第131話 コンフリクト

 帰り道――

 行き先が同じ華龍ファロン本部施設なので、秀英シゥイン未来みくは必然的に連れ立って歩いているのだが、なんとなくお互い気まずくて、先ほどから二人はずっと無言だった。

 中国大陸を二分する一方の勢力、北京派随一の武闘派集団〈華龍ファロン〉の黒竜江省軍団長を務めるヂャン秀英シゥインは、関係者からすれば震えあがるくらいの圧倒的カリスマだ。身内からは、アジア最強を誇る日本軍を相手に一歩も譲らぬ戦いを繰り広げ、英雄視される存在。いっぽう諸外国から見れば、世界各地でチャイナテロを引き起こし、中国内戦を複雑化・混沌化させている中心人物――最重要指名手配犯。


 だがそんな張秀英には実の妹がいて、しかも彼女は人ならぬおぞましい異形の生き物だった。彼は今のところ妹の存在をひた隠しにしており、その主な理由はといえば彼女が衆目に晒し者にされないようにという、実に人間らしい兄としてのいたわりと愛情に満ちた心遣い。


 未来は、そんな多面性を持つ秀英を横目に見ながら、この人はいったいどれが本当の姿なのだろうか――とつい考え込んでしまうのだ。

 きっと、平和な時代にただの友人として出会ったなら、とても好感の持てる人物なのだろう。しかも先ほどの彼の言葉は、彼が決して独裁者でもなければ殺人鬼のサイコパスでもないことを如実に物語っている。

 口のきけなくなった妹とまた話したい? 中国共産党の犠牲となった放射能被害者を救いたい? それが、彼が華龍で本当にやりたいことだなんて……


「……未来……今夜はその……ありがとう……」


 沈黙を破り、秀英が横から遠慮気味に話しかけてきた。未来は歩幅を合わせながら、彼の横顔を仰ぎ見る。


「……い、いえ……正直、びっくりはしましたけど……」


 真っ暗闇と言ってもいい薄暗がりのハルビンの路地に、二人の足音だけが響く。

 それでもぼうっと辺りが見えるのは、ところどころに点々とあるオレンジ色の街灯のお陰だ。秀英は、暗くて表情がよく見えないのをいいことに、柄にもないことを今のうちに言っておこうと思ったのだ。


「私が妹のことを世間に隠していることを軽蔑するか……?」

「――そんなことありません……それは、将軍が詩雨シーユーさんのために判断したことなのでしょう?」

「……まぁ……そうなのだが……」

「あなたが詩雨さんをとても大切にしていることは、見ていれば分かります……そのためにいろいろなことも犠牲にしているのでしょう? そんなあなたに敬意を払いこそすれ、非難すべき点などありませんよ……」

「……そうか……なんだか変な気分だな……敵の兵士に慰められているなど……」


 未来は相変わらず横目で秀英を盗み見ながら、彼の表情が穏やかなことを確認する。嫌味で言っているわけではなさそうだ。


「今は私のことを日本軍の兵士ではなく、単なる詩雨さんの友人という目で見ていただきたいですね」


 未来は、少し微笑みながら秀英に切り返す。今くらい、こんな関係でいいんじゃないだろうか。


「未来はなぜ……詩雨と友人になってくれたんだ……?」

「――なぜ……って……」

「だってそうだろう? あの子はあんな見た目だ……今までだって、あの子を見た瞬間悲鳴を上げてバケモノ扱いする連中ばかりだった。あの子の昔からの友人も全員、あんな風になってすぐ、とっとと逃げ出したよ……私は怪物と友人になった記憶はないってね……」

「――酷い」

「だが、それが普通なんじゃないのか……!? 誰も好き好んで……変なものと付き合わないだろう?」


 まぁそうだよね……否定はしないよ……あれほどじゃなくても、例えば手や脚がない兵士とか、大きな傷を負って顔面に酷い損傷痕がある兵士を見た瞬間、少しだけギョッとするのと同じ感覚だ。

 種の保存本能に従えば、自分とは異なる異形の姿、本来そうあるべきものがそうなっていない存在を忌避する感情は、実は誰にでもある。

 人間が尊いのは、それら本能的な忌避感を「理性」とか「他者を思いやる共感力」「愛情」などで上書きすることができるからだ。

 ただ――未来の場合は少し違う。


 元々未来自身がオメガという「異形の」存在だからだ。この場合のなるというのは、「ヒト種としての外見」という意味ではなく、持っている遺伝子が「人とは異なる」という意味なのだが……


「――将軍、以前私は自分のことを“辟邪ビーシェとは少し異なる存在だ”と言ったことを覚えていますか?」

「……あ、あぁ……そんなこと言っていたな」

「日本軍では、私のような異能を持つ者たちのことを〈オメガ〉と呼んでいます」

「オメガ……!?」

「そうです。その言葉の由来はなんだと思いますか……?」

「……いや……何だろう……教えてくれるかね?」

「はい――オメガとは、ギリシャ文字24語の最後の文字を指します。それに対して、普通の人間のことは〈アルファ〉と呼んでいます」

「……アルファとオメガ……対極にある、ということなのか」

「もちろんそういう概念もないわけではないですが、同時に日本のオメガ研究者たちは、私たちの遺伝子DNAの優秀さを畏怖し、人間進化の最終形態である――と結論づけました。だから敬意を込めて私たちのことを“最後の文字”である〈オメガ〉と称した……と聞いています」

「日本人は、君たちを人類の究極の理想形と受け取った、ということか」

「少しこそばゆいですが……まぁそういうことです。だから私たちオメガは、日本ではそれなりに敬意を払われている」

「……中国では逆だ――彼女たちは“忌むべきもの”という扱いだ」


 秀英シゥインは、同じ「異形の存在」でも中国と日本でまるで逆の受け止め方をしていることに驚き、そして素直に日本人たちの発想に感嘆した。これが両国の差なのか……!?


「だからですね……私に言わせれば、詩雨シーユーさんはとても尊い存在なんです。見た目は確かにちょっと衝撃的ですが、でも、大事なのは彼女の本質なんです。彼女はとても素敵な女性です。私は胸を張って、彼女を友人として受け入れるでしょう」


 なんということだ――!

 秀英は、詩雨がある日突然苦しみ出し、やがてその身体が恐るべき形状に変化していった当時のことを思い出す。結果として彼女はおよそ一ヶ月近く自分の変化に苦しみ――ダラダラと身体中の体液をとめどなく垂れ流しながら――徐々に異形に変化してついには人間であることを許されなくなった。ヒト種としての形状を保てなくなったのである。

 いったいどんな奇病に冒されたのかと嘆き悲しんだが、幸いあの時は李軍リージュンのお陰で一命を取り留めた。恥を忍んで「口外無用」と釘を刺しながら、妹の治療を懇願したのだ。当時の自分に今の未来のような発想があれば、どれだけ心が安らいだだろう。


「……なんだか少しだけ……心の重荷が軽くなったような気がするよ」


 秀英は、心からの感謝を込めて横を歩く未来を見下ろした。彼女は、「気にしないでください」とばかりにひょい――と肩をすくめた。


「――詩雨さんは、どこか病院に掛かっているんですか? そうはいってもあの身体じゃあ、いろいろと想定外の不具合が起きたりするでしょう?」

「あぁ、今はうちの研究開発部門の責任者に直接診てもらっている。彼は分子生物学の権威で、医師の資格も持っているから」

「そうですか……なら安心ですね」

「……どうかな……私はあの男が少々苦手でな」


 秀英は、まさかその男が未来を襲撃しようとしただなどと、口が裂けても言えなかった。もっとも、彼女自身、自分が襲われたことすら知らないだろうが。

 この際、もう少しだけ未来に愚痴を聞いて貰ってもいいだろうか――


「……実は……私はあの男――李軍というのだが――の考え方が好きではないのだ。先ほどの君の話の続きで言えば、彼は異形の存在を“呪われている”と言って憚らない」

「……それ、私も少し聞いたことがあります……確か街のお年寄りたちは半人半獣の存在を呪いだと決めつけているとか……」

「あぁ、もちろん年寄りのたわごとだ。だが、想像力のない奴らは得てして自分が理解できない存在を自分の価値基準で捉えたがる……そして、シロかクロかでしか評価しない……」

「――善か悪か、敵か味方か、ということですね……」

「そうだ。物事に対する多様な見方ができないのだ。我が人民の駄目なところは、外国との関係を上か下かでしか捉えられないところだ。お互いイーブン、対等、という概念がないのだ」

「そういえば、中国の人って外国のことをよく弟、とか子、みたいな言い方しますね」

「そう――いかにも傲慢だとは思わないかね……自分は兄、相手は弟。兄は弟に従うもの、子は親に従うもの……実にバカバカしい。そんなことだからいつまで経っても世界から尊敬を得られないのだ」

「――ふふ……将軍は随分進歩的なんですね?」

「要するに、プライドが高すぎるのだ。中国人にとって一番大切なのは面子メンツだ。だから国際会議の時の席順や発表順にも異様にこだわる。メンツにこだわり過ぎて引くに引けなくなり、結果として実利を失ったことなど山ほどあるぞ」

「なるほど! じゃあ中国軍を降伏させるには、メンツさえ立てればいいんですね!? 大変勉強になります」

「……そ、そうか……!? すまんな……つい喋り過ぎてしまった」

「いいんですよ? お陰で随分あなたのことが分かったような気がします。お友だちのお兄ちゃんとしては……合格ですね」


 未来はそう言うと、嬉しそうに微笑んで秀英の隣を歩き続けた。


 その時だった。


 未来が、突然立ち止まった。

 先ほどまでの穏やかな雰囲気は一瞬にして消え去り、兵士らしいピリッとした警戒感を一気に漂わせる。彼女の美しい顔が、あっという間に兵士のそれに変わった。


「将軍――殺気です」

「なに!?」


 秀英も立ち止まるが、周囲は先ほどまでと何も変わらないように見える。

 未来は将軍を庇うように腕を横に突き出し、姿勢を低くして辺りを警戒し始めた。薄暗い通りは、オレンジ灯が点々と先の方まで灯っていたが、不審な人影は今のところ確認できない。


「――これは……獦狚ゴーダンかもしれません!」


 そういうと未来は、キョロキョロと周辺を見回した。


「どこか……身を隠せる場所はありませんか!? 彼らが相手では、少々分が悪そうです」

獦狚ゴーダンがいるのか? 私には何も見えないが……」

「はい、前方から五、六頭。後方から二、三頭――十頭近い群れに包囲されています」

「クソ!」


 獦狚ゴーダンは華龍が制御しきれていない怪物だが、一応自分たちの管理下にある生物クリーチャーだ。運用責任者は、研究開発部門総裁・李軍リージュン。あの爺ぃめ! 一体何をやっているんだ!?

 もっとも、自分が今日市街地に出かけているのはあくまでお忍びだ。ヂャンが街にいることを知らず、いつものように群れを放っただけなのかもしれない。

 これは、街の夜の風紀を取り締まり、同時に夜間の敵侵入を防ぐいわば番犬の役割だ、と李軍に説得されて内密に許可を出したものだ。夜な夜な怪物が街を徘徊すれば、人々はそれを恐れて家に閉じこもる。統治する側とすれば、何かと都合がいいのは事実だった。

 だが今はそんなことを言っている場合ではない!


 そのうち微かに「グルルルル……」という獣の低い唸り声がいくつも聞こえてきた。未来の言う通り、自分たちはすっかり取り囲まれていたのだ。残念ながら身を隠せる場所はない。家々の門は固く閉ざされ、仮にドンドン叩いて中に入れるよう騒いだとしても、扉を開けてくれるお人好しの住人など誰一人いないだろう。

 やがてその唸り声は徐々に大きくなり、通りの先に、黒々とした大きな塊がいくつも立っているのが目視できるようになった。


 獦狚ゴーダンは「ハッハッハッ」と規則的な呼吸音を響かせながら、通りの前方と後方から二人を挟み込むようにひたひたと近づいてきた。その走り方はやはり狼そのもので、ただし狼などより数十倍は大きい。大きさだけでいえばライオン……いや、それよりも一回りは大きいだろうか。

 未来と秀英は自然、背中合わせになり、お互いを守るような体勢となる。だが、秀英は自分が彼女を守らねばならないと決意を固めていた。腰の拳銃を取り出し、怪物たちに狙いをつける。


「未来ッ! ここは俺がなんとかするッ! 逃げられるかっ!?」

「は? 何を言ってるんです!? とても一人で食い止められるような相手じゃないですよ!」


 未来は未来で、秀英を守るつもりでいた。通常モードの未来では心許ないが、敵対アグレッサーモードになれば獦狚ゴーダンなど相手ではない。問題は、その際秀英も見境なく一緒に屠ってしまう恐れがあることだった。だから先ほど未来が「身を隠す場所」を探したのは、専ら彼をその間放り込んでおく場所を見つけたかったからなのである。

 未来はギリギリの選択を迫られていた。「敵対モードの時は敵味方の区別がつかない」というオメガの決定的な弱点を今彼に伝えることは、日本軍の最高機密を敵将に教えることを意味する。なんとか通常アライドモードのまま、奴らを退散させることはできないだろうか――


 特に良いアイデアが浮かばないまま、獦狚ゴーダンはジリジリと近寄ってきていた。既に彼我の距離は数メートル。今や、奴らの醜悪な口臭が臭い立つような距離だった。

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