第8話 影無き捕食者
まずは相手がどういう攻撃を仕掛けてくるのかを考える必要がある。
クマにとっての武器は両手足の爪と、牙だろう。しかし、初手から急所でもある顔を寄せる噛み付きをしてくる可能性は低い。
振り下ろしてきた爪を避けて距離を詰めると、胸の中央目掛けて拳を振り抜いた――のだが。
「さすがに硬ぇ。つーか、弾力か」
筋肉と脂肪、それにおそらく皮膚も分厚いし毛も硬い。一応は軽くひねりを加えて殴ったつもりだったのだが、いまいちダメージを与えられていない。
二撃目をしゃがんで避け、追撃し振り下ろしてくる両爪を後ろに下がって避けた。
「……うん」
まぁ、俺自身それなりに動けることはわかった。
異世界のモンスターとはいえ相手はクマだ。別に元の世界でクマと戦ったことがあるわけじゃないが、行動はなんとなくわかる。だとするならば、この世界のモンスターに黒豹流武術が通じるのかどうかを試す良い実験になる。
とはいえ、変に時間を掛けてテストが不合格になるのも困る。だから、じいさんが相手では試せなかった技をやってみるか。
油断しているであろう今のうちに本気で殺しに行く。
「――っし!」
クマに向かって駆け出すと、待ち構えるように腕を振り上げていた。それが当然の反応だし、俺はそれを求めていた。
腕が届く範囲ギリギリ手前で横に飛び、木を蹴り跳ねてクマの下まで戻ると振り上げていた腕にしがみ付いて首に脚を掛け、尻尾をもう片方の腕に絡ませた。
クマは呼吸が苦しそうに唸るが、完全に嵌まった脚を解くことはできない。しかし、首の太さからして普通に絞め殺すのは難しい。だが、黒豹流武術には関係ない。
腕を掴んだ体と尻尾のひねりを脚まで伝えて、周りから見れば微動且つ最小限の動きで最大の力を加え、首を後ろ側に向けて圧し折った。
「黒豹流武術――
人と同じように骨がある生き物なら同様のことができる。まぁ、生き物に使ったのは初めてだが。
倒れたクマから二人のほうに視線を移せば、オオイノシシは切られたところから炎を上げて燃えており、オオコウモリは内臓らしき臓物をまき散らして地面に潰れていた。
「それが貴様を貴様足らしめている技か。たしかに、それならば対肉弾戦において最強と呼ばれるのも頷ける」
「もういいだろ、最強とか。つーか、そっちも無傷か」
「この程度のモンスターなら当然ですわ。それよりも一つ気が付いたことがあるんですけれど」
「奇遇だな。俺様も気付いたことがある」
同意するように肩を竦めると、二人は同時に息を吸った。
「こいつら――」
「〝知性がある〟」
「だな」
「本当に野生の獣なら様子見をすることも油断をすることも無い。それは人間のように知性がある者の特権だ」
「ある種の斥候、というのかしら」
斥候ね。確かにそんな感じだ。二人のほうがどうだったのかは知らないが、俺が相対したクマは明らかにこちらの実力を計りに来ていた。
まさしく油断大敵を体現したことになったわけだが、それは次がある証拠だし、なんだったら今度こそ全力で殺しに来るだろう。
「つまり、指揮しているボスがいるってことだよな? それが影無き捕食者ってやつかはわからないにしても、確実にいるはずだ」
「森に入って三十分と経たずにこれだ。どうやら、俺様たちは歓迎されているらしい」
戦わなければテストにならないことを考えれば、確かに歓迎されているのだろうが、もう少し穏やかでも有り難い。
そして再び歩き出したのだが、前を行くアヤメは何かに気が付いたのか脚を止めた。
「……何か来ますわね」
その言葉に辺りを見回したが、俺は何者の気配も感じない。
「ん? 特に何も――」
疑問符を浮かべて前を見れば、ジュウゴも何かに気が付いたように剣の柄を握った。
「来るぞ!」
視線を追っていくと木々の間から濃い白煙が一気に周りを包み込んだ。
「っ――!」
反射的に目を閉じると、全身に湿ったような感覚を覚えただけで特に何も起こらなかった。
「毒ってわけでもなさそうだが……ん?」
目を開けてみれば、近くにいたはずのジュウゴとアヤメ、それにアインとドライもおらずツヴァイだけが残っていた。
四人が消えた? ……いや、景色が違う。ということは、どちらかといえば俺たちが移動したと考えるべきか。
「ツヴァイ、さっきの霧の正体を知っているか?」
「おそらく惑わし茸の胞子だと思います。吸った者の感覚を狂わせる胞子です」
「効果は?」
「数分ですが、大抵はその間の記憶を失います」
なるほど。つまり、俺だけじゃなく三人ともが別々に移動した可能性が高いってことだな。だとすれば合流するのは難しいと考えていいだろう。
「つーか、ツヴァイはどうして俺に付いて来れているんだ? 胞子を吸わなかったってことか?」
「そうです。惑わし茸の胞子には微弱の魔力が含まれているので対処することができます」
「……そういうことか」
俺が胞子に気が付けなかったのは魔力を持っていないからだと仮定すれば納得がいく。とはいえ、気が付けた二人ですら胞子の影響を知らなければ対処は出来なかっただろう。
どうやって合流しようかを考えたいところなのだが――さて、新たな問題が発生中だ。
「で、ツヴァイよ。どうして剣を構えているんだ?」
振り返れば、抜いた剣をこちらに向けるツヴァイがいた。
「私たちがレオ団長から受けた命令は三つ。有事の際以外には手を出さないこと。採点は厳密にすること。そして――救世主自身が脅威だと判断した場合は処分しても構わないこと。私は、あなたを脅威だと判断しました」
俺たちを脅威だと判断するイコール有事の際ってことかな。
「あ~……とりあえず訊く権利はあると思うんだが、どうしてそう判断したんだ?」
「あなた達には躊躇いが無かった。生き物を殺すことへの躊躇いが。元の世界では兵士でも無かった者が……そんなのは心が壊れている証拠です。救世主であろうと、味方に置いておくのは危険だと判断しました」
「そうか。まぁ否定できないのは痛いところだが、それは三人の総意か?」
「その通りです」
ということは、そもそも俺たちが別れたのも仕組まれたって可能性が高い。それだけ本気で殺しに来られているってわけだが……どうするかな。
剣を持った相手と戦っても負ける気はしないが、仮にここで勝ったとしたらツヴァイの判断が正しかった証明になってしまう。殺したらそもそも採点ができないしな。ジュウゴとアヤメも同じような状況にいるのだとすれば悩んでいるはず。
戦うつもりなら殺せる。が――状況的に殺すわけにはいかない。
「どっちにとっても良い結果になるとは思えないんだけどな。ちなみに確認だが、俺がお前を殺したらその時点で不合格になるんだよな?」
「……ええ、そうなります」
そういう想定はしていないって感じの間だったな。
ジュウゴやアヤメなら目に見える力の差で相手を黙らせるところなんだろうが、あいにく俺には見せられるものがない。
「そんじゃあ、こうしよう。俺がお前の腕か脚を圧し折る。もしくは一発打ち込んで動けなくする。要は、殺しはしないってことだ。それからもう一度考えるってのはどうだ?」
「いいでしょう。でしたら、私はあなたを殺します。死ななければその時に考えるとしましょう」
不利な点があるとすればツヴァイの魔法が何かを知らないことだが、少なくとも剣を振るということがわかっていれば、まぁ問題は無い。
いつでも動けるようダラリと体の力を抜いていると、視界の端で何かが動いたことに気が付いた。それは目で追えない速さで木々の間を飛び跳ねるように移動しているようでツヴァイも気が付いたのか、目を合わせると頷き合った。
すると同時に駆け出して距離を詰めると背中合わせになって死角を殺した。
「速いな……あれがそうか?」
「はい。おそらく、あれが影無き捕食者だと思われます。私たちが出遭ってしまうとは……ツイていませんね」
「確かにそうかもな。じゃあ、生きて帰れたらツヴァイの疑問に答えてやる。だから、戦って勝つぞ」
「……疑問とは?」
「どうして俺たちが躊躇いなく殺せるのか――その理由についてだ」
そう告げた矢先、目の前の木が薙ぎ倒されて巨大が影が襲い掛かってきた。
この時点で俺が思ったことを一つ。
――ああ、影はあるんだな。
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