第174話 堅壁清野

 士郎たち第一小隊の面々は、田渕の第二小隊と共に一路ハルビンの中心地に向かっていた。目指すはアジア解放統一人民軍ALUPA本部拠点施設だ。

 結果的に、彼らが空挺降下を果たした地点は、当初予定の本部拠点直上から大きく外れて市街地の外縁部に近い公園付近だった。目標地点までは直線距離にしておよそ3キロ。市街地のため、実際はその倍以上の道のりがあると考えていいだろう。ここはかつて未来みく浩宇ハオユーが人目を避けて内密に会い、情報交換をしていた場所だったが、士郎たちには知る由もない。

 最初、降下地点付近には多数の敵迎撃部隊が押し寄せ、激しい銃撃戦となった。だが、予定通り「突入」を決意した士郎に迷いはなかった。特に第一小隊は、士郎を含め全員が「生身の人間」とは比べ物にならない身体能力を備えている。このため、田渕率いる第二小隊は主に火力支援に回り、士郎たち第一小隊が突破口を開くという役割分担を組むことにしたのである。そしてそれは、今のところ上手くいっているようであった。


「こちらオメガリーダー。敵前線を突破した。第二小隊は前進を開始せよ」

『第二小隊デルタリーダー了解――1ブロック前進する』


 田渕の落ち着いた声がインカムから聞こえてくる。辺りには硝煙の匂いが立ち込め、ほんの数瞬前までの激しい戦闘で巻き上がった粉塵が未だに漂っている。そのせいで視界はやや不良だが、完全被覆鉄帽フルフェイスアーマーの風防の内側には、赤外線と生命反応、そして周囲に3D展開した無数の超小型視覚ドローンから取得再構成した疑似映像からなるマトリックスモニターによって、鮮明な外部映像が映し出されていた。視点切り替えによっては、自分自身を第三者的視点でその映像に表示させることもできるから、分かりやすく言うとFPSゲームの操作画面のような感覚で戦場を自由自在に観ることができる。

 士郎は試しに自分自身の視線位置から外部を観る「リアルビュー」から、自分を含めた部隊全体を俯瞰して観ることのできる「3Dビュー」へ視点を切り替えてみる。するとそこには、ワイヤーフレーム表示されている市街地構造の中に、輪郭が青く光る味方兵士があちこちに布陣している様子が映っていた。

 ちなみに敵味方識別装置IFFに反応しない生命体の輪郭は赤く光るようになっている。つまり、画像の中で赤い輪郭を放っているのは「敵」であることを意味するのだが、次のブロックまではその「赤い輪郭」は表示されていなかった。


「――久遠、どうやらこのブロックの脅威は完全に排除できたようだ。次も行けるか!?」

「もちろんだ! だが、自分が士郎の傍を離れてまで戦闘に参加する必要はないかもしれん」

「あぁ、そうだな……じゃあしばらく一緒にいてくれ」

「了解だ――」


 士郎は、そのあと久遠が「このままずっと一緒でも構わないぞ」と小さな声で呟いているのを聞き流しながら周囲を警戒する。

 士郎の副官という役割を持つ彼女が「自分が戦闘に参加するまでもない」と言ったのは、もちろんその他のオメガたち――水瀬川くるみ、西野ゆずりは、そして久瀬亜紀乃の3人――が、恐るべき戦闘力を発揮して敵迎撃部隊を蹴散らしているからだ。

 敵部隊がどのくらいの戦闘レベルを持つ兵士なのかはまだ分からないが、少なくとも「数の暴力」で押されるほどの練度にはないという感触が得られたところだ。

 通常、彼我が同程度レベルの部隊同士が戦えば、数の多い方が優位に決まっているというのは素人でも分かる理屈だ。だが、敵味方の練度・火力が大きく異なると話は途端に複雑になってくる。当然、練度・火力に勝る方が優位であることに違いはないのだが、仮にそれが劣っている方が「数の力」で攻めてきたらどうなるか。数的優位が圧倒的だと、仮に兵のレベルが低くてもやがて高い練度・火力を有する部隊に打ち勝ってしまうこともあるのだ。これがいわゆる「飽和攻撃」というものだ。日本でも古来より「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」ということわざがあるくらいで、だから戦場の指揮官はいつだって彼我の戦力「数」を気にするものなのだ。強襲降下時点で半数の兵力を失った士郎が、一瞬怯んで弱気になったのもこの理屈が原因だ。

 だから、降下地点の激しい銃撃で身動きできなくなっていた士郎たちは、とにかく持てる火力を総動員して全員が反撃に転じ、周辺の敵掃討に全力を挙げたのである。

 自分たちを取り囲む敵迎撃部隊は、直感的に我方の4、5倍はいるだろうという印象であったし、パワードスーツ兵も相当数展開しているようだった。本来なら敵パワードスーツが出てきたら、こちらも負けじとパワードスーツ部隊を前面に押し立ててガチンコでやり合えばいいのだが、何せ士郎たちは半島でのあの電磁パルスEMP攻撃ですべてのパワードスーツを失っていたから、この状況は極めて危機的であった。普通に考えれば軽装機動歩兵がパワードスーツ兵に勝てるわけがないのだ。

 そこで士郎たちは、最初から全力でオメガたちのその圧倒的な特異能力を発揮していくという戦術を取ったのである。

 そしてそれは予想通り圧倒的で、たかだ70から80名ほどしかいない第一、第二小隊プラスアルファの合同チームは、数百名に及ぶと推定される敵迎撃部隊――しかもパワードスーツ兵を含む――を一瞬にして蹴散らしたのである。それはまさに「鎧袖一触」という言葉が相応しいものであった。


「――それにしても士郎、この街には民間人はいないのか!?」


 隣で久遠が青白く光る瞳をこちらに向けた。彼女は既にオメガ特有の「敵対アグレッサーモード」に入っている。戦闘状態に入ると敵味方の区別なく殺戮して回るという、例の厄介な特性だ。もちろん久遠だけでなく、少し離れたところに展開しているくるみやゆず、亜紀乃の瞳も、既に青白く輝いていた。


「……あぁ、そういえば……そうだな」


 民間人の姿が見えない――というのは、ある意味好都合であった。誰であれ戦場にいる者は容赦なく排除していくオメガたちの特性を考えると、非戦闘員はいないにこしたことはない。

 もちろん、オメガ特戦群の面々はあらかじめ「ワクチン」を打っていて、オメガたちがアグレッサーモードに入ってもキチンと味方識別されるようになっていたが、問題は現地の民間人だった。

 士郎が最初オメガの投入を少しためらったのもその点にある。

 仮に民間人がウロウロしていたら、士郎たちはまず「甲型弾」を彼らに撃ち込まなければならないのだ。甲型弾は、士郎のDNAから抽出した某成分を混入したいわば麻酔弾のようなもので、これを撃ち込まれた人間はオメガに殺されずに済むのだが、そうなると、敵兵を排除しながら非戦闘員には甲型弾を撃ち込んで回る、という極めて煩雑な状況に陥ってしまうのだ。

 つまり、根本的なところで「オメガの使い勝手の悪さ」というのは一向に解決していない。

 そういう意味では、今の今まで意識はしていなかったが、「民間人の姿が見えない」というのは実にありがたい。

 その時、ゆずりはからインカムで連絡が入った。


『士郎きゅん――聞こえるかな?』

「――どうした」

『あのね……今気づいたんだけど、お家の中でいっぱい人が死んでる……』

「え――?」

『どうしよう……でもこれ私たちじゃないよ!?』


 楪の声は、少し震えていた。彼女がこんなに感情を露わにすることは滅多にない。いつも朗らかで、どんなに過酷な戦場でもどっちかというと「空気が読めない」感じで女の子パワーを発揮するタイプなのだ。


『オメガリーダーへ――こちらデルタリーダー』


 今度は第二小隊の田渕の声だった。


『現在第一小隊の現在位置に進出中ですが、途中の民家で多数の遺体を発見』

「なに?」

『民家は全壊しておりますが、瓦礫の下に子供を含む非戦闘員が多数埋まっています』


 どういうことだ――!?

 確かにそこはついさっき戦闘中に通り過ぎたポイントだが、民間人などいなかったぞ――!?

 もし存在が分かっていたら、面倒でも絶対に甲型弾を撃ち込んでいたはずだ。それに、森崎をはじめとしたドロイド兵たちも同行していたのだ。人間を上回る知能を持つ彼女たちが、あらかじめ定めた交戦規則ROEを忘れるわけがない。この戦闘に限らず、オメガ特戦群のROEでは「非戦闘員は殺傷してはいけない」ということになっている。これら「ネガティブ・リスト」は、軍隊におけるいわば憲法みたいなもので、絶対順守が原則。これに反すると、ただちに軍法会議が待っているという厳しい軍規なのだ。

 だから今の田渕の問い合わせも、士郎がそのROEを破って民間人への甲型弾撃ち込みを忘れたんじゃないか、と非難しているのではなく「何が起きているのだ?」というニュアンスであった。


石動いするぎ中尉?』


 ドロイド連絡将校の森崎一葉かずは大尉だった。


「大尉、自分は――」

『いま、有機炭素体化合物のみを周囲一帯で検索掛けました。データを送ります』


 もともと駆逐艦『いかづち』で、宇宙空間の気象状況や空間物質の検出・分析を行う気象長を務めていた森崎は、彼女自身の持つ極めて優秀な解析能力で、戦場全体にある「生物」もしくは「元生物」すなわち「死体」の位置情報を検索したのだ。それはつまり、赤外線や生体反応のセンサーだけでは「生きている者」しか検知できないからだ。

 数瞬後、森崎からのデータが士郎の風防内マトリックスモニターに表示される。士郎はそれを再び3Dビュー視点で確認する。すると――


「なんだこれは……」


 そこには、周囲一帯死体で埋め尽くされている映像が映し出されていた。森崎の操作で、それら「死体」にはオレンジ色の輪郭が浮かび上がるようになっている。

 士郎たちの小隊は、まさに無数のオレンジ色の輪郭の海に浮かんでいるような状態だった。周囲は、死体で埋め尽くされていた。

 他の隊員の風防モニターにも同様の映像が共有されている。


『なに……』

『うわ……』


 兵士たちが、思わず呻き声を上げている様子がインカム越しに伝わってきた。


「し、士郎……民間人は……いなかったのではなく……死んでいた……ということか……!?」


 久遠が、困惑したように士郎に答えを求める。

 士郎は慌てて風防をシュッと開放し、外の様子を直接肉眼で見る。ふと足許を見ると、踏みつけていた瓦礫のさらにその下に、人間の腕があった。ガッと振り返り、二、三歩場所を移動すると、やはり足許の瓦礫の下に黒焦げとなった人間の遺体が埋まっていた。

 森崎が、インカム越しに話しかけてきた。


『石動中尉――データベースによると、これは、中国軍の堅壁清野戦法と思われます』

「……ま、さか……」


 堅壁けんぺき清野せいや――

 古来より中国人が最も得意とした、一種の焦土作戦である。発明したのも中国人で、多くの自国民に犠牲を強いる悪名高い代物だ。したがって中国や朝鮮以外でこの戦法を取る国は、世界ではまず存在しないとされている。


 この戦法の基本概念は、守備側が立てこもる限定的なエリア以外の「外側にあるすべての建物・設備を徹底的に破壊する」ことで、「攻撃側が建物などの都市設備を遮蔽物に利用することを妨げ」、同時に「食糧や燃料など何も接収することができないようにして敵を疲弊させ、持久戦に持ち込む」というものだ。

 これの何が一番問題かと言えば、それは、ある特定地域のみを集中的に防衛するために、対照的に「それ以外のエリアを最初から自軍によって徹底的に破壊し尽くしてしまうこと」である。その破壊には、当然「自国民の虐殺」という常軌を逸した行動もついて回る。

 

 中国人は、20世紀半ばごろに起きた日中戦争でこの戦法を多用している。いや、厳密に言うと、戦争相手であった日本軍が残した記録にその蛮行が多数記されていたことで発覚しただけなのかもしれない。

 たとえば、日本軍が当時の中華民国首都であった南京を攻略、これを陥落させた「南京攻略戦」での記録だ。この時中国軍(国民党軍)はまさに「堅壁清野」作戦を躊躇なく行ったのである。彼らは南京城壁の外、半径16キロの範囲にある「ありとあらゆるもの」をあらかじめ破壊し焼き払った。その対象は軍事施設や食糧庫のみならず、民間人の住宅・田畑などほぼすべてに及んだという。当然ながら、そこに暮らしていた無辜の住民は、日本軍が来る前に既にみな焼け出され、多くが犠牲となっていた。

 また、同じ国民党軍は、今度は日本軍の進撃を食い止めるためと称して世界最大級の大きさを誇る黄河を決壊させ、人工的に大洪水を引き起こして流域の数十万人を死に追いやっている(黄河決壊事件)。

 湖南省では、日本軍が迫っているという流言飛語に惑わされた同じ国民党軍が、長沙市全域に火を放ち、人口50万人の都市をすべて灰燼に帰したという事件もある(長沙大火)。


 朝鮮人も負けてはいない。第二次大戦終結後に行われた「朝鮮戦争」において、韓国軍はとある山間の小さな集落を「共産主義者が潜伏している」との疑いで突如襲撃し、金目の物を住民からすべて巻き上げた後、彼らを谷に突き落としたり一列に並ばせて銃殺したりして、700名以上を虐殺した(山清・咸陽虐殺事件)。

 また別の村落では、地域一帯を焼き払って住民は別の場所に疎開させるといっておきながら、隊列について来れない多数の老人、女性・子供たちを射殺したり渓谷に集めて機関銃で虐殺したりするなどし、やはりここでも700名以上の犠牲者を出した(居昌虐殺事件)。


 今のこの状況は、まさにその「堅壁清野」戦法を行っていたとしか思えないのである。周囲をよく見ると、確かに市街地としては遮蔽物になりそうな建物があまり建っておらず、軒並み瓦礫が広がっているのみであった。

 そういう視点で改めて周辺状況を観察してみる。

 3Dビューの視点をさらに高い位置に持ってくると、大きな川の向こうに目標地点である敵本部拠点があった。その対岸、つまり士郎たちがいる南側一帯は既に滅茶苦茶に破壊され、視界がグッと開けているようだった。それは、裏を返せば「遮蔽物がない」ということだ。この様子は、あらかじめ降下艇のパイロットたちが上空偵察していた時の、ハルビン市街地の映像とは明らかに異なっていた。そして一つ確実なのは、そのように市街地を破壊したのは、士郎たちオメガ特戦群の突入部隊ではない、ということだ。


 なんということだ――

 敵は、街の住民を犠牲にして、本部拠点に立て籠もっているのだ。先ほど斃した迎撃部隊は、あらかじめ配置されていた前衛に過ぎなかったのだ。

 士郎は、自分たちが戦っている相手が、我々日本人のメンタリティとはまったく異なる民族なのだ、ということをあらためて思い知る――

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