第15話 ジャンクDNA

 ところで、都市伝説のようにオルタナティブサイトで語られていた〈オメガ〉は、必ず「目が赤い」という特徴を持っていたわけだが、『本物の』オメガの目は実際のところ「青白く」光っている。それが「違和感その二」だ。


 新見少尉によると、それは第一に大衆を欺くための「意図的な情報操作」の一環だそうだ。

 噂話とはいえ、人々はそうした情報バイアスに気を取られて、仮にどこかで「目が青く光る」本物のオメガを目撃したとしても、彼女たちを“噂のオメガ”と認識することはないのだという。

 情報部は、そんなところにまで手を回していたのか。


 肝心の「目が青く光っている」理由については、少尉は知らない、と言っていた。

「でも彼女たちの目、綺麗でしょ」というのは士郎も認めざるを得ないが。

 昔、あれと同じような光をどこかで見たことがあったような気がしていたが、次々湧き上がる疑問に、これに関してはたちまち頭の隅に追いやられる。


 何といっても士郎たちが驚愕したのは、〈オメガ〉たちのあの戦闘力の秘密だ。

 一昨日の戦闘では散々やられてしまったが、本来軽装機動歩兵というのは決して雑魚兵種ではない。まぁ特殊作戦群タケミカヅチみたいに戦闘のエキスパートかと言ったらそこまでではないが、無政府地帯の民兵組織ミリシア程度には決して遅れを取らない。

 今回士郎たちの小隊が追い詰められたのは、ひとえに「数の暴力」によるものだ。

 だが、それでもなお数百人の武装集団を相手に、たった六名のオメガがあれほどの圧倒的な戦闘力の差を見せつけ、一方的な蹂躙をやってみせたのを目の当たりにしてしまうと、彼女たちが只者ではないことを嫌というほど認識させられる。

 新見少尉は「私の説明がこの子たちの能力のすべてではないけれど」と前置きしたうえで、その秘密の一端を語ってくれた。



ゲノム変異――。


 すべての地球上の有機体が持つ、生物としての遺伝情報の総体、あるいは「生物をその生物たらしめている遺伝情報そのもの」を表す「ゲノム」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 分子生物学的定義でいえば、生物の細胞ひとつひとつに存在している「核酸」という高分子に含まれている遺伝情報、という意味である。


 この「核酸」というのは、厳密に言えば塩基と糖、リン酸から構成されているヌクレオチドという物質から出来ている「リボ核酸」と「デオキシリボ核酸」の集合体のことで、前者をRNA、後者をDNAと呼ぶ。

 この〈DNA〉こそが、生物の遺伝情報の継承と発現を司る高分子生体物質であり、俗に「遺伝子」と称されるものの正体である。


 たとえば誰かの「髪の色」が「黒い」とか、「唇が厚い/薄い」とか、「背が高い/低い」とか、その他もろもろ。

 人それぞれの個体差というのは、すべてこの〈ゲノム〉の中に予めその身体を形作るいわば「設計図」が用意されていて、ヒトはその設計図通りに身体を形成し、個体としての「特徴」を発現させているのだ。


 もう少し大きな括りで言うと、「ヒト」には「ヒト特有のゲノム」が存在し、「ネコ」には「ネコ特有のゲノム」が存在する。

 生物の種はそれぞれ特有のゲノム、いわば「種としての設計図」を持っていて、それぞれがその基本設計図をこの〈DNA〉と呼ばれる高分子生体物質に詰め込んで次世代に引き継ぐことで、種としての連続性を保持しているのだ。

 だからヒトからは決してネコが生まれることはないし、ましてやヒトとネコの合いの子は絶対に生まれない。それぞれのゲノム構造が違いすぎるためだ。


 ところが、オメガはその〈ゲノム〉が「ヒト」のそれとは大幅に変異しているという。

 具体的に何がどう変異していて、その結果として彼女たちの身体や能力にどのような特徴が発現しているのかについては「これから追い追い分かってくる」ということではぐらかされたが、少なくともこの〈ゲノム変異〉あるいは〈DNA変異〉が引き金となって、彼女たちオメガがあれほどの戦闘能力を保持している、ということで間違いはないようだった。



 そもそも人間は、自らが持つDNAの約3パーセントしか利用していないのだという。


 残りの97パーセントは〈ジャンクDNA〉と呼ばれ、その存在意義は未だ明らかになっていない。

 「ジャンク」というとまるで「がらくた」のような印象を受け、あってもなくても無意味な、無駄なDNAと理解しがちであるが、この解釈は昔から論争の種だ。

 なぜなら人間という種は、気が遠くなるほどの世代交代を繰り返してもなお、これら97パーセントに上る「ジャンクDNA」を決して捨て去ろうとしなかったからだ。


 ではなぜ人間は、その数万年あるいはそれ以上の長い進化の時間の中で、そうした「無駄な」DNAを捨てることなく、他の「有用であることが分かっている」DNAと同様、等しく次世代に遺伝情報として引き継いできたのか。

 もしかするとそこには、今の我々では認識することのできない、生物としての大切な遺伝情報があたかも「保険」として眠っているのではないだろうか。だとしたら〈オメガ〉たちのゲノム変異とはまさしく、それら未知のジャンクDNAが活性化して――そのトリガーが不幸なことに大量の放射線を浴びたことなのかもしれないが――既知の遺伝子に働きかけていることに他ならないのかもしれない。


 新見少尉の説明は次第に熱を帯びていった。

 たとえば彼女たちは、放射能による遺伝子のメチル化――すなわち分裂機能の喪失――を抑止する〈放射線コーディング遺伝子〉という、今までの常識ではあり得ない「放射能耐性」を持つ。

 だから汚染されて到底ヒトが生きられないような環境でも身体が適応して生存することが出来ていたし、ヒトの通常能力を遥かに超えた特殊能力を発現させることが出来るようになったのではないだろうかと。


「でも、それが具体的にどのDNAに該当しているのかがよく分かっていないの」

 と彼女は残念そうに呟く。そして「日本に帰ったら、その辺とっても詳しい科学者がいるから一度説明を聞いてみるといいわ」と付け足した。


 それでようやく、この前彼女たちが戦場で垣間見せたその圧倒的な強さの根拠を、少しばかり自分に納得させることができそうだった。

 少なくとも、「普通の人間ではない」という論理的な説明が、士郎の自己嫌悪を少しでも緩和する材料にはなりそうだった。


 名前すら思い出せない、自分の横で無残にも頭を割られて絶命していた兵士。

 暴風雨のように撃ち込まれてきた無数の銃弾と爆風と硝煙の中で、膝を抱えて泣き叫びそうになっていた自分の哀れな姿。

 怒り狂った獰猛な獣たちに腹を食い千切られ、殺してくれと哀願してきた兵士の虚ろな目。

 生き地獄の中に突如として降臨し、凄惨な笑みを浮かべて士郎を見つめてきた銀髪の少女、神代かみしろ未来みく


 いろいろな光景が次第にないまぜになって、士郎の意識はいつしか深い海の底に沈んでいった。



(次回いよいよ第3章開始 第16話「壊れた日常」は 12/7 昼12:05の更新です)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る