第4話

 リモト・サオは大きく息をつき通話機を壁に戻した。先方はどうやらこちらが怖気づいて手を出せないでいると思っているようだ。相手が議員で侯爵であるため二の足を踏んでいると思っているのだ。子供相手なら間違いなく手を引くが、身分で腰が引けるほどヤワではない。


 やはり南との取引に手を取られ、仕事をヘイゾウに任せたのが悪かったか。議会への道中での襲撃や毒入り菓子での暗殺などのいろいろと企てを聞かされたが実行された様子はない。それどころか音信不通となったと思えば、馬車に轢かれ泥まみれで見つかり病院送りとなっていた。


 今までの成果と言えばと何通かの脅迫状と隣の家の塀に傷を付けただけだ。あの程度で考えを変えるなら楽なもんだが、実際は逆効果で警備がより固まっただけだ。ヘイゾウの処分は後にして今は成果を出すことが大切だ。


「社長、もう一度考え直した方がいいと思うんだけど……」


 アナ・カトゥの声が聞こえた。相変わらず社長の発音が独特で、南のエリソラの訛りが強い女だ。


「道中で襲えば問題はない。それとも俺たちが下っ端の警備隊士にかなわないと思ってるのか?」


 カトゥはサオが南方居酒屋で見つけてきた女だ。エリソラとこちらの言葉両方とも堪能で通訳としては最適だ。そして腕も立つ。思わぬ拾いものだった。気の強さもこの商売なら丁度良い。


「まぁ、この数でなら警備隊も侯爵も痛い目に遭わせると思うけど……」


 カトゥは傍にいる仲間たちを見回した。十人ほどの半数は屈強な大男、他の男女も緩んだ体形はいない。今は翌朝の襲撃作戦の打ち合わせの真っ最中だ。


「なら何が心配だ?貴族が怖いってわけじゃないだろ。爵位なんざ何の武器にもならん。殴ってやりゃ俺たちと同じようにぶっ倒れる」


「面を被って声を出さなきゃばれやしねぇよ」


「そのために服も揃えてんだ」


 仲間はカトゥがまだ慣れていないと思ったかたしなめる。


「そうじゃなくて、……何か変だと思わないか」


「何が?」


「……まずはヘイゾウ、彼と連絡が付かなくなったと思えば、道端で馬車に轢かれていたのが見つかった。彼が出向いた先は誰もいなくなった。でも誰も警備隊に捕まったわけじゃない。そうだよね社長」


「……そうだ。警備隊のシルバの旦那によると侯爵の件ではまだ誰も捕まえられていない」


「どこへ行ったの?逃げた?それとも……」


「何が言いたい?」


「何か危ない奴が後に付いてる気がする」


「侯爵にか?支持する移民は多いそうだが、あの侯爵はただの農家だ。大地主なだけだ」


「そのただの大地主がヘイゾウを馬車で引いて病院送り、他の連中をさらえると思う?」


「それは……」


 サオは言葉を継げず、仲間は視線を迷わせる。


「侯爵と繋がりがなくても後ろで見ている奴がいるのよ。そいつがたぶんヘイゾウを……」


「そんなのまるで天使……」隣にいたケイゴが発した言葉を飲み込むように、慌てて口元を押さえた。口にすれば災いが降りかかる呪言のようだ。


 全員が黙り込む。


「社長、ここから逃げましょう。そいつがここに来る前に」


「それはいい考えだわ。頭のいいお嬢さんね」


 部屋に落ち着いた女の声が響いた。全員が周囲を見回す。カトゥ以外の女、ハラモとトセミに全員の視線が向かう。二人とも慌てて否定のために手を振る。


「あなた方、さっさとお逃げなさい」


 締め切られた部屋には部外者はいないはずだった。サオと仲間たちは手持ちの武器を抜き周囲を見回した。


「落ち着きなさい」と声は言う。「わたしはあなた方に危害を加える気はありません。むしろ助けてあげたいと思っているんです」


「助けるとは」サオが大振りの鉈を構えつつ声に問う。


「今の仕事をやり遂げてもあなた方に未来はありません。先方がどんな甘い言葉を投げていても、先方は邪魔者を排除し次第、その力はあなた方に向けるでしょう。侯爵脅迫、襲撃、その他身に覚えのない罪まで被されて追われる羽目になる。いわゆる口封じですね。あなた方が何を言おうと先方は知らぬ存ぜぬで押し通す。その力があるのですから。先方の指示などもう聞く必要はありません」


 サオは頷いた。他の者も続いて頷く。


「今やる事は害を免れるため逃げることです。何も恥ずかしことはありません。蓄えたお金を皆で分配しこの街を出て行きなさい。その金を元手に真っ当に暮らすのがよいでしょう」


 サオはまた頷き部屋の奥へと向かう。自分の机の背後の壁を押す。仕掛け扉が開き、金庫が現れた。中は紙幣の束で一杯だ。サオは束を部下に一つずつ手渡し、残りは自分の物にした。これには特に不満は出ていない。


「あとは依頼人の存在が懸念となりますが、それはあなた方なりのやり方でのけじめをつければよいと思います。では、お元気でよい旅を」



 気が付くとアナ・カトゥは一人になっていた。手には札束がある。あれは夢ではなく現実だったようだ。


「こんばんは、やっと会えましたね」


 女の声が聞こえた。社長や他の仲間に逃げるよう諭していた声だ。声の主は目の前にいた。長身の女で手の込んだ金色の刺繍が施された外套を纏っている。隣には小柄でお仕着せの金髪少女。どちらにも面識はない。


「えぇ、あなたとはお初にお目にかかります。あなたはわたしにイェンスさん、ストラトヴァリアス侯爵に危機が迫っていると連絡をくださったでしょう。あなたの通話を受けたのはこの娘です」


 カトゥは記憶を手繰った。確かに社長から手紙による脅迫を止め、実力行使に切り替えることを知らされ侯爵に警告の連絡を入れた。慌てて手近な店に入り、掛けたあの通話、あの時機械の向こう側にいたのは……。


「この娘、そしてわたしです。あなたの居場所を聞いたのはわたしです。あれからすぐにエリジウムに駆け付けたのですがあなたには会えなかった。わたしは侯爵様とは何の面識もなかったのですが、あなたが何者なのか興味が出て動いていました」


「動くってまさか……」


「あなたが社長に指摘した通りの事をしていました。侯爵への襲撃を防ぎ、彼を守っていた。消えた人たちはただ逃げただけです。今頃海の向こうや西で元気に過ごしているでしょう。ヘイゾウさんは馬車に轢かれたようですが、それにはわたしたちは関知していません」


「あなた、何者?どうしてそんなことを……」


「わたしはアクシール・ローズ」


 名前は聞いたことがある。新市街に昔から住んでいる吸血鬼だ。


「えぇ、あなたに会いたくて探していました。間違い通話なんて珍しいうえにわたしに警告だなんてまず聞くこともないので、いい刺激になりました」


「それだけのことで……」


「わたしには十分な動機になります。さぁ、あなたのことを話してください」


 カトゥは子供の頃帝都郊外に住んでいた。父は先代ストラトヴァリアス侯爵の所領の小作人の一人だった。イェンスは貴族で大地主の息子という立場だったがカトゥの中の記憶はやさしいお兄さんだ。


 ある年、育てていた葡萄が病気に襲われ全滅し一家離散の危機となる。その事体から逃れるために父はストラトヴァリアス侯爵の相談を持ち掛けた。その折に父はエリソラでの仕事を侯爵から紹介された。向こうの農家でのブドウ栽培の支援である。渡航費などは侯爵が持ってくれるという。こちらにいても八方ふさがりで動きが取れず、慣れた仕事ならと一家でエリソラへ渡ることとなった。


「お父さんは必死で頑張って葡萄農園は成功した。先生と呼ばれてみんなに頼られてる。わたしは別のことがやりたくなって、こっち来たけどうまくいかなくて……」


「サオの手下になったわけね」


「うん、悪い事してるんだとわかってたけど気にしないようにしていた。でも、イェンスのお兄さんを狙っているとわかってもう我慢できなくなって」


「そんなあなたのおかげで侯爵は難を逃れることができた。これに懲りてエリソラに戻りなさい。二度と間違いを起こしてはいけませんよ」


 カトゥはローズの言葉に黙って頭を下げた。



「あれでよかったんですかね」 


カトゥも去って部屋にはローズとフレアの二人だけになった。


「何が問題なの。わたしたちは侯爵の身を守って、犯罪を未然に防いだ」


「一人も警備隊に突き出さずに全員逃がしてしまってるんですよ」


「犯罪も起きてもいないうちに犯人をぶちのめしてるのよ。かえって面倒なことになるでしょ」


「それならいつものように本人に出頭させればいいじゃないですか」


「それだと警備隊が動いて彼女の正体が特定できなくなったかもしれないでしょう。ウサギ二頭を同時には追えない。あなたならわかるはずよ」


「でも、裏から指示を出していた黒幕が野放しなのは納得いかないんですけど」


「それは然るべきけじめがつけられるだろうから安心なさい」



 これから二日後、騒ぎの発端となった法案は無事成立し、アダムス五世の承認も得て施行されることとなった。準備期間を経る必要があるがイェンスたちの努力が実る日もそう遠くはない。


 大いに話題になってしかるべき出来事だったのはずなのだが、その前日に起こった大事件により大衆の目はそちらに向いていた。帝国議会議員であるケダク・ニヒコ氏が議会に向かう途中に何者かにさらわれ姿を消したという事件である。


 難を逃れた御者によるとニヒコ氏をさらったのは同じ服と覆面の十人ほどの集団で、終始無言で二人を縛り上げニヒコ氏だけを連れ去っていったという。最初は同情的だった帝都民だったが、警備隊が氏の周辺に触れた途端にあふれ出した不正の奔流に呆れ、まもなく失笑だけが残った。今では誘拐犯の行動を称える者まで出てきている始末だ。

 

 警備隊は彼の行状に関わりなく行方の捜索を続けているが、その行方はつかめないまま時間だけが過ぎている。

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