彼女とすごした最初で最後の夏休み

うみ

第1話 灯台で淡雪のような少女と出会う

「綺麗な島だなあ……」


 小型船から見える離島は俺が考えていた以上に大きくて、丘くらいだろうと思っていた山は高さもあり山と表現して差支えないものだった。

 申し遅れたが、俺は五島九十九ごとうつくも。祖父の旧友がギックリ腰だとかで農作業を手伝いに彼の住む離島へ向かっている。

 高校最後の夏休みを老人と一緒ってのも少しさみしい。でも、友達はみんな受験に追われていてさ。特に進学を考えていなかった俺だけが取り残された感じで……まあ、一人旅の延長と思えば悪くない。


 離島という話を祖父から聞いた時、自転車で三十分もあればグルリと島を一周できるもんだと思っていた。でも意外や意外、ここには山があり数十隻停泊できる港もあり……砂浜まであるではないか。

 実際に風景を見るまでは期待していなかったけど、こいつはいろいろ楽しめそうだ。

 緑で包まれる島を眺め、思わず口元が綻ぶ。


――こんにちは。

 ん? 何か聞こえたような気がして左右を見渡したけど、人の姿はおろか海鳥さえいない。

 んー、気のせいかあ。しかし、妙に引っかかる。

 不可解な気持ちに首を捻り、腕を組む。

 しかし、すぐに近くなる島の様子に思わず声が出る。


「お、おお。もうすぐか」


 我ながら現金なもので、もうすぐ到着だと思うとさっきの声のことなんてすっかり気にならなくなる。

 大きく伸びをして、これから始まる島の生活にテンションが上がっている俺であった。


 小船が港に停泊すると、俺は大きなリュックを背負って船縁から大きくジャンプをする。

 トンと地に足を着き得意気な顔になってしまう。

 よっし。無事着地したぜ。

 我ながら子供っぽいけど、この島を前にしてはしゃぐ俺の気持ちの表れってやつだ。

 

 俺だけのためにたった一人で船を動かしてくれた船長さんにお礼を言って、ギラギラと照りつける太陽の光に目を細める。

 んー!

 大きく伸びをすると自然とあくびがでてふああと声が出てしまった。

 しっかし……やはり日本中どこに行っても暑いな。当然と言えば当然なんだけど、打ち付ける波の涼やかな音では気温が変わらない。

 夏本番の七月末だし、仕方ない。その代わり、海で泳ぐことだってできるからよしとしようじゃないか。

 祖父の旧友が迎えに来てくれるって言ってたけど……まだみたいだな。もし遅くなるようだったら電話すればいいか。

 

 それよりせっかくだから、この美しい景色を写真に収めておきたい。俺はポケットからスマホを取り出し埠頭の先へと体を向ける。

 俺の立っている波止場は海へと伸びており、埠頭の先には小さな灯台があった。といっても港は広くはなく、ここから先までは五十メートルも無い。

 埠頭の先に向けて、ゆっくり景色を眺めながらテクテクと歩くとすぐに小さな灯台の元まで辿り着く。

 どこから写真をとろうかなあと思いつつ、鉄でできた灯台の壁に手をついて……。


「熱っ!」


 真夏の日差しに熱せられた鉄はとんでもなく熱かった。

 反射的に手を離したものの、火傷してないか心配なほどだ。幸い、反対側の手に持つスマホを取り落とすことは無かった。

 ふーふーと手に息を吹きかけた後、熱を払うように指を振る。

 

 ふう。なんとか落ち着いた。

 安堵からつい縄を巻き付けるだろう金属の出っ張りに腰かけようとして、慌てて離れる。

 ここに座ったらさっきと同じ目に会うって。

 

 あれ? こんなところに髪留めが落ちている。

 金属の出っ張りの影に隠れるように髪留め……いやこれはかんざしかな。

 かんざしは先端が二股に分かれ、反対側が扇型になっている短いタイプのモノだった。

 誰かが忘れ物をしたのだろうか。

 手に取ると、このかんざしは随分と年季の入ったものだと分かる。

 何故かというと、色は透き通ったブラウンだったんだけど、プラスチックかと思いきや磨かれたべっ甲だったからだ。

 手入れが行き届いているようで、ピカピカで華の模様が古風ながらも美しさを感じさせる。

 

「これは持ち主さん探しているなあ」


 かんざしを手に持ちながら、開いた方の手を自然と首にやる。

 首には革のチョーカーに繋がれた年季の入った古銭。これは、俺の曽祖父から祖父を通じてもらったものなんだ。

 錆びないように定期的に磨いて大切にしている。

 そのまま手を伸ばし、指先が古銭に触れると金属の感触が伝わってきて思わず目を細めた。

 古銭の表面を撫でながら、かんざしに目を落とす。

 きっと、このかんざしの持ち主も俺と同じように長く愛用してきたんだと思うんだ。だから、このかんざしを持ち主さんのところへ何としても届けてやりたい。

 

 かんざしを一旦リュックの脇にしまうと、再度スマホを取り出し写真を撮る場所を物色する。

 どこがいいかなあ。やはり尖端から撮るか。

 なんて思いながら、右を向く。

 

「え?」


 驚きから目を見開いてしまう。

 だってそこには、艶やかな黒髪を後ろで縛ったセーラー服の少女が立っていたのだから。

 灯台の裏側から出て来たのだろうか、そこにいることに全く気が付かなかった。

 最初は彼女がいたことに驚いていたんだけど、彼女を見ていたら別の意味で心を動かされる。

 

 長く瑞々しい睫毛に大きな丸い目。目の色はヘーゼルで白磁のような染み一つない透き通った白い肌によく映える。小さめの鼻に薄いプルンとした唇は美しいというよりは愛らしい感じだ。

 化粧っ気がなく薄くファンデーションを塗り、ピンク色のチークを申し訳程度にさしだだけなんだけど、下手なアイドル顔負けの整った顔をしている。

 唇の色が薄いこととどこか憂いを感じさせる目元から、容姿の美しさも相まって俺は彼女が幻なんじゃないかと思ったほどだ。

 彼女の服装が俺の思いを助長する。

 だってこれだけ暑いというのに、彼女は黄色のリボンが愛らしい長そでのセーラー服を身にまとっているんだ。スカートは膝上と短いものの、これじゃあ暑くてたまらんだろう。

 しかし、見たところ鼻先さえ汗をかいた様子はない。

 

「こ、こんにちは」


 ここで話しかけねばどうすると思い、勇気を振り絞り声をかけてみたものの……声が上ずってしまった。

 しかし彼女はそんな焦った様子の俺へ「気にしてないよ」と言わんばなりにはにかみ、言葉を返す。

 

「こんにちは」

「あ、あの、暑くない?」


 ぐ、ぐう。そうじゃねえだろと自分自身に突っ込んでしまう。

 彼女の鈴が鳴るような声に動揺してしまった。

 それにしても、我ながら何て間抜けなことを問いかけてしまったんだ。

 

「ううん、暑くないよ」


 それでも彼女は微笑みを崩さず応じてくれる。

 

「あ、あの。俺、五島九十九といいます。……え、えっと」

「九十九くん、よろしくね。わたしはすい七海翠ななみすい

「よ、よろしく。七海さん」

「うん!」


 お、おお。悪くない感触じゃないかな?

 突然話しかけてしまったわけだけど、このチャンスを逃してなるものか。

 何か話せ俺。あ。ひょっとして。

 

 俺はゴソゴソとリュックから先ほど拾ったかんざしを取り出し彼女へ見せる。

 

「これ、七海さんのかな?」

「拾ってくれたんだ。ありがとう!」

「そこの出っ張りの影に隠れていたから、大事なモノかなと思って」


 翠へかんざしを手渡すと、彼女は手のひらに乗せたかんざしへ目を落とし目を細める。

 

「九十九くん、見つかって嬉しいよ! ありがとう!」


 華が咲いたような笑顔を浮かべる翠に目を奪われてしまう。

 ハッ! 好感触のうちに、ラインIDか電話番号を――。

 

「おーい! つくもー!」


 お、おおい。タイミングが悪いな。

 この声は祖父の旧友である留蔵とめぞうだ。

 迎えに来てくれたんだろうけど、もう少し後ならよかったのに……。

 振り返ると、留蔵らしき麦わら帽子の人影が遠くに見えた。

 

「留蔵さん! すぐ行きますから!」


 留蔵に向けて手を振り、彼に聞こえるよう力一杯叫ぶ。

 今大事なところなんだよ。全くもう。

 と何も悪い事なんてしていない留蔵へ心の中で毒づき再び翠の方へ顔を向ける。

 

 あれ?

 さっきまでそこにいたのに、彼女の姿が無い。

 また灯台の裏側にでも行ったのかなあ。

 

「また今度ね!」


 翠の声が灯台の裏側から響く。

 

「分かった! また後で!」


 俺は灯台に向けて声を返した後、踵を返す。


 ◆◆◆


「すいません。お待たせしました」

「息切らせちまって……ゆっくりでよかったんだぞ、つくも」


 留蔵は今年で七十三才と聞くが、十歳以上若々しく見える。

 背丈こそ低いものの太い首回りにずんぐりとした体には、農作業から来たものなのだろうしっかりとした筋肉がついていた。

 バリカンで刈りこんだ白髪は年齢を感じさせるけど、日に焼けた褐色の肌が彼を若々しく見せている。


「久しぶりだなあ、最後に会ったのは六年前か?」

「はい。俺がまだ小学校の時なんでそれくらいです」

「大きくなったな! この前はまだガキだったのに、すっかり男前になりやがって!」


 留蔵は目を細め、俺の頭を乱雑に撫でた。荒っぽい仕草だったけど、悪い気はしない。

 

「留蔵さん、そろそろ行きますか」

「おう。そうだな。あっちに軽トラを停めてるんだ」


 留蔵は顎で後ろを示す。

 港から道路一本挟んだところに、お約束というかなんというか年季の入った昭和な感じのするお店がある。

 お店の隣に舗装されていない駐車場があって、きっとあそこに軽トラが停めてあるんだな。

 

 俺は留蔵と並んで歩きだす。

 ん?

 

「あれ? 留蔵さん、普通に歩いてません?」


 ギックリ腰とか言ってなかったっけ。

 

「おう、そうだぞ。友三ともぞうに連絡したんだが聞いてないのか?」


 友三は俺の祖父の名前だ。

 しっかし、爺ちゃん……俺が家を出るときに見送ってくれたってのに。


「え? えええ。爺ちゃんに連絡したの? 聞いてないよ」

「ガハハ。そうだったのか。心配かけたな、つくも。ギックリ腰は骨接ぎの先生に診てもらったら、すぐによくなったんだ」

「そうだったんですか」


 あれ? 俺が来る必要なかったんじゃ……。

 

「遊ぶだけでもいいから、会いに来てくれたら嬉しいって友三に言ったんだが……それも聞いてないよな?」

「はい」

「んー、そら悪いことしちまったなあ」

「いえ、この島を船から眺めてからずっとワクワクしているんですよ! いいところですよね」


 正直なところ大自然溢れる島より翠の事の方が気になっているなんて留蔵には言えない。


「そうかそうか。それならよかった!」


 話をしているうちに、軽トラの前まで到着した。

 

 助手席に座り、運転しながら陽気に話かけてくる留蔵に相槌を打ちながら外の景色を眺めていたが、俺は港であったあの幻想的で儚い感じのする少女――翠のことが頭から離れないでいた。

 すぐにまた会えるかなあ。

 そう考えると、思わず口元が綻ぶ。

 

 ◆◆◆

 

 軽トラで十分ほど走ったところで、留蔵の家に到着する。

 彼の家は昔ながらの青い瓦屋根が特徴的な木造家屋で、二階はなく平屋作り。家屋の隣には蔵……ではなく大き目の物置が三つとトタンぽい見た目のガレージがあった。

 といっても、ガレージは物置代わりに使われているらしく軽トラを停車させたのは家の前にある広場になる。

 

 軽トラの扉を開け、リュックと共に家の前に降り立つ。


「留蔵さん、あの奥にあるのが畑なんですか?」


 平屋の後ろに広がる広い畑を見やり、運転席から降りようとしている留蔵に声をかける。

 

「おう。そうだ。もうすぐトウモロコシが収穫できるぞ」


 留蔵はバタンと軽トラの扉を開け閉めして、最近見なくなった車の鍵を鍵穴に差し込み車の扉をロックした。


「へえ、後で畑に連れて行ってもらえませんか?」

「もちろんだ。お隣さんと畑が接しているわけじゃあねえから、すぐにどこからどこまでが俺の畑か分かると思うが。一応、俺の畑がどこなのか教えておくからな」

「分かりました!」

「食べたきゃ勝手に収穫してもいいぞ。採りたてがうまいもんとしばらく置いておいた方がうまいものがあるから、試してみろ」

「食べていいんですか。ありがとうございます!」


 スイカとかメロンとかもあるのかなあ。

 畑から採ってそのまま食べるなんてなんて贅沢なんだ。

 

「先に荷物を置いて、冷たい麦茶でも飲め。熱中症が怖いからな」

「はい」


 留蔵は家の玄関扉に鍵を差し込み、ガチャガチャと扉を揺らした後、横に引く。

 ガラガラと音を立てて扉が開いた。

 

 中は広い玄関になっていて、昔の家にあるように床と玄関の段差が大きい。

 靴を脱ぎ、熊の毛皮でできたラグの上に足を運ぶ。

 

「お邪魔します」

「つくもの部屋は奥だ」


 留蔵についていき、廊下を少し進むと右手に広い部屋。ここは居間とのこと。

 居間の反対側はダイニングキッチンになっている。

 更に奥へ進むと左手は留蔵の部屋で反対側は空き室。左手奥が風呂で、右手奥の部屋が俺にと説明してくれた。

 

「荷物を置いたら台所まで来い。麦茶を出しとくからな」

「はい」


 留蔵へ頷きを返し、部屋の扉を開ける。


「うお」


 ビックリした。

 だって、鹿のはく製が壁に取り付けられていたんだから。


「ひっろいな。えっと」


 床に敷かれた畳の数を数えてみると十枚もある。

 扉の向かいは障子窓の引き戸があり、引き戸を開くと板張りの縁側があり外へも出ていける大きな窓。

 天井には蛍光灯があって、それ以外は何も物が置かれておらず、左手に襖があった。

 

「布団か」


 襖を開けると上下二段に分かれていて、上段に布団が畳んでいる。

 

 とりあえず、障子と窓を開け空気を通そうか。

 障子窓の上にある鹿のはく製をちらちら見ながら窓を開けた。

 

 おお、風が通って気持ちいいが……暑いは暑いな。

 幸いこの部屋にはクーラーがあったんで、夜に寝苦しくなることもないだろう。

 

 リュックサックを襖の前に置いてキッチンへ向かう。


 キッチンに行くと、年季の入ったダイニングテーブルの椅子へ腰かけた留蔵が「よう」と右手を少しあげた。


「勝手に冷蔵庫を開けて飲んでもいいからな」

「りょーかいです! 後でコンビニで何か飲み物を買ってきます」

「オレンジジュースならあるぞ?」


 子供といえばオレンジジュースとでも思っているんだな。

 しかし、俺が飲みたいのはコーラである。

 留蔵にお礼を言いつつ、オレンジジュースはやんわりとご遠慮することにした。


「コンビニは島に一軒だけだからな。港を挟んでここと反対側だ。そこにはスーパーや学校もあるぞ」

「住宅地ってところになるんですか?」

「おう。漁師町だけどな。島のこちら側は農家が多くて家と家の距離が離れてる。向こうはそうでもない」

「後でスマホで調べてみます」

「お、そうか。グーグル何とかってので地図が無くても分かるんだったな。便利になったもんだ……」


 しみじみとお茶をすする留蔵。

 そうだよな。こんな離島でも電波が途切れることもないし、インターネットを使えばすぐにこの周辺の地理も分かる。


「お、後はそうだな。自転車は自由に使っていい。車ももう一台あるが、つくもはまだ免許を取れなかったよな」

「はい。まだ十七なんで」

「徒歩だと何かと不便だからなあ。自転車でも無いよりはマシだ」


 すぐに自転車で探検したいところだけど、もう午後四時だし……。明日からにしよう。

 まず行くところは……港だな。

 港の風景と共に翠の着ていたセーラー服の黄色のリボンが頭に浮かび、少しだけ頬が熱くなる。

 いかんいかん……自分の熱を誤魔化すようにグラスに入った麦茶を一息で飲み干す。

 

 キンキンに冷えた麦茶は俺の脳髄を必要以上に刺激した。

 

「よっし、んじゃ畑に行くか」

「採ってもいいんですよね! 楽しみだ」

「トウモロコシは採りたてが一番うめえんだ。今晩食べるか」

「おー!」


 この後、留蔵と畑に行き期待していたスイカ、彼のオススメするトウモロコシの他幾つかの夏野菜を収穫し家に戻る。

 夜には野菜を中心にした天ぷらをいただき、明日から俺も午前中だけ農作業を手伝うことになった。

 留蔵は自分が元気になったので遊ぶだけでいいと言ってくれたけど、さすがに何もしないままご飯だけいただくのも気が引ける。

 そんなわけで、留蔵と俺が話し合った結果、昼まではお手伝いで午後は遊ぶこととなったってわけだ。

 

 ご飯を食べた後は、留蔵と一緒に空き室にあるテレビを俺の下宿部屋に運びセットする。

 テレビはほぼ見ないから必要なかったんだけど、留蔵が「忘れててすまんな」と用意してくれたのだ。

 

 青いタイルが昭和さをかもしだす底の深い風呂に入って、自室に戻るとクーラーをつけ布団を敷く。

 さっそく布団にダイブし、枕に顔をすりつける。

 んー、気持ちいい。

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