みゆきのお母さん

 弁当を持って行かなかったことで、休憩時間は、チアキ先輩に散々、いじられだ。


「修、お前、別れたのか?」

「違います。彼女の具合が悪かったんです」

「でも、ホントのところは?」

「ホントですよ。てか、まだ

告白してないですし……」


 つい、告白してないことをバラしたので、チアキ先輩が愛の溢れたヘッドロックを食らった。

 おかげで、食べかけのシーチキンのおにぎりを落としてしまったのが悲しい。


「みゆきちゃん、風邪なのか?」

「熱があったので、そうだと思いますけど……」

「早く良くなるといいな」

「そうですね」

「いやぁ、俺が試合に誘ったから、それでケンカにでもなったのかと思ったわぁ。マジ、焦ったし」


 チアキ先輩は、そんな心配をしてくれてたんだと、何だか嬉しくなった。歳は離れてるけど、頼りになる兄貴って感じがする。俺はひとりっ子だけど、チアキ先輩みたいな兄貴なら欲しいと思う。


 バイトが終わって、家に帰っても、みゆきのことが心配で、ゆっくり眠れなかった。手のひらに、みゆきのおでこの熱が残っている。


 俺は、昼前には起き出して、『Blue Note』へ向かった。


 お昼時なので、お店はかなり混んでいた。ランチを注文する人が、席を埋めていた。

 幸いにも、俺と入れ違いで1組のお客さんが出て行ったので、すぐに窓際の席に座ることができた。


 この日は、店内にみゆきの姿はない。まだ熱が下がっていないのだろうか?


「いらっしゃいませ。何にいたしましょう」


 お冷を運んで来たのは、みゆきのお母さんだった。


「あ、コーヒーとナポリタンをお願いします」


 俺の注文を聞いたお母さんの顔が、一瞬、こわばった。


「あなたが修くんなの?」

「あ、はい……」


 突然、名前を呼ばれて、俺は動揺した。


「そう。この後、少しお時間よろしいかしら?」

「はい、夕方までは大丈夫です」

「少し、お話をさせてもらうわね」


 お母さんの口調は、丁寧だったが、有無を言わせない迫力を感じた。


 運ばれてきたコーヒーとナポリタンは、いつもとは違う味がした。作ってる人が違うんだから当然かもしれない。この後、お母さんと話す緊張感も影響してるのだろう。


 『Blue Note』では、ケーキを出していないので、ランチタイムを過ぎると、客足がガクッと落ちる。ケーキを出せば、アフタヌーンティーを楽しむお客さんを見込めるのではないだろうか?


 お客さんがはけて、ひと段落すると、みゆきのお母さんがやって来て、向かいの席に座った。


「お待たせしちゃったわね」

「いえ、大丈夫です」


 お母さんから、どんな話が出てくるのかがわからないので、警戒しながら返事をした。


「あなた、お名前は?」

「並木修一郎です」

「あぁ、それで修くんなのね」


 お母さんは、納得した様子で、うなづいた。


「並木さんは、みゆきとはどんな関係なのかしら?」


 俺とみゆきの関係。付き合っているかと言われたら、まだ告白さえしていない。じゃあ、友達かと言えば、そうではない。


 よく「友達以上、恋人未満」と言うが、まさにそれだと思う。しかし、それをお母さんに言うと誤解されそうだ。


「みゆきさんが、お店にいる時に、同じ帝東大学ということで親しくなりました」

「そうなの?まだ付き合ってる訳じゃないの?」

「エェ……それはまだ」


 お母さんは、ちょっと意外といった表情になった。


「家では、修くん、修くんってうるさいくらいだから、てっきり付き合ってるのかと思ってたわ」


 少しだけ、お母さんからとげとげしさが消えた。

 みゆきが家で、そんなに俺の話をしているのかと思ったら、何だか嬉しくなった。


「みゆきは、長女なのに甘えん坊のところがあるから、ご迷惑をおかけしてないかしら?」

「いや、全然、大丈夫です」

「そう、それなら良かった」


 この日、はじめて、お母さんが笑ってくれた。

 しかし、それはほんの一瞬のことで、すぐにキツい目つきに戻った。


「みゆきは、ああ見えて、身体が弱いところがあるの。だから、心配させたり、悲しませたりしないで欲しいの」

「あ、はい。それはもう、絶対に……」

「絶対に約束してね」


 お母さんの口調の裏には、みゆきを思う深い愛情があるのだろう。我が子を守るために、お母さんなりに必死なんだ。


 俺はお母さんには、どう見えてるんだろう?頼りないフリーターに見えてるんじゃないだろうか。少なくとも、最愛の娘を安心して任せられる男には見えないはずだ。


「あの、みゆきさんの具合は大丈夫なんですか?」

「あぁ、大丈夫よ。元気になったら、また店に出るわ」

「そうですか」

「仲良くしてあげてね」


 お母さんは、そう言ってくれたが、額面通りに受け取る訳にはいかない。もっと、しっかりしないといけない。もっと、ちゃんとしないといけない。


 そのためには、まずは就職だ。いい会社に就職して、みゆきを幸せにしてやる。俺はそう心に決めた。


「今日は、お話しできてよかったわ。でも、みゆきには内緒にしておいてちょうだい」


 そう言い残して、お母さんは颯爽と、カウンターの向こうに消えていった。

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