メルの彗星

天野維人

かけがえのない物語



 とある辺境に小さな町があった。


 西には悠久を生きる一本の大樹が立つ丘、東には遥か昔に眠りについた火山があることだけが町の特徴と言ってもいい。

 あとは夜に満天の星空が見えるぐらいだ。


 そんな田舎町に、ある一人の少女が暮らしていた。


 少女は町の外れにある星見台の麓に小さな店を構え、そこで暮らしている。

 甘い菓子を売る店だ。

 元々は自分の為に菓子作りをしていた少女だったが、何かの切っ掛けに町中に噂が広まり、沢山の人達がそれを欲しがった為に営むこととなった店だった。


 彼女の菓子店には日に何人かの客がやって来るほかに、昼を過ぎると町の子供達が訪ねて来る。

 菓子の甘い匂いにつられてか、あるいは美しい少女が目当てなのかは分からないが、いつも嬉々として店にやって来ては少女と話をするのだ。

 そして少女もまた、そんな子供達の相手をするのが好きだった。


「お姉ちゃん! またお話聞かせて!」


 今日も子供達が店を訪れ、一人が目を輝かせながら少女に言った。


 少女は時々自身が知る物語や童話を子供達に読み聞かせることがあり、それは子供達にとても好評だった。


 自分が語る物語が子供達の笑顔となるのならこれ以上に喜ばしいことはないと、少女は小さく微笑んで頷く。


「うん、いいよ」

「やったー!」


 喜ぶ子供達を優しい眼差しで眺めながら、少女はいつもの様に書棚から本を探す。


 しかし、彼女は新しい本を仕入れていない事に気付いた。

 既に書棚の本は語り聞かせたものばかりで、それを聞かせても子供達は退屈してしまう。

 かといって自分の記憶の中にある話は、ほとんど語り尽くしてしまった。

 新しい本を買いに行くにしても時間が掛かるし、その間子供達を店で待たせてしまうのは忍びない。


 少女はどうしようかと悩む。

 考えて、悩んで、また考えて、そして「ある話」を思い出した。


「……それじゃ話してあげる」

「ご本はー?」

「ううん。いらない。全部覚えてるから」

「すごーい!」


 子供達は嬉しそうにはしゃぐ。

 話の内容を全部覚えているということは、それだけ素晴らしい話ということだからだ。

 そんな中、一人の子供が手を挙げて訊ねた。


「ねえねえ! なんて名前のお話?」

「名前?」


 物語の名前を問われた少女は顎に手を当てて考え込む。

 少女はすぐに名前を答えなかった。

 子供達は不思議そうに首を傾げたが、程なくして少女は口を開いた。


「『彗星の魔法使い』」

「すいせい?」

「“ほうき星”のこと。星がほうきみたいな尾を引いて、夜空を流れていくの」

「流れ星のこと?」

「ううん。もっと大きくて、もっと明るくて、そして何日も消えない星」

「すごーい! 見たーい!」

「聞かせて聞かせて!」


 子供達は初めて知る世界に喜び、早く物語を話すよう少女を急かす。

 その勢いに気圧されつつも少女は笑みを浮かべ、やがて語り始めた。


「これは昔々のお話。西の丘の木が芽吹く前のお話――」


 少女はゆっくりと、大地を踏みしめる様に語る。

 記憶という名のピースを頭の中でかき集める様に、一つずつ言の葉を紡いでいく。

 何故ならそれは少女にとって忘れられない物語だからだ。


 彼女の心にいつまでも残る、かけがえのない物語だからだ。


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