第100話 原隊復帰

「なんかさー、基地の中を移動するだけなのにぃ、なんでわざわざアンビに乗ってくのぉ?」


 その少女は、ハンドルを握る業務隊の隊員に、スイーツのような甘い声でぼやき続けていた。


「まぁまぁ……それだけ大事にされてるってことでいいじゃないですかー」

「えー? 過保護だよぉ……天気もいいからのんびり歩きたかったのにぃー」


 初夏の所沢駐屯地。

 陽は既に高く、幅員15メートルはあろうかという基地のメインストリートには、夏の陽光に焼かれたアスファルトのせいでゆらゆらと陽炎が立ち昇っていた。

 その道を比較的ゆっくりと進むのは、迷彩柄に塗装された軍の1トン半救急車アンビ(ュランス)。 救急車と言っても中型トラックと同程度の大きさの高機動車をベースにしたパネルバン型のため、どちらかというとアイスクリームの移動販売車みたいなイメージである。ただし、甘い匂いの移動販売車と決定的に違うのは、そのボディの横腹に大きく描かれた赤十字のマーク、そしてルーフに付いた赤色灯だ。

 研究所付属病棟を発ったアンビは、ものの二分もしないうちに兵員居住区画に到達した。歩けば七、八分かかる距離だ。

 居住区に入るとさすがに道路の道幅は急に狭くなるが、その道に沿って植えられた街路樹の作る木漏れ日の下を、アンビは迷うことなく最終目的地まで軽快に走っていく。

 キュ……と小さなブレーキ音がして車両が停まった。


「――ありがとーっ! じゃあねー!」

「はい、お大事に――」


 バン、と助手席のドアを閉め、少女は地面に降り立った。

 Uターンして元来た道を戻るアンビを見送ると、少女はあらためて目の前の隊舎を見上げる。

 白色のオフショルダーブラウスにデニムのミニスカート。肩からポーチを斜め掛けにし、足許はパープルラメのサンダル。麦わら帽子の下から、艶やかな黒髪ボブが覗いていた。

 比較的小柄だがメリハリの利いた少女の体型は、見る人をはっとさせるのに十分な魅力を放っている。

 現に隊舎の入り口に立っていた歩哨が、見る間に頬を紅潮させ、動揺を隠しきれない様子であった。


「おっ! おかえりなさいっ!!」

「あー! 久しぶりぃーっ! 入っていいっ!?」

「ど……どうぞっ!!」


 膝上20センチはあろうかという超ミニスカートに素足という出で立ちのせいで、歩哨は目のやり場に困り果て、最終的に回れ右をして背中を向けたままで入口のロックパネルを操作した。

 プシュっ――という音がして気密扉が開くと、少女は颯爽と中に入っていく。


「……い、いい匂いだなぁ……」


 あとに残された若い歩哨は、夢見心地のままである。


  ***


 オメガ専用隊舎、共用リビングいつものとこ――

 大きめの白いソファーに、一様に険しい表情をした美少女が三人、思い思いに腰掛けていた。「険しい」と言っても元が端正な顔立ちなので、どちらかというと「不愛想」と言った方が近いかもしれない。いずれにせよ普段の彼女たちを知る者が見たなら、何かあったのかと一瞬にして訝しむくらいの、ある種の緊張感がそこには漂う。

 そんな彼女たちの間に挟まるようなかたちで、居心地悪そうに同席しているのは田渕軍曹と香坂上等兵だった。二人ともオメガ小隊が帰国してほどなく――四ノ宮少佐の査問委員会が終了して連絡体制になってからだが――私用で休暇を取っていたため、少女たちオメガと顔を合わせるのは結構久しぶりである。


 結論から言うと、昨夜の事件以来、オメガ小隊は全員が禁足令を喰らっていた。指定の隊舎以外は出入りおよび通行禁止。特例として、日中に限り男性小隊員がオメガ専用隊舎へ入棟することのみ許可されていた。

 格納庫や車庫、練兵場はもちろんのこと、基地内に設けられたジムや体育館、図書室や娯楽室などへの入室も禁じられたから、自然みんなが一箇所に集まるしかなかったのである。


 もちろんここにいる全員が、昨日の事件の顛末を聞かされていた。そのあまりに荒唐無稽な話に、最初は誰もが悪い冗談だと思ったくらいだ。だが、現に士郎とかざり各務原かがみはらが夜中になっても隊舎に戻ってこなかったことで、にわかに事態の深刻さが現実味を帯びたのである。


 先ほどからみな、何かを言いたそうにしては結局言い淀んで押し黙ってしまう……という繰り返しであった。異様な沈黙が、場を支配する。

 誰かが耐えかねて、ふぅー……と小さな溜息をついた、その瞬間だった――


「やっほー! たっだいまぁー!!」


 リビングの入口で、底抜けに明るくて軽やかな声が響いた。砂糖菓子のような甘くて可愛らしいその声の持ち主は――


「えっ!? ――ゆずっ!?」

「あっ! ゆずちゃんっ!!」

「わぁ! おかえりなさいー!!」

「へっへーーん!」


 西野ゆずりはが、ビックリするぐらいドヤ顔でポーズを決めていた。


「退院!? したんですね」


 ほんの一瞬前まで仏頂面をしていた香坂の顔が途端にほころんだ。


「いやぁ、大変だったねぇ!」


 田渕は、まるで娘を迎え入れる保護者のような顔つきになっていた。リビングが、一気に華やかな空気に包まれる。


「えっ? なんで!? 退院するなら教えてくれればよかったのにっ!?」


 楪に駆け寄ったくるみが彼女に抱きついた。

 もう一人、お尻の方に抱きついているのは亜紀乃である。


「おかえりなさいです! 元気になってよかった」


 楪が皆を見回しながらあらためて口を開く。


「みなさんっ! ご心配をおかけしました! 西野楪、ただいま原隊復帰しましたぁ!」


 颯爽と敬礼した彼女に、その場にいた全員が答礼する。先ほどまでの押しつぶされそうな沈黙が、あっという間に雲散霧消した。

 砂糖菓子のような、甘い声色。オメガ小隊随一の女子力を誇る、可愛くてお洒落でガーリーな雰囲気を遠慮なく辺りに撒き散らす、コードネーム〈起爆装置デトネーター〉西野楪が、戦列復帰した瞬間だった。


  ***


「ふぅん……そうなんだ……道理で病院から歩かせてくれなかったわけだ……」


 ゆずりはが、先ほどわざわざ救急車アンビでここまで送り届けられた理由をようやく理解する。退院した時点で、楪も他のオメガ小隊員同様、禁足令の対象だったのだ。


「――正直、心配で気が気じゃないんだ……士郎は無事なんだろうかと思うと――」

「私もそれが気がかりで……士郎さんに限って文ごときにやられるとは思わないんですが……」

「いくらなんでもかざりちゃん、馬鹿な真似はしないとは思うのです……けれど……」


 久遠くおんとくるみ、そして亜紀乃が口々に不安を口にする。楪が戻ってきてくれたことで、必死に溜めていた気持ちが溢れ出してきた、といったところか。


「えっと……みんなは少尉とすっかり仲良くなったんだね!?」

「……あ、あぁ……そ、そうね……」


 途端に久遠とくるみが頬を赤らめ、視線を逸らす。亜紀乃が余計な説明を始めた。


「ゆずちゃん、少尉は実験のためみんなと一緒に暮らすことになったのです……それでどうやら、久遠ちゃんとくるみちゃんはオトナの関係とやらになったらしく――」

「だーーーっっっ!!! 亜紀乃ちゃんっ!」

「ぎゃーーーー!!!」


 久遠とくるみが急に挙動不審になる。


「――えっ!? ど、どういうこと……かな?」


 楪の表情があからさまに変わった。ついでに言うと、何も聞かされていなかった田渕と香坂も、キョトンとした顔つきになる。


「――ですから、少尉と私たちは叶班長の命令で“同棲して体液交換しなさい”と言われたのです」

「ど……同棲ぃー!???」


 楪の顔が真っ赤になる。彼女は結構察しがいい。自分が入院している間に、この子たち、いったい何をやらかしちゃってんの!?


「ゆずっ! これは命令なのだっ!! 決して個人的な感情では――」

「ずっ! ずーるーいーっ!! たっ、体液交換って……!?」


 楪の動揺は尋常ではない。そりゃそうだ。少尉とは退院したら一緒に買い物に行く約束をしていたのだ。抜け駆けみたいなことをしちゃって、ちょっとだけ他の子に悪いかなーと思っていたら、同棲? 体液交換? 意味分かんない……!

 最初ポカーンとしていた田渕と香坂も、亜紀乃の説明が意味するところをようやく理解して、見る間に困惑の度合いを深める。


「体液交換には何種類かあるようです――久遠ちゃん以外は唾液の交換まで、久遠ちゃんだけはどのような体液交換でも許可されたのですが、くるみちゃんはルールを破ってオトナの体液交換を試みたようです」


 亜紀乃の極めて事務的な説明が、余計に猥褻感を掻き立てているように聞こえるのは気のせいだろうか。


「だ、唾液の交換って……それってキスのことじゃ――」

「ちちち違うのだゆずっ! これは、ゆずも退院したら実験に加わってよいことになっていて――」

「わたしルール破ったわけじゃありませんよっ!? だって現実ではやってないんです――」

「え? え? ……実験? 現実では、なに??」


 完全に大混乱である。どう考えても楪に言うタイミングを間違えている。忖度そんたくという言葉を知らない亜紀乃が、淡々と説明を続ける。


「あ、そういえばこの話、もとはと言えばゆずちゃんが原因らしいですよ」

「へ……!?」


「なんでも、オメガであるゆずちゃんが普通の人間アルファである少尉との輸血に成功したってことで、オメガとアルファの間に意識の共有現象が起きる、とかなんとか……」

「そ、そうなのだ! だからその現象を再確認するために、私たちは士郎と体液交換実験をしろと言われただけで――」

「意識の共有……?」


 楪が唐突に真顔で聞き返す。


「そ、そうなんです……ほら、一番最初に未来みくちゃんが士郎さんたちを発見した時も、意識の共有があったって……未来ちゃんはもともと士郎さんと何らかの体液交換があったはずだって――」

「わたしも……」


 突然、楪がくるみの話を遮った。


「――確かにわたしも、少尉と意識を共有したかもしんない……ゆうべ……」

「「「えっ!?」」」

「わたしね……昨夜少尉の夢を見たの……どこかの森の中を……凄いスピードで飛んでる夢……」

「それって……」

「うむ! 士郎の意識を通して見た本物の光景……かも……」

「じゃ、じゃあ! 士郎さんはまだ無事なんですねっ!?」


 理屈がよく分からない田渕が我慢しきれずに口を挟む。


「すみません、さっきから今一つ理解できていないのですが、石動少尉とゆずさんが輸血をした、というのはそんな大ごとに発展する話なんですか?」

「あっ! そうでした……最初から順を追って説明しますね」


  ***


「なるほど――よく分かりました」


 くるみの説明は理路整然としており、田渕も十分理解したようだった。田渕だけではなく香坂も、入院して浦島太郎状態になっていた西野ゆずりはも、その全体像をようやく完全に把握する。


「……じゃあ、私のこの右手も、全部少尉のお陰なんだ……」


 楪は、自らの機械化腕手ロボティクスアームをいとおしそうに撫でつけた。人工皮膚で表面上は普通の人間の腕と何ら変わらないが、彼女の腕は今や完全に機械で出来ている。

 確かにトランスヒューマン化手術は大量の輸血を必要とすると聞いていたが、そう言われれば何で自分がこの機械の腕を付けられたのか、深く考えていなかった。

 あれから数度、少尉はお見舞いに来てくれたけど、そんな大事なことは一言も話してくれなかったのだ。きっと恩着せがましくなるのを嫌ったのだろう。やっぱりカッコいいな、と楪は素直に思う。


「実はゆずちゃんって、THトランスヒューマン手術に成功した初めてのオメガらしいのです」


 亜紀乃が誇らしそうに付け加えた。


「じゃあそのまゆちゃん? って子も、もしかしたら少尉が輸血したら助かるかもしれなかったってこと?」

「ああ、だからかざりがその子を連れて行ってしまった理由が分からないのだ」

「もしかして知らなかったんじゃ――」

「…………」

「……確かに……叶班長の説明の時、文はいなかったな……」


 まったくその通りだった。四ノ宮少佐の説明によると、文たちは繭というオメガ少女の拉致を目的として病棟を襲撃したらしい、とのことであった。少尉はたまたま襲撃のタイミングで少女と一緒にいて、巻き添えを喰らったのでは、という話だった。

 もし文が外国勢力と繋がって軍機を盗み出そうとしたのではなく、純粋に少女の衰弱を嘆いて犯行に及んだのだとすれば、彼女が「治療できる」と分かれば戻ってくるのではないだろうか!?

 その場にいた全員が同じことを考えていた。


「どうやら――文さんたちを説得して連れ戻せる可能性が出てきましたね……」


 田渕が口を開く。


「ゆず……なんとか士郎ともう一度、意識共有できないだろうか?」

「わたしたちは残念ながらまだ士郎さんと一体化できていないのです」


 久遠とくるみが前のめり気味で楪に迫った。

 そこはかとなく、18禁な表現になっているのは気のせいだ。


「うーん……それがね、こっちが見ようとして見られるものじゃないの……片想いだとダメなのかも……」

「……そういえば叶班長が言ってました。お互いが意識しないと同期シンクロナイズできないとか何とか……」

「きゃー、なんかちょっと素敵っ」


 確かに、士郎とオメガとの意識共有――同期シンクロナイズ――は、ある種恋人同士のようなメンタリティが求められるのかもしれない。お互いがお互いを想い合って、初めて意識が繋がる……恋愛体質っぽい楪には、非常に分かりやすい法則である。


「じゃあわたしっ! 今からずっと少尉のこと考えてる! 少尉が一瞬でも私のこと考えてくれたら、その瞬間きっと意識が共有できると思う!」

「なるべく場所が特定できるような画像を意識して探してください。地形とか、標識とか、建物とか」

「分かったよ!」


 そういうと、楪はおもむろにソファーに横になり、長期戦に備える体勢をとった。


「――問題は、私たちがどうやって基地を抜け出して救出に向かうか、ということですな」


 田渕が冷静に呟いた。

 禁足令を犯せば、相当厳しい処分が待っているのは間違いないのだ。ましてや今朝、この基地に特殊作戦群タケミカヅチが転進してくる、という噂を聞いたばかりだ。


もしや文たちを追撃するのは彼らなのか――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る