小説ってなんだっけ…?

木野

小説ってなんだっけ


今の時代に、小説って必要なのか?

というか今の時代に、小説ってなんなんだ?


わからなくなってしまった。あるいは、自分にとって、小説ってなんなのか、と問うた方がいいんだろうか。


小説を読むとしたら、あるいは書くとしたら、何のためにその行為があるんだろう。



ひとつ言えるのは、小説とは、ひとりで読むものだ。

人と同じものを読むことはできるけれど、読んでいる時間は自分ひとりのものだ。小説はひとつのシェルターになれるんだろうか。ボブ・ディランの「Shelter from the storm」という曲が好きだけど、ああいう機能はもてるんだろうか。それはいいね。



小説がひとりの時間であるかぎり、共有や共感をめざしたところで、SNSには勝てない。小説もひとつの共有行為ではあるが、スピードが違いすぎる。いまや、共感にそんな時間は必要ない。そのような娯楽を目指しても、他のメディアには追いつけないだろう。


じゃあ、娯楽でもなく、共感にも依らない表現とは何か。


それはとても個人的なものになるはずだ。

個人的なものとはかなり多義的だが、少なくとも、個をもつ人のためのものといえる


個はすぐに解体されてしまう。SNSを見ればわかるように、独特な個というものは世の中にあまりない。自分にしかいえないことを言っているつもりになっている人たちが、けっこう多く共感されている。代弁者。


それでも、ひとりひとりの人と接すると、ひとりひとり違う部分はあって、そこを書くのは、もしかしたら共感を目指さない小説の、ひとつの手かもしれない。


そういったときに、ひとつ思い出すのが、ゴッホやセザンヌの絵だ。

あれらはとても個人的なものに見える。全体的にみれば、人間本体の悲しみや明るさの存在を感じるが、細部はどこまでも個人的なものだ。

では、そこにある感動と同じものを、小説からもえられるんだろうか。


ジッドの「コンゴ紀行」に似たものを感じる。旅の視線はとても個人的なもので、そして、そこから突然自由を感じる瞬間がある。

自由。


でも、そこにはひとつの困難がある。それを一日に何十ページも読むことはむずかしい。他人事すぎて、興味が続かない。それでも、読むとしたら、、?


それは自分にとって、必要だからだろう。


自由。


小説が、ひとりの時間で、何かを成しうるとしたら、ひとつ、自由ではないだろうか。

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