路地裏の深淵
第46話 14-1路地裏の深淵
二、三言話した様子のルナシスは、すぐに男から離れ歩き出した。つかず離れずの距離で、バレない程度に通行人を装いながら後をつける。ルナシスの足取りは軽く、鼻歌交じりでリズムよく軽快に進んでいく。
「この先は……えぇ……嘘だろ……」
マップを見ながら、ジャンは声を漏らした。
『なるほど、このゲーム、手広くやるつもりなのね』
同じくマップを確認しつつも、ルナシスから目を離さないようにしてユリィが言った。
マップには、町の一角に赤いエリアが表示されていた。詳細を確認しようと手を触れれば、年齢確認の文字が浮かぶ。娼婦の街、とどこかで言っていたのを思い出した。
『どこまで作り込んでるのか、見ものじゃない?』
楽しそうに笑うユリィに、ジャンは困り果てた顔で答える。
「僕……苦手なんだよね……こういうの……」
『意外に純粋なのね』
声を潜め笑うユリィ。
『ジャンくんは入れるわよね?』
「一応ね。これでも成人してるから」
あっさりと歩を進めるルナシスの後に続き、年齢確認をパスして二人もエリアに入る。夜だと言うのに、そこは一層明るく感じた。先ほどまで見えなかった看板もいくつか目に入る。言葉で表現するには躊躇いのあるようなものばかり。
「ねぇ、本当にマッサージだけかもしれないとか」
『それは副業って本人が言ってたでしょう? ここまで来て帰りたいなんて、そうはいかないわよ』
「うっ……」
前を行くルナシスを追っていくと、ある建物の手前で路地へと入って行った。
『一旦通り過ぎましょう、すぐに入ればバレるわ』
その場を通り過ぎ、路地から出てこないのを確認してタイミングを合わせ後を追う。見失ったかのように思えたが、匂いを辿るとその先にルナシスは居た。
立ち止まったルナシスの足元に、丸くなった人のような影が見える。さらに細い建物の隙間に入り、様子を伺う二人。
「もう一度聞こうか。値段はいくらだい?」
ルナシスの問いに、足元の影が動く。
『十万リンですわ。もし手持ちが少ないのなら、こちらへアクセスしてお支払い情報の確認を確認確認確認確認を確認……』
「ダメだなこりゃ。残念だけど君は出直すべきみたいだ。さ、こちらへおいで。大丈夫、すぐに天国へ連れて行ってあげるから。怖がらないで、力を抜いて」
ルナシスが手を差し出すと、影はその手をとり立ち上がった。月明かりに照らされ見えたその影は、やけに露出の多い、華やかな女性に見える。
「あれって……バグってる……?」
『雲行きが怪しいわね』
二人が見守る中、ルナシスの腕に抱かれた女性が、背中越しにこちらを見た。
「やば……っ」
慌てて身を隠そうとするも、何かに足をとられ戻れない。目をやると、ゴミ箱が邪魔をしていた。下手に動けば大きな音が鳴るのは想像に容易い。
『……あの子、こちらに気づいてないみたいよ』
恐る恐る見ると、しっかりと目が合ってしまった。しかし、女性が何かアクションを起こす素振りはない。
「いい子だ。そのまま動かないでね。ボクの腕の中で天国に行ける事を、誇らしく思うといいさ。あちらで仲間が待ってるよ」
囁くルナシスが右手をかざす。月光に煌めいたそれは、小型のナイフだった。
「あれ……あれは……‼」
言う間もなく、その手が振り下ろされる。こちらをぼんやり見ていた女性の目が一瞬だけ見開き、口をパクパクとさせ、しばらくしてその目から光が消えていく。ずっと、ジャンを見つめたままだった。
「はぁ……悲しいねぇ……。君は被害者だ。きちんと作り込まれていればこんな事にはならなかったのに。次に会う時は、ボクの事も忘れてるのかな」
女性を地面にゆっくりとおろすと、ノイズが走って形を失う。見る影もなくすんなりと消えていく死体。こみあげてくる吐き気を抑えるのに、ジャンは必死だった。
『ねぇ大丈夫、ジャンくん? さっきから……』
「ご、ごめん……思い切り目が合ってたから……うっ……」
『あっ』
ユリィが小さく悲鳴を上げる。口に手を当てたままジャンが覗くと、そこにルナシスはもういなかった。警戒しながらも、隙間から身を乗り出し、路地の奥へと進む。
「探しているのはボクかな?」
背後からの声に、足を止めた。
「……え?」
振り向くと、そこに居なかったはずのルナシスが壁に背を預けこちらを見てニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「芸のない事をするんだね。隠れるならもう少しうまくやりなよ。カフェでゆっくり大人のデートを楽しむ程度にしておけば良かったものを」
全てバレていた。手足が震え、吐き気が強くなる。不快な香水の匂いが、徐々に強くなっていく。こんな最悪の状況で、五感が戻ってきているのだ。
「それで? ボクの仕事ぶりを見た感想は? んー、潤くん、だったかな?」
「……っ⁉」
なぜ本名を知っているのか。
「答えられないのかい? 君はよくここまでこれたね、褒めてあげたいくらいだ。今だって、よくそこに立っていられるよ。怖いんだろう、ボクが」
軽い足取りで、恐怖心を煽るようにゆっくりと近づいてくるルナシス。ジャンは身動きもとれず、目を離す事もできない。
「へぇ。君って、誰も信用してないんだね」
「どういう……意味だ……」
「目を見ればわかるさ。君は、誰も信じちゃいない。そのくせ、一人じゃなにもできない。都合のいい時は他人を頼り、裏切られれば相手を責め、自分が裏切る事には躊躇いもない。なんて酷い、醜い人間なんだ」
強烈な匂いに脳を支配される感覚。
「少しは君が大人になれたんじゃないかって様子を見に来ればこのザマ。なんにも変わってないんだ。変わる事なんかできない。オモチャを取り上げられただけで世界を憎み、絶望するだけ。赤子の方が希望に満ちてるくらいだ、君なんかゴミ同然だなぁ?」
「はぁっ……はぁっ……」
「その証拠に、今も君は気づいてないだろう?」
「なにが……」
「では問題デース。この路地裏にいるのは何人でしょう?」
はっとして周りを見る。そこに、通行人も死体もなく、ユリィの姿もなかった。
「ユリィ⁉」
「ほぉら、大切な仲間の事まで忘れちゃってた。自分の事ばかり気にして、仲間がいつどうやっていなくなったのかも気づかない。君は……君はどこまでも自分が可愛くて仕方ないんだねぇ。尊敬するよ。ボクじゃ到底真似できない」
嫌悪感をまるで隠す様子もないルナシスの目が、血走って赤く見える。
足が地面に固定されているような感覚。体の震えと吐き気、匂い。
「ま、こんなとこでダラダラ話してても仕方名がないね。さっさと終わらせてしまおうか」
パチンっとルナシスが合図を鳴らす。暗く狭い路地に、不自然な光が一瞬現れたかと思うと、見慣れた円が地面に赤く光り始めた。
「せ、戦闘サークル⁉」
状況を飲み込めないジャンの前で、ルナシスはゆっくりと小型ナイフを手にした。特に構えるでもなく、両手を広げ散歩でもするようにゆっくりとジャンへ近づいてくる。
「さぁ、殺しなよ。殺すしかないんだ。クリアしたいんだろう?」
「……お前、誰なんだ」
違和感が徐々に形を成していく。
キーワードを拾っているとは思えないほど柔軟に答える会話。まるで意思を持っているかのように振る舞うその発言。そして知るはずのない潤を知っている。
「ボクかい? さっきの仕事を見ただろう、ボクもデバッグをやってるだけさ、六人目としてね」
「ろ、六人目……⁉」
「とは言っても、ボクは運営側の人間さ。さ、お喋りはこのくらいにしようよ」
「待て、だったらなぜお前がクエストの進行で死ぬ必要がある⁉」
「そんなもの、面白いからに決まってるじゃないか」
ルナシスが煽る。まるで逃げも隠れもしないとばかりに、両手を広げ。
ジャンは焦っていた。どうにも空気がおかしい。サークルの外がぐにゃりと歪んで見える。景色が混ざり合い、形を失い、今にも真っ黒になってしまいそうだった。早くしろと焦らされている気がしてならない。
クエストを見た時からルナシスが死ぬことは覚悟していた。しかし、それが自分の手で殺す事になるとは思ってもみなかった。その上、ルナシスからは異様な空気を感じる。全てを見透かすような笑み。
「くっそが……」
スキルを使おうとして手が止まる。仮にも、目の前の彼はハイデの兄。しかしこれ以上時間をかけるわけにはいかないと、混濁していく世界を視界に捉えてもいた。ルナシスの戦闘能力は知らないが、下手をすればこちらが死んでしまう可能性すらある。今のように五感が戻ってきている中、攻撃されればどうなるのか。考えるだけで怖かった。
仕方なく、スキルをやめ普通の攻撃に切り替える。防御にしたいところだったが、ルナシスは一向に攻撃する素振りを見せない。
「うっ……」
動くたびにこみ上げてくる吐き気を抑え、何かに背中を押されたような感覚になりながら剣を振りかざした。
「またね♪」
剣がルナシスに当たる寸前、ジャンの目をしっかり見て、口角を上げながらそう言い放った。
「なっ……⁉」
とまらない勢い。鈍い感触が手に伝わり、ルナシスが吹き飛ぶ。そのまま、彼が身体を起こす事はなかった。視界が歪み、路地に戻るかと思われた瞬間、ぶつりと音を立てて視界は真っ暗になってしまった。
一言。
―ルナくん……―
というハイデからのメッセージを残して。
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