第181話 籠城

 未来みく詩雨シーユーが目指したのは、本部拠点地下施設である。

 ここに留置場があるのは公然の秘密だった。普段はボルジギンの秘密警察が、政治犯などを非合法に逮捕勾留する際に使用している。今回「反逆罪」という見え透いた理由をでっち上げられて逮捕されたヂャン将軍が留置されているのも、きっとここに違いなかった。


「――詩雨さんッ! しかし絶対誰かが見張っていると思いますよっ!?」


 本部敷地内を物陰に隠れながら必死で進む集団。未来と詩雨に煽動され、最前線への物資補給を放棄して張将軍の救出に向かうのは、もともとこの本部に配属されていた張将軍直属のライフル小隊の面々だ。

 親衛隊が入城してからは「張将軍の息がかかっている」という理由で冷や飯を喰らい、今や武器も取り上げられて徒手空拳である。それでも「何が大事なのか!?」と未来に諭され、こうやって「反逆罪」覚悟で皆が彼女に付き従っているのだ。


「じゃあまずは武器を接収しましょう! ッ――武器庫に案内して!」

「――こっちです!」


 隊長さん、と呼ばれた小隊最古参の兵がリーダーシップを発揮して詩雨たちを誘導する。

 華龍ファロンの本部拠点施設は、ハルビン市内を東西に流れる大河・松花江の北岸にある。北岸と言っても、松花江自体が蛇行しているから、ここはちょうど人間の胃袋のようなかたちで南岸に食い込むように突き出している。基地の敷地はちょうどその胃袋全体だと思えばいい。面積でいうと幅5キロ、奥行き3キロといったところか。ハルビン市街地全域のおよそ一割は占めるだろう。相当大きな敷地である。基地の更に北側のオフィス街との境には、松花江の支流がまるで水路のように通っているから、さながら全周を天然の濠に囲まれた城のようなものだと考えればいい。

 未来たちは、たった今南岸と連絡する大きな橋「松北大道」を走り抜けて基地敷地内に飛び込んだところだった。

 基地内に飛び込んでみると、やや拍子抜けになるくらい、中は閑散としていた。やはり親衛隊の主力はみな南岸に出払っているのだろうか。緊張しながら基地内に入っていった兵士たちもそれは感じたようで、思わず軽口が出る。


「――あれ? 誰もいないじゃねぇかっ! これなら楽勝――」


 その時、強烈なライトがいきなり小隊に向けられた。


「止まれッ!!」


 その声にビクっとなり、思わず全員が足を止める。親衛隊の、歩哨だった。

 ライトの向こうの暗闇から、誰何すいかの声が聞こえる。


「貴様らの部隊名は何だ!? なぜここにいる!」

「……あ、はい……」


 見つかって、思わずビクっとなった未来だが、先ほどの古参兵が当たり前のように質問に答える。

 そ、そうだ――自分たちはまだ、小隊長を射殺して反逆していることを誰にも知られていないはずなのだ。


「弾薬を取りに来た?――小隊長殿はどうされたのだ!?」

「は、はい……それが、その……」

「――先ほど橋の上で流れ弾に当たって、途中で休まれておりますッ!」


 別の兵がすかさずフォローする。


「――お、おぅ、それはお気の毒に……では、さっさと行け!」

「ありがとうございますッ!」


 少しだけ緊張したが、あっさりと通り抜けることが出来た。この調子なら――!


 武器庫は、敷地の東側、兵営の多数の建物が立ち並ぶ一角にあった。工場の倉庫みたいな造りになっていて、正面の大きなシャッターの脇に、普通サイズの扉がある。歩哨は立っておらず、そのまま扉をバンッと開けて中に飛び込んだ。


「――とにかくありったけ! 好きなだけかき集めて、持てるだけ持っていくんだ!」


 隊長()が、仲間の兵たちに矢継ぎ早に指示を出す。

 武器庫の中にはサブマシンガンにRPG、擲弾筒など、そこそこの品揃えがあった。重機関銃も一門残っていたが、さすがにこれは徒歩だと持ち出しにくい。

 詩雨が叫んだ。


「みんなッ! 行った先で、どうなるか分からない! 最悪立て籠もるくらいのつもりで準備してッ!!」

「おうよ!」


 その間ものの5分も経っていなかっただろうか。未来の印象だと、この人たちはどちらかというとのんびりしたイメージだったのだが、さすがに現役兵士であった。武器を手にすると、途端に顔つきが変わる。みんな手に手に好きな銃を持ち、両肩から袈裟懸けにマシンガンの弾帯を掛ける。適当なバックパックに、手榴弾をこれでもかと詰め込んだ。

 その時――


 バンッ――と武器庫の扉が唐突に開く。思わずヒッと驚いて、慌てて振り返ると、先ほどの親衛隊歩哨がそこに立っていた。やはり、バレたか……!?

 何人かが背中を向いたまま、手元の銃の遊底をスライドさせる。やむを得ん……振り向きざま――


「おい! どうやら次の作戦が始まったようだぞ!? 南岸で、我が軍が押し返してる――早く行ったほうがいい!」


 歩哨は、わざわざ南岸の戦況を伝えてきた。

 ――気付いて……いないのか……!?


「あ、あぁ……そうだな……急いで……戻るか……」


 隊長(仮)が、辛うじて平静を装いながら、歩哨に返事をする。皆に目配せをし、なるべく慌てないよう、アイコンタクトで意思疎通を図りながら、ゆっくりと歩哨の前を通り過ぎて倉庫からそのまま脱出を図る。だが――


「――あれ? お前……」


 歩哨が唐突に声を上げる。目の前を通り抜けようとしていたのは――未来みくだった。

 彼女は、声を出すと途端に女だとバレると分かっていたので、黙って立ち止まり、戦闘帽の鍔で顔を隠しながら少しだけ歩哨の方を向いた。


「……どこかで……見たことが……」


 そう言いながら、未来の肩をグイっと掴む。アッと思ったが、後の祭りだった。掴まれまいと慌てて未来が身体をよじった瞬間、大きめの戦闘帽がクルリと動き、未来の艶やかな銀髪がふぁさっと帽子の下から零れ落ちた。

 それを見た歩哨が固まる。何せ、先日からずっと指名手配中の敵捕虜だったからだ。


「……き、きっさま――」


 弾かれたように手にしたサブマシンガンを構えようとしたその瞬間だった。十人近い兵士たちが一斉に歩哨の死角から飛びかかった。

 馬乗りになり、両手両足を押さえつけ、口元を手で覆ってあっという間に組み伏せる。


「んんー! んんんーっ!!」

「――すまんな兄ちゃん! 今バレるわけにはいかねぇんだ!」


 歩哨はそのまま担ぎ起こされ、上半身を手近にあったロープでぐるぐる巻きにされる。口に猿ぐつわまで噛まされた状態で、ようやく床にゴロンと放り投げられた。


「詩雨さんどうします?」

「……さすがに殺すのは可哀想ね」


 戦闘中の不規則遭遇戦で出合い頭に射殺ならまだしも、この歩哨はただ単に「早く行ってやれ」と呼びに来ただけである。ならば……


「あの……将軍のところまで、連れて行ってもらいませんか?」


 未来が提案した。なるほど――今基地の中を警備しているのは恐らく全員が親衛隊だ。ならば同じ親衛隊兵士を先頭に立てて歩けば、通りやすいはずだ。

 皆が賛意を示し、歩哨が襟首を掴まれて無理やり引っ張り上げられた。


  ***


「――いいか、余計なことを言うんじゃねぇぞ」


 背中から脇腹部分に拳銃を突き付けられたまま、哀れな歩哨がふんふんと激しく頷いた。一行がいるのは、本部建物地下留置場への入口だ。


「――容疑者を移す? そんな指示は聞いていないぞ」


 留置場入口を警備する親衛隊兵士が訝しんだ。

 隣に立つ別の兵士に目配せするが、頭を左右に振り、自分も聞いていないと同意を示す。


「いや、ほら、戦闘がかなり激しくなって、ここもいつまで持つか分からないから、念のための措置だそうだ」


 隊長(仮)が必死で説明する。その後ろから、別の兵士が隊長(仮)の隣に立つ歩哨の背中に銃口をグリグリ押し付けた。歩哨が慌てて口を挟む。


「ほ……本当なんだ……つい先ほどスフバートル少校から命令されて……今は戦闘中だから、確認の連絡がまだこちらに来てないだけだと思う」


 留置場警備の兵士が疑いの眼で歩哨を睨みつけた。


「……うーん……お前が言うなら――」

「だ、だろっ? だったら――」

「だが、奴は国家反逆罪の重罪人だからな……命令書もなしにお前たちに引き渡すのはちょっと……」


 通常こういった手続きは、命令者――たとえば今回のケースで言えば親衛隊隊長のスフバートル少校――の署名入りの命令書を持参し、警備責任者がそれに署名してようやく実行に移される。だが、今回はその命令書が――当たり前だが――存在しない。警備する兵士も困惑するしかないのだ。

 隊長(仮)が口を開く。


「あの、今は戦闘中なんだ……確認が取れないからってグズグズ引き渡しを拒んで、それでここが爆撃かなんかされて容疑者が吹っ飛んだら、あんた責任取れんのか?」

「そ、それは――」

「こうやって、親衛隊のお仲間も命令を保証してんだ――てか、命令書書いてる暇がねぇからこの人も一緒に来てくれたんだぞ!?」


 そう言って歩哨に肩を回し、乱暴にグリグリする。彼に対する無言の威迫だ。引き続き、大人しく演じてくれないと、荒っぽいことになるぞ――


「それは確かにそうだ……」

「――だったら、早いとこ俺たちを中に入れてくれ! あとで少校にどやされても知らねぇぞ」

「ええぃ、仕方がない! このことは記録に残すぞ?」

「あぁ、好きにやってくれ。この非常時に、頭の切れる警備当直が融通を利かせてくれた――ってこっちでもスフバートル少校にお伝えしておくさ」

「そ、そうか? よろしく頼む」


 親衛隊はよほどおべんちゃらを使わないと上に行けないのだろうか。こういう言い方をすると、途端に警備兵たちは協力的になった。

 ガチャン――と鉄格子の扉が開いて、一行を中に促してくれた。


 絶賛叛乱中のライフル小隊の面々は、そのまま地下へ続く階段を数段飛ばしで飛び降りていく。二階ほど下ったところで、留置フロアに辿り着いた。

 詩雨と未来が戦闘帽をかなぐり捨て、はやる気持ちと同じくらいのスピードで鉄格子に挟まれた廊下を突き進む。ここまでくれば、将軍の居場所は明らかだった。フロア一番奥の、廊下の突き当たりにあるもっとも厳重な部屋だ。ここは他の留置スペースと違い、鉄格子ではなく、分厚い鉄板で中が見えない造りになっている。


 まず詩雨がその鉄板の壁に取り付いた。

 ガンガンガンッ―――


 拳で鉄板を何度も叩く。


「兄さんッ! 兄さん、いるんでしょッ!!」


 それとほぼ同時に、兵士たちがその扉を背に扇状に立ちはだかり、元来た入口の方へ銃を向けて警戒する。未来も慌てて兵士たちの作る人壁の内側に入り込んだ。


「――将軍!? ヂャン将軍ッ!! 未来ですッ!!」


 ガンガンッ! ガンガンガンッ!!


 二人の必死の呼びかけに、ようやく中で気配がした。

 ジャラジャラン……鎖……重たい鎖の擦れ合う音だ。


「兄さんッ! いるのねッ!? 兄さんッ!!!」

「将軍ッ! 迎えに来ましたよ! 詩雨さんも一緒ですッ!!」


 すると――


「……詩……雨……ほ、本当……なのか……」


 中から、途切れ途切れの男の声が微かに聞こえてきた。この声は――間違いなくヂャン秀英シゥインのものだ。


「ハッ! 兄さんッ! よかった――生きてるのねッ!? そうよ! 詩雨よッ! 未来に――未来に助けてもらったのッ!! 私……元通りになったのよッ!!」

「――な……なに……っ! あぁ……詩雨……」


 秀英の声が、こころなしか先ほどより力の籠ったものになった。恐らく相当弱っているのだろう。酷い拷問を受けて、どれだけまともな治療をしてもらっているかも分からないし、ましてや長期に亘る拘禁生活だ。普通の人間だったら、そもそも生きていられるかどうか……


「将軍、今から扉を爆破します。少し、離れていてください」


 未来が秀英に告げる。

 ここで自分たちの正体がバレるのは織り込み済みだった。何せ、正式な命令であれば留置部屋のロック解除パスワードも少校から教えらえれているはずなのだ。爆破したら、恐らく表の警備兵が慌てて飛び込んでくるだろう。その場合の無力化はやむを得ない。


 バァァァァン――――!!!


 突如として爆発音が響き渡る。白煙が留置場フロア全体に広がり、一瞬で視界がゼロになった。細かい粉塵が廊下中に飛び散る。

 頑丈な鉄扉が「く」の字にひしゃげ、人一人入れるくらいの隙間が開いた。

 待ちきれない様子でそこに飛び込む詩雨と未来。


「兄さんッ――!!」

「将軍ッ!!」


 その瞬間、二人の目に飛び込んできたのは、まるでボロ切れのように留置部屋の床に横たわる張秀英の姿だった。その服は逮捕された当時のままだが、すっかり黒ずんであちこちが破れ、その下の素肌が剥き出しになっている。よく見ると、黒ずんだその汚れは夥しい血痕が乾いて変色したものだった。

 慌てて駆け寄り、将軍を抱き上げる。


「兄さん! 兄さんしっかりしてッ!!」


 詩雨が号泣しながら秀英を胸元に抱え、必死で呼びかける。

 その顔はすっかり憔悴しきっていて、まるでゾンビのような有様だった。顔面はすっかり変形しており、激しい殴打の跡がくっきりと残る。頬は極限までこけ落ち、額やこめかみ、そして口元には、乾いてバリバリになった血痕がこびりついていた。

 だが、なんといっても痛々しいのはその右眼だった。本来は眼窩の中心にあるべき眼球部分は完全に落ち窪み、その代わり上下の瞼が乱暴に縫い合わされている。鋭かったその目は無残にも抉り出されていた。


「――あぁ……なんて痛ましい……」


 詩雨のちょうど反対側に寄り添っていた未来が、囁くように声を掛ける。


「将軍、話せますか……?」


 抱きかかえられた秀英は、自分を左右から見下ろす詩雨と未来を交互に見つめた。


「……あ……ありがとう……私は……大丈夫……」


 その時だった。

 突然留置部屋の外で激しい銃撃音が聞こえた。


 ダダダダッ――!!

 うがッ……ごがッ……


 サブマシンガンの乱射音の隙間に時折被さるように聞こえる呻き声。恐らく爆発に驚いて飛び込んできた表の警備兵と、ライフル小隊の面々が銃撃戦を展開しているのだろう。硝煙と血の臭いがこちらにも流れ込んできた。


「――詩雨さんッ! 未来ちゃんッ!! マズいぞ――外には親衛隊がうじゃうじゃいるみたいだ!」


 外の警備兵はせいぜい3人だったはずだが、増援が来たのか? もしかしてこちらの反乱行為がバレて、追い込みをかけてきた、ということなのか――!?


「――分かったわ! やむを得ません。このまま籠城します!」

「しかし……」

「幸いここの出入口は一箇所しかありません。相手がどれだけいても、そこの階段だけ死守すれば時間は稼げます! その間に、日本軍が攻めてきたら、うちらどころじゃなくなるでしょう!?」

「――りょ、了解した! お前ら! 俺たちはどうせ投降したって銃殺刑だ――だったら、どうせなら張将軍のために死のうじゃないか!」


 隊長(仮)が兵士たちを鼓舞する。すると「おぉー!」という喚声が巻き起こった。

 こうなったら、男の意地を見せてやろうじゃねぇか――

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