第175話 キリングフィールド

 チューランにとっては、すべてが計算ずくの展開だった。機械化大隊がこんなに早く全滅したのは想定外だったが、幸い次の備えは既に整っている。さらに言えば「次の次」の準備すら、もう完了しているのだ。大丈夫、磨り潰してみせる――


「少校殿! 敵はキリングフィールドに入ってきました――予定通りです」

「うむ」


 殺戮地帯キリングフィールド――

 ハルビンの掌握をヂャオ国務委員に任された北京親衛隊少校、チューラン・スフバートルは、ハルビン市街地の防衛・要塞化にあたって、着任早々瞬時にある決断を下していた。

 街全体を俯瞰すればすぐに分かることなのだが、ハルビンという街は、中心に「松花江」という大河が東西に流れている。これが街を南北に分断し、南岸は商業地区として賑やかな商店やデパート、シャングリラホテルなどの高級ホテルが立ち並び、逆に北岸はオフィス街ということで、華龍の本部拠点もその北岸を渡ったすぐのところに位置している。

 ロケーションとしては、一番広いところで川幅1キロ近くある松花江が天然の濠となっているから、仮に南側からのアプローチであれば本部拠点施設には簡単に辿り着けないようになっている。いっぽう北岸は地続きだから突破されやすいと踏んだのだろう……前のあるじであるヂャン将軍は、ここに戦車や装甲車を配置し、トーチカを構築するなどかなり厳重な防衛網を敷いていたようであった。現在ここには親衛隊の機甲部隊が後を引き継いで布陣している。

 だが、チューランが気に食わなかったのは、南岸地帯――すなわち商業地区だ。ここは一見、西側諸国の都市のように大小さまざまな建物が複雑に入り組んで建っており、一言でいえば。おまけに、そのさらに外側は住宅街となっていて、ますます猥雑さが増していた。


 どう考えても、敵が進入してくるとしたら南側ではないか――!

 この街が攻略されるとなれば、敵は南岸一帯の見通しの悪さを利用して、適宜遮蔽物に隠れながら松花江の川岸まで簡単に到達してしまうだろう。

 さらに言えば、都市人口が集中しているのはこの南岸だ。一般市民が多数存在していたら、我が軍も攻撃しづらいではないか。

 1キロの川幅は、敵にも味方にも有利に働くし、不利にも働く。一番簡単なのは、ここに架かる橋「松北大道」を爆破して落としてしまうことなのだが、それだといざという時に部隊を南岸に出して敵を迎撃できなくなってしまう。また万が一北岸から攻めてこられたら退路を断たれる形となり、全滅は免れない。

 逆に敵は「橋」にこだわらず、直接本部拠点に降下してしまえば済む話だし、南岸一帯を制圧されてしまえば、そこから川を飛び越えて簡単に誘導弾や榴弾砲を撃ち込まれるだけだ。さすがに松北大道を使わないことには敵機甲部隊も本部拠点に押し寄せることはできないだろうが、その代わりに航空制圧をかけてくれば同じことだ。

 つまり、現時点で早々に橋を爆破してしまうのは、味方にとってのデメリットの方が大きい。

 ならば――


 ここまで考えて、最終的にチューランは、中国軍伝統の戦法を用いることにしたのである。南岸一帯をあらかじめ焼き払い、建物を潰して敵を丸裸にし、見通しの良くなったところにフラフラ出てきた敵部隊を狙い撃ちにして一掃するのだ。

 チューランはこれを、今朝から実行に移していた。工兵隊を南岸に繰り出し、主要な建物に片っ端から爆薬をつけて回った。敵がいつ攻めてくるか分からなかったので、一刻も早く一帯を爆破して更地にしたかったのだが、副官に「せめて住民が避難する時間を与えてやってください」と懇願され、しょうがないから3時間の猶予を与えたのである。

 そして、予定通り3時間が過ぎたところで爆破命令を出し、南岸商業地帯を一気に更地化したのである。少々避難が間に合わない者も出たようだが、敵を迎え撃つという大義の元では致し方あるまい。これで、万が一敵部隊が中心部に攻め上がってきたとしても、第二段階の準備は完了というわけだ。

 備えあれば憂いなし――

 チューランは、いつでも最悪の事態を想定して準備に余念のない自分のやり方こそが、軍人としてのあるべき姿だと信じて疑わない。


 そして、その潰した南岸一帯を、今回チューランたち親衛隊部隊は「殺戮地帯キリングフィールド」という符牒で呼んでいたのだ。チューランはそれを「敵兵の墓場」という意味に受け取ったが、部下たちがそう呼んだのは決してそういう意味からではない。

 ここには、数万人に及ぶ逃げ遅れた民間人が埋まっているのだ――


「少校殿! 敵侵攻部隊の映像が入ってきました!」


 副官が手元の機器を操作すると、チューランの目の前にホログラフィックディスプレイがブンッと浮かび上がる。そこには、百名ちかい敵兵がバラバラと前進してくる様子が映し出されていた。


「――これは……先ほどとほとんど数が変わっていないではないか!?」

「は……はぁ……報告の通り、敵降下地点に向かった我が機械化大隊はその……壊滅しており……」

「そんなことは分かっているッ! 刺し違えたわけではないのか!?」


 チューランは、今の今まで「壊滅した部隊は敵の数を暫時削りながら力尽きた」と勝手に思い込んでいた。だって、迎撃部隊は痩せても枯れても「パワードスーツ部隊」なのだ。降下してきた敵兵の中にパワードスーツ兵はいなかった。だったら、相当数の敵歩兵を斃していてもおかしくはない。所詮、生身の人間は強化外骨格を装備した兵に勝てるわけがないのだ。むしろ、一方的なワンサイドゲームで敵降下部隊を殲滅できるとさえ思っていたのだ。

 だが、迎撃に向かった大隊が壊滅したとの一報を受けた時「敵ながらあっぱれ……さすが空挺降下して来るくらいの部隊だから精鋭だったんだろう」と考えたのだ。

 それが、ワンサイドゲームで徹底的に叩かれていたのはこちらだったとは――!? 

 いったい敵は、どれだけの重火器を持っているというのだ!


「しょ、少校殿……?」


 憤怒に打ち震えているチューランの姿を見て、副官が恐る恐る声を掛ける。


「ええい! こざかしい奴らだ――予定通り、ここで完全に奴らを殲滅しろ! ここが決戦場なのだ!」

「はッ!」


 チューランの位置からは、キリングフィールドに既に展開中の親衛隊ライフル大隊が、松花江を背にして敵の小規模部隊を迎え撃つ態勢に入っている様子が手に取るように見えていた。

 その時、松花江にかかる橋「松北大道」を南岸に向けて驀進している重戦車中隊が目に入った。張将軍が置いていった留守番役の機甲部隊だ。北岸要塞から引っぺがしてしばらく基地内の塹壕掘りを命じていたが、ここにきて、敵部隊の矢面に立つよう先ほど命じていたのだ。「祖国への忠誠を示せ」と焚きつけたら、一も二もなく恭順した。所詮裏切り者の息がかかった捨て駒なのだが、奴らだって上手く敵を撃退すれば栄誉が得られるし、最悪撃破されて全滅したとしても惜しくない。実際、まるで野生の猪を思わせる彼らの突進は、やがて敵部隊を完膚なきまでに蹴散らすであろう。そうすれば、穴掘りはこれで免除してやる。俺だって鬼じゃない。


「ここがお前らの墓場だ――攻撃開始!」


 部下たちは、チューランがいったい誰に向けてその言葉を放ったのか、今一つ理解できないまま迎撃作戦を開始した。


  ***


 士郎は、降下地点から2ブロック先に進出すると、その見晴らしのよさに戸惑った。

 ここは、商業地区ではなかったのか――!?

 だが目の前に延々と広がるのは、ひたすら瓦礫の山だった。そんな中でも、うず高く多数の瓦礫が盛り上がっているところは、そこそこ大きな建物が建っていたのだろう。一帯は、そんな瓦礫の小山が思っていた以上にあちこち点在しているが、それでもざっと見渡すと、この空間はほとんど吹きさらしのように見晴らしがいい。

 だが何より心を痛めたのは、相変わらずこの辺り一帯もオレンジ色の輪郭――すなわち「死体」――が瓦礫の下に無数に検知されていたことだ。「堅壁清野」戦法によって、おそらく多数の市民が巻き添えを喰らって虐殺されたのだと思われた。


『デルタリーダーよりオメガリーダー。遮蔽物があまりないので、迂闊に川岸まで近づけません』


 田渕から状況報告が上がる。川岸まで近づけば、対岸の敵本部拠点はまさに目と鼻の先だ。ここは一気に通り抜けて、あの大きな橋を渡ってしまいたい。

 ところが、その橋の上には、今まさにこちら側へ渡ってこようとする敵戦車の一団があった。数は――7、8……中隊規模であろうか。

「戦車」と言っても、日本軍でいうところの“多脚戦車”ではなく、二世代ほど古い、昔ながらのいわゆる「戦車」である。それらが無限軌道のキュラキュラという騒音を撒き散らし、猛然と土埃を巻き上げながらこちら側へ轟然と突っ込んでくる。

 いっぽう川べりには多数の敵歩兵部隊が展開しているようだった。彼我の間に遮蔽物がないというのは、敵の姿も良く見えるということだ。彼らは川岸を背にした状態で、次々にこちら側へ向けて重機関銃の台座や迫撃砲を据え付けようとしていた。その数は恐らく500から1,000近くに及ぶだろう。こちらは大隊規模か!?

 このままガチンコでやり合うと、圧倒的な兵力差でこちらが押し込まれてしまうのは明白だった。となると先ほどと同様、オメガたちを前面に押し立てていくのが最も勝算が高まるのだが、彼女たちはさっきから戦いっぱなしだ。この先さらに本部拠点制圧もあるのだ。あまり多用し過ぎて、肝心な時に疲弊してしまっても困る……


「森崎大尉――ここはお願いしてもいいですか!?」

「分かりました。やってみます」


 この言い回しは、彼女特有の奥ゆかしさだと思った。士郎は、少し前に半島でドロイドたちの戦いぶりを目の当たりにしていたから、彼女たちの戦闘力もまた、極めて高いことを知っている。オメガほどではないが、それでも一般兵士などに比べたら格段にそのポテンシャルは高い。人数こそ全部で40ユニットほどしかいないが、総合火力では一個中隊規模を上回るかもしれない。


 すると、森崎の着用している装甲板の胸部にある小さなランプが不規則に点滅しているのが分かった。途端――周囲のドロイド兵たちが一斉に移動を開始する。彼女たちの胸部ランプもジジジジ――と激しく点滅していた。

 もはや、人間の「言語」で会話する必要すらないのであろう。おそらくクラウド上で彼女たちの人工知能が共有化され、一秒間に何万回ものデータ送受信が行われているのだ。

 すると突然士郎の脳に森崎の声が直接語りかけてきた。


石動いするぎ中尉――ネットワークを通じて中尉のデータモジュールを強制的にアクティベーションしました。これで私たちの会話が日本語に自動翻訳され、ドロイド部隊の思考が中尉にも共有化されます』

「あ――ありがとう……ございます……」


 今や彼女たちは、それぞれの人工知能をクラウド上に並列化して一個の巨大な人工知能生命体としてこの空間に存在しているのだ。つまり、森崎や川嶋澪、佐倉ひまりなど個別のドロイド兵は、それぞれ個体にして総体……「一にして全」「全にして個」というわけだ。こうなると、士郎は一歩下がってドロイド兵部隊の戦いを拝見するしかない。切迫した最前線だというのに、不思議な感覚だった。


 すると、森崎の思考がさっそく士郎に飛び込んできた。


『QC-6582からQC6642はコード284で挟撃姿勢――THV弾を使用許可』

『了解――』


 命令を受けたドロイド兵たちは突如として両翼に展開し、中心の森崎をハブにして「U字」隊形に素早く戦線を構築していく。その動きはまさにあっという間で、二、三回瞬きするうちに川岸の敵兵たちを薄く広く取り囲んだ。彼我の距離が一気に100メートルを切る。すかさず森崎から発砲許可――


ッ!』


 ヴゥゥゥゥゥゥゥゥン――――!!!


 ほぼロスタイムなく、全周を包囲したドロイドたちから一斉に濃密な火箭が送り込まれる。その巨大な羽虫を思わせる発砲音は凄まじく、もはや歩兵が持つ軽機関銃の比ではなかった。

 最初、包囲した散兵線の間隔が広すぎるのではないかと感じたが、これだけの大火力を一斉に撒き散らすのであれば納得だ。それは、艦船などに搭載されている近接防御火器システムCIWSのような重厚な火力だった。そのあまりの衝撃に、士郎は思わず歯の根が合わなくなる。

 そうか――THV弾とは確か、扁平フラットノーズな先端に突起が付いた、極めて殺傷力の高い弾薬だ。その破壊力はクラスⅡまでのボディアーマーを完全に無力化する。もはや敵陣地は濃密な硝煙に包まれていて、とてもその中で生存している兵士がいるとは思えなかった。

 それでも森崎は攻撃の手を休めない。直後『ただちに突入――敵残存戦力を殲滅』という彼女の思考が飛び込んできたかと思うと、寸刻も休まずドロイド兵たちが跳躍した。そのまま敵の防御線を超えて轟然と突っ込んでいった彼女たちの手には、いつのまにか日本刀のような長刀身の刃物が突き出されており、僅かに動いていた敵兵の影に襲い掛かる。

 未だに粉塵と硝煙で視界を遮られた状態の中で、まるで影絵のように、恐ろしい襲撃者が憐れな兵士たちを次々に刺し貫いたり首や腕を刎ねたりしている様子が浮かび上がった。


 ここまで僅か十数秒程度であっただろうか。

 ほとんどの敵兵が、おそらく何が起こったかほぼ理解できないうちに、その陣地は完全に沈黙した。ようやく視界が開けてきた時、目の前には、数百名におよぶ敵兵の屍が横たわっていた。そこにほぼ立つドロイド兵たちは皆、硝煙と血飛沫に塗れているが、一切動揺する様子もなく、ただ静かにそこに佇んでいる。状況終了、ということか――


 これほどとは……


 ドロイドだから当たり前なのだが、これだけ一方的に敵を圧倒しても、またその結果として恐るべき殺戮の荒野キリングフィールドが目の前に広がろうとも、彼女たちからは一切「感情」というものが漏れてこない。いくらその外見が見目麗しい乙女であっても、彼女たちはやはり人間とは異なるのだ。

 士郎は、ドロイド兵たちの様子にどこか懐かしい雰囲気を思い出す。そうだ――はじめてオメガたちに出逢った時も、彼女たちはこんな感じだった。


 すると突然――

 目の前のドロイド兵の首が

 えっ――!?


 その直後、遅れて砲撃音が聞こえてくる。先ほど橋を渡ってきた、戦車砲の直撃弾だった。

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