第4話 2-3ゲームオーバー

 数日ぶりのシャワーを浴びた後、よく冷えたエナジードリンクを一本飲み干し、気合を入れる。男の目に涙はもうなく、少し光が戻ったようにも見えた。


「よし……やるか」


 あらかじめ準備しておいたデバイスを身体に装着し、椅子に座るとヘッドセットを被る。

 映し出されたのは【フローワールドβ】の文字。

 スオウの言う事に従い、応募要項に記入して申請を出すと返事はすぐに返ってきた。ちょうど今日の夜からセッションが始まるとの事で、男が最後の申請者だったらしい。

 ベータ版との事で、一部の機能に制限がかかっている事。昨今のMMOでは標準装備されているボイスチェンジャーが機能していない事。セッションの時間は決められているという注意事項が送られてきた。


「ボイチェンが使えないのは痛いけど、少し低めに喋ればバレないだろう……スオウに教えて貰った通りに……んん……あーあー……よし」


 スタートボタンを押すと、眼下に自分の手、もとい、手のポリゴンが現れた。慣れた手つきで動作を確認する。脳波を検知し、男が右手を上げようとすればポリゴンも右手を上げる。くるりと回転するように念じれば、視点もぐるりと回転する。動作に問題はなさそうだった。


「どれどれ……アバターか……あんまり背格好を変えると後が大変だからな」


 自分の分身となるキャラクタークリエイトをさくさくとこなしていく。意外にも作りはしっかりとしていて、細かい部分にまで手が付けられるようになっていた。


「身長は170㎝……体型はこんなもんかな。誕生日は11月の……」


 鏡の前に立つ自分のポリゴンを見ながら、カーソルを少しずつ弄り理想の形にしていく。油断するとアウルに近くなってしまう為、意識して男っぽい印象に仕上げたつもりだったが、それでも中性的な顔立ちになってしまった。


「最後に名前……名前か……アウルは使えないし……」


 ご丁寧に羊皮紙のような紙が表示され、手には羽ペンを持っている。紙には【フローワールド入界申請書】と書かれており、自分の直筆でキャラに名前を入力するシステムらしい。試しにアウルと書いてみると、悪筆のせいか【ジャン】に変換されてしまった。


「あ、もうこれでいいや」


 男はクロックアカウントの事しか考えていなかった。

 これまでの五年で、様々なものを犠牲にしながら築き上げてきた二百万人のフォロワー。ネット社会で毎日配信していた人間が、なんの予告もなく消えれば悪い噂になり広まってしまう。そうなる前に、まだ帰る場所があるうちに、男はアウルに戻りたかった。


「一週間……頼んだぞ、スオウ」


 このデバッグが終わるまでの間に、スオウがなんとか場を繋いでくれる事を祈って、男はログインボタンを押した。

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