第99話 未必の故意
期せずして娘と再会した広瀬耕作の驚喜は、次の瞬間見るも無残に叩きのめされ、地面に叩き落された。彼女を背負っていた
「……ねぇ、かざりちゃん……もしよかったら、その……
広瀬は娘を膝の上に寝かしつけたまま、取り敢えず集会所に腰を落ち着けた突然の来訪者たちを前に胡坐を組んでいた。ずっと闘病生活を続けていた繭は、一般的な11歳女児よりは若干小柄で幼く見える。今朝の帰郷以来父親に甘えまくって
大人たちの会話が彼女の耳に入らないことを確認して、文が口を開く。
「おじさん……ホントにごめん……繭ちゃんね……もう時間ないみたい……」
「……っ!」
文は、これ以上ないほど言葉を選びながら話し始めたのだが、広瀬は最初の一言で張り詰めていた糸をぷつん――と断ち切られてしまったようだった。身体が小刻みに震えている。
「……時間がない、というのは……つまり……」
「……」
文にしても、自分がこの役割を果たさなければならないことは最初から分かっていたことなのだろうが、いざこうやって実の父親に冷酷な現実を突きつける段階になると、それ以上の言葉が思いつかないという顔をしていた。自然、口が重くなる。
同行していた、共犯していた
「……広瀬さん……今の繭ちゃんはその……もって一か月だそうです……」
「……くッ……」
広瀬にしたって、文の最初の一言でそのことは一瞬にして頭では理解していたのだ。ただ、感情が思うようについていかない。
肩で息をしながら、必死に気持ちの暴発を抑えようとして、自然、呼吸が粗くなる。
士郎は、そんな一同の様子を横で黙って見守るしかないのだが……同時に先ほどからの話に対し「なぜ?」という疑問も頭をもたげてくるのだ。繭ちゃんの余命が一か月!? そんな話は聞いていない。確かに流星群観察の時に、彼女は諦観めいたことを呟いていたような気もするのだが……。それはあくまで衰弱からくる弱気の虫だとばかり思っていた。なぜなら――
オメガ研究班長の叶少佐が言っていた言葉。
結局それに関しては、士郎がヘタれた所為ももちろんあるが、オメガたちとの同棲を始めようとした矢先に今回の拉致事件が起きてしまったがために、ロクなサンプルも成果も得られないまま今に至っているに過ぎないのだ。
であれば、今こうやって繭の余命を嘆いて皆が肩を落としている状況にあっても、なお士郎だけは、彼女の症状の改善に一縷の望みを見いだせるのだ。
自分だけは彼女を助けられるかもしれない。
ただ、それに確証が持てないだけだ。
文にしたって、勝手に繭の余命を決めつけているわけではないのだろう。だから恐らく、主治医あたりに耳打ちされて、それで思い詰めてこんな事件を引き起こしたに違いないのだ。士郎は、初めて文が繭を紹介してくれた日のことを思い出す。同郷で、妹同然で、家族同然で……だからこそ最期に繭の望みを叶えてやりたかったのだ。家族にもう一度だけ逢いたい、といっていた繭の言葉を思い出す。
だが、だからこそ今回のことは余りにも愚かな振る舞いなのだ。叶が提唱した体液交換実験は始まったばかりだったし、諸般の事情によりそれはあくまで当事者のみがその具体的内容を知る、ある種の秘密実験でもあった。だから、新たなオメガ治療法の発見に向けて自分の職掌外で大きく動き出していたことなど繭の主治医が知る由もないし、実際のところその新治療法が繭のそれこそ余命に間に合うかどうかすら分からないのも無理はない。このような状況下では、関係者の間だけでも「万が一」の可能性を情報共有しておく、と主治医が考えたというのもある意味筋が通っている。
問題はその「可能性」を、文が彼女を大切に思うあまり必要以上に深刻に捉え、そしてその若いがゆえに思慮に欠けた熱い思いを、同じように熱い思いを持つ一直線な男が義憤に駆られて受け止めてしまい、暴走してしまったことなのだ。
それは、若さゆえの無分別な行動なのだが、同時に取り返しのつかない過ちでもある。たとえばこうやって繭と肉親を再会させるという目的を果たした後、文は次にどうしようとしていたのであろうか。各務原は彼女にそこまで注意喚起したのであろうか。彼らの行動のせいで、実際誰かが傷ついたり命を落としたりしているかもしれないのだ。
それは、若さゆえの過ち、という一言ではとうてい済まされない深刻な副作用だ。事実、こうやって繭の父親を悲しませているし、恐らくほぼ間違いなく、残された小隊の他のメンバーにも迷惑をかけている。軍は今ごろ追撃部隊を組織しているかもしれない。繭だって、今回の拉致によって身体に余計な負担を強いているかもしれないのだ。世の中には、若いからといって許されないこともあるのだ。
広瀬耕作が口を開く。
「私が……私がもっと早くから繭を治療させていれば……こんなことには……」
「――おじさん……そんなことないよ……ここにはもともとお医者さんなんていないし……」
「そ、そうですよ広瀬さん。もともとPAZの人間は医療を受けられないんだ……」
文と各務原が広瀬を気遣う。だが、彼の後悔はもはや止められない。
「かざりちゃん、各務原さん、そうじゃないんだ……確かにここはPAZだ。ロクな医療設備はない。だがそれは言い訳なんだっ!
本当なら、娘の病状が
現に五年前っ! ――軍のパトロール隊がここを発見した時、すぐに繭を引き取ってくれたじゃないかっ!? そのあとちゃんと治療してくれたからっ ……まだ繭は曲がりなりにもこうして生きているんだろっ!?」
「……それは……そうだけど……」
「――じゃあなんで私は軍に見つかるまでここに隠れていた!? 自分が可愛かったからだ! 市民権を剥奪されてっ! UPZのキャンプであのまま真面目に生活してればよかったものを……勝手に逃げ出してっ……逃亡者としてずっと隠れていたせいで繭は手遅れになったんだっ……」
「……おじさん……」
「――私はっ……繭にまともな治療を受けさせなければ……繭が死んでしまうことが最初から分かってたんだっ……分かってて……放置した……」
広瀬耕作は、どうしようもなく慟哭していた。自らの不作為に、自らを責めることで救いを求めているかのような、そんな若干の苛立ちを士郎は感じていたのだが。
「死ぬのが分かってて放置した……そういうのを何て言うか知ってるかい……文ちゃん……」
広瀬の言葉に、文は首を振った。
「――未必の故意、って言うんだよ……死んでも構わない……っていう、消極的な殺意だ」
その言葉を聞いた士郎は、いくらなんでもそれは自虐過ぎだ、と考える。
だから割って入ることにした。
「――広瀬さん、ちょっといいですか……」
突然士郎が口を挟んできたことで、その場の一同がふと我に返ってこちらを見た。
「は……はい……どうぞ、
「あなたは、自分が未必の故意で繭ちゃんを助けなかった、と嘆いているようですが、それは違うと思います。彼女は軍が発見した時点で十分助かる見込みがあった……つまり、あなたはきちんと手遅れになる前に娘さんを軍に託したんです――判断は間違っちゃいない」
「な……なんでそんなことが言えるんです!? 気休めはよしてくださいっ」
「気休めじゃありませんよ。俺、この集落で気付いたことがあるんです」
士郎は、今朝この集落に来て以来ずっと感じていた違和感の正体が分かったような気がしていた。
一同は、黙って続きを促す。
「――ここにはまだ他にも、オメガの方々がいらっしゃいますね?」
「……!」
確かにその通りだった。広瀬も、もちろん文も、それが当たり前すぎて何も疑問に思っていなかったのだが……
「五年前、と仰いましたか……? 繭ちゃんと、そしてここにいる文が軍に保護されたのは……」
「そ、そうです……」
「軍は基本的にPAZで発見されたオメガたちをみな保護して回っている……ではなぜここには他のオメガたちが暮らしているんです? 最近一緒に住み始めたんですか?」
「い、いえ……彼女たちも当時から一緒でした」
「――やっぱり……」
士郎には確信があった。この集落には、青白く光る瞳を持った女性たちが他に何人もいるのだ。ほとんどのオメガたちは、具合を悪くして床に臥せっている。
「では当時なぜ繭ちゃんや文は保護され、他の方々はそのまま残られたのです? 行きたくないと言って認められたのですか?」
「いえ……一緒に来るように言われたのが繭とかざりちゃんだけだったんです」
「――つまり、そういうことです」
「え……ど、どういう……」
「繭ちゃんと文は、軍に発見された時点で命に別状はなかった、ということです。裏を返せば、他のオメガの方々はその時点で既に助かる見込みがない、と判断されたのでしょう。つまり……最初から見捨てられていた」
「――そんな……!?」
文が驚きと怒りが混じったような声を上げた。
「広瀬さん……繭ちゃんは別に手遅れでもなんでもなかった。今の症状悪化はあくまで軍に保護されてからのものです。それが、彼女の成長に伴い蓄積された余剰放射能エネルギーの所為だという説もあることを俺は知っています。だから――」
士郎は、驚きで表情が固まっている広瀬耕作を正面から見据える。
「あなたの娘さんに対する“未必の故意”は成立していない。大丈夫です――むしろこっちの方は死んでも構わない、と考えて、助かる見込みのない他のオメガの方々を保護しなかった軍のほうがよほど……未必の故意を働いたと言うべきでしょう」
広瀬のために、極力冷静に話をしたつもりの士郎であったが、その実、心の中は煮えくり返るほど憤っていた。要するに軍は、兵器転用の可能性のある元気なオメガだけを助けて、他の朽ち果てようとしていたオメガたちは意図的に救出を放棄していたのだ。
いったい軍は、誰の権限で命の選別をしていたのだ――!? まさか……?
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