第16話 夢幻の世界にて
それは、鮮明な鮮血の記憶。
炎と血と闇の光景。絶叫と悲鳴の音楽。
この世の地獄を見た少年の瞳は、夜よりも暗く、闇よりも深く黒ずんでいた。
目の前に立つ大人たちが何を話しかけても無視し、ただ虚空を一点に見つめる。返事もなく、生きているのに屍のような少年に鎧を着た大人たちは戸惑う。
抜け殻と化した少年にどうしたものかと悩む大人たちの間から一人の騎士が歩み寄ってきた。
彼は、自分の腰までしかない少年を見下ろしながら言った。
「死にたいか?」
騎士の発言に他の者たちはギョッ、とした表情を浮かべた。
まだ6つの子どもに何て事を言うのだと怒る声がどこからか発せられる。しかし、その時初めて少年の瞳に誰かが映った。
周りには他に誰かいるのに、少年には騎士しか見えていなかった。
「生きたいか?」
生死の意思を問う言葉に少年は沈黙で返す。もし、死にたいと言ったら彼は死なせてくれるだろうか。死ぬ、その時の少年には甘美の響きに聞こえた。
もう、自分には何も残っていない。だったら、生きていてもしょうがない。
一瞬、少年の脳裏に呆然とそんな考えが浮かぶ。自分を見下ろす騎士はじっ、と自分の回答を待っていた。
ならば、頷こうと体を動かす瞬間。少年の脳に再び炎の記憶が甦った。
綺麗な花畑は汚され、見知った家々は壊され、大事な人達は殺された。
「うぅ……」
体が熱くなる、脳が焼かれるほど痛い。奥から湧き出るドロドロした感情。
憎い、憎い、憎い……。
憎い、許せない、自分の大事なものを壊した者が。
憎い、許せない、何も出来なかった自分が。
少年の眼が、徐々に色を取り戻す。騎士は彼の瞳に燃える炎をなおも見下ろす。
そして、再度問う。
「死にたいか?」
嫌だ。
「生きたいか?」
どうでもいい。
「……お前は、何を為したい」
三つ目の質問に、少年は王国最強の騎士を睨みながら告げた。
「復讐」
そこまででケイは目を開けた。
そこは、現実とは異なる場所だった。
ケイが横たわる地面は、鏡のようですべてを反射させる。ケイの視界には、星々が散らばる夜空があった。
「ふわぁ~~」
欠伸をし、背を伸ばす。随分と熟睡してしまったようだ。だが、まだ目が覚めた訳ではなさそうだ。
現実とは思えない景色。だが、ケイは慌てる様子もなく、まるで我が家かのように落ち着き払っていた。ケイは横になっていた体を起こし、首を回す。
「やっと起きたね」
すると、すぐ傍から誰かの声がする。
ケイは、普段な穏やかな顔から魔獣と対峙したような表情を浮かべ、声のした方を見る。
「ふふ、あまりお目覚めはよくないみたいかな?」
クスクス、と笑うのは可憐な少女だった。亜麻色の髪を肩口まで伸ばし、黒い瞳がケイを映す。その身を包むのは汚されたことのない純白のワンピース。薄い布地がふわり、と浮き上がり少女の素肌を晒す。
「誰のせいだと思ってんだ」
「あぁ~あ、怖い怖い。小さい女の子に、そんな邪悪な顔するなんて信じられな~い」
「死ね」
ケラケラ、と笑う少女に対しケイは悪意を包み隠さず放つ。そこにはリンたちやサラと接するようなおちゃらけた雰囲気とは違い、相手を敵としか見ていない目つきをしていた。
少女は、そんなケイに怯えるどころかさらに面白いと思ったようににんまりと笑っていた。
この少女はケイが何を気に喰わないのか分かっているからだ。
「そんなピリピリしないでよ。何度も言うけど、この恰好はボク自身が決めた事じゃない。君自身が望んだ格好なのだから」
「……次、同じ事言ったら殴り飛ばすぞ」
「ふぅ~ん、殴れるのかい? ボクを」
握りしめられる拳を見ながら、少女は問う。その口調には、絶対の自信が隠れていた。彼女は知っているのだ、彼がそんな事出来ないと。
「……チッ」
余裕綽々な態度を取る少女に、ケイは舌打ちすると拳の力を抜く。
この少女のペースに巻き込まれてもどうしようもない。ケイは一度、深呼吸をするとだいぶ落ち着きを取り戻せた。
「んで、何の用だ。俺の夢に容易に入って来るなって言ってるだろ」
落ち着いた所で、ケイは腕を組んで相手を睨む。少女は、ニコニコとした表情を崩すことなく彼の対面に座った。その表情や仕草だけ見れば、年相応のように見えるが10以上歳の離れた男性の眼光に怯えない時点で、年相応とかけ離れていた。
「うん、用事はあるよ。また面白いものを見つけたみたいだね」
「………」
ケイの眼がさらに鋭くなり、殺気を帯びる。
だが、少女は続ける。
「うら若い少女が二人、しかもどちらとも美少女と来たものだ。実に……美味しそうだね」
「……テメェ」
「ふふふ、そんな眼をしないでよ。ただ見た感じから感想を発しただけじゃないか」
「テメェのそのセリフはシャレになんねぇんだよ」
「信頼されてないなぁ」
「お前を信頼する要素がどこにある」
まるで、見たかのような言い方であるが、彼女は実際に見たのだ。
ケイの記憶を介して。
落ち着いたと思ったケイであるが、やはりこの少女を前にしたら冷静さを失ってしまう。何度も顔を突き合わせてきたと言えど、いまだに慣れない。
「へぇ、今回はまたやけに庇うね。出会ってそう月日も経っていないというのに」
「うっせ、お前には関係ないだろが」
「無い、という訳でもないさ。なんて言ったってボクと君は共同体なのだから」
上唇をペロリ、と舐める。その行動に、年端もいかない少女だと言うのに熟練された妖艶さを醸し出していた。
少女の色香にケイは、背筋を冷たいもので触られた感覚に陥る。なんとも不気味な少女は、なおもケイから目を離さない。
嫌な気分になりながらも、ケイは努めて表情に出さずに言った。
「……誰が好んでテメェなんかと」
「まぁまぁ、固い事は言わないでくれよ。友好的に行こうじゃないか。その証拠に、君の言う事は大体聞いてあげているだろ?」
「けっ、で? 結局、それだけの為に俺を呼んだのかよ」
「ふふ、それだけじゃないよ。今日はボクの出番のようだったので、ちょっとワクワクしちゃってね。久々に美味しいものにありつけそうだ」
また、ペロリ、と唇を舐める少女。ケイは感情が込められていない眼で見つめていた。
「お前の質問なら、イエスだ。用事が済んだら目覚めしていいか」
「まったく、ツレないじゃないか。一応、これは君が好きな幻想だというのに」
「俺に幼女趣味はねぇ、もういいか」
「ふぅむ、そんなものか。それはそうと、あの可愛い娘たちをちょっと味見したいんだけど……」
留まる刃。
いつの間にか抜かれていた剣は、少女の喉元寸前に突き付けられていた。
剣を握るケイの眼に感情はない。ただ、相手を殺す事だけを意識した。虚無的なものだった。
短絡的な行動に少女は、やれやれと首を振る。まるで、年下の子どもに呆れる年長者のようだった。
「ここではボクが傷つくことないのに………はいはい、言ってみただけだよ。だって、あの娘たちから美味しそうな匂いがプンプンするんだもの、しょうがないじゃないか」
「美味しそう、だと?」
少女の言葉に、ケイは眉をひそめ訊き返す。少女は「そうだよ」と頷き続けた。
「特に、あの……なんと言ったかな、あぁ、そうだ、ティアと言う少女は極上だとボクの鼻が言っている」
「………」
お前に、鼻なんてないだろうと思いつつケイは白髪の少女の顔を思い浮かべる。そして、今一度少女の顔を見る。
ムカつくが、こいつの言葉はいつも正直だ。ふざけたり、おどけたりするが、嘘偽りを言う事はない。だとしたら___
「……チッ、俺は戻る」
「あぁ、そうかいそうかい。今夜は楽しみにしているよ」
剣を鞘に収め、少女に背を向ける。
背後から少女のウキウキとした声色が聞こえた。
ケイが、少女の声に応える事はなく、少女はまたもやれやれと肩をすくめた。
そして、ケイはその場でゆっくりと目を閉じる。
「……まぁ、君も十分美味しいけどね」
少女の呟きは浮世の空へ散らばった。
鏡と星の世界には、既にケイの姿は無くなっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目を開いて初めに気づいたのは、グラグラ、と揺れる振動。次いで、流れる風だった。
こめかみを押さえ、先ほどまでの光景と現実を一度区別してからケイは状況を思い出す。
確か、リンたちを森の入り口まで運んで、そのまま馬車に乗せられた所までは覚えている。そうなると、今はヨール市までの帰路の途中という事だろう。顔を外に向ければ、心地の良い風がケイの心を優しく撫でてくれた。
「うぅ~ん」
「っ」
風に当てられていたケイの傍で、呻くようなそれでいてどこか甘美な吐息がした。反射的にそちらに視線を移せば、リンとティアが横たわっていた。今の声はどうやら、ティアの方だったようだ。長く綺麗な白髪が彼女の顔にかかる。その寝顔は、どこか幼く和むものだった。
『彼女は極上だと、ボクの鼻が言っている』
先ほど、幻想の世界で会話した少女の言葉が脳裏をよぎる。
ケイは無意識にティアの寝顔を見つめていた。
あの少女を極上と言わしめるティア。だが、ケイは全く喜ぶ気にはなれなかった。
「……学院長、問い詰めないと」
グラグラ、と揺れる馬車の中ケイは再び外へ視線を向ける。
沈みかける夕日の下では、慣れ親しんだ街が見えていた。
「その前に、仕事だな」
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