摩耶の、戦い
二十一世紀末。ここワコフ共和国大統領に就任したヤグドは西洋文化の弾圧を推し進めた。
“我が国の低迷は野蛮とポルノにまみれた悪しき西洋文化がもたらしたものである。人民の知性を脅かし、品性を堕落させた西洋諸国の経済的文化的介入が将来、子供たちに残すものは破滅しかない。ならば排除すべきではないか”
ヤグド大統領の演説は国内四十余箇所に設けられたレーザービジョンシステムによる空間内立体放送で民衆の聞き知るところとなった。それから始まった弾圧は西洋系の企業の他、音楽、出版物、芸術品、教育、医療などに及んだ。洋服、車など一部の生活必需品をのぞけば、今このワコフ共和国に西洋の面影はなくなった。
排除されたものの中に当然クリスマスがあった。冬がないワコフ共和国でも、かつては毎年、祝うものだったが、そのしきたりは国内から消えた。クリスマスを知るものは前政権下を生きた大人だけである。子供たちの思い出の中にはない。
「私を見逃してくれないかね?」
強風の中、背広姿で砂地に跪き、助けを乞う男がいた。ワコフの軍人で“中佐”と呼ばれている。生物兵器を用いた作戦で多大な戦果をあげ、出世した。対峙する摩耶は中佐に拳銃を向けている。
────マーヤ、気をつけて。中佐のアドレナリンは活性化を続けているわ
摩耶の耳の奥に埋め込まれた超小型発信器から声がした。革命軍に属するオペレーターのキャシーだ。離れた場所にいる彼女は摩耶の目に取り付けられたコンタクトレンズ型の有視界カメラを通し、中佐の姿を見ている。対象物の体温、呼吸、眼光などから心理、身体の状態を見極め、行動を予測できるものだ。
三百メートルほど離れた所で、横転した4WDが白煙をあげていた。摩耶ら革命軍が襲撃したのである。中佐を護衛していた兵士たちが少数だった理由は“プライベート”だったからだ。
「君は優秀な戦闘員だと聞いている。私の部下にならないかね? 叛乱軍に与するより良い生活ができるよ」
愛人宅からの帰りである中佐は、なかなかの男前で軍人にしては優男である。しかし手腕は冷酷で革命軍兵士の多くを葬り去った。今回の襲撃は復讐戦となる。
────来るわ!
キャシーが警告したと同時に中佐の体が砂塵の空に踊った。地面についていた両手で反動をつけ、背中から摩耶のほうへ飛んだのである。背広組の優男でも、やはり軍人らしく機敏で格闘戦に長けている。
空中の人となった中佐に対し、摩耶は拳銃を撃った。だが銃弾はヤツの背中で硬い音をたて、跳ね返される。こんな物騒な国で、防弾性の服を着ずに出かける要人などいない。
「いい女だ」
砂地の上で美しい摩耶の身体に馬乗りとなった中佐。
「そして、いい身体だ」
彼は右手で、摩耶のタンクトップの上から、日に灼けた豊かな乳房を揉んだ。
「平時ならば俺の女になれ、とでも言える立場だが、あいにく時代がそうさせてはくれんのでね」
中佐は、さらに左手で摩耶の首を締めながらサディスティックな笑みを浮かべた。相手の口を割るためなら拷問も好む男である。革命軍の兵士たちの幾人もがその犠牲となった。
だが、摩耶の反撃は早い。自分の首にかかる中佐の左手首を右手で掴み、上体を起こした。こうすると簡単に拘束から逃れることができる。一見、乱暴だが実は理にかなっており、護身術でも使われる手だ。
中佐の手を振りほどいた摩耶は地面に転がっていた自分の拳銃に手を伸ばした。秒速の仕業である。しかし中佐もホルスターから銃を抜いていた。こちらも速い。
二発の銃声が熱帯の空を割った。肩を撃たれ、膝を落とす摩耶。そして頭を撃ち抜かれ、倒れる中佐。
────ご苦労さま。あなたの勝ちよ、マーヤ
キャシーが明朗に勝ちを告げた。西洋資本の排除は、この国に深刻な貧困をもたらしたが、それを憂い、オペレーターとして戦いに身を投じたのが彼女である。口数少ない摩耶とは妙にウマが合う仲だ。
────ねぇ、マーヤ。あなたが戦う理由は、死んだ少女が願ったことを叶えるためなの?
マイク越しのその質問に摩耶が答えることはなかった。クリスマスを奪われたこの国にサンタクロースが来ればいいのに、と言い遺して死んだ少女ダリアの思いを実現するには、西洋文化を敵視してきたヤグド政権を打倒しなければならない。
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