第9章 華龍

第113話 絶望の大陸

 多かれ少なかれ、地政学上ハートランドと呼ばれている土地では大抵、血みどろの記憶をその歴史に刻んでいるものだ。


 ハートランドというその少しだけ可愛らしい呼び名に、何の予備知識も持たない――たとえば恋愛脳の西野ゆずりはのような――人間は、うっかり別のイメージを抱いてしまうかもしれない。だがその実態は「中軸地域ハートランド」あるいは「核心地域ハートランド」――すなわち、人間の心臓のようにその生命維持のために核心的に重要な部位、という意味合いを持つ土地のことを指す。


 かねてより欧米では、地理的な特性が政治や軍事、あるいは経済活動に与える影響をメタ視点で研究する「地政学ジオポリティクス」という学問研究が盛んに行われてきた。平たく言えば、国家はその立地条件によって元々与えられた条件が異なるのだから、それぞれ元々の性格に合わせた国家経営をしないと滅びますよ、あるいは諸外国もそれぞれの立地によって自ずと行動も思考も定まってくるから、人付き合い、すなわち「外交」もそれぞれの相手に合った一番効果的なやり方があるんじゃないですか、といったことを論じる学問だ。

 その性格上、地政学は多くの政治家や軍人、地理歴史学者が学び、研究を積み重ねてきた。たとえば19世紀の米海軍将校アルフレッド・セイヤー・マハンは、海洋通商によって国家の繁栄を目指すシーパワー理論を、英国の地理学者ハルフォード・マッキンダーは、大陸の核心地域を制する者が世界を制するというランドパワー理論をそれぞれ打ち立てた。

 一般的に地政学とは、主にこの「シーパワー国家」と「ランドパワー国家」という二つの異なる存在の相克を論じるものと言って差し支えないだろう。


 まずは言葉の定義だ。ランドパワーとは読んで字のごとく、大陸の覇権を目指す国家のことを指す。世界にはユーラシア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア、そして南極という六つの大陸が存在するが、世界の覇権を争う国家の興亡を研究する地政学における「大陸」といえば、ほぼユーラシア大陸のことを指す。なぜなら、文明国家がしのぎを削って食うか食われるかの歴史を繰り広げてきたのは、まさしくこのユーラシア大陸であるからだ。

 さらにこの大陸を細かく区分するとすれば、西方のヨーロッパ大陸と東方のアジア大陸に分けられる。

 ヨーロッパ大陸には、日本人にはお馴染みのドイツ、フランス、スペイン、イタリアなどの西欧諸国と、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ウクライナなどの東欧諸国がひしめき合う。

 ヨーロッパ大陸からアジア大陸まで、東西に長く伸びる世界最大の版図を持つロシアという国をヨーロッパに含めるのか、それともアジアに加えるのかは難しいところだが、彼らロシア人自身のメンタリティとしては、自分たちのことをヨーロッパ人だと思っているから、この際ロシアもヨーロッパ大陸の一員としておこうか。首都モスクワもヨーロッパ大陸の東の外れだ。

 いっぽう東方のアジア大陸であるが、この中核をなすのが中国だ。

 かつてロシアが「ソビエト社会主義共和国連邦」通称「ソ連」と呼ばれていた時代は、ユーラシア中部のカザフスタンやウズベキスタン、トルクメニスタンなど多くの部族国家スタンを共産主義の名のもとに併呑していたから、中国は事実上このソ連に大半を取り囲まれていたと言っていいだろう。

 だが、僅か69年間でこの共産主義人工国家が崩壊すると、ロシアという国家は、西はベラルーシやウクライナを手放し、南は先ほど言ったユーラシア中部部族国家を軒並み手放し、ほぼロシア帝国当時の国境線まで後退して元の鞘に収まった。

 以来アジア大陸は、中国を中心とする東アジアと、ロシアが諦めた部族諸国家および中東のイラン、イラク、サウジアラビアなどを含む西アジアにさらに区分されたのである。


 翻ってシーパワー国家とは何か。それはまさしく海洋覇権を狙う国家のことである。具体的には、大陸上に存在するランドパワー国家とは対照的に、海洋に囲まれ、海洋通商によって世界の覇権を握り、国家を繁栄させようとする諸国のことだ。

 その代表格がイギリスであり、19世紀末からいきなり世界史の表舞台に躍り出てきた日本である。

 広大な大陸にその領土を持つアメリカが、ランドパワーなのかシーパワーなのかという問題については、初期の頃こそ議論の対象となったが、現在ではシーパワーで間違いないというのが通説だ。なぜならアメリカ合衆国は、自身の大陸それ自体に競合相手となる同格の国家が存在せず、その存在が固定化されているうえに、東西を大西洋と太平洋という二つの大洋に挟まれているからである。スケール感こそ違えども、その地政学的な特徴は海洋国家であるイギリスや日本と変わらない。最近はオーストラリアもアメリカと同じ理屈でシーパワーの戦列に加わっている。


 地政学者に言わせれば、世界の覇権争いとはすなわち、究極的にはこの「ランドパワー」対「シーパワー」の争いだ。

 地政学的な相性でいえば、ランドパワー国家同士はいがみ合うことが多いが、シーパワー国家同士は割と仲良く共存できるとされる。そして、ランドパワーとシーパワーはお互い天敵とされ、永遠に分かりあうことはないというのがざっくりとした色分けだ。


 20世紀ドイツの陸軍将校であったカール・エルンスト・ハウスホーファーは、「国家とはその生存に必要な資源を得るための生存圏レーベンスラウムを必要とする」と説いた。すなわち、である、ということだ。

 この理論に基づけば、ランドパワー同士がいがみ合う理由も明らかであろう。限られた土地の中でよりよい農地を求め、より多くの資源を得るためには、どうしても隣から掠め取らなければならないゼロサムゲームを繰り広げるしかないからだ。

 逆に、シーパワー同士が比較的共存できる理由も明白だ。海は人間の尺度からすればあまりにも広大で、無限なのだ。お互いが住み分けるだけの懐の深さを十分持っている。もっと言えば、シーパワーはお互いが協力し合わないと通商が成り立たない。もともと自分たちの国土はそれほど豊かではなく、海洋に活路を見出した人々だ。補い合う必要があるのである。彼らにとっては海洋こそが生命線――聖域だ。

 だからシーパワーはむやみにランドパワーにちょっかいは出さない。必要がないからだ。通商の玄関口さえ開けてくれればそれでいい。しかし逆に、ランドパワーは大陸での繁栄に限界が来ると、海洋に進出しようとする傾向がある。だから、シーパワーは本能的に自分たちの聖域――縄張りに進出してきたランドパワーを徹底的に叩き潰すという生存本能を持っている。事実、海洋に進出してきたランドパワーがシーパワーに勝ったという例は歴史上存在しない。

 それが、英仏戦争におけるフランスの没落であり、インドシナにおけるフランス、オランダ等の植民地支配の終焉であり、そして米中戦争における中国の滅亡である。


 東アジア大戦が始まるまで、多くの日本人は、世界にはまるで「世界統一政府」や「世界警察」みたいなものが存在し、世界中の国を管理・監督し、道徳的に導いてくれる、といったような幻想を抱いていたらしい。たとえばその代表が「国連」という組織であると思っていたような節があるのだ。

 ところが世界の本当の姿は、昔から現在に至るまで、アメリカの西部劇に出てくるような無法者集団がのさばる弱肉強食の世界に過ぎない。そこに警察や裁判所のような絶対的な権威・権力は存在しないのだ。強大な国家は一目置かれるが、弱小国家や、利益をもたらさないお荷物国家は大抵の場合放置され、無視され、時には強い者に好きなように食い散らかされる。

 だからアフリカ大陸はいつまでも暗黒大陸でしかないし、世界の片隅で起きている民族紛争や民族浄化はいつまで経ってもなくならない。世界の富の90パーセント以上を占めるほんの僅かな先進国家にとって、彼らは自分たちの国家の繁栄に何の関係もない、取るに足らない存在だからだ。

 石油という資源を持っていた中東諸国の争いだけは、先進国の利益に直結するから、昔から大国が介入し、代理戦争もしばしば起きていた。だがそれも、日米という超大国が石油資源からの脱却を宣言したから、そのうち打ち捨てられる運命だろう。


 国連は結局、ランドパワーとシーパワーの激突に際し歴史上何の役にも立たなかったし、米国に徹底的に叩き潰された中国が内戦に陥った時も、そのタイミングで火事場泥棒的に半島を赤化統一してその後日本に征伐された半島が無政府状態に陥った時も、まったくと言っていいほど何もできなかった。

 結局超大国は、カネだけせびって何の役にも立たなかった国連を見限り、日本やアメリカなど国連運営資金の八割を拠出する先進各国が資金の提供を一切拒むことで、事実上これを解体に追い込んだ。


 ここまでやってようやく日本人は国連幻想から目覚めたのである。所詮国連は金持ち国家の言い訳エクスキューズのための交流サロンでしかなかったというわけだ。


 そして現在残されたのが、あらゆる庇護の元から打ち捨てられた中国大陸というわけだ。

 今や中国大陸には「中国」という統一国家があるわけではない。もちろん自由主義陣営の傀儡ともいえる「民主中国」という臨時政府が上海に存在し、一応は中華人民共和国の正統な後継政府を名乗ってはいるが、北京以北には事実上その統治が及んでいない。じゃあそれ以外の地域はどうかといえば、西安や重慶・成都、広州といった西部や南部地域もまた、それぞれなんとなく勝手に自治を進めていたり、人民解放軍の残党が地方軍閥を興したりしていて、民主中国ももはや空中分解寸前である。

 結局のところ、中国大陸におけるハートランドとはいったいどこなのか。少なくともそれが上海ではないことは地政学的には明らかであって、ランドパワーである中国の核心地域というのはやはり北京や西安、重慶といった内陸都市になるのであろうと皆漠然と分かっている。すなわち、これら地域を制する者が、中国全土を制するのだ。

 だから上海政府はしきりに北京を攻略したがっているし、西安や重慶には戦略拠点化されないよう物流を制限しているというわけだ。


 上海には引き続き米英仏を中心とした多国籍軍が駐留している。だが西安にはロシア軍が、重慶にはインド軍が単独で駐留しており、国防上および歴史上の理由から、日本軍は北京より北、すなわち旧満州地域に進出して反政府組織と激しい消耗戦を展開している。

 上海政府はもともと中国経済人が中心となって立ち上げた政権であるから、これら中国各地を総攬して統治する能力など最初からない。だからそれぞれの中核地域で外国軍の介入をしばしば受けながら、ほとんど無政府状態のような有様でここ数十年を費やしているのである。


 つまり、中国大陸は今、ボロボロだ。

 特に北京郊外、天安門広場から南東15キロほどの位置にある南海子公園の傍に穿たれた巨大なクレーターは、押し寄せる民主中国軍と多国籍軍の連合部隊を食い止めるために、当時の共産党政府が躊躇うことなく撃ち込んだ戦術核ミサイルが炸裂した爆心地グラウンドゼロだ。

 いくらハートランドの奪い合いで、その勝敗が国家の命運を決めるといっても、核を使うなど前代未聞の事態であったのだが、これによって世界はついにパンドラの箱を開けてしまった。


 ありていに言うと、ヒロシマ・ナガサキの呪縛から解き放たれてしまったのである。


 この時まで世界は、核兵器というものはあくまで「威嚇」のために持つものであって、使えない兵器、使ってはいけない兵器である、という共通認識を持っていた。もし本当に使う権利を持つ国家があるとしたら、それは世界中で唯一日本だけで、しかも二発まで、というのが定説であった。もちろん日本国民がそんなことを本気で考える訳はないので、これはある種のブラックジョークだ。

 だが、日進月歩の核技術は、ある程度制御可能なほど小規模な核爆発を起こせる程度にはレベルアップしており、それに裏付けられた中国共産党の悪魔の決断は、結果として死者10万人という、に押しとどめることに成功してしまったのである。

 世界はこれを見て、核兵器は使えるのだ、という恐ろしい認識を持つに至る。


 以来、世界各地で戦術核による応酬が繰り返されるようになった。もちろん、小規模とはいっても、核の炎はそこにあるありとあらゆるものを焼き尽くす。つまりこれは焦土作戦なのだ。

 だから現在の中国大陸には、文字通り焦土と化した地域があちこちに点在する。そしてその使い方はもっぱら、中国共産党が取った手法、すなわち劣勢の守備側が「防御のために」自陣内で爆発させるというやり方が主流なのである。

 そんなわけで、日本軍がテロリスト制圧のために展開している中国東北部にも、いくつかの爆心地が広がっていた。みな、テロリストたちが自らの土地で爆発させた、である。


 そんな荒涼とした絶望の大地を進む一台のトラックがあった。

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