第112話 東子の備忘録
指揮官執務室。
四ノ宮東子は、上質な黒革張りの執務椅子にもたれかかり、リクライニングを深く倒して暫し瞑目する。程よい固さのクッションが、背中から腰、臀部のコリを穏やかに受け止め、先日来の騒動で疲れ切った身体をじんわりと癒してくれる。
「――お疲れのようですね」
目を開けると、椅子の横に新見少尉が立って、ティーカップに紅茶を注いでいるところだった。カモミールの爽やかな香りが、神経を潤していく。
「……あぁ、ありがとう」
「少し……お休みになられてはいかがですか」
新見
ただ、彼女の場合は頭が良すぎるのだそうだ。その秀才エピソードを聞いた男性は、たいてい声を掛ける前にためらって、肩をすくめるらしい。
「――そういえば、田渕軍曹はどうしている?」
「は? あっ……えっと……」
ふふん、少しだけ反撃しといてやろう。案の定少しだけ手許が狂ってカップをガチャガチャぶつけているではないか。私を心配するなど十年早いよ、副官くん……でも、ありがとう。
「――いや、いいんだ。そうだな……少しだけ、書きものがあるから、それを書き終えたら少し休ませてもらうよ……」
「――わかりました。では、失礼します」
新見が一礼して退出していった。
ぱたん、と扉が閉まると、四ノ宮はリクライニングを元に戻し、机に向かった。これだけは、記録に残しておく責任がある。この文書が、後に陽の目を見るかどうかは、神のみぞ知る……だ――
***
〈――今般の謀略事件について、一方の当事者部隊の指揮官たる私、陸軍少佐・四ノ宮東子の所見、および考察を以下に備忘録として書き記す。
思い返せば、今回の騒動の発端はあの査問委員会だったのかもしれない。
神代
このうち赤西技師長を除く三名が、現在全員逮捕されているという事実は、当時から彼らが私の部隊に対して何らかの圧力を加える意図を持っていたと推論するに足る傍証であると言えるであろう。
あの時は、委員会が槍玉に挙げた作戦が大陸での出来事だったため、証拠の捏造が不可能だったことに加え、
いずれにせよ、戦地における個別の作戦行動の結果についてその責任を問うという動きは、極めて異例のことであったから、私としてもその背景になんらかの政治的意図を感じざるを得なかったのは事実である。
そしてそのことが、以後の部隊における綱紀粛正を促したのだ。基地内であればある程度こちらの目が行き届くが、外出許可を出してしまうと、基地の外で隊員が何らかの恣意的な謀略に巻き込まれる危険性があることを考慮せざるを得なかったのである。街中での喧嘩騒動、あるいは万引き、痴漢のでっち上げなど、諜報機関であれば隊員の不祥事捏造などいくらでも可能だったからだ。
だからオメガ隊員たちが外出したいと申請を出してきた時は、将校たる石動少尉を同行させるという条件を付けたし、それ以外の不要不急の外出は――冷静沈着な田渕軍曹の一度きりの外出許可を除いて――一切許可を出さなかった。これは、あくまで部隊を守るためだ。隙を見せてはいけないのだ。
だが、その一環として
私はもっと早く、オメガ隊員個々に対し
広瀬繭の主治医が今回嘘の情報を月見里文に吹き込み、彼女の動揺を誘ったというのであればすべてに辻褄が合う。
あの医者は、なぜかあの晩他殺体で発見された。憲兵隊は、それも月見里文の仕業ではないかと疑ったが、今考えるとそれもでたらめの捏造だったのであろう。恐らく用済みになって口を封じられたのだ。有吉憲兵大佐の息がかかった憲兵将校など幾らでもいたはずだからだ。
陸軍研究所の警備を担当する民間軍事会社・T&Rコミュニケーションズの社員Sが月見里文に殺害された件も、今となっては何らかの裏があると疑わざるを得ない。その後の調べでSは多額の借金を背負っていたことが判明しており、事件の数週間前に高額生命保険に加入していたことも分かっている。
いっぽう研究所のセキュリティシステムは、事件当夜、何者かによってクラッキングされていたことが判明しており、月見里文が同夜侵入を図ったことと照らし合わせると、これについては同人、あるいは同行した
このような状況に陥った場合、本来T&Rコミュニケーションズは異常を感知してもただちに軍へ連絡するのみで、同社社員は安全管理上対処しないことが警備マニュアルに記載されており、今回Sが単独で月見里文の迎撃に当たったのはそもそも不自然なのである。
この点を思料すれば、Sはあらかじめ月見里文の侵入を承知しており、高額生命保険の加入ないしは一定額の報酬と引き換えに、何者かの指示によって彼女を意図的に攻撃することをあらかじめ計画していた可能性があるのだ。
結果としてSは月見里文に反撃され、殺害されるに至るが、当日警備を担当していた他の社員に死者が出ていないことを考えると、Sの行動にはやはり違和感があるという印象を禁じ得ない。
さて、その後の軍上層部の反応であるが、例の逮捕された三名の高級将校は当時、再び私に対して状況の詳細説明を厳しく求めてきた。そのうえで、その場にて月見里文と各務原和也に対する殺害処分を即決しており、これは軍法上も正規の手続きを踏まえない違法な判断であったと断じざるを得ない。
同人らはこれを緊急事態の名分の元に正当化し、ただちに麾下の特殊作戦群に追撃・討滅の命令を下したが、正規の作戦命令書を発行した時点でこの行為は軍の公式見解とされるわけであるから、この時点で元々非合法だった彼らの判断が合法的なものへと擦り替わったのだ。
いっぽう我々オメガ小隊に対しては禁足令を下命。当初私は、隊員の責任を取る形での小隊による追撃・逮捕を申し出たものの、これを却下。部隊の行動を阻害し、作戦情報へのアクセスを禁じるという越権行為に及んだものである。オメガ小隊は参謀本部直属であるから、こうした処分は本来陸軍参謀総長の名のもとに執行されなければならない。だが、この時も彼らは逃亡した二名について国家反逆罪の恐れがあるとして原隊であるオメガ小隊の行動を不当に制限したのである。
ここに至り、私は同人ら三名こそ、軍の指揮命令系統を拡大解釈し、恣意的な判断を繰り返しているのではないかとの疑念に駆られ、同時にその裏に何らかの謀略の影を感じたという次第だ。
我が隊隊員への攻撃を下命された特殊作戦群部隊の諸兄については、いささか同情を禁じ得ないが、厳密にいえば彼らとて「国民の生命財産を守ることに矛盾する命令に対する抗命権」を他の部隊同様持っていた筈であるから、集落の殲滅を命令された際、これを積極的に行使しなかった点において、その結果責任は甘んじて受け入れるべきものと考える。
さて、ではなぜそもそも三名はこれほど執拗に我が小隊に対する妨害行為に及んだのであろうか。これについては、若干の憶測も交えるしかないが、論理的に考えれば考えるほどきな臭い背景を想起せざるを得ないのである。
まずオメガ実験小隊という部隊の置かれた立場について。
我々は、大陸での戦闘実験で確実に成果を出し続けていた。オメガ各員の能力については、多少の混乱は見られたものの、着実に戦闘部隊としての実績を積み重ね、オメガが兵器あるいは軍事力として一定程度の実用性を発揮し得る目途を出しつつあった。本来このことは、国家にとって極めて喜ぶべき進展であり、国軍の戦力強化に直結する評価すべき結果である。
ところがいっぽうで、オメガが実用化されることで困る者も存在するのだ。端的に言えば、逮捕された三名はオメガ部隊が実戦配備されると困る何らかの権益あるいは利権を持っていたと推認するのが最も合理的である。
それが具体的に何なのかを推測するには、実際にオメガ部隊が実戦配備されるとどうなるのかを想像すればよい。
まずは、前線での勢力均衡が崩れるであろう。現在我が国は、主に中国大陸で反政府勢力との対テロ戦を継戦中である。ここにオメガ部隊が駐留することになれば、あっという間に大陸からテロリストを駆逐しかねない。数十年の長きに亘って行われていた戦争が終わるということになれば、困るのはまず第一に軍需産業。第二に、民主中国政府だ。
軍需産業は言わずもがなだ。兵器弾薬は定期的に消費することで需要が発生する。戦争を止めたら彼らの商売はあがったりだ。
民主中国政府についても、その統治能力の欠如から、国内に敵を作って民衆の目をそちらに逸らし、不満の捌け口としておかないと、政治への不満がすべて政府に向けられてしまうだろう。21世紀前半まで、当時まだ存在していた半島国家が執拗に反日政策を取っていた時と同じ手口だ。
そして、オメガ部隊が実戦配備されると困る者たちがもうひとつ存在する。オメガが活躍することでその地位が相対的に低下してしまう可能性のある存在。すなわち特殊作戦群の指揮権を持つ参謀本部作戦部だ。
こうして羅列していくと、我が隊に妨害行為を繰り返した三名がこれら既得権に極めて近い位置にいたことは明白である。
情報本部の榊は恐らく上海政府と繋がっている。憲兵総隊の有吉は榊の犬といったところか。参謀本部の長島は特殊作戦群という実力部隊を配下に持つことで陸軍内部の発言権を増してきた男だ。
つまり彼らは「オメガ排除」という一点において利害が一致していたのであり、結託して我が隊の手足をもごうと考えたとしてもおかしくはないのである。
統幕議長は“急いで調べた”と仰っていたが、恐らくは前々から軍内部の動向を直属の諜報機関を使って調べていたに違いないのだ。そうでなければ我が隊が決起した時、あれほど迅速に救援の手を差し伸べてくれたことに説明がつかないのだ。
なにせ我々が基地を進発してほどなく、まるで入れ替わるように統幕議長直属の国防保安局が押し寄せ、上記三名を「正規の書類手続きを経ずに作戦命令を発行した」という軽微な軍令違反の現行犯で逮捕拘束したというのだ。用意周到にも程がある。
オメガ小隊の些細なミスをつけ狙って潰す機会を窺っていた彼ら自身が、実は随分前から徹底マークされ、今回見事に墓穴を掘ったということなのだ。今後国防保安局は彼らを徹底的に追及し、今回の別件逮捕を本丸の起訴に繋げることだろう。
とにもかくにも、今回は南海の楽園に行かずに済んだようだ。出来ることなら今後も国家に対し微力ながら力を尽くしていきたい。――〉
四ノ宮は一気にここまで書き上げると、うぅーん……と伸びをして、それからぱたんと机に突っ伏した。
各務原には悪いことをしたな……東子はぼんやりと考える。石動にしたって、あの怪我ではもう戦場に復帰することはできないだろう。なんせ十数発の弾丸を浴びているのだ。生きているのが不思議なくらいだ。
いや――彼なら、もしかしたら
その前に、少し戦力強化を図らなければならんな……
そうだ、その前にやらなければならないことがある――
東子は、むくっと起き上がって先ほど書いた備忘録をドキュメントフォルダに新規保存し、別の書式を呼び出した。
それからあれこれと書類を打ち込んでいると、また眠気が襲ってくる。
執務椅子のリクライニングを倒し、少しだけ目を瞑った。
なぜだかふと、子供の頃の光景を思い出し、やがてまどろみの中に沈んでいく。
東子の頬に、一筋の涙が伝っていた――
***
――コンコンコン……
カチャリと音がして、新見が執務室に入室すると、案の定四ノ宮東子がリクライニングに深く沈んで眠っていた。予想通りだ。
新見は、音を立てないように注意しながら東子に近付くと、あらかじめ持参していたブランケットをそっとかける。
「おつかれさまでした――」
囁くように声を掛け、そのままそっと退出しようと身体の向きを変えた時、机の上に表示したままの電子書類がふと目に入る。
そこに書かれていたのは、叙勲申請だった。
〈各務原和也――戦功顕著なるを以て旭日単光章を申請するものである。併せて名誉の戦死を遂げたるを以て特進のうえ陸軍曹長に推挙す〉
新見は、その書類に向かって静かに敬礼した。
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