第162話 少年兵

 オークション会場は、施設の奥にある階段教室のような大部屋だった。入口扉に「教化室」と小さなプレートが貼られていたから、かつてはここで政治犯にさまざまな再思想教育を行っていたのであろうか。


 男の話を聞き、士郎は田渕曹長に「オークションの時に仕掛けよう」と提案していた。田渕も賛成だった。必要な情報はあの時点で聞き出してしまったから、あそこで男を斃し、亜紀乃を保護しつつ脱出することも容易たやすかったのだが、子供たちの運命を聞いてしまった以上、ほっとくわけにはいかない。

 いわゆる『石っころ』ランクの子供たちは、行き先別に恐らくどこか複数個所にまとめて集められている可能性が高く、これを解放するのは比較的容易に思えた。

 だが『ダイヤ』ランクの子供たちは、十中八九オークションが終わったらそれぞれ購入者にその場で引き渡され、バラバラに施設を後にするのではないかと思われたのだ。そうなれば、全員を助け出すのは極めて困難になる。

 であればいっそのこと、オークション会場そのものに潜り込み、機を見てこれを叩き、子供たちを纏めて保護すると同時に、品定めに来ていた「客」たちも一網打尽にした方が手っ取り早いと考えたのだ。

 だから士郎たちは、後ろ髪を曳かれる思いで亜紀乃を一旦男に託し、会場に向かったのだ。


 オークション会場は薄暗く、その中には既に大勢の男たちが集まっているようであった。階段教室の中央、部屋の前方の一番低い位置には演台が設けられ、そこだけどぎついスポットライトが当てられて煌々と明るく照らし出されていた。よく見ると、工事用の投光器だ。そのすぐ脇にはオークショニアが立つと思われる演壇。

 それを取り囲むように、机と椅子が何層にも重なって、すり鉢状に上へと広がっていた。士郎たちが見守るのはさらにその奥、階段教室の最上段の立見席だ。ここには、他のたちが所狭しと陣取っており、自分たちが連れてきた獲物がいったいどれくらいで売れるのか、今か今かと待ち構えている。


 すると、会場のざわめきが一瞬ふっと静まり返った。見ると、オークショニアらしい男がわざとらしい蝶ネクタイをして演壇に立っていた。


「みなさぁん――大変お待たせしました」


 期せずして、盛大な拍手が部屋中に巻き起こる。


「今夜のオークションには掘り出し物がありますよぉ!」


 ウオォォォ――という喚声が拍手に覆いかぶさった。どの顔もギラギラしていて、とても嫌な感じだった。暗闇に目を凝らしてみると、私服の民間人らしき者たちに混じって、軍服を着た男が幾人も見える。驚いたことに、その中には北京派の軍服を着た者と、上海軍の軍服を着た者が入り混じって座っていた。此奴らはいったい何なんだ!? 敵同士じゃないのか――!?

 喚声が鎮まるのを待って、オークショニアが再び口を開いた。


「それではさっそく始めて参りましょう! まずは商品番号1番――」


 と同時に階段教室上手の扉が開き、誰かが中央の演台に引きずられてきた。犬の首輪のようなものが首に嵌められて、鎖で繋がれている。頭にズダ袋のようなものをかぶせられているが、それ以外は全裸だった。ようやく第二次性徴が始まったような、少しだけ女性らしさが垣間見える肢体。


「――1週間前に捕獲しました! 自称13歳! 女の子です!」


 ワァァァ――という喚声とともに、頭のズダ袋が乱暴に取っ払われた。

 ショートカットの少女だった。目のくりくりした、可愛らしい顔立ちをしていたが、その瞳からは完全に光が失せ、衆人環視の中、茫然と立ち尽くしたままだった。強烈なライトに照らされて、眩しそうに瞳をしばたかせる。


「それでは参ります――40から!」


 オークショニアが最低価格を提示する。すると、すぐに値が入った。


「60!」

「60いただきました――70でいかがです?」


 その声と同時に、札が上がる。「70で買った」という意味だ。すると、すぐに被せが入った。


「80だ!」

「――80いただきました――さぁ他には!?」

「100!」

「100入りました――110はどう?」

「120!!」


 次々に値が釣り上がる。


「120いただきました! ――さぁいかがですか皆さん!? 120……120――130ないか!? ……では120で落札!」


 ドッと喚声と拍手が巻き起こる。競り落としたのは、でっぷりと太った男だった。下卑た笑顔が少女に注がれる。男が舌なめずりをしているのが目に入った。少女は無反応で、諦めきった顔はピクリとも動かない。すると、首輪の鎖がガシャンと引っ張られ、元来た扉に引きずり戻されていった。


 士郎は呆然とこの光景を見つめていた。いったいこの空間はなんだ!? 21世紀も終わろうとしている現代において、こんな奴隷売買のような地下オークションが人知れず開かれていたなんて――

 さっきのショートカットの子は、このあとあの気色悪い男に引き渡され、恐らく好きなように蹂躙されるのだろう。

 ――だが、そんなことはさせない!

 少なくとも今夜、この場所に連れてこられた子供たちは、絶対に救出する! 士郎は心の中で誓った。


  ***


 それから五、六組は競り落とされただろうか。

 オークションは、思いのほかサクサクと進行していた。


「――では520で落札! おめでとうございます!!」


 また喚声と拍手が会場内に響き渡る。たった今落札されたのは、双子の姉妹だった。他の子たちと同様、二人とも全裸に剥かれている。どちらが姉でどちらが妹なのかさっぱり分からなかったが、片方がもう一人を庇うように立っていた。恐らく前に立ち塞がって後ろの子を庇っている方が姉なのだろう。妹と思しき方は、号泣していた。大抵の子はこの場に出てくる時点で既に心が折れている。だが、この二人は幼いながらもまだ尊厳を保っていた。

 すると突然、姉の方がすぐ傍に立っているオークショニアに掴みかかった。何事か叫びながら、必死で男を叩く。だが、すぐに鎖を握っている首輪係に引きずり倒された。ダンッ――と大きな音がして、姉が演台に這いつくばる。姉の顎の部分が転んだ拍子に床にぶつかってパックリ割れ、そこから見る間に血が滴ってきた。なおも姉は叫び、必死で起き上がって掴みかかろうとする。今度は首輪係の方が引きずられ、少女はオークショニアに再び肉薄した。

 その時だった――


 反対側の下手扉から何かが複数飛び込んできて演台の上に飛び乗ったかと思うと、姉がもんどりうって仰向けに吹き飛ばされた。彼女はようやく大人しくなる。見ると、少年、と思しきごく若い男たちが複数、姉のお腹の上に跨っていた。両手には、旧式のマシンガンが握られていた。

 姉はその台尻で殴り飛ばされていたのだ。今度はそれを目の当たりにした妹が、何事か悲鳴を上げながら姉に覆いかぶさる。

 オークショニアが、下品な愛想笑いを浮かべて客席を見つめ、先ほど落札した客に話しかけた。


「――これはこれは、大変失礼いたしました。お客さまの大切な商品が少々傷ついてしまいましたので、ここは500にディスカウントさせていただきます……何卒ご容赦を」


 すると会場からパチパチとまばらな拍手が聞こえてきた。オークショニアはうやうやしくお辞儀をすると、何事もなかったかのように姿勢を正した。首輪係があらためて双子を引っ立て、奥に下げる。

 いっぽう先ほど飛び出してきた少年兵たちは引き揚げず、そのまま演台の後ろの方に回り込んで控えの位置についた。

 

 厄介なことになった。

 旧式のAK―47カラシニコフを胸の前に抱きかかえた少年兵たちは、どう見ても歳の頃十代前半にしか見えない。なんなら、今夜「競り」の対象になっている少女たちと、ほとんど年齢的に変わらないのではないかと思われた。

 まさかこれが「兵隊に連れていかれた」男の子たち、ということなのだろうか――

 彼らは一様にあどけない顔をしていて、しかし格好だけは一人前を気取って――いっぱしの兵士だとでも言いたげに――少しだけ重心を横にずらした姿勢で斜に構えて立っていた。

 もしも戦闘になったら……俺たちはこんな子供を撃たなくちゃいけないのか――!?


 突然、オークショニアの声が響いた。


「さぁ皆さん! 本日最後の商品――これが今夜の目玉ですっ! ご注目ください!」


 会場がどよめく。いったいどれほどの子が現れるというのか!? ――というか「本日最後」ということは、残るは……!?


「それでは登場してもらいましょう――商品番号8番! 年齢不詳ですが恐らく10歳か11歳頃と思われますッ! とびっきりの美少女ですッ!!!」


 ウオォォォォッ――――!!!

 会場の興奮が最高潮に達した。上手の扉がバンッ――と開かれる。強烈なスポットライトを浴びて出てきたのは予想通り……亜紀乃だった。頭からズダ袋を被されているが、首から下は想定通り全裸。あの華奢な体型は、亜紀乃以外考えられない。

 頭の袋が、またもや乱暴に剥ぎ取られた。

 ふぁさっ――と美しい髪が広がり、まるで人形のような美しい顔立ちが露わになる。伏せられた瞳はまるで慈母のような優しさに満ち、透き通る白い肌はところどころほんのりと薄ピンクに色づいて、すべすべの質感が手に取るようにわかる。それは、あたかも天使が舞い降りたかのような神々しさであった。

 後ろに控えていた少年兵たちも、いつの間にか彼女に目を奪われている。


「1000だッ!!」


 いきなり会場から声が上がった。すると途端に方々から声が上がる。


「――2000!!」

「5000ッ!!!」


 今までとは比べものにならない値段で、秒速で言い値が釣り上がっていく。


「6000出そうッ!!」

「こっちは8000だ――!!」

「おぉっと皆さま!? 少々落ち着いてください――」


 オークショニアが苦笑いしながら会場を制する。


「お客さま――はやる気持ちは分かりますが、この子はちょっとやそっとじゃ出てこない逸品でして……最低価格は1万からでお願いします」


 その途端、会場はどよめきに包まれた。それまで100だ200だのレベルで行われていたオークションが、いきなり1万とは――!?

 さすがは亜紀乃というべきか……などと言ってられなかった。コイツら、好き勝手言いやがって――!

 亜紀乃は1万でも100万でも売らない。そもそも人間に値段をつけるなどと、おこがましいにもほどがあるのだ。それは、他の子たちにとっても同じことだ。


「曹長! 今だッ!!」


 士郎は、隣に立っていた田渕に指示を出した。その瞬間――

 田渕はマントの下に隠し持っていた突撃銃アサルトライフルをバッと取り出し、前方に構えた。

 と同時に、士郎はその機械化された脚部の運動能力をフルに発揮してバンッ――と飛び出す。


 タタンッ! タタンッ――!!


 田渕がオークショニアの眉間と胸部に正確にダブルタップを決めると同時に、士郎はすり鉢状の階段教室を飛び降りてダンッ! と中央の演台に飛び降りた。と同時に、オークショニアが派手な鮮血を撒き散らしながらドゥと演台に倒れ込んでくる。

 残りの隊員も間髪入れず突撃銃を取り出し、会場中に展開した。


「キノッ――!!」

「はいなのですッ!!」


 士郎は着ていたマントをバッ――と彼女に覆い被せ、そのまま抱きかかえるように床に転がって伏せる。途端、方々から隊員たちがオークションの係員たちを銃撃し始めた。あっという間に係員があちこちで吹き飛ばされる。

 士郎の目の前には少年兵たちが棒立ちになっていた。突然のことに、どう対処していいか分からないのだろう。士郎は彼らを殺さない程度に殴りつけ、蹴り飛ばし、演台からあっという間に蹴散らした。

 客席は一気にパニックに陥っていた。あまりに一瞬の出来事で、いったい何が起きているのか、ほとんどの者が理解できていない様子だった。

 ある者は机と椅子の間にうずくまり、またある者は尻だけ残して逆さまに床に突っ伏している。一部の客は流れ弾に当たって情けない悲鳴を上げていた。


 士郎は間髪入れずその機械化腕手で亜紀乃の首に繋がっていた鎖を一瞬にして引き千切った。それを持つ首輪係が驚愕の表情でこちらを見つめる。その際、係が腰に手を伸ばしたのが目に入り、迷うことなく男を射殺した。


 その時、オークション会場の外からも銃の乱射音が重層的に聞こえてきた。外で待ち構えていた小隊の残りが施設に突入してきたのだ。

 ほどなくして、会場の扉向こうからもひときわ大きな射撃音が響き渡る。先ほどまで「競り」にかけられていた子供たちが控えている辺りだ。恐らくは彼女たちを巡って、激しい銃撃戦が繰り広げられているのだろう。やがて――


 会場の上手扉が開き、先ほどの子供たちが毛布にくるまれて部屋におずおずと入ってきた。エスコートしているのはドロイドたちだ。最初に競り落とされたショートカットの子や、先ほどの双子姉妹の姿もあった。子供たちの大半はまだ呆気に取られている様子であったが、双子の姉は明らかに自分が助けられたことを理解していて、その顔をさっきとは別の意味で紅潮させている。


 よかった――

 士郎は、先ほどまでの胸糞悪い感情が一気に晴れていくのを自覚する。その時だった。


「動くな――」


 背後から声がして、ガチャリと遊底がスライドする音がした。ハッとして思わず視線を上げると、こちらを見ている子供たちと目が合った。その怯えた目は、士郎の背後に何らかの脅威が迫っていることを物語っている。

 すると、背中の中心にグリッと何か硬いものが当たる感触があった。――これは……ライフルの銃口!?


「――ゆっくりと……手を上げろ……」


 その声は、妙に幼かった。やはり――


 すると、周囲に展開していた隊員たちが即座に異変に気付き、ガシャガシャッと銃を構え直した。田渕が一喝する。


「貴様こそ銃を下ろせ! 無駄な抵抗をするな!」


 その声に、背中の感触がビクッと動いた。恐らく、士郎の背中にライフルの銃口を押し付けているのは、あの少年兵たちのうちの誰かだ。クソッ――さっき制圧し損ねたか……

 士郎はゆっくりと首をねじって背後を確認しようとするが、対象が小柄過ぎて視界に入らない。ゴクリと唾を呑み込んで、背中越しのままそっと話しかけた。


「――わかった……手を上げるぞ……撃つなよ!?」


 ゆっくりと両手を広げ、少年を刺激しないよう気を付けながら、その手をさらに上に挙げる。


「よ……よし……それではお前たち、全員武器を捨てろ」

「オイ貴様! どっちがピンチなのか、分かっているのか!?」


 そう言うと田渕は、グイっと少年に一歩踏み込んだ。それに合わせて、他の隊員たちもすかさず間合いを詰める。少年の方へ向けて、既に十数丁のライフルが向けられていた。


「うッ――うるさいッ!! 言うこと聞かないならコイツを撃つからな!」


 その時だった。


「えいっ!」


 ポカっと乾いた音がして、少年兵がドサリと床に転がった。瞬間移動の特異能力を持つ亜紀乃が、少年にまったく認識できないほどの超高速度でその背後に移動し、その辺に転がっていた角材で頭を殴りつけたのである。


 少年兵は、完全にのびていた。

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