はどこ行っても穴掘りやるんだな! 中国でも穴掘り、日本でも穴掘りだ」

「その穴のお陰で助かるんだ。文句言わずにどんどん掘れよ!?」


 周囲には、ひっくり返ったトラックとか、パンケーキ状に崩れた小さな商店跡のような残骸が散乱していた。電信柱も斜めに折れていたから、遮蔽物がないわけではないのだが、戦車の前にそんなものは紙切れと同じ程度の障害にしかならないことを、その場に展開している兵士たち全員が知っていた。


 必死で辺り一帯に穴を掘って、30分がかりでようやく腰の辺りまで掘り進めた時だった。


 ビリビリビリビリ――


 目の前の地面の小さな石ころや砂礫が、細かく振動していることに気付く。

 その振動は、徐々に足許にも伝わり、やがて辺り一帯が細かく縦揺れを始めた。地震――?


 いや――

 キュルキュルキュルキュル

 ガガガガガガガガ――

 ビリビリビリビリキュルキュルキュルキュル――!


「――戦車だ! 戦車が来るぞ!」


 ドドドドドドドド……

 地面の縦揺れがますます激しくなった。立てかけていたパンツァーファウストが、こらえきれなくなってゴロンと転がる。


「ふ、伏せろーっ!!」


 誰かの叫び声に、皆がハッと我に返り、慌てて掘ったばかりの穴に身を隠す。これは塹壕と呼べるレベルではない。せいぜいタコ壺だ。つまり、戦車が上を通ったら確実に――中にいる奴は轢き潰される。

 こんなことならもっと真剣に穴掘りすりゃよかった! 俺たち、絶体絶命じゃねぇか!?


 キュルキュルキュルキュル――

 金属音がますます大きくなった。顔を上げたら、もう目の前に敵戦車がいるんじゃないだろうか。


 兵士たちは、知らないうちに殆どの者が顔面蒼白になっていた。大半の者が、ライフルさえ持っていない。役に立たないと言われたからだ。その代わりに、パンツァーファウストを2本も3本も持たされている。

 やり方は簡単だ。先端の爆薬部分を敵戦車のどこかに刺し込んで、それから長い柄の先に出ている紐を思いっきり引っ張る。そしたら遅延信管が起動して、数秒後に爆発だ。

 自分たちはその間に逃げるか、敵戦車が勝手に進んで通り過ぎてくれる。


 その時だった。


 ドドドドドドドドッ――!!

 ダンダンダンダンダンダンダンッ!!!


 突如として敵戦車が猛烈な機銃掃射を浴びせかけてきた。道端に転がっていた、自動車の残骸が粉々に砕け散る。プィンプィン――と跳弾が掠め、焼けた火薬の臭いが辺りに濃密に漂った。

 容赦ない銃撃に、タコ壺に隠れる兵士たちはギュッと固くその目を瞑り、顔をしかめて必死に耐える。

 敵戦車の圧倒的存在感が、大気全体にはち切れんばかりに充満した、その時だった。

 耐え切れなくなったある兵士が、不用意に頭を上げて前方を覗き込む。


「あッ!!」


 それを見た誰かが思わず声を上げた瞬間、ダラララララッ――と一連射がその兵士を襲い、そして――兵士は首から上を吹き飛ばされて、ぐにゃりとそのまま自分のタコ壺に沈んでいった。


「オイッ!! まだだッ!! 無駄死にするんじゃないッ!!」


 指揮官が周りの兵たちに注意喚起する。パンツァーファウストは投げたってせいぜい10メートルほどしか飛ばない。先端に数キロ近い炸薬をくっつけているからだ。とにかく、対象となる敵戦車が自分たちのすぐ傍を通り過ぎる時が最初で最後のチャンスなのだ。


「――てか、やっぱり主砲は俺たちには使わないんだな!?」


 誰かが何気なく呟いた。

 だが、叶がピンと来たのはまさにその部分だったのである。205ミリの徹甲弾すら跳ね返す多脚戦車の装甲を、いとも簡単に貫いてしまう敵の荷電粒子ビーム砲。だが、彼らは決してそれを無駄撃ちしない。やはりその一発を撃つには、相当のエネルギーを必要とするのだろうか!? それとも何か別の理由でもあるのか――!?

 いずれにしても、肉薄する限り、敵のビーム砲は考えなくて良さそうだ、というのが叶の結論だったのである。つまりこの敵を倒すには、懐に飛び込みさえすればいい。


 ガガガガガガガガ――

 キュルキュルキュルキュル――


 敵戦車が兵士たちのタコ壺に真っ直ぐ覆いかぶさってきた。


「――今だッ!!」

「うぉぉぉぉぉぉ――!!」


 兵士たちが次々にタコ壺から飛び出した。その腕には、ひとり1本――パンツァーファウストを抱えている。

ひとりが敵戦車の履帯と転輪の間に突き刺した。だが、そのまま服の端が引っかかり、腕ごと履帯に巻き込まれる。


「ぎゃあァァァァァァ!!!」


 傍にいた兵士が思わず顔を背け、そして今度は自分のパンツァーファウストを再度履帯の上に乗っける。そのまま紐を思い切り引っ張ると、戦車に平行に地面に突っ伏した。

 数秒後――


 グァァァァァァァァン――――!!!!


 ジャラジャラジャラジャラッ――と大きな音を立てて履帯が外れた。あっという間に敵戦車は走行不能に陥った。

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