第184話 彼女の信頼

未来みくッ――!?」


 士郎は、目の前に突然現れたその生き物に、思わず未来の残像を重ねてしまった。それほど雰囲気が似ていたのだ。


「停止ッ――!! 止まれッ!!」


 今まさに突撃体勢に入っていたオメガ小隊は、士郎の突然の停止命令に凄まじい土埃を巻き立てながら緊急停止した。


「ど、どうしたのですッ?」

「わわわわッ!?」

「あぁーーんッ!?」


 オメガたちも、何が何だか分からないといった様子で、急制動を掛けると、慌てて士郎に近寄ってくる。


『士郎? どうしたのだ!?』


 先行していた久遠からも無線連絡が入る。彼女はひとり透明化した状態で敵前線傍に待機していたのだ。自分の方へ猛然と突っ込んでくる仲間たちが途中で急に止まったものだから、どうしていいか分からなくなっている。


「みんな済まない――コイツが……」


 そう言って士郎が指し示したのは、銀色の毛並みに深い藍色の目を湛える大きなオオカミだった。


「……これは……オオカミ……ですわね」


 くるみが訝しみながら観察する。ゆずりはが無邪気に近づいていった。


「わぁー、モフモフでかわいいー」

「き、気を付けたほうがいいのです!」


 亜紀乃が少しだけ引きった顔をしながら楪に注意を促す。そうこうしているうちに久遠が舞い戻ってきた。もちろん透明化したままだ。


「――この子……さっきもいたな。私は特に気にせず通り抜けたが……」


 わいわいと言い合いながら、オメガたちがオオカミを取り囲んだ。ちょうど、ドロイドたちが陣地を構築しつつある日本軍側と、敵部隊との中間くらいの場所だ。森崎から無線連絡が入る。


石動いするぎ中尉、どうしました!? 何か問題発生ですか?』


 当然の質問だ。士郎たちの突撃を陣地でモニターしていたに違いない森崎から見ても、何か異常事態が起きて敵陣への突入を止めたようにしか見えないからだ。


「大尉、すいません……進路上に突然オオカミが現れまして……ちょっといろいろ確認中です。念のため、敵陣に威嚇射撃をお願いできますか?」

『――了解』


 すると間髪入れず、陣地から多数の曳光弾が敵陣に放たれた。弾幕というほどではないが、その代わりに派手な曳光弾は十分牽制になる。驚いたことに、それでも敵陣には動きがなかった。何らかの意図をもって、明らかにこちら側への攻撃を自制しているのだ。


「それで、士郎きゅん。この子がどうかしたの?」


 楪が問いかけながらオオカミに手を伸ばした。すると、慣れた様子でその手に鼻を擦りつけ、フンフンと匂いを嗅ぐようなしぐさを見せる。


「か、かわいいー」

「驚いた……ゆずちゃん、これ多分、野生のオオカミですよ? 怖くないの?」

「大丈夫だよ? ホラ!」


 そう言うと、楪はさらにオオカミへの接触を試みる。その太い首筋をワシワシと撫で、あげく肩に手を回して抱きついてしまった。オオカミも気持ちよさそうに目を瞑っている。


「――ところでみんな、このオオカミは攻撃しないのか!?」


 士郎がオメガたちに問い質す。士郎は確信していたのだ。


「あれ? そういえば……ねぇ?」


 ゆずりはがしゃがみ込んだまま、みんなを見回す。


「あ――ですね。うっかりしていたけど……」

「だな……この子は特に……」

「攻撃対象にはならないのです……」


 オメガたちは、士郎に問い質されて初めてそのことに気付いた。


「やっぱりな――このオオカミ、未来みくに似ているとは思わないか?」


 士郎は見た瞬間、確信していたのだ。この子は未来に何らかの関わりがある。なんというか、未来の雰囲気にものすごく似ているのだ。


「……そういえば……この毛並みは、未来ちゃんの髪の毛の色にそっくり……」

「瞳の色も、未来ちゃんに似ているのです」

「というか……雰囲気自体、似ていると思わないか? このちょっと視線を外し気味のところとか」


 オメガたちが口々に言いだす。ここは戦場だが、不思議な空気が場を支配し始めた。


「俺たちは、未来を探しにここまで来た。そして、この未来そっくりのオオカミと遭遇した……君たちがこの子を襲わないのは、未来と何らかの繋がりがあるからじゃないのか!?」

「なるほど、確かに……それを無視して戦闘に入るわけにいかなかったということですね」


 くるみが相槌を打つ。


「それに……敵部隊のあの態度……なんか変だと思わないか?」

「ですね……なんで撃ってこないんだろう」

「――罠……でしょうか!?」


 その時、オオカミがふわっと立ち上がった。オメガたち、そして士郎にその鼻先を一通り擦りつけると、あろうことか敵陣の方へトコトコと走って行ってしまう。


「あれっ? オオカミさーん、どこ行くの?」


 楪が追いかけようとするが、亜紀乃にはしっと手を掴まれる。


「ゆずちゃん、駄目だよ? 危ない」

「う……うん……」


 一同は、その場でオオカミの後ろ姿を見送る。その美しい灰色の毛並みを持つオオカミは、今度は悠々と敵軍陣地へ入って行った。


  ***


「大校――日本軍が突撃を止めました」

「おぉ! そうか!」


 ヤン子墨ズーモーは、日本軍陣地から突然飛び出してきた数人の兵士たちが、信じられないくらいの機動で猛然と自陣に向かって突撃してくる様を、つい数瞬前まで驚愕の目で見つめていた。正直に言うと、それは「驚愕」というより「恐怖」だった。

 以前より日本軍は、どちらかというと「量より質」という軍隊だ。戦車でも戦闘機でも、そして一人一人の兵士に至るまで、それぞれの「個」のポテンシャルが極めて高い。最近はそれに加えて物量でも押してきて、楊としてはそれにひきかえ自軍の不甲斐なさに思うところがいろいろあるのだが、この連中はその中でもひときわ圧倒的な力を感じずにはいられなかったのだ。


 強兵だ――


 想像通り、目の前の日本軍は精鋭中の精鋭だと思わずにはいられなかった。もしかすると、本当に目の前にいる兵力だけが、このハルビンに突入してきた全軍なのかもしれない。仮に黒河市での日本軍の大規模侵攻自体が、ここハルビン襲撃のための陽動作戦なのだとしたら、この連中の個々の戦闘力は尋常ではないくらい高いに違いない。現に今の突撃は、まるで狼の群れが獲物を目掛けて一斉に襲い掛かるが如くの勢いであった。

 その襲撃者たちが、たった一匹のオオカミに気付いて突然進撃を止めたのだ。

 彼らが決して、血に飢えた単なる獰猛なケダモノではなく、研ぎ澄まされた頭脳で冷静に戦況を観察する知性を兼ね備えた、優秀な兵士であることが窺われた。


 これなら、行けるかもしれない――


 ヤンはあくまで日本軍とは戦わない覚悟である。彼らが並々ならぬ強兵であることが分かった以上、その思いは昂じるばかりだ。


「一斉射撃来ます――」


 ドガガガガッ――!!


 派手な曳光弾が、自陣の最前に襲い掛かった。だが、これは威嚇だ――!!


「撃つなッ!! 引き続き、撃ってはならん!!」


 楊は必死で叫ぶ。猛烈な火箭が目の前に飛び込んできて、楊の部隊の兵士たちは必死で歯を食いしばった。楊は、自軍の兵士たちの辛抱強さにも密かに誇りを抱く。この状況下で、よく我慢してくれている――

 先ほどから戦場には、ヒリヒリとした緊張感が漂っていた。この戦場は、まるで古代ローマとペルシャの戦いのようだ。お互いの兵が、既にそれぞれの表情が読み取れるくらいの距離で先ほどから睨み合い、それぞれ自軍の威容を相手に見せつけ、恐怖で戦場を支配しようとしている。

 こんな戦場は、近代戦以降おそらく世界戦史の中でも類を見ないだろう。第一次世界大戦当時の塹壕戦。第二次大戦のあの滅茶苦茶な陣取り合戦。イラク戦争の際の映像モニター越しの空爆――

 どれをとっても、戦場の兵士たちが剥き出しの感情のまま睨み合い、お互いの敵意をぶつけたまま対峙するという例は存在しなかった。だが、ここでは今、そんな戦場が再現されつつある。


「――今のは威嚇射撃でした。我が方の損害はありません!」


 副官からの報告を聞いて、楊は改めて日本軍指揮官の慧眼けいがんに唸る。

 この短時間で、こちらの異変に気付いてくれたのか!


 楊の部隊は、先ほどから一切の攻撃行動を取っていない。銃や砲を向けることは一切せず、兵士たちも遮蔽物に隠れたりせずに、綺麗に整列させたままだ。もちろんただの一発も、実弾は撃っていない。

 先ほどの日本軍の威嚇射撃は、もちろんちょうど中間地点で立ち止まった突撃部隊の安全を確保するためのものだろう。いっぽう楊の兵士たちは、日本軍が何らかのトラブルに巻き込まれて出鼻を挫かれたのではないかと勘違いして、今こそこちらから打って出るべし、という雰囲気を強烈に出していたが、それでも必死に我慢して待機を続ける。

 あれはそうではないのだ――楊は、自ら兵士たちに教えたい気持ちをグッと押し留める。

 今は――今だけは私の言うとおりにしてくれ……現に連中は、あのオオカミを取り囲んで何やら話し合っているではないか。


 すると、そのオオカミが突然立ち上がったかと思うと、トコトコとこちらに戻ってくるそぶりを見せる。それを見送る日本軍の兵士たち。


「ミーシャ君!」

「――ハッ」


 ミーシャがパッとAPCから飛び降り、ハイイロオオカミ――青藍せいらん――の方へ駆けて行った。ほどなく、青藍とミーシャが合流する。

 青藍はその鼻先を彼に押し付け、クルクルと足許を回って大人しくお座りした。当然、その親しげな様子は日本兵たちにも見えている筈だ。

 ミーシャが、青藍を従えたまま日本軍の方へ向き直った。そのままゆっくりと両手を上げる。その姿勢のまま、ミーシャと日本兵たちがジッと睨み合った。


 すると、なんということだ――!

 日本兵の一人が銃を置き、すっくとその場に立ち上がって、そのままミーシャの方へ歩いて行くではないか!

 周りにいた他の日本兵たち3人も、銃こそ手放さなかったものの決して構えることなく、その銃口は地面に向けたままだった。


 ――あぁ……なんということだ……これは……戦場の奇跡だ……


 今のこの状況は、明らかに一旦戦闘を中止して、話をしに行っているものと思われた。その様子はお互いの陣からも良く見える。楊の兵士たちが、途端にざわついて話をする声が風に乗って微かに聞こえてきた。ちなみに、日本軍の陣地は静かに押し黙ったままだ。恐らく、どんな想定外の状況であろうとも、彼らは一切の動揺を見せずに辛抱強く次の指示を待つ習性が身についているのだろう。こんな調子では、仮に戦ったとしても我々は日本軍に負けただろうな、と楊は少しだけ苦笑する。


 ミーシャとその日本兵は、青藍を間に挟んでしばらく話し込んでいる様子だった。今や両軍は、その不思議な光景にシンと静まり返っている。


 ほどなくして、ミーシャが踵を返し、こちらに戻ってくる様子が目に入った。青藍は、今度は日本軍兵士の足許にちょこんと座ったままだ。


「楊大校――!」


 ミーシャが肩で息をしながら飛び込んできた。


「どうだ! 首尾は!?」


 楊ははやる気持ちを抑え、なるべく平静を装ってミーシャを問い質す。


「はい――基本的なことは理解してもらえました。こちらの指揮官に会いたい、と言っております」

「望むところだ!」


 楊は身体中からアドレナリンが噴き上がるのを感じる。これは――恐らく内戦が始まって外国軍が大陸に介入してきて以来、初の快挙だ。それはつまり――半世紀に及ぶ戦乱の時代にあって、初めての奇跡なのだ!


 楊子墨は、将たる誇りを胸に、日本軍との初めての会談に向かう。


  ***


「大佐殿――」


 その日本軍兵士は、楊の階級章を見てすかさず敬礼した。肘を水平に上げ、右手で鮮やかな礼を切ると同時に踵をカンッ――と打ち鳴らす。陸兵だな、と楊は思った。


「中尉――」


 士郎の敬礼に楊が応える。お互いを見つめ合い、ほぼ同時に礼を戻す。

 続いて士郎が自己紹介を始めた。軍は異なれど、ここでは楊の階級の方が遥か上である。礼儀に則った士郎の振る舞いに、楊は自然と彼に敬意を払う。


「日本国防軍統合任務部隊、オメガ特殊作戦群第一戦闘団所属、石動いするぎ士郎中尉です」

「アジア解放統一人民軍、黒竜江省軍団、楊子墨ヤンズーモー大校です」


 士郎は、楊と名乗ったその老将を、失礼のない範囲で観察する。深く刻み込まれた皺、鋭い眼光。顎には白い髭を蓄え、その声には深い渋みがあった。かなりの年齢だろうと思ったが、実際のところ幾つなのかを聞く勇気はない。だが、恐らく士郎が経験したこともない歴戦の勇士なのだろうということは、黙っていても伝わってくる。


 いっぽう楊は、目の前の若者をしげしげと眺めていた。上背はそう高くもなく低くもなかったが、その引き締まった体躯と、数々の激戦を潜り抜けてきたであろう落ち着いた風貌が、ただ若いだけではない思慮深さと決断力の高さを窺わせた。何といってもその腕は機械で出来ている。恐らく片目も……機械だろうと思われた。まさに戦うマシーン、といった風情だ。何度も死地を彷徨ったことのある、凄みのある戦士の目をしていた。


「さて、大校閣下。我々は、閣下が戦闘を望んでおられないと勝手に解釈しておりますが、いかがでしょうか」

「あぁ、その通りです。よくぞ気付いてくださった」

「……やはり、そうでしたか。で、その意図は? 仮に一方的に我々に降伏を求めるためであれば、慎んでご遠慮申しあげたいのですが……」

「あぁ、いえ……あなた方の方が強い、というのはとっくにお見通しですので……今回は、共闘を持ち掛けたいのです」

「……恐れ入ります……共闘? ですか!?」

「はい――」


 それから楊は、今この本部を守って立て籠っている部隊が、自分たち「華龍ファロン」とは似て非なる「親衛隊」なる組織であること。自分たち華龍は、この施設に捕らえられているはずの元の上官――ヂャン秀英シゥイン将軍をその親衛隊の手から救出したいだけであること。その張将軍を、日本軍が探していると思われる神代未来が守ろうとしていること、などをかいつまんで士郎に説明した。


「――信じられない……ということは、未来はその張将軍という方と一緒にいる、ということなのですか?」

「恐らく、間違いないと思われます。そこのオオカミが――どうやら彼女のペットらしいのですが――我々を先導してくれているらしく……」

「これが……未来のペット……!?」


 士郎は、信じられないとでもいうような目つきで改めてそのオオカミを見つめる。だから「未来に似ている」と思ったのだろうか……

 だが、そのオオカミはただ単に雰囲気が未来に似ている、というだけではないような気がしていた。士郎にはなぜかこの子には、彼女の「意思」というか「感情」が乗り移っているような気がしてならないのだ。だからこそ先ほど「ただごとではない」と感じて、攻撃中止を命令したのだ。


「石動中尉――ここは何とか、一緒に未来さんと我が将軍を救出しませんか!? 我々は既に、親衛隊と戦う覚悟は出来ているのです」


 士郎は、ほんの少しだけ迷った。ALUPAは長年の仇敵だ。その首領を一緒に救出する、という行為は、戦って死んでいった仲間を裏切ることになりはしないだろうか。散華したいろいろな顔が、今さらながら士郎の脳裏に浮かぶ。だが――


「――分かりました。一緒に戦いましょう。その代わり、我々の最優先目標は神代未来の奪還です。もしも将軍がその障害になるのであれば、我々は迷うことなく将軍を切り捨てます」

「それで構いません。とにかく、親衛隊に漁夫の利を得させることだけは防ぎたい」

「では……一時休戦といたしましょう」


 そう言うと二人はガシッと握手を交わした。その様子を遠目で見ていた両軍兵士から、おぉーという感嘆の声が漏れる。


 士郎は、未来が信頼したというその張秀英という男のことを、信じることにしたのだ。拉致連行された彼女が、それでもなお信頼を寄せたということは、それなりに理由と根拠がある筈なのだ――

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