第121話 悪魔の履歴書

 部屋の中央にホログラフィックで浮かび上がった映像には、どこかの会見場の様子が映し出されていた。多数のフラッシュが焚かれ、騒然としている。画面の右上には〈Live中継〉という文字、下部には〈BreakingNewsニュース速報〉という表示とともに、ニュースのサマリーが延々とスクロールしている。


〔 ――では総統! 今後我が国は、日本の統治下に入ると理解してよろしいのでしょうかッ!?

「台湾と日本は昔からの友好国です。今回の決定はあくまでも台湾の安全保障を最優先に考えたものであり、日本国が不退転の決意で我が国を守ることを示したということであります。」

 ――しかし日本の台湾総督府設置は事実上の植民地化と言ってもいいのではありませんかッ!?

 ――高雄への日本海軍鎮守府設置は決定なのでしょうかッ!?

 ――台湾の若者が続々と日本軍に志願しているというのは本当なのですかッ!? 〕


 総統と呼ばれた初老の女性政治家を、多数のメディアが取り囲んで矢継ぎ早の質問を繰り出していた。記者会見はまだまだ終わりそうにない。


 李軍リージュンは右手をホログラフィック画面の前でブンッと振り払う。すると会見映像はスワイプされてふっと消え、部屋には静寂が戻った。

 台湾が日本の統治下に入るだと……!? あそこは元々我が国の領土ではないか!? 上海の売国奴どもは、国を切り売りしても何とも思わないのか……我々を敵視するのは構わんが、その前に戦うべき相手がいるだろう!?

 憮然とした様子で、李軍は椅子に深く沈み込んだ。


 アジア解放統一人民軍ALUPA――「華龍ファロン」本部の専用執務室。李軍の部屋は、見るからに科学者の研究室だ。広さ十二畳ほどの比較的小さな部屋には、多数の常設モニターと各種端末が並ぶ。机の上には雑然と書類が置かれ、せっかくの天板モニターが隠れ気味だ。壁の一角には、今まで彼が受賞した数々のアワードや感謝状、中国共産党の党員証などが額に入れて飾られていた。過去の華々しい経歴キャリアに比べればお粗末な部屋というしかないが、今は贅沢も言っていられない。


 ぽぅん――と部屋のベルが鳴らされた。

 李軍は机上にあるいくつかのパネルを操作し、部屋の入口に秘密警察の長官、ボルジギン・セルジブデが立っているのを確認する。開錠ボタンを軽くタップすると、扉が音もなくスッと開いた。


「――長官」


 李は立ち上がって迎えるが、ボルジギンは扉の前から動かない。


「……さぁ、どうぞ」


 訝しみながら、部屋へと促す。ボルジギンは苦虫を嚙み潰したような顔をしたまま中へ入ってきた。嫌な予感が走る。


「――失敗だ」

「……今なんと……?」

「失敗しました……邪魔が入り……」


 ……なんてことだ――まさかとは思っていたが、本当に失敗するとは……李は努めて平静を装いながら彼を問いただす。


「……いったい何があったのです? 詳しく教えてくれませんか」

「大聖堂で……仕掛けましたが……四人やられました」

辟邪ビーシェにですか!?」

「いえ……おそらく本人たちは気付いてもいない。連中の護衛についていたと思われる……何者かが、先に感づいて……」


 ボルジギンは普段の慇懃無礼さが鳴りを潜め、気まずそうな態度に終始していた。四人やられただと!? たかだか小娘一人捕まえるのに、大失態じゃないか――


「……相手が辟邪だから、多少は手こずると思っていましたが……では閣下の部下は彼女たちに手も触れることができなかったと?」

「接触する前に邪魔が入ったのです。いったい誰が――」


 李には思い当たる節があった。


黒霧ヘイウー……」

「は? ヘイ……?」

ヂャンの……張将軍の……犬、ですよ」

「――ッ!?」


 ボルジギンが言葉に詰まる。もちろん、秘密警察の長である彼がその存在を知らない筈はない。ヂャン秀英シゥインが自分だけに忠誠を誓う兵隊を飼っていることは公然の秘密だ。だが、所詮スパイごっこをしているのだと歯牙にもかけていなかったボルジギンからすれば、その素人集団に自らの部下がいとも簡単に蹂躙されて敗北を喫してしまったことを簡単に認めるわけにはいかなかったのだろう。

 李は少しだけ助け舟を出す。


「……まぁ、向こうもきっと必死なのでしょう。十人がかりくらいでやられたのではないですか? ……であれば仕方がない」

「……そう……ですね……」


 本当はたった一人にやられたなどと、ボルジギンは口が裂けても言えなかった。


「――それにしても困りましたね……これではいつまでたってもあの日本軍辟邪ビーシェをいじれそうにありません」


 張秀英……まったくあの若造にも困ったものだ。まぁ、敵ながらあっぱれというべきか。最初から身内をこれっぽっちも信用せず、自らの子飼いを密かに張り付けていたとは……。実際、李は張の警告を無視してあの娘を密かに奪取しようとしていたわけだから、彼の危機管理は十分に活かされたというわけだ。

 そこまで考えて、李は少しだけ背筋が寒くなる。張の敵意があからさまに自分に向かえば、良くて失脚、下手をすると命まで危うくなってしまいそうだ。


「次は……どうしましょうか」


 ボルジギンが尋ねる。まったく、この男は馬鹿か?


「――そうですね、少し様子を見ましょう。下手に手を出すと、こっちの正体がバレそうだ。少し経ってほとぼりが冷めたら、もう一度アタックしましょう」

「……李先生のご指示どおりに――」


 そう言うとボルジギンは早々に部屋を出て行った。そりゃそうだろう。私だって彼の立場なら、恥ずかしくて居たたまれない。


 ボルジギンの気配が消えると、李は突然机の上の書類を腕で吹き飛ばした。紙吹雪のように、書類が宙を舞う。


「えぇいッ! あのクソ忌々しいガキめッ!! 生意気なことをしやがってッ!!」


 抑えていた怒りが急にこみ上げてきた。書類を吹き飛ばしたのに飽き足らず、その辺にあった適当なものを何度も何度も蹴り上げる。


「クソッ! クソッ!! 役立たずのクソ爺ぃめッ!!」


 今度はボルジギンに向けた怒りだ。政治委員は昔から役立たずの穀潰しだ。偉そうにふんぞり返って、肝心な時はいつも中途半端だ。ご自慢の秘密警察はただのゴロツキか。政治スローガンで敵が倒せるのか!?

 どいつもこいつも人をコケにしやがって……


 華龍ファロンがなんとか闘争を続けていられるのは、自分の頭脳があるお陰だ。次から次へと最先端の最新兵器を繰り出してくる日本軍を辛うじて押し留めているのは、自分が開発整備している兵士たちの兵装が優れているからだ。現にこの街だって、電磁障壁がなければとっくに見つかって総攻撃を受けていてもおかしくないのだ。あの怪物どもだって、戦闘で実証してやったではないか! 日本リーベン鬼子グゥェイズーどもは、泣きながら命乞いをしたそうじゃないか!

 だからこそ早いとこあの日本軍辟邪の秘密を暴き、怪物どもを軍事力として実用化しなければならないのだ。なぜそれが理解できない? 協力を仰ぐ? そんな悠長なことをしている暇があったら、とっとと捕まえて、頭を開いて脳神経を調べればいいのだ。


 誰がこの街を守ってやっているのか、再度判らせてやる必要がある――

 李軍リージュンの目が、次第に悪魔の色を帯びていった。


  ***


 華龍司令部建物の一角――

 そこはまるで、動物園の肉食獣飼育舎のようであった。分厚い暗灰色のコンクリで塗り固めた檻は薄暗く、異様な獣臭が鼻を衝く。通路と檻を仕切るように天井から床まで貫かれた太さ三センチはあろうかという鉄格子はところどころ錆が目立ち、床に敷き詰められた藁の下からは、黒い染みになって何かの液体が各所から漏れ出ていた。

 檻の奥には、黒々とした大きな塊があちこちにたむろしていた。よく見るとそれは四つ脚の大きな獣で、狼のような顔貌は凶悪な圧力を辺りに放っている。時折「グルルルル――」と唸り声が聞こえるが、彼らはどうやらみな眠っているらしく、おしなべてその呼吸は落ち着いていて、目は閉じられていた。

 地元住民が、伝説上の妖怪「獦狚ゴーダン」と呼びならわしている生き物だ。


「様子はどうだ」


 通路で声を発したのは禿頭とくとうの小男だった。周りのコンクリに反響して、言葉が通路に響き渡る。


「はい――先日何頭か戻ってきましたが、怪我を負っていたので処分しておきました。ここにいるのはみな健常体です」

「そうか――」


 華龍科学部門総裁・李軍リージュン怪物バケモノたちを愛おしそうに見回した。

 コイツらは今のところ最高傑作だ。その体躯はライオンよりも一回り大きく、平均して三メートルほどの体長になる。性格は極めて獰猛で、目に付いた人間に片っ端から噛みつき、その手脚を引き千切り、内臓を貪り喰う。狼のように集団行動を好み、その狩りの仕方も巧妙で狡猾だ。

 中途半端な半人半獣などより、よっぽど優秀じゃないか。


 ただし、こちらの言うことを一切理解しないのが玉に瑕だ。最初のころ犬のように躾けて言うことを聞かせようとしたが、飼育担当の研究員が三人ほど喰われたところで諦めた。今ではスタンガンを首元に埋め込み、痛みと恐怖で辛うじて言うことをきかせている状態だ。自分たちに歯向かってきた時に激しい痛みが襲ってくる体験を繰り返せば、さすがに獣頭でも襲っていい相手とそうでない相手は学習するらしい。基本的に常時飢餓状態にさせているので、一旦檻から放てば、あとは最初に目についた人間を好きなだけ襲ってくれる。


「引き続き励みたまえ」

「はっ」


 飼育を担当しているらしき男が、うやうやしく李軍に一礼して持ち場に去って行った。


 李軍がこの素晴らしい獣に出会ったのは、ちょうど華龍の科学部門総裁に就任したころ――つまり20年ほど前のことだ。

 というか、そもそも総裁に就任できたのだって、正確に言えばコイツらのお陰かもしれない。


 共産党が上海派との抗争に敗れ、北京以北に追い立てられてまもなく、科学院を統括する高級官僚だった李軍も都を追われ、中国国内で転々と逃亡生活を送っていた。

 それまでの李軍の党生活は順風満帆だった。2018年に新進気鋭の科学者が引き起こした双子のヒトゲノム編集実験は国際社会から散々叩かれ、当時の国家主席・習近平の顔に泥を塗る結果となった。当時李は実力派若手官僚として頭角を現しつつあったが、この事件をきっかけにエリートコースへの道を約束されることとなる。北京工科大学を主席で卒業し、技術官僚として国家の科学部門を管理監督する部署にいたことを最大限利用し、この研究者の行為を「党と国家の信頼を揺るがす反逆行為だ」と徹底的に糾弾し、追い落としたのである。

 もちろんその理由は、かの研究者が李の派閥と敵対する一派に連なっていたからだ。結果として彼の研究チームは逮捕され解散させられたが、当然ながら研究者の派閥の領袖もこれに連座して責任を取らされ、失脚することとなる。結果として、李の派閥の長が国家の科学研究のトップに就任することとなり、その際、功績のあった李が重用されるようになったのはいうまでもない。


 その後リーは、研究部門の現場の指揮権限を委ねられるようになった。ますます激化する国家間のゲノム研究の陣頭指揮に立ち、さまざまな人体実験を秘密裡に繰り返す機関のトップに就任したのである。それはまるで、第二次大戦中に非道な人体実験を繰り返したナチスドイツの医師にして親衛隊大尉、“死の天使”ヨーゼフ・メンゲレの再来であった。

 そのせいで、李軍は中国内戦が勃発した時に地下に潜るしかなくなったのだ。西側諸国と通じた上海派は、もともと共産党幹部を徹底的に弾圧する計画であったが、特に李軍のような非合法かつ非道な役目を負っていた者は格好のスケープゴートになった。こういう連中を公衆の面前に引きずり出し、徹底的にその所業を糾弾することで、上海派の正義が広く国内外に喧伝できたからだ。上海派の苛烈な粛清は大規模なものとなり、当時の党指導層の多くが出来レースの公開裁判にかけられ、悲惨な末路を辿ることとなった。

 このため李軍は一時中央を離れることを決意する。北京から遠く離れ、かつて人体実験を何度も繰り返して土地勘のある、新疆ウイグルに逃げ延びたのだ。

 このバケモノたちと出会ったのはまさにこの時だ。


 東トルキスタン――中国共産党が「新疆ウイグル自治区」と称するこの中央アジアの地は、もともと豊富な鉱物やその他の地下資源が眠る値千金の宝の山だった。第二次大戦終結直後、当時の東トルキスタン指導部が乗った航空機が毛沢東率いる共産党軍に撃墜されて統治機能を喪失し、その後治安維持を名目として人民解放軍がこの地に侵略行為を始めたのが悲劇の始まりだ。

 中国はこの地を蹂躙し、ウイグル人たちをさまざまな非道なやり方で迫害、虐殺し、民族を根絶やしにしながら多数の漢人を入植させた。これにより侵略を既成事実化し、なし崩し的に「中国化」を実現してしまったのである。その目的はもちろん地下資源だ。

 当初一千万人近かったウイグル人は、男は虐殺され、女は漢人と強制結婚させられるか他の土地に売り飛ばされ、その純血を奪われて今では二、三百万人程度にまで激減、いかにも少数民族かのように彼らを「ウイグル族」と称するようになったのである。


 共産党時代の李軍がこの地で行っていたのは、虐殺対象となっていたウイグル人たちへの人体実験だ。もともと古代からシルクロードの重要な交易拠点として栄えた東トルキスタンであったが、中国が侵略してからは広大な核実験場と化していた。有名な楼蘭の街をはじめ、ロプノール湖周辺では一説には50回を超える原水爆実験が行われたとされ、百万人を超える大量の住民が被曝して死亡したほか、多くの放射線被害が発生していたのである。李軍はそこで、ヒトゲノム研究の延長戦上として「放射線を浴びたゲノム変異」について臨床実験を繰り返していたのであった。


 そんな場所で発見されたのが、あの怪物バケモノたちであった。狼など、なんらかの肉食獣が放射能の影響で突然変異を起こしたものと思われたが、李軍はその狂暴性に注目し、幼体だけを捕獲して手許で飼育することにしたのである。

 結果としてその後華龍と合流することになった際、怪物たちをけしかけて政敵である自分の元上司を喰い殺させ、自身の科学部門総裁就任を盤石のものにしたというわけだ。なにせ「キャラ被りは失脚の元」なのだ。似たような経歴と実績を持つ者が同じ組織に複数いたら、自分の存在価値がそれだけ目減りしてしまうではないか。「余人をもって代えがたい」存在になってこそ、自分の価値がインフレを起こすというものだ。


 だから李軍は、怪物どものことが可愛くて仕方がない。


 ただし、最近のコイツらは、当時楼蘭で捕まえた狼どもとは異なるものだ。長年の研究で、コイツらには新しいDNAを植え付けてある。


 その特徴が、なかなか発現しないのが問題なのだ――

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