第252話 敵情(DAY2-9)

「――実に興味深い。やはり彼らは、我々の知る中国の歴史とは微妙に異なる世界に存在する中国軍のようですね!」


 いつの間に来たのか、叶がヤン大佐の背中越しに思わず声を発した。


「これはこれは叶先生、ご無事でしたか!?」


 ヂャン秀英シゥインが彼の到着をねぎらう。楊も振り向いて彼の姿を確認すると、「おぉ」と声を上げて歓迎した。

 何せこの2人にとって、叶は“影の支援者”とでも呼べるような男だ。もともと華龍ファロンの将校だった秀英たちの存在価値について、日本軍内で吹聴して回っていたのは叶その人だ。稀代の天才科学者である彼がそこまで言うのなら、ということで、その高説に耳を傾けた者は多いと聞く。


「えぇ、なにせ少将の部隊の優秀な兵士たちが、私をガッチリ守ってここまで連れて来てくれましたからね」


 大激戦のヤマを越した後に、涼しい顔してひょっこり顔を出すのがいつもの叶の流儀だ。今回はどうやったのか知らないが、降下した後、周辺のほとぼりが冷めるまで下手したらしばらく自律鞘の中にそのまま立て籠もっていたのかもしれない。

 いずれにせよ、こんな最前線まで叶がノコノコやってきたのは、ひとえに彼の我儘である。ただ、我儘といっても彼なりの理屈があって、その一つがこの『異世界中国軍』の正体を突き止めることだった。

 オメガ研究班長として、ここ最近立て続けに発生している異常現象の対抗策を編み出す必要のある彼の立場にとって、その根本原因である「事象の地平シュバルツシルト面」の顕在化によって現れた敵軍勢の正体を暴くこと、そしてその出現プロトコルを解明することは、何よりも喫緊の課題だったのである。

 そのためには何より、誰よりも近くにその現象に近付いていって、それが何であるかを自分の眼で見て、判断を下したいのだ。フィールドワークを重視する、叶ならではの発想だ。


 ただ、そのためには――特に今回のような場合――こうして最前線に赴かなければならず、そうなると途端に四ノ宮を悩ませることになる。

 “国の宝”とまで評される叶の頭脳を守るためには、それ相応のボディーガードをつけてその身の安全を図らなければならなかったのである。

 そんなわけで、ある時突然、苦虫を嚙み潰したような顔をした四ノ宮が秀英のもとにやってきたというわけだ。

 いや、むしろ今回の出撃は、当初「叶の警護をお願いしたい」というのが話の発端だったのだ。それを聞いた秀英が、「どうせなら自分たちも出撃させてくれ」と懇願したのが今回の作戦参加に繋がっている。

 実際秀英は、四ノ宮からの依頼が来た時に直感したのだ。これは、日本に恩返しをする千載一遇のチャンスだ――と。

 第101独立混成旅団という部隊まで作ってくれた日本国ではあるが、正直自分たちの使いどころについては、相当難しい判断があるだろうなということは、彼自身にも薄々分かっていたことだ。

 日本軍初の「外人部隊」――

 あまりにも激戦地に送り込んだら「捨て駒にした」と言われかねないし、かといって何の問題もないところに展開させれば「塩漬けにした」と受け取られる。いっぽうで、わざわざ外国人兵士主体の部隊を作って何もしないのでは、税金の無駄遣いとのそしりも受けかねない。


 だが今だったら!?

 日本全国が、謎の敵大軍勢に突然襲撃され、今や亡国の危機に直面しているのだ。既存の日本軍部隊は今や全国各地で烈しい防衛戦闘を行っていて、手一杯だ。だったら今こそ、我々『狼旅団』もその一翼を担って最前線に赴くことに、誰が異論を差し挟むだろうか。

 もちろん、戦うことしか知らない我が旅団の兵士たちは喜んで戦地に赴くだろうし、多くの日本国民もそんな我々を頼もしく応援してくれるに違いないのだ。

 つくづくこのお方は、我々に幸運をもたらす存在だな、と秀英は思わずにいられない。


「――それで、首尾は!?」


 叶が興味津々といった顔つきで楊老の目の前に置かれた各種機材を覗き込む。

 そこには、音繰たちが身に付けているコンタクトレンズ型カメラから送られてくる彼らの目線映像や、隠し持っている収音マイクから届く音声波形などがリアルタイムでモニターに映し出されていた。


「まず大きな収穫があったのが、彼らが1968年の異世界中国からやってきた、という情報です」

「1968年――!?」

「えぇ、うちの兵隊が雑談の中で聞き出したのです」

「それはまた……微妙な年代ですなぁ」


 もちろん叶は、その時期中国に「文化大革命」の嵐が吹き荒れたことを知っている。


「――ところが、この連中の世界では、どうやら『文革』が起きていないようなのです」

「え!?」

「これも我が潜入兵士からの情報なのですが、彼らに水を向けたところ、怪訝な顔をされたようで……」

「と、いうことは、我々が知っている中国ではない、ということですかな?」

「えぇ、しかも連中、我々日本軍に相当違和感を持っているようでして……」

「違和感……」

「彼らに言わせると、日本軍は本来弱い軍隊だと……それがここの日本軍は強すぎる、ということで困惑しているようなのです」

「そ、それは、当然彼らからすれば、我々は100年以上未来の軍隊だから――」

「いえ、そういうことではなく、元々彼らの知る日本軍というのは、もっとこう……すいません、弱兵のはずだと……」

「――えと、それは日中戦争当時の我が帝国陸軍が、中国兵たちを弱兵と嘲ったようなニュアンスと同じということですか?」

「おっしゃる通りです」


 何度も言うが、前大戦がはじまる前、既に日本が大陸に進出して「日中戦争」を行っていた当時、日本軍が中国兵のあまりの弱兵ぶりに拍子抜けしたというのは有名なエピソードである。

 厳密に言うと、それは主に「国民党軍」に対する評判だ。当時中国は、蒋介石率いる『国民党軍』と毛沢東率いる『共産党軍』が入り乱れ、激しく勢力争いを繰り広げていた。

 特に蒋介石の国民党軍は、抗日闘争よりも毛沢東の共産党軍を叩くことを優先しており、結果的に日本軍とはなるべく戦わずに戦力を温存し、その分共産党軍に矛先を向けるという大方針を持っていたのである。

 結果的にそれは、国民党軍が日本軍と遭遇するたびに「逃げまわる」ようなかたちになった。そんな彼らを帝国陸軍が「弱兵」と呼んだのは、ごく自然な反応だったであろう。


 だが、今回目の前に現れた中国軍は、逆に「日本軍は弱兵」という印象を持っていたというのだ。


 そんな“弱いはずの日本軍”が、この世界では精強無比――アジアでは他に並び立つ者がいないほど強力な軍隊――であることに、彼らは明らかに動揺していたらしい。

 確かに連中が本当に「1968年レベル」の軍隊であれば、第6世代戦闘機のF-38や、特戦群の兵士たちが当たり前のように身に付けている、最新テクノロジーに基づいた陸戦兵装や強力な火器などを目の当りにしたら、ビックリして腰を抜かすかもしれない。

 1968年といえば、こちらの世界でもベトナム戦争初期――つまり、中国人民解放軍は古色蒼然とした旧式の軍隊で、ジェット戦闘機すらようやく実戦に出てきた時代なのだ。


 ただ、今回のニュアンスはそういう「科学技術力の差」、というわけでもないらしい。要するに、今回対峙している我々日本軍が、自分たちが知っている「弱い日本軍」とはまるで印象が異なるほど、恐るべき相手である、ということに困惑しているのであろう。


 まったく、異世界での我が国は、いったいぜんたいどんな不様な歴史を歩んでいるのだ――


 ……それはともかく、これはある意味「極めて有効な情報」だ。

 敵が全般的に日本軍を侮っているのであれば、寡兵でも十分勝ち目はある。敵兵が油断しているところを、一気呵成に攻め立てることができれば、総崩れになるのではないか!?


「――あと、彼らはそもそも自分が別次元の世界に引っ張ってこられたことを自覚していない可能性があるようなのです」

「は!? それは間違いないのですか――!?」

「はい……ここがどこなのか、今ひとつ判然としていない様子でした。ただ、向こうの世界でも相変わらず日本とは敵同士のようで、条件反射的に我が軍に攻撃を仕掛けている可能性すらあります」

「――なるほど……ということは、こちらの出方次第で停戦の可能性もあるということか……」


 すると突然、モニターを監視していた兵士が声を上げた。


「えと、楊大校……じゃなくて大佐! どうやら潜入部隊が面白いものを見つけたようです」

「なに? どれどれ……」


  ***


 音繰オンソウは、ほぇーと馬鹿みたいにそれを見上げていた。


 T-34中戦車――


 旧ソビエト連邦製で、第二次大戦中のソ連軍主力戦車である。その総生産台数はライセンス生産も含めると7万両を超えるとも言われ、ソ連だけでなく、東欧諸国やそれに連なる第三世界諸国でも使用されたほか、21世紀に入っても中東の一部諸国では現役で使われていたという、大ベストセラー戦車である。

 もともとソ連は戦車王国で――それは主に欧州の覇者にして同じく戦車王国であるドイツと血みどろの戦争を繰り広げていたからなのであるが――その量産戦車の性能には定評がある。大戦後期にはドイツ軍のパンターやティーガーが対抗して出てきたことから、勝ったり負けたりの繰り返しではあるのだが、そのたびにT-34は改良に改良を重ね、そのバリエーションは合わせて7種類にも及んだ。派生型とも呼べるT-34ベースの自走砲なども含めると、そのシリーズはなんと16種類も存在するのだ。ちなみにこの数ですら、ライセンス生産した諸国の改造バージョンは一切含まれていない。


 まさに戦車の代名詞。世の中の戦車好きでT-34を知らない者は存在しない。

 だが、さすがに21世紀も終わりに近づいたこの時代、現役で動くこの名車を見た者は誰もいない――はずだった。


「――いやいや、こりゃ58式だよ」

「え? なんだそりゃ!?」

「おめぇ知らねえのかよ? 中国お得意のパクリ戦車だぜ!? T-34のフルコピーを58式って言うんだ」


 音繰の仲間にも、どうやらマニアがいたようである。だが、中国の名誉のために念のため言っておくと、58式はフルコピーであることには間違いないが、キチンとソ連の技術指導を正式に受けて生産したものである。

 ただ、当時の中国は工作精度が極めて低く、兵器としての信頼度という点ではオリジナルに比べるととてつもなく低い粗悪品だった。


 まぁ、その辺はどっちだっていい。問題なのは、そのT-34だか58式だかの戦車の砲塔後部に、見たこともない排気口のような、ダクトのようなものが突き出していたことだ。


「こりゃ一体なんだ!?」


 モニター越しに――つまり音繰の目線を通して――それを眺める叶は、この違和感だらけのパーツが妙に気になった。

 普通に考えて「戦車」という兵器の運用思想から言ったら、最も頑健に作られなければならない砲塔部分に、こんな致命的な弱点になりかねない造形物を組み込むだろうか……


「――ちょっとこれ、ダクトの口の部分覗き込めるかい?」

「あー、すいません……こちらの声は向こうに聞こえないんです」


 叶が呼びかけようとすると、傍にいた兵士が申し訳なさそうな顔をする。もちろん、潜入している彼らは他の特戦群日本人兵士のように、まだマイクロチップを埋め込んでいない。だからといって耳にイヤホンのようなものを嵌めたら、あっという間にスパイだとバレてしまいそうだったから、今回はとにかく「見る」「聞く」しかできない仕組みなのだ。「会話」ツールは、さすがに贅沢というものだ。


「あぁ、じゃあ仕方ないか……」


 と答える叶は、明らかに残念そうである。すると突然、音繰がそのダクトを覗き込んだではないか。「おぉー!」と喜色満面になる叶。だが――


「……これは……」


 ほんの数瞬前まで、子供のようにその瞳をキラキラさせていた叶が、急に押し黙った。明らかに掌を返したような豹変ぶりだ。


「……せ、先生?」


 秀英も、楊老も、彼の雰囲気が急に変わったことに困惑する。何かマズいものでも映っていたのだろうか!?


「えと……これは、かなり要注意のパーツかもしれんよ……」

「ど、どういうことです!?」

「うむ――この戦車、どこかで発砲してるの見た人は!?」


 秀英は周囲を見回すが、少なくともここにはそれを目撃した者はいないようだった。


「――そういえば……戦車があるのに、今までまったく出て来ておりませんな……」

「確かに……こんなものがあれば、普通に考えれば我々の攻撃に差し向けるはずです」


 ミニガンをはじめ、こちらの火力は相当分厚いし強力だ。彼らも相当痛い目に遭っているのだから、戦車程の兵器があるのであれば、本来ならどんどん使ってくるはずなのだ。

 なぜ温存している――!?


 叶が口を開いた。


「――まだ確証は持てないんだがね……この連中の大口径火器はもしかすると――」


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