第180話 神の遺伝子

 それまで傍若無人に振る舞っていた灼眼の子たち。こちらが手を出さないのをいいことに、兵士たちに組み付いては斧や長剣を振り回す。中にはサブマシンガンのような銃器を持っている子たちまでいて、兵士たちはなすすべもなく後退を余儀なくされていた。

 それにたまりかねて、士郎がようやく子供たちの無力化を指示した、まさにその瞬間だった。

 撃墜された強襲降下艇の一番機に乗っていたはずのオメガ研究班長・叶少佐と、今回の空挺作戦の戦術指揮官・新見中尉が、大慌てで戦場を駆け抜けてきて士郎たちに合流した。

 その二人が、子供たちへの反撃は少しだけ待てという。


 すると、疑問を浮かべるまでもなく、子供たちに驚くべき変化が起き始めたのである。


 それは、何の前触れもなく、唐突に始まった。

 ハルビン市街地を東西に流れる大河・松花江の南岸に突如として湧いて出てきた子供たちは、数にして300から400は居たであろうか。

 そのうちの何人かの身体が、突然ドロドロに溶け始めたのである。

 それは、正直なところ「溶けた」と表現していいかどうかもあやふやだ。もっと具体的・緻密に言うと、例えばある子供は、突然その頭皮がズルっと頭頂部を滑って、髪を生やしたまま頭皮ごと地面にこぼれ落ちた。

 またある子供は、伸ばした腕がそれぞれの関節部分でまるで蝶番ちょうつがいが外れたかのようにぐにょぐにょになったかと思うと、ボタボタッと指や腕が重力に逆らえずに千切れ落ちていった。

 さらに別の子供は――これは見ていて非常に憐れに思ったが――四つん這いの格好をしていたところ、急に腹が地面に大きく垂れ下がったかと思うとそのままピザのチーズを引き延ばすように表皮がドロンと下に伸びて、そして最後に内臓が丸ごとボテッと地面に落ちたのである。


 だからそれは「溶けた」というよりむしろ「形象崩壊」と表現した方がより正確かもしれない。つまり、子供たちは、自分のその「人間としての形状」を保ち続けることが出来ず、崩壊して崩れ落ちていったのである。


 そしてその現象は、最初数名に、そしてあっという間に十数名に、そしてどんどん他の子どもたちにも波及して、今や多くの灼眼の子らの身に起き始めていた。


 当然ながら、士郎たちは呆気に取られ、そしてそのあまりにも悲惨な姿に同情すら覚える。ほんの数瞬前まで、この子たちが自分たちに襲い掛かってきた張本人だとはとても思えない。


「――ど、どうなってる……!?」


 士郎は思わず疑問を口にする。もちろん、他の隊員たちも驚きの目で辺りをキョロキョロ見回していた。中には、その崩壊現象のあまりにも生々しいグロテスクさに耐えかね、げぇげぇ吐いている者すらいるようだった。


石動いするぎ君……これはどうやら、遺伝子変異に耐えきれず、子供たちの人体組成の分子結合が次々に断ち切られているということみたいだ」


 叶がこの現象を説明し始めた。


「分子結合が……断ち切られる――!?」

「うむ。この子たち、どうやら遺伝子改変手術を受けた形跡があるんだ」

「――目、ですか!?」

「あぁ……それに加えて、異常な筋力、そして歩行形態の変化……」

CRISPRクリスパーCas9キャスナイン手術ですね」

「――問題は、何を遺伝子に組み込まれたかだ」


 叶が、目の前に倒れ込んできた子供を「おっと」と言いながら抱き留める。だが、その抱き留めた肩の関節が今度はボロっと外れて、そのまま地面にバラバラになって崩れ落ちた。

 今や南岸一帯に広がるこの光景は、想像以上にグロテスクだった。何せ崩壊するたびに、生身の人間の身体がまるで屠殺場の解体現場のようにバラバラにぶちまけられていくのだ。辺りには血肉の臭気が漂い、消化器に残っていた汚物のえた臭いすら混じっている。


「少佐はなぜこの現象のことをご存じなんです?」


 士郎は、おののきながら叶を問い質す。


「――いやぁ、実はさっきまで大ピンチだったのだよ」


 そう言うと、叶は「先ほどまで墜落した降下艇のコクピットに立てこもって子供たちの襲撃に耐えていたこと」をかいつまんで話す。


「そしたら急にこの子たちの動きが鈍って、ドロドロに溶けだしたんだ。そりゃあ酷い情景だったよ」

「……完全体じゃなかった、ということでしょうか?」

「――で、よく分からなかったから、取り敢えず簡易検査をしてみたんだ」

未来みくちゃんの検査用にDNA解析セットを積んでいたんです」


 新見が横から補足する。


「そしたらね、とんでもないDNA組み込みが見つかったんだよ」

「とんでもない――?」

「YAP遺伝子だよ」


  ***


 YAP遺伝子――

 それは「神の遺伝子」とも呼ばれる極めて特殊な遺伝子である。何が特殊かと言うと、それが人類の特定の人種からしか検出されないものだからだ。東アジアでは日本人のみ、他の地域ではイスラエルのユダヤ人とチベット人、ベンガル湾に浮かぶアンダマン島、そしてシリア人など一部のアラブ人にしか見られない。

 それがなぜ重要かと言うと、同じ特徴を持つ遺伝子を持つ人々というのは、一言で言うと「祖先が同じ」だからだ。


 世界では、日本人が思っているよりも相当「自分のルーツ探し」が盛んである。

 中世以降ほとんど外国人を受け入れていない日本と違い、欧州各国では長年に亘る移民受け入れによって混血化が相当進んできた。このため、次第にその国の住民の人種的オリジナリティが失われてきている。米国はより深刻だ。元々移民国家だし、黒人奴隷も大量に連れてこられた国だから、多くの人々が「自分は何者か」ということに極めて敏感だ。

 そのためDNA検査を専門とする大企業も昔から多く存在しており、簡単な検査キットに自分の唾液を入れて送ると、膨大なDNAデータベースと照合されて、自分が世界のどの地域の人たちとルーツを同じにするのか、あるいはどの人種と極めて近似性が高いか、などがかなり詳細に判明するのである。そして多くの人々がこうした検査を受けることでさらにそのデータベースは充実し、今や人々は「自分のが何で出来ているのか」を簡単に突き止めることができる。白人のDNA何割、黒人のDNA何割、アジア人のDNA何割、といった具合だ。

 いっぽう、人類学・分子生物学・生命工学の飛躍的な発展によって、世界の全人類のDNAの「型」もほぼすべて解明されている。

 この両者を世界地図にプロットすることで、原始人類の時代から現代人まで、人類がどのようなルートを辿って世界に分布していったのかという「グレートジャーニー」の足跡すら辿ることが今や可能なのだ。


 さて「YAP遺伝子」である。

 これは、一言で言うと「ある種のDNA変異」のことである。具体的に言うと、今から約6万5千年前に東アフリカのとある場所に住んでいた一人の男性の身に起こった突然変異で、これが通常ではあり得ない場所――Y染色体の一部分――に組み込まれてしまったというものだ。その働きは未だに不明で、今のところ「正体不明のDNA」すなわち「ジャンクDNA」とされている。


 さてそのYAP遺伝子が存在する場所「Y染色体」というのは、ヒトの「性別」を決定づける「性染色体」のことだ。男なら「XY」、女なら「XX」という配列になる。つまり「Y染色体」というのは男にしか存在せず、したがってこのYAP遺伝子は男性にしか引き継がれない。


 このように、ヒトのY染色体に存在するそれぞれの特徴を持つ「特定の集団(これを専門用語で「ハプログループ」という)」を系統づけていくことで、ヒトのルーツを系統樹にすることができる。

 人類の祖先(学術上「アダム」と称する)はハプログループ「A」だ。以後アルファベット順にどんどん分岐していって、今やヒトの系統樹は「R」まで存在が確認されている。

 そして最も注目すべき点は、先程の変異特性(=YAP遺伝子)を持つ特定の集団は、「D」と「E」――つまり最も古い人類の祖先に限りなく近い系統にしか存在しないということだ。

 そして、日本人はその中でハプログループ「D」を有している者が全体の5割近くに上っており、すなわちYAP遺伝子を引き継ぐ者が極めて多い。


 いっぽう中国人や半島人はほぼ100パーセント近くがグループ「O」に属しており、これは人類の系統樹で言うと、最後の「R」と実は同じクラスタに属す、最も新しい分岐人種であることが判明している。

 つまり、隣国同士で同じアジア人、風貌も似通っている日本人と中国人および半島人であるが、遺伝上は極めて遠い存在で、人種的にはまったく異なる存在なのである。


 長年、日本人は大陸や半島から渡ってきた、と考えられていたし、事実、古代中国文明も多数受け入れていたから、かつてはそれが正しいと思われていたのだが、それが「作られた歴史」であることが判明したのはこうした遺伝子研究、分子生物学の進化によるところが大きい。人はいくらでも嘘を吐くし、歴史書もいわば「勝者の歴史」にしか過ぎない。当時超大国であった中国の文物は、当然中国の都合のいいように書かれていたと考えるのが今となっては常識だ。

 その点、科学は嘘をつかない。

 明確なエビデンスによって判明したのは、日本人は、中国人や半島人よりも遥か昔に遠くアフリカから中東を経て日本列島にやってきて、そして独自の文明を発展させていた、という事実だ。


 ではなぜ、彼らはわざわざユーラシア大陸を大横断して、はるばる日本にまでやってきたのか。そこには、同じYAP遺伝子を持つユダヤ人たちの歴史が大いに関わっているという。

 古代ユダヤ人は、かつて南北イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされた際、十の支族に分かれて世界各地に散っていったという歴史的事実がある。そのユダヤ人は「YAP遺伝子」を持っていて、現在チベットの山奥やアンダマン島、そして極東の端に位置する日本列島にその同じ遺伝子特徴を持つ人々が多く住んでいる。

 ということは、彼らが世界各地に逃げ延びた先に、その末裔がそこに住み着いた、と考えるのが最も合理的なのだ。

 事実、イスラエルは十支族に関する調査機関である「アミシャーブ」という組織を世界各地に派遣して、自らの祖先の行き先を国家政策として探し求めており、一部のYAP遺伝子を持った少数民族は既にイスラエルへの帰国を果たしている。当然、アミシャーブは日本にも何度か足を運んでいて、我々日本人の祖先が具体的には十支族のうちの「ガド族」であるということまで突き止めているのだ。

 もはやここまで科学的エビデンスが出ている以上、日本人とユダヤ人が同じルーツを持つ人種であることを否定する者は、今ではむしろ少数派になった。


 これが、かつて「日ユ同祖論」と呼ばれて人々の間で密かに語り継がれていた「噂」の正体である。やはり「火のない所に煙は立たない」というべきか。あらためて、こうやってヒトの遺伝子分布で示されてしまうと、日本語とヘブライ語の音の共通性とか、祭りなどの宗教行事での類似性など、いろいろと辻褄が合ってくることも多い。

 もっと突き詰めて言うと、古代縄文人とユダヤ人の末裔のDNAタイプが極度に近似しているという科学的事実もあり、これを根拠に「ユダヤ人のルーツが実は縄文人にある」という説もあるほどだ。であれば、十支族が世界に散っていった際、かつての祖先の地であった日本を目指した、という可能性も出てくるのだという。


 少々話が横道に逸れたが、つまりは「YAP遺伝子」というのは極めて希少性の高いもので、それがこの灼眼の子供たち――もとより日本人ではない――から検出されたということは、どう解釈しても人為的に遺伝子改変によって加えられた、と考えるしかないのだ。


  ***


「――しょ、少佐、YAP遺伝子といえば、日本人特有の……」

「あぁ、それをCRISPR/Cas9によって遺伝子に無理やり組み込んだせいで、この子たちは一言でいえば不具合を起こして形象崩壊したと考えるのが妥当だ」

「でもなぜわざわざそんなことを!?」

「オメガちゃんたちはこの子たちを攻撃しなかったのだろう!?」

「――あっ!!」

「……つまり、そういうことだよ。敵は、我が軍のオメガちゃんたちの圧倒的戦闘力を恐れ、それに対抗できる存在を遺伝子改変によって生み出し、我々にぶつけたのだ」

「――でも、オメガたちは別にYAP遺伝子を持っているからといって攻撃を止めたりしないのではないですか? だって今までだって友軍の日本人兵士を平気で……」

「そこはもう少し検証する必要があるが……少なくとも、YAP遺伝子は日本人全員が持っているわけではないからね。全人口の半数はハプロタイプO型だ。これは、中世以降、大陸からの帰化人が増えていたことにも由来している。そして、オメガの攻撃衝動を抑えられるのは、YAPだけではなく――もっと別の要素が必要なのかもしれない。少なくともその要素のひとつが君のDNA特性に由来することは経験則で判明しているがね」

「――ま、まさか、その第二の要素に……拉致した未来のDNAを使った……?」

「可能性としては大いにあり得ることだ」


 士郎は、つい最近ハルビン付近で観測した「ガンマ線バースト」現象を思い出した。あの現象に、未来が関わっていた可能性は極めて高い。もし仮に、未来が何らか追い詰められてやむを得ずあの現象を引き起こしたのだとしたら……その時無理やりDNAサンプルを採られたのが原因とも考えられなくもない……


「いずれにしても、YAP遺伝子がオメガの攻撃衝動を抑えるひとつの要素である可能性は極めて高いということなんですね!?」

「それは間違いない。石動いするぎ君、少なくとも君のDNAはハプログループD1型だ。それと未来ちゃんのDNAが結合することで、完全にオメガの攻撃衝動が抑えられているのだとすると、同じ未来ちゃんのDNAを媒介にして元のハプロがO型だった人間に無理やりYAPを組み込むという手法は、もしかしたら禁忌だったのかもしれない」

「――食い合わせが悪かった、ということですか?」

「あぁ、俗な言い方をするとそういうことだ。YAP遺伝子は今のところどういう役割を果たすか不明なジャンクDNAという扱いだが……もしかするとこういう、組み合わせては駄目なものを体内に取り込んだ場合、時限爆弾のように分子結合を破壊するのが目的のDNAなのかもしれない」

「そんな……」

「石動君、自然界ではよくあることなのだよ……生物種というものは、残酷なまでに異物の生存を許さないものなんだ――」


 だから「神の遺伝子」などと呼ばれているのかもしれない……士郎はぼんやりとそんなことを思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る