第2話

 ビビアンは二日の船旅でオキシデンの港へ到着した。頑張って個室を取ったため船揺れ以外は快適に過ごすことができた。港に着いたのは昼前のことだった。船を降りて家からの迎えの馬車を探す。馬車と言ってもおそらく屋根付きの客車はついていない。引いているのは荷車だ。


 街へ行く流れの向こう側から、派手に板切れを振り回す男が目についた。馬車の荷台に乗り板切れを振り回している。立ち止まり見れば板切れには大きくビビアン様と書かれている。弾けるように記憶が戻り、男が厩舎番のジャックであることがわかった。


 人の流れに逆らい鞄を手に馬車へと向かう。


「お帰りなさいませ」の声と共にジャックに荷台に引き上げてもらう。ビビアンは食事が入った布包みと水筒を渡され、ジャックは荷台を降り馬の元へ走っていった。荷台はきれいに片づけられられている。これなら家まで心地よく座っていられるだろう。


 ジャックにいつからいたのかと聞けば、夜明けの頃について荷台で寝ていたとのこと。それなら、農場を出たのは昨日の夜の早い頃になる。


 ビビアンが労いの言葉を掛けると


「牛や馬に何かあれば丸一日寝られないことはざらですからね。これぐらいは平気ですよ」との声が帰って来た。


 これは口で言うほど楽なものではない。ビビアンも締め切りに追われたまに朝まで脚本を書くことがあるが、短時間の仮眠では頭の靄は晴れない。ジャックの場合は肉体労働までついて来る楽なわけがない。




 何回かの休憩を挟んでブルドゥルの村に馬車が着いたのは夕暮れ時で、クアンベル家の母屋の玄関先に着いたのは陽が落ちてすぐの事だった。平屋建てだが敷地は歌劇場と変わらないだろう。


 玄関扉を開けるとメイドのベイリーが飛び出してきて荷物を受け取ると挨拶もそこそこに奥へ去っていった。次に使用人頭のハリーが現れ問答無用で食堂へと案内された。自分の部屋で少し休憩をしたいビビアンだったが両親がもう着席しているため、ビビアンの願いは聞き入れられなかった。食堂へと向かう間に何人もの使用人と挨拶を交わしたが誰もがどこか忙しそうだ。それは仕方ない。自分が帝都に出て以来、法要などにしか帰らないためだ。そして長居もしない。


 長い食事の後旅の汚れを落とし―本当は逆がよかった―ようやく自室に戻ることができた。部屋はここを出て行ったときそのままだが、埃一つ無く片付けられている。自分一人ではこうはいかない。仕事を始まると椅子の周りはたちまち原稿だらけになってしまう。


 ビビアンは書き物机に添えられた椅子を引っ張り出し腰を掛けた。旅行鞄を足元に置き体を折り中を探る。ほどなく少し歪んだ封筒が見つかった。衣類や小物の出し入れに巻き込まれてもしわが増えただけで破れてはいない。丈夫な封筒なのだ。高価でもある。このような品を使える者は限られている。


 手紙を取り出し机の上に広げる。




ビビアン様へ


ビビアン様もシルヴァン様の十五周忌に参加されるのでしょうか。それでしたら今後のためお話したいことが多くございます。シルヴァン様の過去について私共の考えをお伝えしたいと思います。

では、ブルドゥルでお待ちしております、良い旅を。




 送り主はクアンベルに近しい者に違いないだろう。しかし、筆跡は拙くまるで子供のようだ。いったい何者か。ビビアンは読み書きに関して子供の頃から厳しく叩き込まれた。その過程で芝居と出会い、帝都に行ってからも恥をかかずにすんでいる。


 送り主のいうシルヴァン様、おじいさんの過去とは何か考えてみる。すると、思いのほか何も知らないことに気がつくのだ。知っているのは若い頃にこの家にやって来て頭角を現し、という芝居じみた立身出世の物語だ。それぐらいのことなら近隣の村の住人なら誰でも知っている。芝居の序盤に正体不明で登場する主人公と同様だ。大暴れして芝居を盛り上げ去っていく。おじいさんはそれを地でそれをやってのけたわけだ。


 これは続編、後日談への導きと言ったところか。明日から誰かが接触してくるかもしれない。その前に改めておじいさんの人となりと知っておきたい。子供では知り得ない何かがあったかもしれない。


 十五周忌まではまだ二日ある。明日からは若い頃のおじいさんを知る者に会ってみることにしよう。





 翌朝ビビアンは目覚めると速やかに着替えを済ませ朝食へ向かった。朝の食堂は昔と同じだった。大きなテーブルに薄く切ったパンが盛られた鉢の傍に自家製のジャムやチーズが添えられている。朝は家族と母屋付きの使用人が勝手にやって来て食事を摂ることになっている。飲み物は担当の使用人に頼めば出してもらえる。今日の担当はベイリーだった。彼女以外誰もいない。ここにいた頃からビビアンは最後だったため気にしてはいない。


 ベイリーが入れてくれた茶でパンを流し込みつつ、予定を軽く考えてみる。出向くなら誰からか。


「ビビアン様はこれからどこかへお出かけですか?」


 ビビアンが椅子から立ち上がるとベイリーが声を掛けてきた。


「特に目的はないけど、久しぶりに帰って来たからこの辺りを歩いても見ようと思ってるわ」


 嘘はついていない。散歩ついでにいろいろと訪問するだけだ。


食堂から真っすぐ玄関へと向かう。


 裏口から出る方がかえって使用人達の目につきやすいだろう。家人なら玄関から出て行くのが自然で帰って目立たないはずだ。


「お出かけですか」


 玄関を出ると使用人頭ハリーから声を掛けられた。彼はビビアンが子供の頃から家の前を掃除している。朝の仕事だ。頭に昇進してもやる事は変わらないようだ。ビビアンが出かける度に声を掛けてきた。


「わたしは手伝うこともないし散歩に行ってくるわ」


「それなら、あちらでリコリリスの花が満開になっておりますよ」ハリーが西の方角を指で示した。


「いいわね。行ってみるわ」


 せっかくの提案に逆らうこともない。そちらの方面にも出向く宛はある。




 ビビアンがまず出向くことにしたのは当時のメイドでおじいさんの死亡時の第一発見者となったカナの元だった。カナは仕事を引退した後も変わらずクアンベル家の傍に立てられた小屋に住んでいる。夫のケブカが亡くなり、息子が出て行った今は高齢となった彼女をクアンベル家が何かと目を掛けている形になっている。


 ビビアンが突然カナの元に顔を表しても、彼女は大して驚くこともなく柔らかな笑顔を浮かべ簡素な食堂へ通された。


 椅子に座り軽く近況を話しあった。しばらくしてビビアンは気になっていることを切りだした。おじいさん、シルヴァンの死亡時の状況についてである。


 その途端にかなの顔から笑顔が消え目が細くなった。


「ビビアン様、どうして今になってそんなことを聞くんです?」


「今だからかな。わたしは今回おじいさんのために帰って来た。明後日はおじいさんの日だから。十五年前、わたしが帰って来た時はもう亡くなっていた。既に墓地に埋葬されていた。そして、わたしは土の盛り上がりの前に連れて行かれた。結局誰も話してくれなかった」


 かなは大きくため息をついた。


「あの時はわたしもマルクス様もそれに他の方も追い詰められて大騒ぎでしたからね。葬儀段取りはもちろん社交関係、後に控える法的な問題、あまりに突然で誰も悲しんでいる暇もありませんでした。ようやくまともに落ち込めたのがビビアン様が帰ってらした頃でした」


「ごめんなさい。言い過ぎたみたい。わたしはおじいさんがはどうして死んだのか。それが知りたいの」


「それは……時間、寿命が尽きた、それだけですね」カナは自分を見つめるビビアンに頷きかけ先を続けた。「寿命が尽きて心臓が止まった。年寄りがあこがれる最高の死に方、ポックリってやつですよ。まぁ、周りの者は突然過ぎてたまったもんじゃないですけど……」


「おじいさんが死んでるのを最初に気づいたのはカナさんよね?」


「ええ、あの時は……」ここでため息をつく。「あの時はシルヴァン様に呼ばれてお茶を頼まれましてね。お茶を入れて持って行った時にはもうお亡くなりでした。初めは寝ていると思いました。そのままにしておこうかとも思いましたがお茶が冷めてもと思い直し起こそうとした時にはもう……後はすぐに旦那様を呼んで、ケイジをお医者様へ走らせて、それからはもう知っての通りのしっちゃかめっちゃかの大騒ぎです」


「来たのはお父さんの方だよね」


「もちろんです。リッカルド先生はビビアン様と同い年ですよ」


「そうですよね」


 それからもしばらくビビアンはカナと話をしたがすべて今まで聞いた話ばかりで目新しい物はなかった。

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