第225話 スファラディム

 樋口たち第605偵察分隊の面々が『瑞鶴』を発ったのは、その日の日没後である。

 瑞鶴空母打撃群が展開する海域から東は、完全に日本が制海権・制空権を握っているから、心配する必要もなかったのだが、それでも今はどんな想定外の妨害があるか分からないからという理由で、少しでも敵の目を誤魔化すため、夜陰に紛れて移動することになったのだ。

 横須賀までの所要時間はおよそ3時間。樋口は、少しでもその間眠ることにする。瞼を閉じると、今日の昼間、格納甲板で避難民たちに囲まれて質問攻めにあっていた時のことが頭に思い浮かぶ。


(……私たちが、ユダヤ人だったとしても……?)

(――うちはユダヤ系なの……)

(……それだけユダヤ人が昔から嫌われていた――)


 ――あんな風に、自分の人種を憚らなけれないならない気持ちとは、いったいどんなものなのだろうか。


 輸送ヘリの貨物室ファーストクラスに向かい合わせに座った隊員たちは、各々電磁推進の穏やかな電磁パルス音を聞きながら、いつしかまどろみの中に沈んでいく。


  ***


 ユダヤ人――

 これほど謎に満ちた人種は人類の歴史上存在しないだろう。特に日本人からすると、なぜこれほどユダヤ人が世界中の人々から蛇蝎の如く嫌われているのか、まったく理解できない。

 その割に、世界資本を牛耳るのはユダヤ人であるとか、アメリカはユダヤ人の代弁者であるとか、ノーベル賞を取るのは常にユダヤ人であるとか、そういった「エリート層・知識階級」であるという印象すらあって、もう何が何だか分からない。嫌われているのにエリート層――すなわち「お金持ち」で「成功者」――とはいったいどういうことなのだろう。

 さらに言えば、「日ユ同祖論」などという、日本人とユダヤ人の関係性を強く匂わせるような学説もあるし、そのせいかどうか分からないが、たとえば日露戦争の際、莫大な戦費を調達してくれたのはユダヤ人であるとか、太平洋戦争終結時に、多くの日本人の「戦犯」容疑を国際社会に掛け合って無罪放免としてくれたのはユダヤ人社会であるとか、そんな、日本人からすると「恩人」とも呼べる取り計らいをしてくれたという恩義もあって、なかなかその実像が分からない――したがって、どういう態度で接すればいいのか分からない、という摩訶不思議な人種なのである。


 まぁ、日本人というのは割と鷹揚というか、怒りのボタンはたった二つしかなくて、具体的には「天皇陛下および皇室」そして「食べ物」、この2点について攻撃されない限り、相手を受け入れてしまうというお人好し民族でもあるから、そこを刺激しない限り、たいていどんな民族・国家とも仲良くやっていけるという世界でも稀にみる平和主義者である。

 韓国・朝鮮は、ひとつめにして最大の怒りのボタンを何度も踏み抜いたがゆえに最終的に攻め滅ぼされたし、ふたつめのボタンである捕鯨問題でしつこく嫌がらせを繰り広げていた連中とはどうしてもうまくやっていくことができなかった。

 その点、ユダヤ人はさすがに賢明で、絶対にその2つのボタンに触れようとしなかったから、どんなに世界がユダヤ人を嫌っても、日本人は常に彼らと友情を育んできた。イスラエルと常に先鋭的に対立するアラブ諸国がどんなに彼らをボロクソに言ってもだ。

 日本が凄いのは、そのアラブ諸国とも深い友諠を深めていたことであろうか。イスラエル建国に端を発するパレスチナ問題では、常に日本はアラブの側に立ってきたし、最大にして最高の同盟国アメリカが中東問題でアラブ諸国とどれだけ対立を深めようとも、それが理不尽なことであれば絶対にアメリカに追随せず、平気で中東の原油を買い続けて彼らの経済を支え続けた。

 当然、ユダヤ人に対しても公平で、樋口李一郎中将の例を出すまでもなく、今や世界的にも有名な外交官・杉原千畝氏のように、窮地に陥ったユダヤ人のために、当時の同盟国・ナチスドイツの抗議を一蹴してその保護救済に奔走したりする。


 要するに日本は、他人がどう言おうと常に「自らの判断で」誰と友情を育むか、是々非々で国際社会と向き合ってきたのである。そこに「敵の敵は味方」とか「味方の敵は敵」という単純な思考は存在しない。

 だからこそ、世界は「日本は別」という認識を持つに至ったのである。西側諸国の主要なメンバーであるにも関わらず、東側や第三世界とも上手く関係性を築いている、そんな日本が、いつしか世界の調整役として諸国から頼られるようになったのは、当然といえば当然の成り行きだ。


 そんな公平中立・プレーンな立場である日本は、だからこそユダヤ人問題に疎いのだ。だが、今の危機的状況を打開するためには、彼らのことを深く、正確に理解しておく必要がある。


 なぜなら現状、ユダヤ人とは人類学的な「民族」ではなく、社会的な「属性」だからだ。


 つまり――世界中の主要な国家に彼らは存在する。アメリカにも、ロシアにも、欧州各国にも、そしてもちろん中東諸国にも。そして驚くべきことに、「中国系ユダヤ人」という人たちも存在するという。

 もうこの時点で、日本人の大半はわけが分からなくなっているだろう。歴史上、民族の「入れ替え」や「統合」がほとんどなかった日本列島の住民には、肌感覚ではほとんど理解できない問題だ。

 だが、それさえ理解してしまえば、なぜユダヤ人がこんなに嫌われているのか、そして、それにも関わらずなぜ彼らは世界を牛耳っているのか、が明確に判るはずだ。北京派の謎の攻勢を打ち破るには、世界各国の協力が必要だし、その世界を支配しているのは間違いなくユダヤ人だからだ。

 ではさっそく、「ユダヤ問題」を整理してみよう。


  ***


 ユダヤを語るうえで、絶対に外せないことが二つある。逆に言うと、この二つさえ理解しておけば、大抵のユダヤ問題は理解できる。まずはここからだ。


 ユダヤ理解のひとつ目の鍵は、「ユダヤ人」という名称の定義だ。現在のイスラエルは世界の人々から「ユダヤ国家」だと認識されているが、何をもって彼らを「ユダヤ人」だと言うかといえば、それは彼の国の『帰還法』という法律に定義されている。

 周知のとおり、現「イスラエル国」と呼ばれる国家は、第二次大戦終了後、米英が勝手に定めた定住の地、旧約聖書で「約束の地カナン」と呼ばれていた地中海の東端に面する中東レバント地域――またの名をパレスチナと言う――において、1948年に建国が宣言された非常に若い国家である。これは、数千年の長きに亘って世界中を放浪していたユダヤ人たちの最終帰還地とされ、イスラエル建国を機にこれら流浪の民が祖国に帰還するにあたって定められた『帰還法』という法律において、イスラエル国民になる資格が定義されたのである。

 曰く「ユダヤ教を信奉する者はユダヤ人と定義し、イスラエル国民になる権利を有する」というものだ。つまり、その人が「ユダヤ教信者であれば、例外なくユダヤ人だ」と定義したのである。これが、先述した「ユダヤ人とは人類学的な民族ではなく、社会的な属性」という意味だ。

 これが何を意味するかというと、ひとくくりにユダヤ人と言っても、その中には欧米系の者もいれば、コーカサス系の人々も、アラブ系も、果てはアジア系の者もいる、ということだ。もちろんユダヤ教信者はイスラエルだけに住んでいるわけではなく、アメリカをはじめ世界中で暮らしているから、たとえばアメリカ国籍を持っている人間でも、実は「私はユダヤ人」と言える人々が実に数多く存在しているのだ。ユダヤ人は世界中にいる、というのはそういうことだ。

 では、本来の意味でのユダヤ人とは何者か、といえば、そのオリジナルは実は有色人種だ。そのことを掘り下げる前に、ユダヤ理解のもうひとつの鍵を説明しよう。


 ふたつ目のユダヤ理解のキーワードは「宗教」だ。

 さきほどの『帰還法』で言及されていた「ユダヤ教」――これが彼らユダヤ人たちの信奉する宗教だ。では「ユダヤ教」とは何かといえば、それは「キリスト教」の母体であり「イスラム教」の母体だ。この二つの世界的宗教は、実は元を辿ればどちらもユダヤ教の一分派に過ぎなかったものだ。だから、両方の聖地はどちらも「エルサレム」だ。

 特に旧約聖書は、ざっくり言うとすべて「ユダヤ教」の聖典だ。「神が人間を創った」から始まり「アダムとイブ」の話も、「ソドムとゴモラ」の話も、「ノアの箱舟」の話も、そしてイエス・キリストに関するあらゆるエピソードも、すべて本来はユダヤ教の話なのだ。

 つまり、どういうことかというと、イエス・キリストも聖母マリアも、すべて有色人種であるユダヤ人の話なのである。西洋の宗教画に出てくるこうした聖人たちは、大抵ヨーロッパ系白人の姿をしているが、そもそもそれは真っ赤な嘘である。史実を正確に再現した宗教画を描くならば、こうした人物や偶像は、すべて現代のアラブ人のような顔つきをしていなければならない。


 ということで、再度「ユダヤ人」という人種の話に戻そう。

 旧約聖書の時代にその主人公たちだったのことを、一般的に「スファラディム」と呼ぶ。そのいっぽうで、白人系ユダヤ人のことを「アシュケナジーム」と呼ぶ。現在の「イスラエル国」の国民のおよそ9割は、実はこのアシュケナジーム――すなわち白人だ。

 イスラエルが、その国民の定義として「ユダヤ教信者であればユダヤ人だ」としてイスラエルに帰還する権利を認めているのは、実はこの二種類のユダヤ人が存在していることに由来しているのだ。

 旧約聖書に書かれていた「約束の地」――肥沃な三日月地帯に本来住む権利を有する人々は、歴史的にも民族的にも実は「スファラディ系ユダヤ人」のみなのであり、現在のイスラエル国民の大半を占める「アシュケナジー系ユダヤ人」はそもそもこの地とは歴史上も民俗学上も、何ら関係のない赤の他人なのである。


 中東問題の根本原因のひとつは、まずはここにある。

 そもそも1948年になっていきなり建国され、多くのイスラエル人が入植したここレバントの地は、当たり前だが無人ではなかったからだ。当然ながらそこには数千年に亘ってアラブの人々が住んでいたのであり、イスラエル――とその背後の後ろ盾となった米英――はそれらの人々を無理やり追い出して「歴史的には元々自分たちの土地だ」と開き直ってそこに住み始めてしまったのである。今に続くパレスチナ問題は、この強引な建国がすべての元凶である。


 当然ながら、これはアラブの側からいえば一方的な侵略なのであり、第一次中東戦争は、イスラエルの建国を認めないアラブ諸国の、いわば防衛戦争だったのだ。


 さて、ではなぜユダヤ人には二種類の人種が存在するのか。

 スファラディムの存在は明快だ。もともと古代イスラエル王国の住民であり、ローマに滅ぼされ、エジプトに奴隷として売られたり、俗に「失われた10支族」として歴史の彼方に行方をくらまし、世界各地を放浪した人々だ。人類学的には現在のアラブ人、特にシリア人とかなり似通っているという。とりわけこの10支族は、世界各地の伝説や伝承にその痕跡を残し、そのうちの1支族「ガド族」は、ついに日本にまで辿り着いたのではないか、という言い伝えがあるのだ。

 これが「日ユ同祖論」の正体だ。日本語や神道のさまざまな部分にヘブライ語やユダヤの痕跡が残っているのはその表れだし、科学的にも遺伝子の中にこれらスファラディムの痕跡が日本人に明確に残っているのはそのためだ。

 そういう意味では、日本とユダヤはやはり大きな繋がりがあるのだ。だが、問題はここからだ。


 では、そもそものユダヤ人たるスファラディムが、現在のイスラエル国でキチンと主役として活躍しているかというと、とんでもない事実が浮かび上がる。冒頭にも説明したが、現イスラエル国民の9割は、アシュケナジーム――すなわち白人種――なのだ。

 有色人種であるスファラディムはいわゆる「二等国民」として虐げられ、明確に差別され、人生においてあらゆる不平等を強いられている。現イスラエルを批難すべきとすればまさにこの部分だろう。

 多くの日本人が「日ユ同祖論」にしばらく懐疑的だったのは、こうした二種類の人種が存在する現イスラエルの特殊事情をほとんどの人が知らなかったからである。どう考えても日本人と白人では、あまりにもその外見が違い過ぎる。


 では、現イスラエル国家の大半を占めるアシュケナジーム――白人系ユダヤ人――とはいったいどんな人々なのか。次に整理すべきはこの問題だ。

 といっても、これがまた極めて困難なのだ。だから、今から述べるのはあくまで確定した事実ではなく、ひとつの仮説だと断ったうえで話を進める。


 現在のアシュケナジームのもともとの出自は「8世紀に国家全体がユダヤ教に改宗したハザール人」だという説である。

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