第183話 一触即発
「まったく! 飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことだ!」
チューランは激怒していた。
ライフル小隊の連中が、よりにもよって
生意気な真似を――
最初、作戦本部の
中国の兵隊は、得てして
チューランは、そういう中国兵たちの本質を見抜いていたからこそ、ハルビンに入城してからは張将軍の直轄部隊の兵たちに冷や飯を食わせたのだ。コイツらを信用してはいけない。元々のボスを左遷した自分に、今さら忠誠を尽くすわけがないのだ。
だから、「脱走」の第一報を聞いた時も、特段驚きはなかった。所詮こんな戦場で武器も持たずにウロウロしたところで、生き永らえるとは思えなかった。
だが、連中が武器庫に立ち寄って、その後本部施設の地下まで行ったということになれば話は別だ。これは単なる脱走ではない。元の飼い主を探して叛乱を企てている、ということは明白だった。
「――まぁでも、首輪を付けておいて正解でしたな」
確かに、あの首輪は今まさにその性能を如何なく発揮している。もとよりGPS機能が付いていたから今回の「脱走」も早々に察知できたし、なによりあの装置には「自爆装置」が付いている。敵に寝返ったりした場合の
今自爆させてしまえば張自身も無事では済まないだろう。元々かなり痛めつけているから、致命傷になるかもしれない。そうなれば、
そうなれば――「英雄」になってしまう。
きちんと人民法廷に引きずり出し、罪を認めて大衆の面前で贖罪させ、人民の名において処刑して初めて、我々の威光が天下に示されるのだ。共産党は間違えない――これがこの国の国是だ。
「スフバートル少校。親衛隊の部隊だけではおぼつかないでしょう。例の子供たちも先ほど差し向けました。存分にお使いください」
李軍が、主導権を握っているのはあくまで自分なのだ、という顔つきでチューランに微笑んだ。
***
すっかり日も暮れて暗闇が支配するハルビンの街の中で、ひときわ威容を示しているのが、目の前を流れる松花江の対岸にそびえる
建物自体は中世ヨーロッパの石造りの砦のような外観で、外周をぐるりと取り囲む恐ろしく高い外壁は分厚いコンクリート製だろうか。一部の隙も見当たらない。その分厚い外壁の向こうに、ほんの僅か覗き見えるのが実際の本部施設と思われ、三か所ほどに見張り塔と思しき尖塔様のものが突き立っていた。
目の前の大河は広いところで幅1キロほど。西側の方はやや狭くなっているが、それでも幅500メートルほどはあるだろうか。ただしこちらは一切の出入り通路がなく、その代わりに外壁の至るところに速射砲の砲門のような穴がくり抜かれていて、来る者を寄せ付けない。やはり、この本部施設と南岸を連絡しているのは、中央よりやや東寄りにある、あの大きな橋「松北大道」しかない。
士郎たち第一戦闘団の生き残りおよそ90名は、この「敵の総本山」にどうやって取り付こうか、先ほどからずっと思案して立往生していた。
先ほど士郎たちを襲った子供たち――燃えるような灼眼の瞳を持った子ら――が現れたのは、目の前の「松北大道」だ。ということは、やはり敵はあの砦のような本部施設にまだまだ兵力を温存しているに違いない。であればなおさら、一刻も早く敵の本丸を潰さなければならない、ということだ。
この作戦の成否は、まさに電撃的な進撃スピードにかかっている。もともとこちらは極めて少ない兵力で市街地に強行突入しているのだ。時間が経てば経つほど敵は態勢を立て直し、本部施設内に温存しているであろう兵力と、ハルビンの外に置いているに違いない防衛戦力を、続々と追加投入してくるだろう。
今はまだ辛うじてこちらが優位に立っているとはいえ、グズグズしていると最終的には圧倒的戦力差で力押しに負けてしまいかねない。
やはり、一刻も早く目の前の松花江を渡河して北岸に渡るしかなさそうだった。
だが、その際にはかなりの損耗を覚悟しなければならなかった。やはり敵の本丸ともなると相当
なにより「橋を渡る」という行為は、戦場においては命懸けの決断なのだ。当然、橋脚には相当量の爆薬が仕掛けられているだろうし、仮に橋を爆破されなくても全長1キロにもおよぶ長大な橋を渡っている間は何も遮蔽物がなく、まさに狙い撃ちだ。通常であれば反対岸に大火力を揃えて対岸の敵に集中砲火を浴びせ、牽制しながら渡橋するのがセオリーなのだが、それを担うべき機甲部隊もいない現状では、死地に飛び込むのと同じことだった。
「田渕曹長――やれそうか!?」
「……うーん……今のままだと、渡橋はかなり厳しいでしょうね……橋を落とされたら、最悪全滅するかもしれません……」
田渕は、極めて冷静にありのままを伝える。彼が「難しい」と言ったら、本当に難しいのだ。
「
ドロイド連絡将校の森崎
士郎は、川越しに対岸の
クソッ――!
何とかならないのか――
すると突然、部隊の後方で監視任務に当たっていたドロイドの川嶋澪から連絡が入る。
『オメガリーダー、座標2―1―5に戦闘部隊を認む。敵増援と思われる――』
「りょ、了解だ――すぐに戦線を構築せよ」
やはり出てきたか。この瓦礫の街に、さらに敵部隊が現れたということは、間違いなくハルビン域外からの増援だ。叩いても叩いても、敵はこうやって新手を次々に送り込んでくる。皆口にこそ出さないが、終わりのない戦闘は次第に兵の心身を蝕んでいく。刻々と、時間切れが迫っているということだった。
「どうする士郎? 敵増援がここに辿り着く前に川を渡り始めるか、それとも一旦迎え撃つか――」
副官の久遠が問いかける。だが、選択肢は一つしかなかった。
「――今渡河作戦を始めたら、対岸の敵本部と後ろからくる敵増援部隊から挟み撃ちにされてしまう。ここは迎え撃つしかない」
「了解した――では、そろそろ私の出番だな」
そう言うと久遠はいきなり防爆スーツを脱ぎ始めた。
コードネーム〈デビルフィッシュ〉――蒼流久遠のDNA変異特性は、身体中の色素胞を自在に変化させることによる「光学迷彩」だ。完全に周囲に同化し、あたかも透明人間のように自由に行動することができる。ただし、その場合は服を脱がないと効果を発揮できないから、久遠はそのたびにこうやって全裸になるのだ。
オメガチームの戦闘セオリーは、どんな時もまずこうやって久遠が透明化して敵陣奥深くまで入り込み、偵察を行うことから始まる。それによって敵の陣形や武装をあらかじめ把握しておき、有利な状況で戦闘状態に入るためだ。もちろん、状況に応じて久遠はそのまま敵後方に回り込み、破壊工作などを行うこともある。
いずれにしても、今度はオメガたちの出番、ということだった。「疲労」という概念のないドロイドたちはともかく、田渕曹長や香坂のような生身の兵士たちには、少しでも休息を取ってもらわなければならなかった。
士郎が森崎に向き直る。
「森崎大尉、ドロイドたちでここに簡易陣地を作ってください!」
「分かりました」
続いてオメガの少女たちを見回した。どの顔も、疲れていないと言えば嘘になるが、戦闘意欲は衰えていないようだ。青い瞳がひときわ明るく輝く。
「オメガメンバーに通達――これより、敵増援を殲滅する。ここが
『了解――!!』
***
『前方に日本軍!!』
斥候からの報告が入った。指揮を執る猛将・
『敵兵力は……一個中隊……いえ、二個小隊規模……?』
斥候の報告が続くが、日本軍の意外な少なさに困惑しているようだ。
「他にも身を潜めているかもしれん――引き続き索敵せよ」
『了解――』
あれだけの戦闘の痕跡を見る限り、とても二個小隊規模とは思えなかった。少なくとも大隊規模はいるはずだ。そうでなければ、どれだけ一騎当千の強兵だというのだ。
ミーシャが「
「全体――現在位置で戦線を構築せよ」
さて、ここからが問題だ。
我々は、あくまで張将軍を救出に来た部隊で、日本軍を追撃することが目的ではない。いっぽう彼らは恐らくあの未来とかいう辟邪を奪い返しに来たのであって、我々の基地を殲滅しに来たわけではないだろう。ただ、必要であればそれも辞さない――といったところか。
いずれにせよ、戦わずに済めばそれに越したことはないのだ。だが、こちらに戦う意思がないことをそもそもどうやって伝えるか。これだけの激戦を潜り抜け、それなりに損害も被り、恐らく日本軍は相当苛立っているはずだ。
楊は、遥か前方を
楊はほんの少しだけ期待していたのだ。
あのオオカミは、我々が、張将軍を救出に来たことを察知して、そこへ案内してくれようとしている。それほど頭のいい子なら、ましてやあの日本軍
もしも日本軍の指揮官が優秀ならば、この状況を察して、ここでは矛を収めてくれるかもしれない。
だが、そのためにはまず、こちらに戦う意思がないということを、何としても示さねばならない――
その時、数百メートル前方の斥候が突然、何の前触れもなくくずおれた。
何だ!? 何があった――!?
「おい――何だ!? どうした!」
APCの運転席で、無線員が何度も呼び掛けているが、斥候からの無線はそれっきり途絶えてしまった。恐らく――死んだのだ。
自分が見ていた限り、そこには何も存在しなかったはずだ。
青藍が、戸惑ったようにその場でクルクルと回転運動をしている。時折虚空を見つめては、また別の方角に視線を向ける――
すると、今度は第二列の数人の兵士が突然銃を乱射し始めた。
斥候と本隊の、ちょうど中間地点辺りにいた、斥候のバックアップおよび伝令要員たちだ。だが、その兵士たちもあっという間に斃される。距離が近い分、楊はハッキリとその様を目撃した。彼らは、まるで何もない方角に喚きながら銃を乱射したかと思うと、突如としてその首がグリンと捻じ切られるように折られたのだ。
『――てッ! 敵襲――』
それが伝令員からの最後の言葉だった。
いったいどういうことなのだ!! 相手の姿がまるで見えないじゃないか!!
だが、「敵襲」という言葉に配下の兵士たちが敏感に反応する。全員が一斉に銃を日本軍の陣地の方角へ向けて構えた。
「駄目だッ!! 銃を向けてはならん――!!」
楊が一喝する。その言葉に、大半の兵士が動揺し、困惑した。それはそうだ。楊の考えていることは、末端の兵士には一切伝わっていない。ましてや相手は日本軍で、ここに至るまでに彼らの仕業と思われる無残な友軍の残骸を嫌というほど見てきたのだ。
楊は「無理もない」と思い直し、あらためて自分の考えを将兵たちに通達する。
「全部隊に通達――今、日本軍とは戦わぬ! 全員別命あるまでその場に待機!」
「待機ぃーーッ!」
「待機だァーー! 銃を降ろせぇーーッ!!」
士官たちが、楊の意向を復唱し、次々に伝達する。それでようやく、兵士たちは渋々銃を降ろしていった。
この態度に困惑したのは、今度はこちらの方だ――
***
『士郎? なんだか敵の様子がおかしいんだ』
久遠から連絡が入る。
「おかしいって、どういうことた?」
『敵の斥候に対して実力行使に及んだのだが、向こうが戦闘態勢に入らないんだ』
「気付いてないんじゃないのか?」
『そんなわけないだろう――これ見よがしにやったんだぞ!?』
「やる気がないのか……分かった! こちらも前に出る!」
そう言うと士郎は、くるみと
全身黒ずくめの防爆スーツに、中世ヨーロッパの騎士が付けるような厳めしい装甲を身に纏ったオメガたちと士郎は、まるで戦場を駆ける漆黒の狼のようであった。
士郎は、走りながらこれ見よがしにライフルを構え、敵中央の装甲車両目掛けて威嚇の一発を放つ。
ガキィィィィン――!!
銃弾が装甲車のボディに当たってあらぬ方向へ跳弾していく。だが、敵はそれでも一切銃を構えなかった。本当だ――久遠の言った通り、この敵部隊は何かおかしい。
「みんな――十分気を付けろ! このまま突っ込むぞ!!」
『――了解ッ!!』
そして――黒き狼の群れが、土煙を上げて猛烈な勢いで敵陣に切り込もうとしたまさにその時――
本物の狼が士郎たちの前に突然立ち塞がった。
それは、美しい銀色の毛並みに包まれ、青白く輝く鋭い瞳を持った、神々しいまでのハイイロオオカミであった――
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