第253話 救出(DAY2-10)
「曹長――」
「はい、もう30分以上になります」
「これ以上は待てないな……」
「了解しました。全員、突撃態勢!」
暗闇に沈む峡谷の川面に、頭だけ突き出すようにしてじっと待機していた士郎たちの班およそ200名は、やむを得ず秘匿行動を解除する決意を固めた。
30分ほど前、水中に何か大きな集団が移動した痕跡を見つけ、それが天岩戸神社から通じていることを確信した士郎は、部隊を水上移動させることにした。その際水中から顔を出した途端、無線機を通じて微かな戦闘の気配が飛び込んできたのである。
状況から言って、神社にほど近い班が発信源と思われた。幸運にも接敵しなかった士郎たちと違い、彼らは正面から敵と遭遇戦を行っている可能性が極めて高かった。しかもその状況は、かなり切迫していると思われた。
そこで士郎は「
その久遠が飛び出していって、既に30分以上の時間が経つ。その間、彼女からは一切の連絡が届かない。
「久遠殿は無事でしょうか……」
田渕曹長が思わず口にするが、士郎には何も答えられない。
無事であるはずがないのだ。何もなければ、とっくに偵察を終えて帰ってきているはずだ。本来彼女たちオメガにとって、この程度の地形を踏破することなどどうということはない。ましてや彼女は自らの皮膚を背景に完全同化させることによって、滅多なことでは敵に見つかるはずもないのだ。戻ってこれないということは、すなわち何らかの障害によって動きを阻まれたということだ。
「――分からんが……今はまず4時班の支援・救出が先だ」
「はい……全員準備はいいな!? では
その途端、暗闇の川面に、白い波しぶきが大量に沸き立った。隊員一人ひとりが脚部に装着しているスラスターを、再び一斉稼働させたのだ。
ドォォォォ――ッ!! という轟音が深夜の高千穂峡に響き渡る。
通常この空挺装備は、空中から地面に着地する瞬間、逆噴射して軟着地するために使うものだ。だが、今回のように水面を移動する際にも実は使用可能だ。ホバークラフトのように大噴流の空気を噴き出して、まるでアメンボのように水上を高速移動できる。
だが同時にこの瞬間、日本軍部隊がここにいることは、おそらく大半の敵に悟られたことは間違いない。
「――急げッ! こうなったら時間との勝負だ! 敵に対処する隙を与えるなッ!」
士郎たちが向かうのは「4時班」と呼ばれる部隊が降下したと思われるポイントだ。
今回降り立った高千穂峡の地形は、分かりやすく言うと「U字」型の峡谷が市街地を取り囲むような形状をしている。そのU字を時計に見立てて、右端上を2時――以降等間隔に4時、6時、8時、10時とし、各班200名ずつが前後2時間範囲を受け持って峡谷内を捜索する。士郎たちの班はU字の底部――すなわち「6時班」だ。
ちなみに何を捜索しているかというと、敵部隊の出現ポイントだ。それさえ見つけて叩けば、敵の増援を断ち切ることが出来る。そうなれば、こちらの態勢を立て直して一気に反転攻勢に繋げられるのだ。
案の定、そう間を置かずに峡谷の上から滅茶苦茶に銃弾が飛んできた。
やはり敵はあちこちに潜んでいたのだ。川面から崖上の両岸までの高低差は、低いところで4、5メートル。高いところでは10メートルくらいだろうか。それくらいの距離感で、上からこれでもかというほど撃ち込まれたら、被弾しない方がおかしい。士郎たちは2列縦隊でジグザグ走行しながら猛然と水面を滑っていくことで、なんとかその弾幕を躱していく。
瞬きをした瞬間、誰かがもんどりうって水面に叩きつけられた。
敵の銃弾がたまたま顔面のバイザーを直撃し、頭をのけぞらせたせいでバランスを崩したのだ。途端に集中砲火を浴びて、彼の周りの水面が泡立つ。気が付くと、その姿はあっけなく水中に没していた。ふわりと水面が黒ずむ。大量の出血が、川面を染めていく。
先頭を走る士郎は、自分のイルミネーターの端に「
『――井川上等兵! KIA!』
田渕が冷静に報告する。くそッ――絶対に止まっちゃ駄目だ。
嵐のような敵の銃弾は、兵士たちが身に付けている防弾装甲板に雨あられと降り注ぐ。そのたびに、跳弾の派手な火花が暗闇を切り裂き、高速移動する士郎たちをストロボライトのように照らし出す。
『あと300メートルで4時班と合流ッ!』
『了解ッ! 速度を緩めるな! このまま全速で4時班の周囲に回り込むぞッ!!』
パパパパパパパパパッと『命令受領』輝点が点灯する。
『――士郎さんッ!』
くるみが叫ぶ。
『おうッ! 頼んだッ!!』
「「「「了解ッ!」」」」
遣り取りは、それだけで十分だった。返事と同時に、川面を全速で滑り抜ける本隊から、左右の崖法面にそれぞれ2個ずつの弾丸のような物体が分かれ出た。その黒い塊は、本隊と変わらぬ速度を維持しながら、崖を横向きになって全力疾走する。オメガたちはその驚異的な身体能力で、まるで重力など存在しないかのようにあっという間に崖上に駆け上がっていった。
『あと100メートル!』
『――全員射撃姿勢!』
それはあたかも、冬季オリンピックのボブスレーかスキーの大回転競技を見ているようだった。
峡谷という滑走ルートを、兵士たちが息も詰まるような高速で次々に滑り抜けていく。何人かは不幸にも銃弾に斃れて脱落していくが、大半の兵士はそれに一切怯むことなく、ただひたすらに4時班のいるポイントへ突き進んでいった。
気が付くと、士郎たちへの崖上からの射撃も明らかにまばらになっていた。
ちらりと視線の端に崖上を捉えると、さまざまな悲鳴が聞こえてくる。オメガたちが接敵し、立ちはだかる敵兵を突風のように薙ぎ倒しているに違いなかった。
士郎は再び視線を川面に戻す。峡谷の底を猛然と滑り抜ける士郎たちが、川筋に沿ってカーブを曲がった時だった。
『――コンタクトッ!』
『撃ち方、始めッ!!』
目の前に、惨憺たる光景が飛び込んできた。4時班が川面の一角に釘付けになり、猛烈な銃火を崖上から暴風雨のように受けていたのである。彼らのいる水面は、既に真っ赤に染まっていた。残存する兵士たちは、ぷかぷかと浮かぶ数十体もの仲間の遺体の間に挟まれるようにして、それでも果敢に崖上に向かって射撃を続けている。
その光景を見た士郎には、一瞬で分かった。4時班はどういうわけか一箇所に留まることを余儀なくされたせいで、敵の火箭を躱すことが出来ず、集中砲火を浴び続けていたのである。
なぜッ!? なぜ離脱しなかった――!?
そこに飛び込んだ士郎たちは、ただちに彼らの前に立ちはだかり、猛然と反撃を開始した。超小型誘導弾発射装置を背負っている兵士を中心に、崖上へ無数の飽和攻撃を繰り出す。と同時に、並行して崖上を突進していたオメガたちがそのまま敵兵たちに襲い掛かった。
あちこちで断末魔の悲鳴が聞こえ、敵兵が次々に爆散していく。楪だろう。対岸では、敵同士が同士討ちを始めた。くるみによって錯乱させられているのだろう。亜紀乃は――
彼女は、自分の身長ほどもある長刀を振り回して、まるで空中を舞うように移動しながら敵兵を切り刻んでいた。その動きはほとんど肉眼で追うことができない。ただ崖上で、敵兵の首や腕脚が次々に刎ね飛ばされ、胴体が両断されていく。血飛沫が辺りに飛び散り、敵戦列は完全にパニックに陥っているようだった。
ものの数十秒で、崖上からの銃撃がまばらになった。
『――士郎くんッ!』
『送れッ!』
『上から見て分かったんだけど! 水中に多数の人影ッ!』
『なんだとッ!?』
敵部隊か――!?
ここは敵の出現ポイントと推定されている。まさかッ――!?
『――人影は、4時班の直下! 足許付近ッ!』
『曹長ッ!?』
『了解ですッ!』
士郎の指示と同時に、田渕が数人の兵士を連れて急いで水中に潜っていく。状況確認だ。このあたりの水深も、先ほどと大して変わらず5メートルほど。もしも敵兵が水中に潜んでいるとして、足許から襲い掛かられたら終わりだ。水面付近で首元まで川に浸かりながら、必死の反撃を続けている4時班の隊員たちは、まるでそのことに気付いていない。
ほどなくして、田渕たちが再び水面に上がってきた。
『――中尉……』
『どうだ? やはり敵――』
『いえ……それが……』
田渕が、わざわざ士郎の傍まで泳いできた。
『……民間人です。数十名はいるかと……全員、隊員の酸素パッケージを使っています……もちろん生きてます』
――――!
なんてことだ――
士郎は、なぜ4時班がこの場を動かずに甘んじて集中砲火を浴び続けていたのか――その理由を、今ようやく理解する。
彼らはここで、多数の民間人を発見し、これを救出・保護したのだ。おそらくそのタイミングのどこかで敵に思わぬ攻撃を受けたのだろう。その際、咄嗟に自分たちの酸素パッケージを彼らに渡し、銃撃効果が弱まる水中深くに潜水してやり過ごすよう誘導したのだ。
そして自分たちはその盾になり、川面に身を晒して直上からの攻撃をまともに受け止めた……文字通り、身体を張って民間人を守っていたのだ――
士郎は4時班の残存兵をあらためて見回した。
暗くてよく見えないが、ようやくはたと気付いて4時班のデータシステムにリンクする。HMDSのイルミネーターに、彼らのリアルタイム戦力が表示された。
班長以下、将校は全員KIA――
下士官・兵卒も、半数以上がKIAもしくは
もはや4時班の
士郎は、彼らの
『――4時班各員へ下命。現時刻をもって4時班の指揮権を6時半班長、オメガチームリーダーが掌握する』
すると、最初ポツポツと、やがてパパパパパっと命令受領のブリップが士郎のイルミネーターに点灯した。
敵の銃撃は、徐々に弱まっていった。
『撃ち方止めッ! 6時班は4時班隊員および水中の民間人を救護せよ。4時班各隊員は指示に従い、その場で小休止――以降、救護の指示に従え』
『オメガは崖上の残敵掃討を徹底せよ。その場に陣を確保する』
士郎は、矢継ぎ早に指示を出した。一刻も早く、この英雄的な兵士たちを休ませてやらねばならない。
***
「――そうか……岡本少尉が……」
士郎は、担架に横たわる兵士の傍らに腰掛け、当時の状況を聞き取っていた。
「はい……洞窟に近い川の中ほどに、民間人が多数……杭に括りつけられていたのです。それで、とにかく彼らの救出が先だと……」
4時班を率いていたのは、陸軍
その彼が自分の目で見て、民間人を救出することを優先したのだ。その判断に何の落ち度があろうか。
ただ、結果として多くの兵士を喪うこととなった。臨時に設けられた陣には、多数の引き揚げられた兵士の遺体が安置されている。
「――ですが、自分は少尉の判断が間違っていたとは思っておりません! 自分たちが不甲斐ないばっかりに……」
兵士は泣き出してしまった。悔し泣きだった。
士郎にも、それは想像がついた。引き揚げられた岡本少尉の遺体には、無数の戦闘痕が残されていた。恐らく、撃たれても撃たれても、必死で戦い続けたのだろう。右手はライフルを握ったまま固まっていて、未だにその身から引き剥がせない。
他の兵士の遺体も、みな似たり寄ったりだった。
「あぁ、大丈夫だ。貴様の隊長は、最後まで軍人の務めを果たしたんだ。恐らく勲章を受け取ることになるだろう……」
士郎が慰めると、兵士は肩を震わせて嗚咽した。
だが、この兵士をはじめとする生き残った隊員たち、そして岡本少尉のように戦死した隊員たちも、この光景を見たら少しは留飲を下げるのではないだろうか。
同じ陣の反対側の一角には、彼らが命懸けて守った民間人たちが、顔面蒼白になりながらも、それでもそこにキチンと生き延びて保護されていたからである。
そこには老若男女問わず、多くの町民がいた。中には小学生くらいの女の子もいるし、妊娠中なのか、少しお腹が目立ってきた母親らしき女性もいる。みな、かれら4時班が助けた命だった。
そんな彼ら、彼女らに、オメガたちが優しく声を掛けながら温かいお茶を配って回るのも、いつもの光景だった。
なんとか話を聞けるだろうか――?
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