第152話 エントリー

 津軽海峡を抜けて日本海に入り、真っ直ぐ西方へおよそ430海里(約800キロ)ほど進むと、ちょうどロシアと旧朝鮮との国境付近沖合に近付くことができる。水中速力およそ20ノット(時速約37キロ)ほどの巡航速度で進めばほんの20時間ほどで到達する距離だ。


 だが潜水艦『瑞龍ずいりゅう』は、水中排水量が一万五千トンを超える巨体である。こんな大きな物体がそんなスピードで海中を潜航すれば、いくら静粛性の高い日本の潜水艦と言えどその気泡発生騒音キャビテーションノイズは凄まじく、それは例えるなら鉦や太鼓を打ち鳴らして進むようなものだ。


 今回の場合、警戒すべきはもちろん地上軍しか保有していない「アジア解放統一人民軍」そのものではない。大陸に近付けば近づくほど中国やロシアの漁船がウロウロしている確率は高くなるし、これだけの巨体である以上、民間仕様の緩い魚群探知機にすら感知される恐れだって多分にある。それらの民間船舶が、下手に「潜水艦みたいなものがいるようだ」などと本国に打電したら、一気に関係各国の警戒レベルが上がってしまう。

 それに、そもそも日本海には、規模こそ小さいがロシア海軍もウラジオストクから自由に出入りしているのだ。今のところロシアと日本は特に敵対しているわけではないが、かの国は伝統的に「国境」というものに極めて敏感だ。下手にロシア領海を掠めでもしたら、ややこしいことになるのは必定なのだ。


 そんなわけで『瑞龍』は、とにかく航行速度を抑えて秘匿潜航を最優先とし、かつ偽装航路の構築を図りながら目的地へ進まなければならない。というわけで、直線距離にして正味一日もかからないところを、かれこれ一週間近くかけてようやく今、目標海域付近に近付いてきたところなのであった。


  ***


「だぁー! また負けたぁ!! クソッ――しょうがない、ホレ」


 田渕軍曹、いや、曹長である。見た目は娘のような年頃のドロイド兵に、先ほどから賭け将棋で負け続けである。将棋盤の横に大きめのスチール缶が無造作に置いてあって、その中に千円札が何枚も入っていた。そしてまた一枚、千円札が追加されたところである。


「何度やっても無理だと思いますよ? 人間が人工知能AIに勝てるわけないのです」


 そういって朗らかに田渕を挑発しているのは、向かいに座るドロイド兵――人間名・佐倉ひまりだ。彼女もまた、その見た目はハッとするほど美しいのだが、森崎のような美人タイプというよりは、オメガ少女・西野ゆずりは系とでも言おうか、どちらかというとアイドルのような可愛らしさである。

 意外だったのは、彼女たちドロイド兵の顔がみな違う、という点だ。工業製品らしく、てっきり何パターンかのフェイスフォーマットがあって、同じ顔をしたドロイドもいっぱいいるのかと思ったら、少なくとも今『瑞龍』に乗艦している60ユニットの中にはひとつとして同じ顔が存在しない。それどころか、みな少しずつ体型も異なるのだ。


「いいや、かつてプロ棋士たちは人工知能AIに何度も勝っているんだ。将棋に関しては、まだまだ人間はロボットに負けないんだぞ!?」

「それって何十年も前の話ですよ? 仮にそうだとしても、曹長はプロ棋士ではないのですから無理でーす」

「ぐぬぬ――」


 なんで田渕曹長と佐倉ひまりがこんなにもコミュニケーションを取っているかというと、それは彼女が田渕の小隊に配属されたドロイド兵の中で最先任だからだ。


 士郎が直接指揮するのは、オメガ少女たちを擁する第一小隊。もちろん、この統合軍全体がオメガの戦闘力を最大限発揮するために編制された部隊といっても過言ではないから、そのオメガたちのチームリーダーを務める石動いするぎ士郎はたかが中尉といえど特別な存在だ。

 第一小隊どころか、その親部隊である第一中隊――すなわち第一戦闘団そのものの指揮権を持っていると言ってもいい。

 だが、さすがに最前線で小隊を指揮しながら全体の戦況を見ることなどできないから、もちろん各級指揮官は士郎とは別に存在する。ただし、指揮命令系統としては、オメガチームリーダーである士郎の判断を最優先事項として配慮するよう各指揮官には申し渡されている。それを担保するために、士郎は群長の四ノ宮中佐とのホットラインまで持っているという厚遇ぶりだ。

 もちろん最初は大きな反発があったが、誰もが徐々に「このやり方が一番良い」ということを理解していった。

 結局のところ、オメガはとてつもない戦闘力を発揮する存在であり、それはかの特殊作戦群タケミカヅチをもってしても止められないほどの強大な力で、すなわち国防軍最強戦力だ。そしてそんな彼女たちが完全に信頼を寄せる指揮官は、石動士郎その人だけだったからである。

 お陰で、もともと謙虚だった士郎の性格は、ますます謙虚さに磨きがかかっている。とにかく上官を立てる――何でも相談し、時には人間的な弱みも垣間見せる。究極の縦社会で、階級がすべてのモノを言う軍社会において、士郎の心労は並大抵ではないのである。


 だからこそ唯一我儘を言わせてもらったのは、大陸での初陣以来ずっと寄り添っていてくれた田渕軍曹と香坂伍長の処遇である。

 何より二人には、自分と同じ中隊に配属してもらい、中でも田渕に関しては下士官としては最高位の「曹長」に昇進させたうえで第二小隊の小隊長にしてもらったのだ。

 通常、小隊長といえば下級将校の「少尉」が任じられるものだが、軍の職務権限上は「曹長」が小隊長になっても問題はない。それどころか、そもそも曹長というのは古今東西どこの軍隊でも神様のような存在である。戦場から叩き上げ、将校よりも戦闘を知り尽くし、その上戦闘技能も一級品。加えて人格は高潔にして勇猛というのが曹長というものだ。兵士からの信頼は、むしろ将校よりも厚いのが普通だ。


 というわけで、士郎は自分の小隊の隣に立つ第二小隊に、これ以上ない指揮官を据えることに成功したのである。

 ちなみに香坂は、ようやく二等陸曹となり――これでも曹任官試験を免除してやった――そのまま田渕の小隊に配属してある。引き続き田渕に鍛えてもらうのが目的だし、何といっても手許に置いておきたい信頼の厚い兵士だ。


 そしてドロイド兵たちは、今回第一小隊と第二小隊にそれぞれ30ユニットずつ振り分けられていた。この二つの小隊は「軽装機動歩兵」だから、全体の戦力の底上げが図られたのである。残りの第三、第四小隊は「重装機械化歩兵」――すなわちパワードスーツ部隊であるから、「戦闘力」という点ではそのままやっていけると判断されている。


 どんな規模の部隊であれ、戦闘前は兵士同士のコミュニケーションが重要だ。特に僅か一週間前に初めて顔を合わせた士郎たちとドロイド兵部隊は、そんなわけで『瑞龍』が欺瞞航路を取って時間をかけて目標地点に進出しようとしているこの貴重な数日間を目いっぱい使って、お互いの信頼関係を必死で構築しようとしていたのである。


「随分私たちに慣れてくださいましたね」


 士郎の隣で、同じように貨物区画一帯の光景を眺めていたドロイド兵部隊連絡将校リエゾンの森崎一葉かずは大尉が話しかけてきた。彼女自身も完全人工知能体――すなわちドロイドだ。

 その後ろには数人の美しいドロイド兵が付き従っている。


「あ、はい……兵たちもなんだか楽しそうで何よりです」


 士郎は、一つ上の階級である森崎にずっと敬語で対応している。


「石動さん、あとはあなたが打ち解けてくださればいいのですけど」

「えっ?」


 森崎は、少しだけ悪戯っぽい笑顔で士郎をまっすぐ見つめた。その美しい視線に、相変わらずどきまぎしてしまう。まったく、なんだってこんなに人間以上に人間らしい表情が出来てしまうのだ!?

 森崎の後ろに控えていたドロイド兵の一人、川嶋みおが口を開く。


「中尉はオメガの皆さんに気を遣っているみたいですよ? モテる男はツラいですね」

「そうなの? 大変ね」


 森崎が朗らかに返す。澪は、森崎を除けば第一小隊に配属されたドロイドの最先任だ。つまり、第二小隊におけるひまりと同じポジションということだ。


「私はもっと中尉と親密になるべきだと判断しているのですけど、他のオメガの方々のガードが固くて……」

「私は特に警戒はしていないのです」


 士郎の横にいた久瀬くぜ亜紀乃がきょとんとした顔で澪を見つめる。


「うふふ……キノさんは大丈夫なのですけれど」

「大人になるといろいろ余計なことに気が回るのですよキノさん」


 澪と森崎が可愛らしいペットを見つめるような目で亜紀乃を見下ろした。オメガ最年少、14歳の亜紀乃にはまだまだ分からないことが多いのだ。


 すると突然――五日ぶりくらいだろうか――艦内放送が響き渡った。


『――本艦はまもなく予定海域に到着する。上陸部隊は出陣準備を整えよ。進発予定時刻ETDはこれより十二時間後とする』


 と同時に、艦内は一気に緊張感に包まれた。これから十二時間以内に、準備をする者、整備をする者、休息を取る者、それぞれ自分がやるべきことをやっておくのだ。

 もしかしたらそれは、自らの人生における最後の自由時間かもしれないのだ。


「――では」


 皆が、お互いに目配せする。優しい時間は終わった。これからは、命の遣り取りだ――


  ***


 潜水輸送艦である『瑞龍』が他の攻撃型潜水艦と最も異なるのは、その艦体構造だ。涙滴型の形状をした全体構造のうち、潜望鏡やアンテナ類が縦に収納されている艦橋は、全体を輪切りに四分割したとすると第一区画と第二区画のちょうど境目くらいに位置している。その真下には発令所があり、通常は艦長以下の士官たちが陣取る。その前方の空間は発令所と繋がる操舵席だ。さらにその先には魚雷発射管室など火器管制モジュール区画がある。

 いっぽうその発令所から後方は、艦体の上半分がすべて貨物区画だ。最下層は主機室――すなわちエンジンルームとバッテリー区画であり、ちょうど貨物区画の床下とそのエンジンルームに挟まれた狭い層が乗員の居住区画となっている。

 貨物室の様子に目を転じてみると、床面積は通常企画の体育館よりさらに広い。ただし間口は潜水艦の形状と同じなのでかなり狭く、縦に長く作られている。実はこの貨物室も、さらに二層に分かれていて、今回は下層が兵員の居住スペース、上層は艦体の外殻との間に様々な装備品を押し込んでいる。通常は逆なのだが、今回は水中で艦体の貨物ハッチを全開にし、そのまま海中に資機材をリリースするためだ。


 そのリリース機材の中には、多数のカプセルというか、ヒレのないイルカかクジラのような形状をした物体が、蚕棚のようにびっしりと天井まで積み上げられ、連結されていた。その塊は、かなり奥の方まで続いている。


「――この侵入鞘イントルードポッド、何度見ても棺桶みたいであんまりいい気持ちはしないよね」


 ゆずりはが上を仰ぎ見ながらしみじみといった感じで声を上げる。

 今やほぼすべての兵士が準備を整え、この真っ黒いの傍に集まっていた。


「そうですか? 私はこの乗り物、割と好きなんですよ?」


 同様に、出撃準備を整えた森崎が答える。


「このポッドは人工筋肉と生体金属で出来ていて、海中にエントリーすると、まるでイルカのように尻尾を振って前進するんです。その時の乗り心地といったら、イルカと海の中で一緒に遊泳しているみたいなんですよ」

「そうなんですか? でも、海中が見えるわけではないんですよね?」


 くるみが、外も見えないのに遊泳だなんて大袈裟だ……といった顔つきをする。相変わらず美人揃いのドロイドたちには素直になれないようだ。


「――そのまま光学的に見えるわけではないですが、赤外線センサーの画像をキャノピーに仮想現実VR展開すれば、少しだけ気分が味わえますよ!?」


 第一小隊付の先任ドロイド、川嶋澪がフォローする。


「ふぅーん……」


 少しだけ不満そうではあるが、それを聞いたくるみは俄然興味が湧いたようであった。

 もともとこの侵入鞘イントルードポッドは、ドロイド部隊が持ち込んだ装備である。鞘には何種類かあって、今回海中エントリーがあると予め聞いていたので、自分たちのだけでなく、全員分の潜航鞘ダイブポッドを持ってきてくれていたのだ。お陰で水に濡れずにギリギリまで陸地に近付ける。

 この他にも、高高度降下用の空挺鞘エアボーンポッドや、大気圏突入用の再突入鞘リエントリーポッドなどいろいろあるらしい。宇宙軍では一般的な装備品らしいのだが、実を言うと、士郎たちはこの装備をまだ一度も使ったことがないのである。


「し、士郎……我々は確か……複座式で行くのだったな?」


 久遠くおんが真っ赤な顔をして確認する。すると、すかさず森崎が久遠に念を押す。


「久遠さん? あなたは石動中尉の副官なんですから、片時も離れてはいけないのですよ? しっかりと中尉を補佐してくださいね」

「そ、そうだな……承知した////」

「ねぇー、久遠ちゃんちょっとズルくない? 私も中尉と一緒ので行きたいのにぃ!」


 ゆずりはがここに来て我儘を言い出す。まぁ本人も今さら使用機体を変更できないのは知っているから、これは本当に単なる文句である。彼女が言うと「文句」というより「甘え上手」に聞こえるから不思議だ。それを仮に整備員の誰かが聞いてしまえば、キュートな楪の願いだからとデータの書き換えをしかねないところが彼女のカリスマといえばカリスマだ。艦内には既に楪の親衛隊が結成されていると聞く。

 士郎がひとこと口に出そうとした瞬間、再度艦内放送が鳴り響いた。


『全員、ポッドに搭乗開始――!』


 それを聞いた貨物室の百数十人の兵士たちが、一斉にに足を掛けた。俄然、辺りの雰囲気が騒々しくなる。


「では久遠、俺たちも行くぞ――」


 士郎が久遠に手を差し伸べる。彼女はそれをまるで、一緒にダンスを踊ろうと差し出された手であるかのようにうやうやしく握り返した。士郎はそのまま彼女の腕をグイっと引っ張り上げると、目の前に用意された士郎たち専用の侵入鞘に足を掛けた。

 他のオメガたちも、一気に緊張感を漲らせてそれぞれのポッドに向かう。


  ***


 士郎と久遠は、狭いポッドの中でお互い抱き合うように――というか完全に抱き合った状態で――横になる。これは、男同士でやっちゃいけない奴だ――と士郎は思った。なんでこんな大胆な格好で乗り込んでいるかというと、鞘の中で搭乗者の脊髄にインターフェースを挿し込まなければいけないからだ。つまり、外殻に背中を向ける必要がある。

 ということは、二人乗り込むと必然的に鞘の中心部分で抱き合うスタイルを取ることになるのだ。二人が搭乗ポジションを取ると、内部がエアバッグのように膨らんで、さらに隙間を埋め尽くす。これがクッションになって、侵入時のさまざまな衝撃を緩和するのだそうだ。そしてその内部はまるで母親の子宮の中のようでもあった。今から戦場に向かうにしては、少々感傷的センチメンタルな造りをしているな、とも思う。

 久遠は士郎の腕の中で小さく丸まっていた。お互い防爆スーツを着ているので肌が密着しているわけではないのだが、身体自体は完全に押し付け合って満員電車のような状態だ。彼女の鼓動と体温が直に伝わってきて、不思議と心が落ち着いてくる。彼女もそうだといいなと思った。


 やがて――

 ガコンとくぐもった音がして、一瞬無重力のような感覚に襲われた。どうやら貨物区画の外殻が開いて、鞘が海中にエントリーしたようだ。

 このあとは自動操縦オートパイロットで目標海域まで勝手に運んでくれる――

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