第3話

 カナの家を出てから村の本道を外れ脇道へと行く。雑木林に入るとほどなくリコリリスの群生地が現れた。少しまばらな木々の間を赤い花が絨毯となって埋め尽くす圧巻の眺めである。たっぷりと光を浴びているリコリリスは鮮やかながらどこか妖しさを感じる。これが現れたのはビビアンが子供の頃か。それ以来徐々に範囲が広がり今に至っている。派手な花の全体、特に球根に毒があるため決して取って食べないようにと聞いてことがある。花を付けていない時に他の食用の野草と間違えて葉や球根を口に入れ、吐き気や下痢でダーヴィ先生の診療所に担ぎ込まれた話は何度も聞いたことがある。懲りない馬鹿の騒ぎとしてその度に注意された。あの花は見るだけだ。他は何もしてはいけないと。


 赤い絨毯の中を貫く小道をゆったりと歩いて出た先はダーヴィ先生の診療所の裏だった。赤い花にまつわる怪談で頭が一杯になっていたビビアンは診療所を目にして一瞬足がすくんだ。愚かにもリコリリスの葉や球根を口にした者たちが最終的に行きつくのがダーヴィ先生の診療所だったからだ。


「俺の父さんは医者だから当たり前だろ」先生の息子のリッカルドの言葉で皆が静まった。「牧師様の所に直行したいか?」


 子供であっても意味は分かった。後は無言で首を横に振るだけだった。


 そんなお馴染みのリッカルドも今は医者となって診療所を手伝っている。


 診療所の裏口傍には木製の長椅子が置かれ、そこに細身の男が座っている。リッカルドに違いない。男はビビアンに気付き立ち上がり手を振った。ビビアンもそれに応じて手を振る。


「ビビアン、久しぶりだな。用が無いならお茶でも飲んでいかないか?」


「いいわね。お願いするわ」


 リッカルドに招かれビビアンは診療所の一室に通された。子供の頃から何度も通されたことがある応接間で簡素な長椅子とテーブルが置かれている。ビビアンはいつもの窓側にリッカルドは対面に腰を掛けた。


「調子はどうだい。芝居はうまくいってるかい」


「わたしの脚本は認められ始めてる。何回かあった公演もうまくいってるわ。ちょっと変わったお客さんが押しかけてくるぐらいにね」


「そいつは大丈夫なんだろうな」


「有名なだけで害はないわ。いろいろ話も聞けて楽しかった。あの人、あの調子で興味が湧いた人の元に押しかけているんでしょうね。爵位とは関係ないけど、大地主で高齢の女性ね」


「あぁ、金持の暇人か。こんな所に住んでてよくそこまで行けたな」


「ただの芝居好きのわたしがあそこまで行けたのは、行く機会ができたのはおじいさんのおかげよ。お金やお父さん達の説得までかって出てくれた」


「俺も世話になったよ。あの人の援助のおかげで、オキシデンに行って父さんの手伝いもできるようになった。感謝してるよ」


「おじいさんは多くの人から慕われているけど、わたしは何も知らない。ここに来る前にそれに気づいたの」


「何を知らないと気づいたんだい?」


 戸口の外から声が聞こえた。そして、診療所の所長であるダーヴィ・アテンジョンが盆を片手に現れた。ダーヴィは盆に乗った湯飲みを二人に配りリッカルドの隣に座った。


「ここに来る前のことです。どこでどうしていていたのかわからないんです」


「それはシルヴァンさんが話さなかったからさ」


「どうしてです?」とビビアン。


「それは思い出したくない傷だったんだろう。子供をやっと超えた頃の歳で、ぼろぼろの身なりのまま夜の畑をうろついてるなんて普通じゃない」


 ダーヴィの顔に二人の視線が集中する。彼は茶を一口飲み言葉を続けた。


「俺がまだ子供だった頃、夜に寝る前に父さんへマティアスさんから呼び出しがあったんだ。リンゴ園で泥棒を捕まえたとね。それで道具一式持って走っていったよ。泥棒相手だと怪我が絶えないんだ。大人しく捕まる奴はいいんだが、暴れる奴も少なくない」


「武器を持っている奴にこっちも手加減をする余裕なんてはない。それで誰かが怪我をする」とリッカルド。


「朝起きてみると、父さんはもう戻ってた。何があったか聞いてみると捕まったのはリンゴを大量に食って倒れた子供だった。子供と言っても俺よりは遥かに年上だった」


「リンゴって当たるんですか」ビビアンは最近生のリンゴは口にしていない。菓子やジャム、それに酒といった加工品ばかりだ。


「よほど傷んでいればそれもあるだろうが、その時はろくに何も食ってない体でリンゴのような固形物を口にして倒れて、そこを夜回りの人達が発見したようだ。父さんは体をきれいにしてやってしばらく薄い粥を与えるように指示して帰って来たそうだ」


 ダーヴィはお茶を一度に口にした。


「ここからは誰もがよく知っているはずだ。マティアスさんは身体を持ち直したシルヴァンさんに行く当てが無いならしばらく働いてはどうだと持ち掛けた。シルヴァンさんはそれを受け入れた。よく知られている立身出世の物語の始まりだよ」






 立身出世の物語、所謂伝説にありがちなのが、その人物の業績を飾り立てることだ。まだ若かく無名だった頃の何気ない行動を優れた能力としてもてはやす。通常なら親が冷や汗をかき、憔悴しきるような行動も美談となる。


 ビビアンは診療所を出てふらふらと歩きながら考えた。


 おじいさんの伝説に関しても同様だとビビアンは感じている。実際、マティアスが最初に掛けた行くところが無いならという言葉は、働く気があるならこのままおいてやろうということだ。嫌なら文字通り追い出される。特異な反応とは思えない。

 ひいおじいさんであるマティアスにビビアンは実際会ったことはないが、評価は芳しくなかった。お父さんたちによるととにかく厳しいのだ。皆の評価から想像するに間違いなくおじいさんは出て行く羽目になっていただろう。


 それをおじいさんは切り抜けた。大人でさえ音を上げて逃げ出す者がいる農園の仕事を見事にこなすようになった。そして、またひいおじいさんの面前へと呼ばれた。


「頑張っているようだな。給金を上げてやるからしばらくここにいないか」この言葉が一番うれしかったと後にビビアンはおじいさんから聞いている。


 それからも、マティアスおじいさんから下される柔らかな無理難題を、おじいさんはぎりぎりではなく見事にこなして行った。実際は伝えられるほど穏やかなやり取りでなかったのかもしれない。そのために二人の間に隠された軋轢があったのか。ビビアンとしてはそれは考えにくかった。曾祖父であるマティアスを語るおじいさんは他の誰よりも笑顔に満ちていた。それに嘘はないはずだ。それなら何かを隠していたのか。


 わからない、おじいさんの過去とは何なのか。


 物語と違って事実は自分で作り出すことは出来ない。確証がなければ推論に過ぎない。ビビアンは考えるのを止め足を休めた。気が付けば村の外れまで来ていた。先の三叉路を直進すれば山に入り通り抜けると隣村に至る。三叉路までに気づくことができてよかった。変な集中をしているとどこに行ってしまうかわからない。それは帝都でも起こりがちだ。


 三叉路を左に進むとやがて洞窟群に行き当たる。大小合わせて十ほどでどれもリンゴ酒の保存庫や祭りの道具の倉庫などに使われている。扉も取り付けられ厳重な管理がなされている。はずなのだが、小さめの洞窟の扉が開いたまま放置されていた。おじいさんに関わる洞窟だ。 おじいさんは最初にこの村に現れた時はその洞窟を拠点にして盗みをたらしい。しかし、成果は上がらず倒れて夜回りの人達に捕らえられることとなった。決してほめられることではないが聖地のような扱いとなっている。使われてはいないが厳重な管理をなされているはずだ。

 だから、おかしい。なぜ扉は開け放たれているのか。



 ビビアンは洞窟の傍へと近づいてみた。扉はこじ開けられた形跡はない。鍵で開けられて放置された。つまり、閉め忘れか。洞窟の奥から何か重い物を引きずり出した後が付いている。洞窟の前の下草多くはそれになぎ倒されている。重い物で均された地面の端に荷車に轍が続いていた。重い物は荷車で持ち去られたのか。空だったはずの洞窟には何があっただろう。


 ランプなしで中に入ることはためらわれたためビビアンは荷車の轍を追うことにした。道には積み荷の重さによってできた轍が続いている。轍が向かうのは村の方向だ。轍は他の洞窟などに向かうことなく道なりに続き、しばらく歩いた後に広い農道に行きついた。この農道は帝都やオキシデンのように舗装はされていないが、村の主要道路だ。村の主だった施設を結んでいる、ひどく波を打っているが、これでも多少の手入れはしている。


 轍は洞窟群から出て左折し農道に合流した。他の轍に紛れて区別はつかないが、ビビアンはとりあえずそちらに向かうことにした。路面を眺めながら歩くが、これといったものは発見できない。


「おい、ビビアン家まで乗って行かないか」


 声にびっくりして振り返ると父さんがいた。一頭立ての馬車から鷹揚に手を振っている。雰囲気だけなら帝都の貴族だ。なぜここにと思ったが、父さんは陽が出ているうちは村中を駆け回っている。どこにいても不思議はない。


 ビビアンは父さんに洞窟群で目にした事を話した。彼はビビアンの言葉ごとに当惑を深めていき、やがて手をかざし話を止めた。


「実に不思議な話だが、それは素人が手を出していい事ではない。警備隊の協力を仰ごう。お前も乗れ、急ぐぞ」


 家ではくつろいでいる姿が多いお父さんだが、警備隊の前では村の実力者ビョーン・クアンベルであることを見せつけた。警備隊詰所に着くと速やかに人員を借り受け、洞窟へと向かった。ビビアンも第一発見者として同行を求められた。


 警備隊によると、入り口の扉はこじ開けられてはいない。何者かが鍵を使い侵入したのだろうという。洞窟内は荒らされているというよりは整えられていた。天井は手つかずだが、壁は明らかに人の手が入っている。面が削られ整えられている。床もきれいに掃除され石こと一つ転がっていない。


「削った石はどこへ行ったんだろう」とビョーン。


「何に使われるのか想像もつきませんが、恐らく侵入者が持ち去られたのでしょう」


「本物の鍵が使われたのなら、管理していた方々にも疑いが掛かるのでしょうか」


 ビビアンの言葉に二人の視線が向かう。


「もちろん、事情は聴くことになるでしょう。しかし、鍵を盗まれた可能性もありますから慎重な対処が必要でしょう」


 警備隊士はビビアンに軽く頷きかけた。


「そうでしょうな。ビビアン、我らの出番は終わりだ。現場は彼らに任せて帰るとしよう」


「はい、お任せください。ご足労いただきありがとうございました」


 隊士は二人に向かい深々と頭を下げた。

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