前編:征野②

 沈黙は破られ、死体から零れ落ちた松明が大地を赤く染めていく。硝煙はさらに空へと昇り、夕日の赤と血だまりの中に膚李の姿を映し出す。青の軍服は黒くその陰を落とし、後ろで結われた水色の髪の毛も、生温い風で重そうに揺れている。

その顔と服はすでに赤黒い血糊で染まり、赤い瞳はよりその血に飢えるかのように煌々と、炎を反射していた。

 そして、あえて目立つやり方で敵の前に現れた膚李を、敵兵が大挙して取り囲むのに、時間はそう必要ではなかった


「……このまま来い。僕一人で相手になる」

 それだけ言うと、膚李は再び刀を構え、その刀身から血液を滴らせた。敵兵はその血液をまざまざと見せられたこと、そして膚李の挑発的な態度に逆上したのか、有無を言わさず向かってきた。その瞳には既に理性はなく、誰しもが本能だけで動いていた。後ろの指揮官らしき人間が、暗闇に隠れる銃兵に指示を出し、膚李に照準を合わせていく。かし、その周囲は敵兵、つまり友軍によって包囲されてしかし、その周囲は敵兵、つまり友軍によって包囲されており、うかつに撃つことはできない、はずだった。

 突如、銃声が鳴り響いたかと思うと、膚李を囲っていた敵兵の一人ががっくりとうなだれ、額に穴を開けて地面に倒れた。指揮官らしき人間は、焦りのあまりそのまま撃たせたらしかったが、既に恐怖心でたがが外れた兵士たちには、“いかに生き残るか”よりも“いかに早くこの男を殺すか”という思考以外、存在していなかった。


 膚李はその様子に呆れたのか、光が消えた目を敵の正面に向けるとともに、自分を囲う兵士の首を、自らの左足を軸にし、自らを回転させることで根こそぎ斬り落とした。その数およそ二十人は軽くいようかというほどで、膚李はこの一瞬で一個小隊を壊滅させるに至っていた。

 次の瞬間、膚李は二十人分の血液を体全身に浴び、もはや青の部分はすべて鮮血の赤色へと染まっていった。その瞳は、もはや戻れない自分への諦めの念とともに、戻れないからこそ血で染まる決意をなおのこと固めるしかない、欺瞞で満ちた深淵のように深い赤色だった。

 自分の中でせめぎあうものこそあれど、友軍の退路が確保できなければより多くの兵士がなぶり殺しにされることになる。

ならば、敵国の兵士を殺す罪は、自分一人で背負わねばならない。膚李は、赤い瞳に差し込む光がどこまで鈍化したものとなっているのかを、まだ知らなかった。


 

――それから、僕は大勢の兵士を殺した。逃げ惑う兵士も、全員首をかき切って殺した。僕が首を斬るのは、それが最大の優しさだと思うからだ。腕や足を斬り落とせば、相手は死ぬまでに多大な痛みを感じて苦しまなければならない。ならば、痛みを感じる前に、それが伝わる部分を断ち切り、死んだということを実感させないまま殺してやる。そうすること以外に、僕は戦場での手心というものを知らなかった。もっとも、これが本当に優しさなのかどうかは、僕には全く分からないのだけれど。

ただ、この戦う意味さえなくなった戦場の中では、優しさなんて必要なのか、とさえ思う。僕はこうやって、自分が的確に人を殺せる力を手心と呼んで安心したいだけじゃないのか。そんな気さえして、僕はいよいよ自分という人間が分からなくなってくる。


ひょっとすれば、自分とは人間ですらないのかもしれない。


そんな冗談めいた空想も、今ではどこか真実味をもって聞こえてしまうのは、本当にこの世界が異常だからという理由だけではなさそうだ。



僕はいったい何者なんだろう。この世界に、答えはまだ残っているのかな――――――


 

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