39頁:俺は!

「俺が……〈アクター〉?」

 力なく呟いた言葉は、がらんとした廃墟の中に響き渡る。

「あぁ、君が我らのプリンスでありキングの〈アクター〉だよ」

 何を言っているのか、わけがわからなかった。

 だって、〈アクター〉は俺なんかじゃなくて会長で。俺はただの、童話殺しに目をつけられた不運な〈キャスト〉って、ただそれだけの話。

「なにかの、間違いだろ……お前もブレスレットで間違えているのかもしれないけど、俺はただの〈キャスト〉で記憶もなくて」

「確かにブレスレットは美しいけど、それはただのリミッターのようだね。それに、ただの〈キャスト〉はそんな異質な記憶を持たないよ」

 秒速の論破だった、そんな即答しなくてもいいじゃないか。

「無理もない話だ、〈アクター〉は後天性の〈キャスト〉でありながら断片的な記憶を持つと言うからね」

 八王子の言う〈アクター〉が何者かもわかっていないのに俺がそれであるなんて突きつけられても、頭の中はまったく話についていけてない。

「なぁ八王子……ここはどこだよ、〈アクター〉って、なんだよ」

「我らのプリンスは知りたがりのようだね……いいよ、教えてあげる」

 教室で見るような優しさなんてない、冷たさだけがある笑顔を俺に向けると、まずはそうだね、と小さく呟く。

「〈アクター〉は本来とは別の結末を迎えた〈キャスト〉の事を指すんだ、君のようにバッドエンドだらけな話のね」

「俺、の……」

「なんだ、気づいていなかったんだ」

 本当に無知なシンデレラだ、なんて言われると、煽られているようで腹が立つ。鎖がなければ、今頃殴りかかっていただろう。

「通説であるペローのシンデレラは、継母も姉も許す優しい結末だ。けどグリムのシンデレラはそうではない……なにせ、姉達の目玉が抉られるからね」

「それが、〈アクター〉とどんな関係が」

「なんだ灰村、自分の事となるとひどく鈍感だな……物語が変われば〈トラウマ〉も変わる、つまり〈アクター〉の〈トラウマ〉は――通説に消された存在だ」

 通説に消された存在。

 それは重くのしかかり、けれどもなぜだか腑に落ちてしまう。

「君は記憶がないって言っていたね、そのない記憶って言うのは……シンデレラの、特徴的なシーンなのではないか?」

「それは……」

 正直、図星だ。

 俺の記憶にあるのは、灰の匂いと女性の笑い声。それときらびやかな舞台の上をくるくると回っている視界だけで、ガラスの靴も最後のシーンもない。

 全部全部、違う話と言われても文句は言えないものだ。

「け、けどそんな、俺の〈トラウマ〉は時間を止めるだけの力だし」

「それはそうだ、君はまだ気づいていなかっただけなんだから。〈アクター〉は自分の〈トラウマ〉に気づいた時に反転するもの……気づいて初めて、わかるから」

 わかったかな、なんて聞かれたら首を縦に動かすしかない。

「じゃあもう一つは、ここはどこかだね……忘れられているなんて僕は悲しいよ」

「は……?」

 突然、何を言い出すのかと思った。

 忘れられてなんて言われても、俺の記憶にこんなコンクリートで固められた空間はない。忘れるなんて、そもそも知らないのだ。

「まぁ無理もないね、あの時も長日部に邪魔をされたわけだし」

「なんで、海里の名前が」

「まだ気づかない? ここはあの時の――隣町の廃墟だ」

「それって……!」

 そこまで言われれば、俺だってわかる。

 中学生最後の度胸試しって、クラスの奴を話していた廃墟。あの日が原因であいつと疎遠になったんだ、忘れるはずもない。

「せっかくここに連れてきて、そのまま仲間になってもらおうと思ったのに……本当に、偶然かは知らないけど猫は目障りだ」

「あれは……廃墟に行こうなんて言い出したのって、まさか!」

「僕だよ、あの日廃墟を提案したのも、灰村を呼ぼうって言い出してのも……全部僕だ」

 褒めてくれよ、なんて場違いな言葉が投げられる。そんな、俺の脳内はキャパオーバーで理解ができていないよ。だってそうだろ、つまり八王子は中学生の時から俺を狙っていた事になる。

「なんで、どうして……」

「さっきから灰村は、面白い事を聞いてくるね」

 当然のように笑うと、八王子は楽しそうに両手を広げなぁ灰村、と語りかけてくる。

「君は、この世界が憎くないか?」

「憎いって、なにが……」

「ハッピーエンドばかりが求められる、腐りきった読み手がだよ」

 何を言っているのか、わからなかった。

「知らない童話はマイナーと言われ、残酷な描写はなかった事にされる。僕達はここに存在するのに、いつも日があたるのはハッピーエンドの主人公ばかりだ」

 それの、何が悪いんだと思った。

 現代童話はほとんどが子どもの知育のためにあるのだから、残酷な描写は改稿されるに決まっている。けど、こいつはそれが気に食わないらしい。

「僕はその世界を変えたいんだよ、この一部の童話のみが目立ち僕達みたいな脇役やなんの救いもない童話達が日に当たらない風潮を……」

「だから、関係ない〈キャスト〉を殺したの……?」

「関係ないなんて……否定する〈キャスト〉は、全員敵さ」 

 狂っている。こいつは救いようがないくらいに手遅れで、俺には到底理解できない。

 そんな俺に理解できないそいつはだからだよ、と小さく呟き俺に静かに近づいてくる。

「だから僕達は君が……〈アクター〉がほしかった。童話すらも書き換えてしまうほどの、僕達の希望である力が!」

「そんなの、絶対間違っている……」

「最高の褒め言葉をありがとう」

 褒めてないよ、馬鹿野郎。 

 勘違い八王子は気分をよくしたのか、なぁ灰村、と楽しそうに口元を綻ばせながら俺に話しかけてくる。それはもう、鼻と鼻がついてしまうかと思うくらいの距離で。

「どうだい、僕達最高の仲間になれると思うんだけど」

「断る……俺はそんな、人殺ししたくない。」

 後ずさりをすると、冷たく乾いた鎖の音が響く。けどそうだろ、こいつの仲間なんて、まっぴらごめんだ。

「そうか……けど、僕も諦めたくはない」

 けど、誘拐まで犯して俺をほしいと言うだけあるようだ。引き下がりたくない八王子は言葉を口の中で転がすと、じゃあ、と楽しそうに言葉を続ける。

「こうしよう、僕と君が今から戦うんだ」

「突飛すぎだろ」

「話は最後まで聞くべきだ」

 いや、聞いてもきっと意味はないぞ。

「灰村が負けたら、大人しく僕の仲間になる。僕が負けたら……君の事は忘れよう」

 八王子の後ろにいる二人はその言葉に慌てふためいていたけど、それも一瞬の事。八王子が二人をなだめると、準備はできたよ、と場違いなくらい楽しそうに笑っていた。

「そんな、俺はそんな力」

「言っただろ、〈アクター〉はそのブレスレットがリミッターになっているって。取ればいい話じゃないか? それに、灰村に選択肢はないと思うけどな」

 目を細めながら指さす先は、俺の足に括られている鎖と鈴。そうだよ、そんなことわかっている。

「別にいいよ、断っても。君が仲間になってくれず聞いてくれないなら君の帰る場所を壊すだけだからね……研究会とかさ」

「おまっ、それは卑怯だ」

「さぁどうするんだい、我らがプリンス」

「……選択肢はないって言ったのお前だろ、あとそのプリンスって呼び方やめてくれ」

 決意を込めて、深呼吸。

 ごめんばあちゃん、せっかくもらったのに。

「間違っているなら、わからないなら俺が消してやるよ!」 

 強く、強く手首を握り――革紐を引きちぎる。

「あぁ灰村、その力を見せてくれ!」

 こいつの口車に乗っている事くらい、気づいていた。それでもここで乗らなきゃ、俺は変われない気がしたから。

「望むところだ……お使いなんかに、負けるかよ」

 最初から、きっとわかっていたんだ。

 俺の記憶も。

 俺の〈トラウマ〉も。

 俺の立つべき場所も。

 俺の、世界も。

「俺は、プリンスでも〈アクター〉でもない……」

 今までが嘘だったかのように、記憶が流れてくる。元々あったかのように次々と流れて消えていく記憶はすべて俺のもので、〈アクター〉としてのもの。

 そうだよ、シンデレラの、サンドリヨンの記憶なんて最初からなかったんだ。だって俺はガラスの靴なんか、ましてやリス革の靴なんか最初から入っていなかったから。本当に履いていたのは――


「俺は、俺の〈トラウマ〉は――アシェンプテル」


 醜く冷たい、金の靴と銀の靴だから。


『白い鳩は、赤く飛べ!』

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