第151話 WAC

 北海道の東端近くにある釧路港に沈む夕陽のことを、地元の人は「世界三大夕陽」と言って憚らない。じゃああとの二つはどこかというと、インドネシアのバリ、フィリピンのマニラだという。

 確かに港に通じる釧路川の河口近くにかかる幣舞ぬさまい橋の中央に立って西の方角を見ると、海に沈む夕陽はなるほど見事な光景だ。空はどこまでも茜色に染まり、海に映る夕焼けは眩いくらいに見る人の虹彩を刺激する。それを見つめて佇む人々はすべからく逆光に黒く沈み、そのシルエットを後光のようにまた沈みゆく太陽が照らし出す。それはまるで映画のワンシーンのようで、ふと気が付くと周りの時が止まっていたかのような錯覚を覚えるのだ。


 ただし今、同じように西の方角を橋の上から見る人が居たとしたら、普段は見かけない黒々とした涙滴型の構造物が海中から屹立している光景に、また違った意味で驚きを覚えたかもしれない。

 それはまるで鯨のように表面が丸く、中央部からは平べったい円筒形の塔が突き立っている。塔の両側には、これまた鯨のヒレのような翼のようなフィンが真横に突き出している。


 巨大な潜水艦だった。


 元々釧路港は19世紀の終わりの時点で既に重要港湾として時の明治政府から認定され、以来北海道最東端の巨大港として発展を遂げていた。

 だから基準排水量が1万トンにも達するこの巨大な潜水艦『瑞龍ずいりゅう』とて、楽々と接岸するくらいの許容量のある港なのである。


 艦籍番号ハルナンバーSS505『瑞龍』――

 オメガ特殊作戦群に編入される前は横須賀基地を母港とする第二潜水隊群に所属していたこの巨大潜水艦は、2013年に竣工した初代『ずいりゅう』の二代目である。初代の基準排水量が2950トンだったことを考えると、二代目はその約三倍の大きさを誇り、いかに巨大な潜水艦であるかが分かろうというものだ。

 隠密性を最優先とする潜水艦であるにも関わらず、何故こんなにも巨大化した艦体を有しているかと言えば、それはひとえにこの艦が「水中輸送艦」という役割を担っているからに他ならない。


 かつて20世紀の半ば、太平洋戦争を戦っていた帝国海軍は、戦争末期、制空権も制海権も失った西太平洋において、飛び石のように点在する南方の島々への兵員輸送を潜水艦による隠密輸送に頼っていた時期があった。海上を移動する輸送艦は、大量輸送こそ可能であったが、足が遅いゆえに敵潜水艦や航空機の恰好の餌食になり、無数に撃沈されていたためである。

 元々日本は世界でも有数の潜水艦建造国として高い造船技術を誇っており、太平洋戦争中の伊号級をはじめ、その時代における最大級の巨大潜水艦を都度作ってきた実績がある。

 21世紀中盤に差し掛かる手前から現在に至るまで、再び大陸との果てしない戦争を繰り広げるようになっていた昨今の情勢下において、巨大潜水艦を建造・運用するというドクトリンが海軍戦略の中に根付いていたのも素直に頷ける話ではあった。


 そして今まさに、この潜水艦で隠密裡に戦場へ運ばれようとしている部隊こそ、オメガ特殊作戦群第一戦闘団の歩兵部隊120名プラスアルファとその装備品一式であった。残りの機甲部隊その他大物は別の手段で現地合流する予定である。

 そしてこのあと『瑞龍』は、宇宙空間ラグランジュ・ポイント〈天の磐船〉に位置する宇宙コロニー『銀河』から遠路はるばる移送されてきたドロイド兵部隊のうち、第一戦闘団に合流する予定の二個小隊60ユニットを、ここ釧路港で積み込むのである。


 当初の予定を変更し、をここ釧路で積み込むことになった最大の理由は『ア号作戦』開始の繰り上げである。SDDG208――元宇宙軍ミサイル駆逐艦『雷』が、軌道エレベーター『北斗』にドロイド兵部隊一個中隊を移送する途中で観測した中国黒竜江省を発信源とする「ガンマ線バースト」現象は、オメガ司令部に大きな衝撃を与え、作戦開始の繰り上げを決断させるに及んだ。このため、当初横須賀に全兵力を集結させる予定だったものを、途中途中で拾いながら合流させ、一刻も早く現地へ進発するという方針転換を急遽図ったのである。

 もちろん、そもそも軌道エレベーター『北斗』が、ここ北海道釧路湿原に建設されていたことも、先遣隊に合流する予定だったドロイド兵部隊を釧路港でピックアップすることにした大きな理由である。もともと『瑞龍』は横須賀出航後、三陸沖を北上して津軽海峡を抜け、日本海に出る予定であったから、釧路に寄港するのも大して問題にはならなかったのである。


  ***


「し、士郎――」

「ん? なんだ?」

「い、いや……何でもない」

「何だ、どうしたんだよ久遠? 言いたいことがあるなら遠慮せずに言えよ」


 先ほどから『瑞龍』の艦橋セイル最上部、露天ブリッジに立っているのはオメガチームリーダーの石動いするぎ士郎と、その副官に任命されている蒼流久遠くおんである。

 潜水艦の露天ブリッジはもともと非常に床面積が小さく、当直士官と見張りの下士官も一緒に立っているため、既に満員電車に近い込み具合だ。

 そんなわけで、士郎と久遠はやたら密着する距離感でかれこれもう30分近くここに立ち尽くしているのだ。


「い、いや……聞くところによると、ドロイド兵たちはみな美人らしいじゃないか……」


 久遠がもじもじしながら士郎の横顔を遠慮がちに覗く。


「あぁ、なんでも機械への嫌悪感を持たれないように、わざと女性の容姿にしているらしいな」

「そ、そうなのか……だがやはり男としてはその……気になるのではないか?」

「気になるって……何を?」

「いや、だからその……やはり美人だと自然に……興味が湧くのではないかと……」

「なんだ、そんなこと気にしてたのか――だって連中は所詮ロボットなんだろ? だったら美人もクソもないじゃないか。リカちゃん人形可愛い、って言ってるようなもんだ」


 それを聞いた久遠は、明らかにほっとした様子であった。


「そ、そうか! なら良いのだ……ははは、そうだよな――所詮人形だ」


 久遠は実に分かりやすい。表情も、態度も、言葉遣いも、嬉しい時は嬉しそうだし、怒っている時は実に怒った感じだし、悲しい時や不安を抱いている時も、まるで顔にそう書いてあるかのように振る舞う。朴念仁の士郎にだって、いい加減これだけ毎日顔を突き合わせて一緒に過ごしていれば、それくらいの気持ちの変化は手に取るように分かるというものだ。

 そういう意味では、今の士郎の説明を聞いた久遠は、実に安心した感じで一気に元の元気というか、自信を取り戻したようであった。


 正直、士郎にはなぜ久遠がここまで心配するのか今一つ理解できないところがあった。本音で言えば、久遠はこう見えて相当美人であるし、少々薄めの肢体ではあるがスタイルも抜群だ。性格も素直で、少し生真面目すぎるきらいはあるが、一緒にいて不愉快に感じたことは一度もない。事実『瑞龍』の乗組員たちは、初めて久遠たちオメガ少女を見た時から、やたら張り切っているのが手に取るように判る。男たちは皆、美しくて可愛らしいオメガたちに恋しているのだ。

 乗組員だけではない。ぶっちゃけ、そんな久遠にうっすらと友人以上の好意を抱いているのは自分だって同じだ。もっと本音を言えば、それは他のオメガ少女たちに対しても同様で、くるみやゆずりはに対しても、そしてもちろん未来みくも含めて、士郎は彼女たちのことを意識してしまうことが最近よくあるのだ(ちなみに、年齢の低い亜紀乃や文に対して抱くのは、どちらかというと年の離れた妹のような感情だ)。

 もちろんそれが不謹慎なことであることくらい、士郎にだって分かっている。戦闘部隊の指揮官としては、部下たちに余計な好意を抱くなど、百害あって一利なしである。だから本音は絶対に言わないし、何かを期待することも絶対にない。

 だが、だからこそ余計に、士郎は自分の命を懸けてでも彼女たちを守ろうと自然に思えるのだ。


 だから、久遠はもう少し自分に自信を持ってもいいのではないかと思うのだ。これがくるみとか楪だと、仮に目の前に超美人のライバルが現れたら、これ見よがしに挑発してきそうである。

 とりあえず、今からドロイド兵たちを出迎える立場の士郎としては、副官が久遠で良かったなと思う次第であった。


「石動中尉、ビークルが一台、埠頭に近付いてきます。ドロイド部隊の連絡将校リエゾンでしょうか?」


 隣に立つ当直士官が双眼鏡を覗きながら士郎に話しかけてきた。当初の到着予定時刻ETAはとっくに過ぎていたから、ようやくといったところだ。


「――そのようですね。ビークルの後方からトラックが三だ……いや、四台ついてきますもんね」


 士郎も支給された艦船用双眼鏡を覗き込む。先頭のビークルには、肩口までの黒髪をなびかせた女性将校が颯爽と乗っている様子がはっきり見える。あれが『いかづち』から同行するリエゾンか。宇宙勤務から地上戦に同行なんて、同情を禁じ得ない。

 やがて車両隊は、『瑞龍』のすぐ傍の岸壁まで真っ直ぐやってきて、キッ――と停止した。


 ビークルの助手席ドアが開き、中から美しい女性が降りてきた。彼女は『瑞龍』から岸壁にかけられているタラップをトントンと渡り、軽やかに乗艦してくる。

 それを見て、士郎たちも慌てて艦橋の昇降筒を滑り下り、側扉を開けて甲板に出た。


「ご苦労様です! 第一戦闘団、オメガチームリーダーの石動中尉であります」


 士郎が敬礼し、久遠がその少し後ろに控えて同様に敬礼する。


「――『雷』気象長、森崎大尉です。このたびはドロイド部隊付連絡将校リエゾンとして随行します」


 森崎が答礼した。

 近くで見ると、この女性将校の美しさは格別だった。眉の上の位置で真っ直ぐ切り揃えられた前髪。海風になびく艶やかな黒髪。涼やかな目元。整った鼻筋。その下に続く、少しだけぽってりとした唇。色白の頬は、頬骨にかかるくらいの位置を中心としてほんのりと薄桃色だ。

 体格は久遠に似て細身で、だが久遠よりも格段に女性らしく、その豊かな膨らみが細いウエストを対照的に際立たせていた。

 士郎は思わず見惚れ、言葉を失う。


「……あの……」


 森崎が訝しげに士郎を覗き込んだ。


「あっ! ししし失礼しましたッ! 小官が艦長室へご案内を仰せつかっておりますので……どっ、どうぞッ!」


 そう言うと士郎はぎこちなく森崎を先導し始めた。

 それを見た久遠は、一瞬ビックリしたように目を丸くさせていたが、すぐに頬を真っ赤にして唇を尖らせた。相変わらず分かり易いリアクションだったが、こんな時でも子供じみた挑発をしないのが久遠のいいところだ。


  ***


 艦長室は私室ではなく――寝室は別にある――あくまで公室であるため、狭い潜水艦の中では士官をここに集めて作戦会議を開くことがよくある。

 今日はこの僅か六畳ほどの小部屋に、『瑞龍』艦長である菊池浩輔中佐を筆頭として航海長など複数の士官、それに士郎をはじめとするオメガの四名、おまけにオメガ研究班長にして戦闘団での軍医を仰せつかっている叶元尚少佐までもが集まっている。こうなるともはや満員電車どころではなく、立錐の余地もない。

 一同は、先ほどようやく自己紹介をし終わったところだった。叶に至っては自己紹介のついでに彼女と「ガンマ線バースト」現象についてこの後詳しく聴き取りをする約束を取り付けたところだ。


「ではまず、ドロイドたちを乗艦させたいと思いますが……」

「承知した。彼女たちの乗艦を許可する」


 森崎の打診に、菊池艦長が快く応じる。彼女は部屋を出ようとして、水密扉のすぐ傍に立っていたくるみとバッタリ鉢合わせる格好になった。


「失礼――水瀬川みなせがわくるみさん」


 森崎はそう言うとサッと身体をよじって通り抜けようとする。するとなぜかくるみは彼女の進路を塞ぐように一歩横にずれた。そしてあろうことかその豊かな胸をツンっ――と前に突き出してニッコリと笑顔を作る。ん……?


「――?」

「森崎大尉――失礼とは存じますが、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

「……なんでしょう?」


 なぜだか挑発的なくるみに対し、森崎はあくまで大人の態度で接する。


「大尉は大変お美しい方だなと思ったのですが……親しい男性とかはいらっしゃらないのですか?」

「な! ――こらっ、失礼だぞくるみっ」


 士郎は、突然のくるみのセクハラ質問に慌てて釘を刺す。周りの男たちも、ぎょっとしてくるみと森崎を交互に見つめる始末だ。いったい何を考えているんだコイツは!?

 どうせ彼女の美貌に何かをくすぐられて、牽制球でも投げたつもりなのだろう。くるみは基本的にやきもち焼きなのだ。ゆずりはに至っては、ライバル登場、みたいな顔をしている。

 だが森崎は特段動じる風もなく、くるみの質問に答えた。


「いませんよ」


 彼女のシンプルな答えに、今度は男たちがいろいろな表情を作る。それは、もしかして自分にもチャンスがあるということなのか――!? やはりこれだけの美貌だ。誰であれ、彼女に関心がないと言えば嘘になる。だが――


「あ、誤解なさらないでくださいね……私はドロイドですので、パートナーを作る必要がないのです」

「えッ!?」


 なんだって――!?

 森崎大尉は……ドロイドなのか!?

 くるみも含め、その場にいた全員が驚愕で言葉を失った。


「ことさらに強調する必要はないだろうと特に自己紹介には含めませんでしたが……間違いなく私はドロイド――シリアルナンバーRD9119――です。食事も不要ですし、睡眠も必要ありません。当然ながら排泄もしませんし、呼吸もありませんから宇宙空間や水中でも普通に活動できます。そうですね……敢えて言えば時折メンテナンスのためにスリープモードに移行することがあるくらいです」


 士郎は、先ほど初めて甲板で森崎に会った時に、その美しさに動揺してしまった自分を思い出した。リカちゃん人形が聞いてあきれる。見た限り、人間と寸分違わないじゃないか。

 案の定、森崎の言葉を聞いた久遠が、士郎をジト目で見ている。どう見ても「所詮人形って言ったクセに!」という顔つきだ。


 艦長の菊池が驚いたままの表情で森崎に訊ねる。


「で、では――今から乗艦してくるドロイド兵たちは皆、大尉のような感じなのか!?」

「……と、おっしゃいますと?」

「いや、その……見た目……というか……」


 菊池がしどろもどろである。他の男たちもみな、森崎の返答に固唾を飲んでいる。


「そうですね、そういう意味では皆、私と同じような感じです。ただ、前線に投入される時点で、その任務ミッションに最も適したパーツに換装されます」

「――と、言うと?」

「ユニットによっては、腕を何らかの火器システムに換装したり、腰から下を例えば多脚型にアレンジしたり……ドロイドの原型は首だけで――これは人工知能を使用するという意味ですが――何らかの兵装システムに丸ごと組み込まれたりすることもあります」

「ドロイドというのは、そういう使い方が一般的なのか?」

「いえ……もちろんヒト型のまま、人間と同じように銃を手に取って戦うというやり方もあります。すべては指揮官の運用次第です」


 そう言うと、森崎は士郎の方を見つめた。第一戦闘団を指揮するのは、オメガリーダーの士郎になるからだ。他の面々も、それにつられて士郎を見る。なるべく人間の姿のままで運用してくれ、という男たちの思いが目一杯詰まった視線だった。


  ***


 それからほどなくして、『瑞龍』には、60名にも上る美しい女性兵士WACたちが次々に乗り込んできた。彼女たちは例外なく、まるで男たちの理想を体現したような姿形をしていて、第一戦闘団の他の兵士や『瑞龍』の乗組員たちは、まるで蛇の生殺しにあったような顔で彼女たちを見つめるしかなかったのである。

 なにせ乗艦の際の艦内アナウンスがこれである。


『これから乗艦するドロイド兵は、あくまでロボットであり、人間ではない――各員自制せよ』

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