第231話 ホルスの目

 古代地球に、シリウス星系人が来訪していた――


 確かに、世界各地の諸民族が伝承してきた神話の数々は大抵「天空から神々が降りてきてこの世界を創り、人々を導く」というフォーマットになっている。

 地域も民族も文明もまったく異なる世界各地の人々が、どうしてこれほど類似した神話を持っているのか――と問われれば、それは「神話の元となった出来事が事実だったから」としか考えようがない。

 もちろんそこには多少のデフォルメや誇張など、尾ひれが付いて回っただろう。それぞれの神話に、多少の別バージョンや派生形があるのは恐らくそれが理由だ。だが骨格というか、物語の基本構造は変わらない。

 つまり、古代のある時期、全地球的に、世界各地に、地球上の人々の前に「神」と呼ばれる何らかの存在が「実際に空から降りてきた」のである。ごく自然に考えれば、そう解釈するのが一番合理的だ。


 しかも古い神話であればあるほど、そこに登場する神々は実に「人間的」だ。

 自由奔放で強欲で、ずる賢くて親切で、そして愛に満ちている。その様は“一点の曇りもない清廉潔癖、公平正義、全知全能”というより、まるで我々「人間」のように、時に愚かだ。神たちは平気で諍いを起こすし、殺し合う。

 これはつまり「神々」とされた存在が「高貴」というよりも、実際は我々と同じようなメンタリティの持ち主であったことを暗に物語っている。


 そうした神々の痕跡は、神話に留まらない。

 物的証拠として現代に残る代表格は「遺跡」であろう。

 一例に挙げた「エジプト文明」が残した数々の神殿やピラミッドには、その建築コンセプトや聖刻文字ヒエログリフに代表される様々なパーツに「神」の残像が残っているし、世界各地の古代遺跡には、もっと直接的に「神」をモデルにしたであろう壁画や彫刻が多数残されている。

 それらに描かれた神々は、中世ヨーロッパの宗教画のような高尚で聖なるイメージではなく、どちらかというとSFに出てくるような未来人、あるいは宇宙服を着たようなメカニカルなテイストだ。日本でも「遮光器土偶」として知られる、まるで宇宙飛行士としか思えないような縄文土器が出土している。

 それら遺跡の壁画や出土品の描写は、とても古代人の想像の産物とは思えない。たとえば「眼鏡」や「サングラス」が存在しない時代に、それとそっくりなアイテムを身に付けた土偶を古代人がイマジネーションだけで創作できるだろうか!? 目の前に具体的な存在があって、それを克明にモデリングした、と言った方が明らかに腑に落ちる。


 宮内庁書陵部・陵墓課に所属する若き女性官僚、咲田広美曰く、日本の「神社」もそうした痕跡のひとつだ。エジプトのイシス神殿と同じようにシリウスの方角を向いた神社の本殿と鳥居。さらには、ピラミッドの内部に刻み込まれた聖刻文字とまったく同じ意匠が古い神社の構造物にも見られること。さらにはその模様こそが、神々の故郷であるシリウスそのものを表していたこと。


 広美の淀みない説明は、確かに筋道の通ったものであった。


 だがなにより衝撃的だったのは、日本の国旗である「日の丸」が太陽ではなく、シリウスをモチーフにしていた、という話である。自分たちの国旗にまでその神々の記憶を宿していた民族は、同じような神話を戴く世界各地の諸民族の中でも、皆無であろう。そしてまた、この数千年の間それら神々から託された重要な使命を連綿と引き継ぐ王朝――天皇家――を、どれだけ時の権力者が移り変わろうともそこだけは神聖不可侵アンタッチャブルなものとして愚直に守護していた我々日本人。

 神々の痕跡は確かに世界各地に残っているけれど、これほどまでにそれを大切に守り抜いてきた民族は他にいないと断言できる。


 日本、そして日本人とは、いったい何者なのか――


「――話はまだ終わっていませんよ」


 広美が話を続ける。


「私たちは、――という問題です」


 彼女の問題提起に、叶が目を爛々と輝かせる。


「――さきほど、我々人間はだと言いましたね!?」

「はい……それは、私たち人間の起源に関わる、極めて重要な問題です」

「キメラだとも言った」

「そのとおりです。私たち人間種は、別の種族とのハイブリッド生命体です」

「その、別の種族とは!?」


 叶が勢い込んで広美を問い質す。だが彼女は、そんな叶を穏やかに見つめ返すと、静かな微笑を浮かべた。


「叶さん――その話をする前に、もうひとつだけエジプト神話の話をさせてください」

「は、はい……もちろん」

「イシスとオシリスの間に生まれた『ホルス』についてです」


 女神イシスは、シリウス神である。そしてその夫であるオシリスも、シリウスに極めて深い関わりがあるとされる。二人とも「Sirius」という文字をアナグラムで並べ替えた名前を持つからだ。これはすなわち、二連星――双子星であるところのシリウスを象徴する二柱と考えて差し支えなく、となると、その子供『ホルス』は恐らくシリウス信仰において極めて重要な意味を持つ存在だ。


「ホルスについて、誰か何か知っていますか? 何でも構いません」


 広美が問いかける。だが、エジプト神話に詳しい者はこの中に誰もいなかった。


「――そうですか。では順序立てて説明する必要がありそうですね……」


 士郎が肩をすくめる。日本史なら無敵なのだが、こちら方面はさっぱりだ。


「ホルスは、エジプト神の中で最も古く、最も偉大で、最も多様な神とされています。その姿は、人間の胴体にハヤブサの頭を持ち、手には権力の象徴である『ウアス杖』と生命を司るエジプト十字『アンク』を携えています」

「人間と隼のハイブリッドだ!」


 ゆずりはが嬉しそうだが、恐らく目の前に本当にそんな奴がいたら恐怖で引きつるに違いない。ホルスに限らず、エジプト神にはなぜかこうした半神半獣が多い。冥界を統べるアヌビスも、その頭部は犬もしくはジャッカルだ。


「――さて、そのホルスですが、その目は“エジプト文明の象徴”とされています。いわゆる『ホルスの目』と呼ばれるものです」

「あ! それちょっとだけ聞いたことあるかもなのです」


 亜紀乃が反応する。


「あの、なんか1ドル札に書かれているピラミッドの目のことだったような……」

「それは『プロビデンスの目』と呼ばれるもので、キリスト教の摂理――全知全能の神の目とされます。秘密結社フリーメイソンのシンボルとしても知られていますね」

「そ、そっか」

「ただ、『ホルスの目』は、その『プロビデンスの目』の元になったとされていますので、あながち無関係ではありませんよ? ご安心ください」


 なるほど……もともとエジプト信仰はユダヤ教の元となっている。そのユダヤ教がキリスト教に派生しているわけだから、回り廻って全部繋がっているのか――


「さて、話を元に戻しましょう。『ホルスの目』とは、その名の通りホルス神の目のことを指しますが、中でもその右眼は太陽神『ラー』の目とされ、左眼は月の象徴であり下エジプトの守護女神でもある『ウアジェト』の目とされます。両目に太陽と月の眼を持つホルス自身は『天空神』という位置付けですね」

「――つまり、シリウスを象徴する両親から生まれた子供は天空を統べる、ということなんでしょうか!?」

「そのとおりです石動いするぎさん。ここでいう“天空”とはすなわち地球のことです。太陽と月で下界を見守るわけですからね……つまり、ホルスはシリウス神に代わってこの地上を統べる者であり、古代エジプトのファラオはホルスの下界における仮の姿とされたのです」

「王様はホルスのお忍びの姿ってことですね?」


 未来がちょいちょい話を整理してくれるのは、広美の説明に時々ついていけなくなっている久遠を助けているためだ。「ほぅほぅ」とまぁるい目をして久遠が頷いている。


「そのとおりです神代さん。ホルスは同時に戦いの神であり、その勇猛さで知られています。さらに、死者の王国に辿り着いた亡者を最初に迎える役割を、アヌビスや女神マァトとともに担っていて、死者の心臓と真理の羽毛を天秤にかけるという重要な役目も負っています」

「戦いの神でもあり、死者を裁く立場にもあったのか……」

「――そうですね。エジプト信仰において、死者に関わる神々は極めて重要な存在とされています。さて、ここからですよ叶さん……」

「おぉ――! ぜひ続きを教えてください」

「人間は、何と何のハイブリッドなのか――という質問でしたね」


 一同がゴクリと喉を鳴らす。


「――まず、ホルス神が半神半獣であるというところにご注目ください」

「人間の胴体に隼の頭だったね」

「ところがこのホルス神、当初は人間の要素は一切なく『隼』そのものでした。途中から、半神になった――つまり、獣から神に昇華したのです。完璧な神ではないけれど、その力は全エジプト神の中でも抜きん出ています。私はこの変遷を、人間と神との関係性の変化を象徴したものとみています」

「つまり……人間は最初ケモノだったけど、そのうち神に近付いた、ということかな?」

「だいたいそんなところです。ハッキリ言って、人間はもともと単なる獣だった。そこに神の要素を加えることによって、その偉大な知恵と力を手に入れたのです」

「――まさか……」


 叶が呻く。


「そう、そのまさかですよ叶さん。恐らく人間は、まだ獣とさして変わらない程度の存在の時、神――すなわちシリウス星系人――のDNAを組み込むことによって飛躍的にその能力スペックを高めた存在だったと思われるのです」


 キメラはキメラでも、『神』の遺伝子とのハイブリッドだったということか――


「シリウス星系人たちは、そうやって自分たちの代理人になれるだけの能力を身に付けた人間たちを通じて、この地球を統治した――」

「……しかし……それは言ってしまえば結論ありきの憶測に過ぎないのでは!? たまたま神の存在を匂わせる宗教や文化が発達しただけかもしれない――」

「石動さん。この地球上に人類が誕生したのはいつのことだか知っていますか?」

「……えと……数十万年前……?」

「700万年前です。そこからさまざまな人間の種族が生まれ、現在までに分かっているだけで24種の人類種が滅び、そして約30万年前に現生人類が生まれ、現在に至っています」

「そ、そうでしたか……」

「――ところが、その現生人類が農耕を始めたとされるのはたった1万年前です。さらに、ようやく文明と呼べるものが確認できるのは、世界最古とされるメソポタミア地方のシュメール文明です。これが紀元前3,000年頃――つまり、人類が文明化したのは今からたったの5,000年前ということになります。これがどういうことか分かりますか?」

「え……えっと……」

「人類は、699万5,000年もの間、のんびりゆっくり、まさにカタツムリのようにノロノロと進化していたのにも関わらず、直近の5,000年でいきなりジェット推進並の超絶スパートをかけて進化を加速し、核兵器まで開発し、ついには宇宙にまで行けるくらい急激にその知性を高めた、ということになるのです。つまり、その長い人類進化の、最後の0.1パーセントにも満たない瞬きのような瞬間で、突然超人のように賢くなったわけです。その間、特に脳容量が劇的に増えた形跡もないのに……」

「――それはあまりに不自然だ……」

「しかも、そのシュメール都市文明は、完全に完成された文明として突如人類史に出現した。むしろその後に登場するヒッタイトやアッシリアなどの遺跡の方が見劣りするくらいです」

「そんなに急に天才になったら超ラッキーだよね! ある日突然ビビビッて来たのかな!?」


 楪が無邪気に羨ましがる。だが、彼女の表現は実は核心を衝いていたのだ。


「西野さん、まさにそのビビビッて来た瞬間こそが、シリウス星系人――すなわち『神』――が人類に遺伝子操作を行った時だと思われるのです」

「そして――さまざまな道具や知識を授かった……ということですか……?」


 士郎も呻くしかない。信じられないが、そのように人類進化の矛盾点を指摘されると、広美の説に同調せざるを得ないのだ。


「物事は常にシンプルな考え方の方が正しいものだ……その原則に当て嵌めると、これまで謎とされていた人類進化の異常加速は、彼女の言うように何らかの外的要因が人類に加わったと考えた方が無理がない」


 叶がしみじみと語る。


「――これを裏付ける物的証拠が実はあるんです」


 広美が自信満々で話を継いだ。


「――ほぅ」

「私たちの、DNAですよ」

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