クロックロック

海咲えりか

プロローグ

第1話 1-1プロローグ

 真夏の蒸し暑い空気が、肌にまとわりつき汗を誘う。

 狭い四畳半の一室で、ぼさぼさの頭にヘッドセットを装着し、身体にいくつもポインター器具を付けた男が陽気に喋っている。


「というわけで、今回のシリーズはこれで終了になります‼ みなさんどうでしたか? 僕は好きでしたね、久しぶりの王道RPGって感じが――」


 視線の先にあるモニターには、男とは似ても似つかない程美しい容姿のポリゴンが、男の身振り手振りに合わせ動いている。


『私も楽しかったー‼』

『アウルくん楽しそうだったねwww』

『俺は明日から何を楽しみに生きたらいいんだよ……』

『大袈裟すぎわろたwww』


 いくつもの白いコメントが、浮かんでは消え、また浮かび、そして消える。

 毎日同じ時間にゲーム配信をしているアイドル実況者、アウルの日常。朝起き、配信を行っているSNSサイト「クロック」で朝の挨拶をし、昼間は準備を行い、夜は配信をして、寝るまでクロックで無駄話をする。

 配信を始めたばかりの頃は見てくれる人も少なかった。しかし、こんな生活を始めて約五年。気づけばフォロワー数は二百万人を超え、配信をすればものの数分で九万人の視聴者が訪れるまでになった。


「それじゃ、今日の配信はここまで‼ 明日もまた同じ時間に配信するので、お時間の合う方はぜひ遊びに来てね‼」


 短いツインテールを揺らし、ニコニコと笑う美少年アウル。声以外の全てが偽りだらけのこの姿こそが、男にとっての真実だった。


「また明日ねーっ‼ ばいばーい‼」


 暗転し、BGMが残る。配信終了ボタンを押して、完全に画面が切り替わるまで笑顔を絶やさない。

 一呼吸置いて、配信が止まったのを確認してから男はヘッドセットを外す。画面の中にいる美少年アウルは目を閉じて、動きを止めた。


「…………」


 配信が終わった後のこの瞬間を、男は嫌っていた。

 見たくもない現実と向き合わなくてはならない気がして、窒息してしまいそうなほどだった。

 一つ大きな溜息を吐いて、タブレット端末を手にベッドへ移動しようとした時、ディスプレイが明るく点滅し始めた。


「ん?」


 画面に映し出されたのは着信通知で、名前は「スオウ」になっていた。渋々座り直し、ヘッドセットを再び装着して応答ボタンを押す。

 目まですっぽり覆うゴーグルのようなヘッドセットの内側では、水色の背景にポリゴン状態のアウルの手が見えていた。


「はいはい」

『よっ、配信お疲れさん』


 仮想現実の世界に、見覚えのあるアニメキャラのポリゴンがふわりと現れた。


「今日はジャックで来たか」

『おい、冷めた反応やめろよ』

「よくやるよ、さすが声真似主様だなぁ?」

『アイドル実況者に言われたくないね』


 声色が変わると同時に、ポリゴンが姿形を変え、明るい金髪の少年がニコニコと笑っていた。少年はアウルの身体を楽しそうに叩いているが、ポリゴンをすり抜け反動は何もない。


「で、なんのようだ?」

『そろそろ衣装変える時期だろ? 要望書渡しに来たんだよ』


 そう言ってスオウのポリゴンが赤い光を取り出し、アウルに渡す。それは圧縮されたテキストデータで、【アウル衣装テンプレ】とタイトルが付けられていた。


「いつも悪いねぇ」

『ファンに3Dクリエイターが居て良かったな。今回は報酬どうすんの? あっちはアウルのサインが欲しいって言ってたけど』


 圧縮フォルダを解凍し、中身を確認しながらアウルは答える。


「金なら倍渡すからサインはやめてくれ」

『さすが、稼いでんねぇ。ま、直筆は避けといた方がいいだろうな。どこで身バレするかわかんねぇし』

「ケチると後が怖いしな。つってもサインはマジで勘弁」


 開封したファイルには、長袖、半袖などの項目がアンケート形式で並んでいた。


『お前字汚いしな』

「知らねぇだろお前‼」


 こうして素の状態で談笑出来るのも、付き合いの長いスオウが相手だからだった。

 スオウは五年前、アウルが配信を始めた頃から付き合いが始まった。スオウはいわゆる声真似主というもので、有名声優の声をそっくりに真似てクロック配信を行っている、アウルと同じ配信者である。器用に何人もの声優の声色を真似るのが評価され、アウルほどではないがフォロワー数は数十万人に上る。ただ本人は、


「本家の声優さんありきだからな、俺は。お前みたいに自分で勝負はしてないよ」


と至って謙虚な姿勢で、アウルの活動をバックアップしている。

 アウルの有料ファンクラブを管理したり、こうしてアバター作成をしてくれるファンとの橋渡しをしていたり、アウルにとっては昔馴染みの親友であり秘書でもある唯一の仲間のような存在だった。


「ふぁ……」

『なんだ、もう眠いのか?』

「知ってんだろ、俺こういうの、見てるだけで眠くなるんだよ……」


 眠い目を擦ろうとして、ヘッドセットに手が当たる。仮想現実をリアルだと錯覚している弊害だった。


『そうだったな、今日はゆっくり休むといい。また明日話そう』


 アウルが覚えているのはここまでで、どうやってベッドまで移動し眠りについたのかさえ覚えていなかった。

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