第63話 家族の笑顔

 その時だった。

 突然肩を掴まれ、横に押しやられたかと思うと、ゴンッ、と鈍い音が響く。


 ――だが、サルマに痛みはない。

 えっ!? と思って目を開けると、父さんが目の前に立っていた。額からダラダラと血を流し、しかししっかりとその場に立ちはだかる。


「――父さんッ!」


「――俺の娘に! 手を出すなッ!!」


 父さんが、見たこともないような気迫で自分の前に仁王立ちしていた。


「なんだジジイッ! 死にてえのかッ!」


 暴徒たちがいきり立って父さんに詰め寄る。その目はまるで狂犬病にかかった野犬の様で、眉間に険しい皺を何本も寄せ、口は耳まで裂けているかのようだった。そんな気違いじみた奴らが何人も、胸を押し付けるようにして父さんを取り囲む。


「聞こえないのかッ!! 俺の娘に手を出すなと言っている!!」


 父さんはなおも暴徒に裂帛の気合で怒鳴りつけた。こんな父さんを見るのは初めてだ。

 昔はいつも陽気で優しかった父さん。

 今は憔悴して、滅多に口をきかなくなった父さん。

 私を守ろうとして、暴徒たちに立ち向かってくれてるんだ――そう思うと、サルマの目に熱いものがこみあげてくる。

 ……でも……

 このままじゃ父さんが殺される……!


「んだとテメェ! じゃあお望み通りお前からこ――」

 その刹那――


ドギャァンッッッ!!!


 突然のことに、サルマは一体何が起きたのか、その瞬間脳の思考が完全に停止してしまった。

 暴徒が父さんに掴みかかろうとした瞬間、目の前から掻き消えたのである。父さんは、「え……」と言ったきり動けなくなっていた。


 ――ドカッ!

 ドカドカッ!!


 数メートル先に鈍い音が響く。見ると、先ほどまでいきり立っていた暴徒たちがグシャリと地面に落ちていた。


「いやぁ!! 間に合ったようだね!」

「――ヨースケッ!!?」


 そこには、小型車プジョーから降り立ったヨースケが立っていた。

 見ると、ボンネットが激しくひしゃげている。


「……やれやれ……せっかくの愛車が台無しだ」


 父さんに掴みかかろうとしていた暴徒を、すんでのところで駆け付けた洋介が車で躊躇なく跳ね飛ばしたのだ!


「ヨースケっ!!」


 サルマは思わず洋介に飛びついて抱き締める。


「さぁ! 二人ともすぐに乗るんだ!」

「分かった!」


 サルマは鼓動が跳ね上がるのを感じる。

 ヨースケは、いつだって私たち家族がピンチの時に現れる。そしていつも飄々として、さも何事もなかったかのように涼しい顔をしているのだ。

 暴徒を跳ね飛ばす!?

 ヨースケはまともじゃないよね……そう思うとサルマは自然と笑顔になった。なんて頼りになる人なんだろう。


 二人が乗り込むのを確認し、洋介は車を急発進させながらサルマに問いかける。


「サイードとマジッドは?」

「アパルトマンの屋上だと思う! さっき私たちを庇って上に登って行ったの!」

「よしッ! サルマ! 運転を代わってくれッ!」


 そういうと洋介は急ブレーキをかけ、運転席から飛び出す。振り向きざま、


「また暴徒が襲ってきたら、遠慮なく車を出すんだ! ――可能な範囲でここに待機していて欲しいけど!」

「分かった! あとヨースケ……!」


 サルマは言葉を継ぐ。


「気を付けて……」


 不安そうな表情を少しだけ浮かべるサルマに、洋介は笑顔を返した。


「あぁ! 大丈夫だ!」


 そう言うと、ジャケットのポケットから拳銃オートマティックを取り出し、ガチャリと遊底を引く。

 サルマはビックリして目を見開く。


「……そんなものどこで……」

「あー、そこで拾った」


 こともなげに明るく言い放つと、洋介はアパルトマンの非常階段に向かって走り出していった。


  ***


 それから数分もしないうちに、洋介がマジッドを背負って非常階段を駆け下りてきた。後ろにはサイードが続く。


「兄さん! マジッド! 無事だったのね!」

「よかった……」


 サルマと父さんが車の中から身を乗り出した。


「サルマッ! 助手席に移って!」


 洋介は言い放つと、後部座席の扉を開けてマジッドを放り込んだ。父さんが膝の上でしっかりと抱きとめる。「無事でよかった」父さんはマジッドに大きな腕を回してがっしりと掴んだ。後部座席の反対側にサイードが潜り込み、サルマが助手席に場所を移すと、洋介は運転席に飛び乗ってアクセルを力いっぱい踏み込む。


 ギャギャギャギャギャアーーーー!!


 前輪が白い煙を上げて急回転し、大人五人を満載した銀色のプジョーが弾けるように走り出した。



 ――しばらく走ると、車はどこかの大通りに出た。


 街灯はどこもかしこも叩き壊されており、周囲を照らすのはあちこちで炎上する車両だ。

 通りに面した店舗のウィンドーはどれも破られ、ガラスが粉々に砕けて店の前に散らばっていた。

 斜めに傾いた信号機が、本来の意味を失って赤く点滅を続けている。

 道路上にはいろいろなものが散乱しており、洋介はその間を縫うように右に左にハンドルを切り、スピードを落とさないまま巧みにすり抜けていった。

 不意に七、八人の集団が横道から走り出てきた。プジョーが近づいてくるのが分かるとこちらを向いて壁上に並び、手に手に持った棒状のものや何かを高く頭の上にかざして何事か喚いている。


「ヨースケ……!」


 助手席でサルマが不安げな声を出す。


「掴まってろよ!」


 洋介はそう言うと、集団に向けてアクセルを踏み込み、突進する――!


「わぁあああぁっっっ!!」


 暴徒たちは、何のためらいもなく突っ込んでくる車に恐れをなし、横っ飛びに飛びのく。

 サルマは後方を一回覗き込んでから前に向き直った。

 思わず、笑い出す。


「――ぷッ……! ヨースケ、狂ってる!」

「ああ! そうだなッ!」


 洋介が陽気に返事をする。

 その態度に、後部座席の三人も一緒になって笑い出した。


「――ぷぷッ」

「あはは……」

「わははははっ」


 家族に、ようやく笑みが戻った。

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