第172話 言い訳

 出撃前、士郎はそれなりに自信を持っていた。

 半島で子供たちの誘拐犯をあと一歩のところで取り逃がし、憔悴して司令部にホットラインを入れた際、群長の四ノ宮は士郎たち先遣隊の判断とそれに伴う結果をそれなりに評価してくれた。

 「見つかったんならしょうがない」と割り切って、当初想定していた「奇襲攻撃」に固執せず、この際「強襲作戦」となっても構わない、と言ってくれた時は、正直ホッとしたものだ。

 そのうえで、「可及的速やかに大陸の友軍前哨基地に辿り着くべし」と指示を受けた士郎たちは、後続の機甲部隊との合流を諦めてまで先を急いだのである。

 中朝国境の白頭山を超えると、吉林省に展開していた陸軍大陸方面軍のトラック大隊が待ち構えてくれていた。


 ところで、東北三省における日本軍の基本原則ドクトリンは、あくまで「地域の治安維持」だ。ただし、これを理解するには現在の中国東北部情勢を正確に認識しておかなければならない。


 もともと一つだった中華人民共和国が、米中戦争をきっかけとして上海派と北京派に分裂し、激しい内戦状態に陥ったのは周知のとおりであるが、その際、北京派が「逃げ込んだ」と言われている東北三省は、完全に「国家として」北京派が統治しているわけではないのだ。

 その構造は、簡単に言うと「二重統治」――すなわち、上海派は中国全土を統治していると言い、北京派は、東北三省は我々が掌握しているという。だから、黒竜江省・遼寧省・吉林省は現在、民主中国の領土であり、中華人民共和国――つまり、北京派だ――の領土でもある。

 ただし、実際のところ民主中国(上海派)がその統治権を行使できていないのも事実である。具体的には、この三つの省では民主中国の警察機構が存在しないし、地方政府も成立していないから、施政権も及ばない。もちろん、かつては上海派もこれら東北三省に統治機構を築いてなんとか治めようとしたのだが、約20年前にアジア解放統一人民軍ALUPAが蜂起して、民衆を巻き込んだいわゆる〈大暴動〉を起こして以来、この地に築かれようとしていた誕生間もない民主中国の政府機関や仕組みは徹底的に破壊され、ありていに言うと「追い出され」てしまった。


 いっぽう、この地域からまんまと民主中国の影響力を排除することに成功した北京派(中華人民共和国)が、その後しっかりと三省を治めることが出来たかと言えば、そうでもない、というのが実情だ。

 国際社会において、ALUPAはあくまで非合法の存在であり、ただの一武装勢力であり、テロリスト集団だ。そんな組織をいわば用心棒にしているだけの北京派は、国際社会において、したがってその統治していると自称する国土はただの「紛争地域」に過ぎないからだ。

 そんな地域の平和維持活動を担うために、「民主中国政府からの要請を受け」「国際社会から公認されて」駐留しているのが日本軍というわけだ。


 だから、日本軍はこの地域に展開していても、表向きは「攻撃的な作戦行動」は一切行えない。あくまで地域住民の安全を確保し、急迫不正の暴力事案に対し警察力を行使し、安定的な民生を確保する、ということだけが、果たすべき役割とされているのである。

 それは、言ってしまえばかつての「国連平和維持活動PKO」のようなものだ。

 だから、敵基地を先制攻撃するような兵力は持っていないし、ましてや戦略的攻撃部隊などは(表向き)派遣されていない。

 かつて士郎が士官学校を卒業して初めて大陸派遣軍に配属された時も、彼はあくまで第一師団に所属するパトロール小隊として集落を巡回していただけなのだ。

 武装集団と交戦状態に陥ったのも偶然だし、ましてや攻撃されたからといって報復のために敵基地を叩く、といったような展開にもならないのが原則だ。もちろん、地域の安定を脅かすALUPAとの小競り合いや小規模な衝突はたびたび起こっていたが、じゃあ彼らを徹底的に追い詰め、殲滅するかといえば、そこは複雑な国際政治の中でずっと棚上げにされてきた問題であり、一方面軍の判断でどうにかできる次元でもない。それには極めて高度な政治判断が必要とされ、結果的に現場では膠着状態が続いていた。下手に行動を起こすと、今度は日本が「侵略的野心がある」と国際社会から非難される恐れさえあったのだ。

 その点を踏まえると、オメガ実験小隊が大陸で戦闘実験を繰り返していたのも、実は国際合意の下では限りなくグレーな活動であったことが理解できるだろう。その作戦行動が第一級の軍事機密として最初から最後まで秘匿を貫いていたのも、「オメガ」という存在自体が軍機であったことに加え、そういった事情があったわけだ。


 いっぽうオメガ特殊作戦群という部隊は、極めて攻撃的、戦略的な存在だ。この部隊はどう控えめに言っても「治安維持部隊」ではない。地域に駐屯し、ひたすら地域の安定維持を図る、というのが大陸派遣軍の役割なら、オメガ特戦群は敵基地を叩き、敵を殲滅するのが主目的の打撃部隊だ。

 士郎たちが「陸路で」「秘匿状態で」中国入境を図ったのは、敵に気取られないようにする、という理由もさることながら、彼らのような打撃部隊が表立ってこの地域に入る合理的説明が国際社会に対し出来なかったためでもある。


 話を元に戻すと、つまり越境してきた士郎たち先遣隊を迎えに来てくれたトラック大隊というのは、あくまで「通常パトロール」、あるいは「単なる物資輸送」を装って彼らを回収に来てくれた、ということなのだ。特戦群の存在――中国入境――が、極めて高度な政治問題に発展する恐れがあることは、方面軍司令部でも十分認識されていた。だからこそ逆に全面協力して、士郎たちの部隊が露見しないよう迎えに行ったのだ。

 まさか一個中隊規模ほどもある部隊が日本海から密かに半島に上陸し、そのまま長駆数百キロを踏破して中国に入境してくるとは誰も思わないから、士郎たち先遣隊をピックアップしたトラック大隊は、そのまま何食わぬ顔で自分たちの前哨基地まで連れてきた、というわけだ。


 さてその前哨基地である。それは黒竜江省ハルビン市から南南東およそ百キロに位置していた。ここには、この数週間をかけて、少しずつ大陸中から掻き集められた多数の強襲降下艇が既に集結していた。その数18機。もちろん、士郎たち空挺部隊をハルビンまで連れて行くためだ。

 長い隠密行軍を経て作戦目標傍の友軍基地にようやく辿り着いた果てに見た18機の強襲降下艇の威容は、士郎たち先遣隊の士気を大いに高めた。

 ましてや、操縦士たちは全員、特殊部隊経験者だという。

 彼らは、士郎たちが前哨基地に辿り着く前に、ハルビン市上空の偵察さえこなしていた。確かに情報部の指摘通り、今まで廃墟だと思い込んでいた市街地は、想像を絶する活況を呈していた。その偵察活動の中で、ALUPA本部拠点の位置をほぼ特定するという、勲章モノの武勲まで上げていたのだ。


 これだけの準備が整う中で、士郎が作戦に自信を深めていったのも無理はない。

 なんといっても自分たちは精鋭揃いだし、オメガだけでなく、ドロイド兵も二個小隊弱同行している。徴兵されたニワカ部隊とは根本的にレベルが違うのだ。確かに多脚戦車がないという事実は、降下した時の周辺制圧に少々不安を残したが、それでもこれだけの兵力であれば何とかなりそうな気がしていた。

 今となっては、この時のささやかな驕りが悔やまれてしょうがないのであるが――


 進発準備完了――という打電を横須賀の司令部に上げて間もなく、CNNは黒河市での日本軍上陸作戦を実況中継し始めた。

 士郎はそのモニター画面を食い入るように見入った。

 CNNが伝える限り、彼らは今や世界中の注目の的だった。何と言っても、その実力行使には「少数民族の解放」という大義名分がいつの間にか与えられていたのである。

 四ノ宮群長がこんな筋書きを用意していたとは知らなかった。これで、日本軍の黒河市進攻は一気に正統性を持つこととなり、「正義の日本軍」対「少数民族を抑圧する北京派」という構図に、世界の主要国は日本の軍事介入への非難を注意深く避けたのだった。


 いよいよ士郎たちの出番だった。

 先遣隊の兵士たちは、例外なく高揚していた。CNNが伝える第二、第三戦闘団の鬼神に勝る激闘ぶりも、彼らの血をたぎらせる一因となった。黒竜江の川岸は、この地に集結していたALUPA主力部隊による猛反撃により、血で染まっていた。士郎たちは最初、上陸部隊の苦戦に本気で心配したが、ほどなく増援された師団規模に近いドロイド兵部隊の再反撃によって形勢が逆転すると、一気に第一戦闘団の雰囲気は戦勝モードに変化したのである。第二、第三戦闘団の詳しい戦術プランを聞かされていたわけではないが、テレビの実況で見る限り、その鮮やかな戦術は身内びいきを差し引いても称賛に価するものであった。


 早く武勲を立てたい――

 そんな思いが、無意識に自分たちの作戦行動を強引なものに変質させていなかったか。引き返すチャンスは何度もあったのに……

 第一に、探照灯の存在を認識した時。

 第二に、街中から古タイヤを燃やす黒煙が上がっていた時。

 いずれも「空中侵入」を敵が十分警戒しているサインだった。この日、敵の耳目が黒河市に集中していたにも関わらず、敵本拠地ハルビンの備えは万全であった。もしかしたら、あらかじめ市街地の空中偵察をしていたことによって、その行動が敵に察知され「もしかしたらハルビンも標的になるかもしれない」という警戒心を呼び起こしてしまっていたのかもしれない。あるいは、こんな時だからこそ、本部拠点も最高度の警戒態勢に入っていたか……

 ただ、それにしても敵本部は物理的に留守番部隊しかいなかったはずなのだ。何せ敵の主力がいないタイミングをわざと狙って襲撃したのだ。いや、もしかしたらそれすらもこちらの傲慢な思い込みだったか――!?

 実際、強襲降下に切り替えてからの敵の猛烈な迎撃行動は、士郎の想定を大きく上回るものだった。各所に配備されていた多数の地対空誘導弾。ドローン・キラー。激しく火を噴く高射砲陣地。あげくに、降下部隊を迎え撃つ強力な地上部隊。


 地上に空中を見上げた時、士郎たちを運んできた強襲降下艇は、何度数えても10機しか飛んでいなかった。つまり、8機は撃墜されたということだ。ということは、単純計算で地上に辿り着いた空挺隊員はせいぜい6割――120名にも満たないはずだ。だが実際は、士郎が乗っていた一番機も、降下直前の高射砲弾の直撃により、ドロイド兵が少なくとも5、6人は吹き飛ばされていた。そういった損失も加味すると、下手すると現状の戦力は100人に満たないかもしれない。

 重火器もない状態で、兵力も半減。もはやこの突入部隊は、組織的な継戦能力すら欠いているのではないか!? このまま強引に市内に突入すれば、下手したら全滅の憂き目に遭うかもしれない。


 どうする――!?


 それを決めるのは他でもない、オメガリーダーたる士郎だった。


  ***


 気が付くと、士郎の周りにオメガの少女たちが集まっていた。

 さらにその後方には、ドロイド兵たち。森崎大尉の姿もあった。川嶋澪の姿も認められる。無事に降下したんだ――!


 そして、少し離れたところに懐かしい人影があった。戦場でこの人の姿を見つけると、百の援軍よりも心強い。


「田渕曹長ぉーーッ!!」


 士郎の声を聞いた田渕は、軽く左手を上げると第四匍匐でこちらににじり寄ってきた。田渕の小隊に配属されたドロイド先任の佐倉ひまりも一緒に匍匐してついてくる。


「中尉! ご無事でしたか!」

「はい、なんとか生きてます」

「なかなか厳しい状況ですな」

「――肯定します」

「どうしますか!?」


 そう言うと田渕は、ニヤリと笑った。


「――――!?」


 曹長が、笑った――

 彼は、士郎が逡巡していることを知っているのだ。相変わらずでしゃばるような素振りは一切見られないが、彼は自分の態度で「次に、どうするべきか!?」士郎に訴えているのだ。

 なんということだ――!

 士郎は、今の今まで「間違い探し」ばかりしていたのだ。「言い訳」ばかり探していたのだ。敵前降下の結果として半数近くの戦力を喪失し、地上に辿り着いて、戦う前に敗れたと勝手に思い込んで、この場から逃げ出そうとしている――


「曹長、現状どう見る!?」

「――おそらく、こちらの戦力は半数以上残っていると思います。強襲作戦の第一段階としては上出来です」


 やはり――!

 曹長は「半数以上残っている」と言った。士郎は、今の今まで「半数近く失った」と考えていた。二人とも同じことを言っているのだが、物事の捉え方はまったく逆だった。

 士郎は、「第一戦闘団の戦力は強襲作戦を実施する場合の最低戦力だ」という作戦部の言葉に縛られていたのだ。だから、戦力を一部削られたことに恐怖した。半島で電磁パルスEMP攻撃を受け、僅かだが兵力を喪ったことに動揺し、そして今、空挺降下でさらに半数近く戦力を喪失したことに恐れを抱いたのだ。

 だが、それはあくまで作戦部が立案した戦術を行使する場合の「計算上の戦力」だ。


 士郎は、すぐ目の前で自分を見つめているオメガたちの瞳をあらためて見つめ返す。そうだ――自分には、彼女たちがついている。オメガたちの圧倒的な戦闘力ポテンシャルを極限まで引き出せるのは、自分しかいない。

 後ろを振り向くと、森崎が黙って頷いた。そうか――彼女の人工知能は、この後自分たちが戦闘を行った場合の勝利確率をとっくに計算しているはずだ。その彼女が頷いている、ということは……


「曹長! ただちに態勢を立て直し、目標へ向けて突入を開始する――必ず未来を奪還するんだ!」

「了解しました!」


 その場にいた全員の顔がパァッと明るくなった。

 そうだ――戦闘は、始まったばかりなのだ。


  ***


 その頃――

 一番機がついに力尽きて、市街地の一角に不時着していた。コクピットは滅茶苦茶で、操縦士は二人とも計器盤に頭を突っ込んでピクリともしない。そのすぐ後ろ、戦術航空士席には、頭から血を流して同じように突っ伏している新見の姿があった。

 その新見の傍に這い寄って肩に手をかけ、激しく揺する男がいた――空挺降下に同行していた、オメガ研究班長・叶元尚技術少佐である。


「……新見クン! 新見クンッ!? しっかりしなさいよ? まだ死んじゃダメですよ? あなたが死んだら、誰がこの戦域を仕切るんですかッ!? 新見クンッ!?」


 すると、機体の外、瓦礫の陰に隠れて、何かの気配があった。それを敏感に察した叶は、突然ゾクッと寒気がしてバッと後ろを振り向く。

 だが、そこには何も見えない。しばらく辺りを窺うと、叶は再び新見に視線を戻して再度その肩を揺り動かす。


「――新見クンっ! 何が欲しい!? 気付け用の薬物ならいっぱい持ってきたよ――」


 だが、そんな叶を物陰からそっと窺う影が、やはりそこには存在していたのだ。

 その真っ赤な瞳が、炎のように揺らめいた――

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