異世界メシヤ

沢田和早

生ものの国の救世主

 異世界に飛ばされた私は見知らぬ土地を歩いていた。


「ここは雪国か。寒いな」


 周囲は一面の銀世界。快晴の空からは眩しい陽光が降り注いでいるが、時折吹く風は氷のように冷たい。すり合わせた両手に息を吹きかけながら通りを歩く。文明はあまり発達していないようだ。茅や樹皮を用いて作られた簡素な家が並んでいる。


「喉が渇いたな。どこかで水でももらうか」


 本音を言えば飲食店に入って熱いお茶でもを飲みたいのだが、あいにくこの世界の通貨を所持していない。人様の善意に頼るしかないのだ。立ち並ぶ家の中から若干見映えの良い玄関を選び扉を叩いた。


「こんにちは。ごめんください。失礼します」

「何か用かね」


 開いた扉から顔を出した親爺は明らかに私とは違う人種だ。しかし異世界に飛ばされる際の唯一の特典として、言葉による意思疎通を可能にしてもらっている。


「旅の途中でこの地に立ち寄った者です。水を一杯恵んでいただけないでしょうか」

「水? 水だけでいいのかね」

「食べる物もいただければ一段と嬉しく思います」

「中に入りな。ちょうど昼飯を食っていたんだ」


 親爺に招かれ家の中に入る。家族五人が食事をしている。食卓に並んだ料理は刺身、生肉、果物、粉を丸めた団子。


「さあ、飲みな」


 食卓に着いた私の前に置かれた木製のコップには水が入っている。飲む。冷たい。木皿に取り分けてくれた料理も全て冷たい。一口ごとに体が寒くなる。心まで寒くなりそうだ。それでも空腹には勝てない。私は冷たさを我慢して食べた。


「ごちそうさまでした。ところでひとつお尋ねしたいのですが」

「何かね」

「どうしてお湯にして飲まないのですか。どうして魚や肉を焼かないのですか。どうして団子を蒸さないのですか」

「お湯? 焼く? 蒸す?」


 怪訝な表情で親爺が訊き返してきた。他の家族も狐につままれたような顔をしている。私は部屋を見回した。この寒いのに暖炉もストーブもない。


「もしや、火を知らないのですか」

「火? 何だね、それは」


 やはりそうか。私は親爺に木くずと木切れを集めてくるように頼んだ。それから外に出て建物の日陰へ入り、土に凹型の窪みを丁寧に作った。土の表面をできるだけ滑らかにして水を流し込む。


「明日の朝まで待ってください」


 その日は親爺の家に泊めてもらった。


 翌朝、流し込んだ水は氷になっていた。窪みから取り出すと少々不格好だが凸レンズになっていた。


「うまい具合に今日も日差しはたっぷりあるな」


 親爺が用意してくれた木くずに氷で作った凸レンズをかざす。太陽光の輝点が木くずを焦がす。ほどなく火が熾きた。


「おおー!」


 親爺とその家族が歓声をあげた。火勢が大きくなったところで木切れに火を移す。


「これが火です。さっそく料理をしましょう」


 さりとて火を知らないこの土地には陶器も金属もない。取り敢えず魚と肉を木串に刺して火で炙った。穴の開いた石に水を入れて火にかけ湯を作った。親爺たちに食わせ、飲ませる。


「な、なんというウマサだ。この世にこんな料理が存在したとは」


 親爺の尊敬の眼差しがこそばゆい。


「喜んでいただけてなによりです」

「おぬし、只者ではないな。いったい何者なのだ」

「いえいえ、私はしがない旅人です。もっともここに来る前は飯屋めしやをやっていました」

救世主メシヤ! ああ、そうか、そうだったのか。やはり予言は本当だったのだな。この冷たい食料から我々を救ってくださる者がきっと現れる。体と心を温めてくれる救世主メシヤがいつか出現する。今日、その予言は成就したのだ」

「え、いや、メシヤって救世主メシヤじゃなくて飯屋めしや……」

「おい、あれをここへ持ってこい!」


 私の言葉を聞こうともせず親爺は息子に命じた。しばらくして戻ってきた彼は大きな木箱を持っている。開けると数本の炭が入っていた。


「これは我が家に伝わる秘物、『灼熱の炭』と申すもの。何に使うのかさっぱりわからぬまま先祖代々伝えられてきた家宝。火を伝授してくれた礼だ。受け取ってくれ」

「ありがとう。頂戴します」


 私は炭の入った木箱を受け取った。

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