第3話
宵闇に沈んだ公園は思いのほか息づいていた。昼間、我が物顔でうろついている人が消え失せたおかげで、陰に潜んでいた小動物たちがお互い生きる残るための狩りにしのぎを削っている。一度暇を見つけてあの中でただ佇むのもよいかもしれない。
だが、今は雑事を片付ける必要がある。ローズは足元で死にかけた虫のように身体を震わせもがく男たちを見下ろした。フレアが取り押さえ縛り上げ、家具工房の屋根に放置していた男たちだ。無事目覚めたらしい。
「間違いないわ。この三人は金持ちなら誰でもいい強盗ではなく、イェンスを狙うように指示されている」目立つ力を持たない男達で造作なく記憶を聞き出すことができた。
「命を狙うというよりはまず脅かすことが目的のようね。馬車や御者でもいいから何でも傷つけてさっさと逃げる。それだけね、下っ端だからそれ以上何も聞かされてない。次に行きましょう」
「こいつらどうしますか?」とフレア。
「用も済んだことだし、放してやれば勝手に帰るでしょう」
男たちの手足を縛っていた縄が弾けてちぎれ、目隠しとさるぐつわが外れた。ゆっくりと男たちは立ち上がり体をほぐすように動かすと助走をつけて屋根から飛び出した。男たちが空中で我に返り上げた大きな悲鳴は路面落ちて泣き声に変わった。
「あれだけ大きな声が出せるなら問題ないわ。誰か知らせるでしょう。先へ急ぎましょう」
三人組にイェンス襲撃の指示を与えたルミコンという男だった、彼は旧市街の酒場で見つけ出すことができた。夜も更け拠点となっている事務所には居なかったが、居残りの部下から心当たりを教えられた。最近入れあげている給仕の女がいる店があると紹介されたのがこの店だ。
高額な酒を取り、向かい側に座った給仕の女にも振る舞っている。この女と店で会うためにわざわざ身なりを整えてきたらしい。かわいいところがある。言い寄られる女もまんざらではなさそうだ。ルミコンは人材派遣業者を名乗っている。嘘ではないが派遣先に問題がありすぎる。
ローズの入店時はそんな男女でにぎわっていたが、間もなくローズの魔法により静かな落ち着いた空間となった。奇妙な囃子声も消え失せ客も店員も凍りついたように動きを止めている。通常なら一人でも困難なはずの身体制御を事も無げに行い、そして事後も誰一人と気付くことなく動き出す。フレアをローズの力を十分に心得ているつもりだが、こうして見せつけられると今でも鳥肌が立つ。
「彼も依頼人から頼まれただけのようね。枝や建材で馬車を止めたのは依頼人の立案で、馬車を襲うように頼まれただけ、知っている情報は屋根から落ちた連中と大差ないわ。依頼人の連絡先は知っていても被害者が何者かは知らない」
「次はどこへ行きますか」
「もう一度彼の事務所へ行きましょう」ローズはルミコンを指差す。
店内で歓声が上がり囃子声が復活する。奥で手拍子に合わせて男が踊り出す。この店では特に珍しことではない。毎夜毎夜この調子だ。
そして再び店内の喧騒を止めたのはルミコンだった。突然悲鳴を上げ両手で顔を覆う。そして荒い息を吐く。まるで恐ろしい夢から覚めた直後のようだ。店内の動きが止まりルミコンに視線が集中する。
「何かしましたか?」
「イェンスが侯爵で議員でもあることを教えてあげたの。そんな方に危害を加えたらどうなるかも教えてあげた。少し話を膨らませてね」
「あはは……」
ルミコンは立ち上がり財布を取り出しテーブルに何枚かの紙幣を置いた。毅然とした態度でお仕着せの男性店員を招き寄せる。恐怖に包まれても支払いは怠らない。そして目の前の女の手を取る。
「絶対に戻ってくる待っていてくれ」ルミコンは真剣な目で見つめた。女への気遣いも忘れない大したものだ。
「えぇ……待ってるわ」戸惑いながらもとりあえず女も応じた。
ルミコンは女の答えに弱い笑みを浮かべると店から走り去っていった。その姿に歓声と拍手が上がる。
「何だったんですか?」
「あぁ、見つかるとただじゃすまないからお金と荷物を纏めて、しばらく西へ逃げてなさいと言ってあげたの」
決断を下したルミコンの行動は早かった。急ぎ足でかつ用心深く家へ戻り、妻を連れ出し、何度か妻に殴られながらも二人で事務所を閉め、朝一番で西へ向かう船を目指し港へと去っていた。居残りの部下は付近の建物の壁に殴り書きを残して逃げ去っていった。
朝になり事務所の傍を通りかかった数人の男が、殴り書きを目にして踵を返し走り去っていった。一人は慌てすぎたためか派手に転んで膝を強打し、足を引き摺りながら去っていった。あのような転び方は子供時代以来の事だろう。
フレアは向かい側の屋根の上から事務所への来客待っていたが、戸口へ向かう者はいない。皆、去っていくものばかりだ。ルミコンによる夜中に行われた呼び出しは先方に余計な警戒を与えたか。それならまた最初からやり直しになる。ローズであっても通話機越しでは人を操ることは出来ない。
彼女が気をもむこと一刻程、待ち人は現れた。赤い髪の小男だ。男はルミコンの事務所の扉を二回叩き、鍵が掛かっていないことを確かめると中へ入っていた。鍵はルミコンによって施錠されていたが、フレアが開けておいた。
男は入ってすぐに事務所内が無人であることに気が付いた。このような場では、すぐに扉の音を聞きつけ下っ端が飛び出してくるはずなのだ。一歩前に出てルミコンの名を呼ぶ。そして身構え反応を待つ。
フレアは目に前にいる小男に声を掛けることなく眺めていた。緊張した様子から自分が呼び出された意味を必死に考えているに違いない。まだ、ルミコンを呼んだ以外何もしていない。怯えているのか、用心深いのかフレアは試してみることにした。
「あなた、ヘイゾウさんですね?」
男は体を震わせ飛び上がり振り返った。フレアの姿を目にして怯えた顔が不遜な笑みに変わる。用心深さはないようだ。こんな場所に平然と姿を現す少女の存在を奇異と感じていない。
「そうだが、嬢ちゃんは何の用だい?」
「わたしのことはお嬢さんと呼びなさい」
フレアの拳で顎を打たれたヘイゾウはその場で不器用に二回転した後、仰向けに倒れた。
「ローズ様が用があるそうよ。夜までそこで待ってなさい」
ヘイゾウを縛り上げ、ルミコンの事務所に閉じ込めるとフレアはイェンスの別邸へと向かった。ルミコンはヘイゾウの様子から仕事が回ってきたのは自分たちだけではないと察していた。ローズは彼の勘を信じ、フレアに引き続き監視を命じた。イェンスに近づく羽虫を排除し、その先にある巣を壊滅させるのだ。今回は騒ぎの存在自体を闇に葬るつもりだ。
ローズが熱く説いてもフレアの役目は人様の家の屋根から下を覗くだけである。つまらない仕事ではあるがローズの指示となればしかない。別邸の玄関口に配置された警備隊士も同様に暇そうだ。ここは高級住宅地なのだ、頻繁に騒ぎが起こるわけでもない。
事が動いたのは昼前か、フレアが街路を眺めていると片手に紙袋を下げた若い男が近づいて来た。まっすぐ別邸へと向かってくる。体に合わないお仕着せを身に着け、靴も合わず歩きにくそうだ。警備隊も馬鹿ではない、不審な男の進路に立ちふさがり職務質問を始める。フレアも傍の物陰に移動し聞き耳を立てる。
「お菓子のお届けに来ました」
男は警備隊士に告げ、おずおずとインフレイムスの紙袋を指差す。注文の品を届けに来たと慣れない言い回しを使い説明している。
隊士は男の扱いに迷っているようだが、フレアの判定は要注意だ。お仕着せは店の制式ではない。袋が新品ではない。別の客を経由しての届け物だとしても、あのような使用人を送り出す家があるわけがない。どういう狙いがあるのか、直に話を聞く必要があるだろう。
フレアは足元に落ちている小石を隣家の塀に投げつけた。フレアが本気で投げれば小石も音速を越える。別邸近辺に乾いた破裂音が響き、小石に穿たれた塀から細かない土煙が上がる。銃火器による襲撃と勘違いした隊士が懸命に警戒の笛を鳴らす。それに呼応して馬車や近隣の住居に潜んでいた表に出てくる。
警備隊が破裂音に気を取られているうちにフレアはお仕着せの男をさらっていった。別邸から少し離れた屋根に上がった時には男は気を失っていた。フレアの動きの速さに耐えられなかったのだ。仕方なく吐いた物を喉に詰めないよう屋根に寝かせておいた。
「ちょっとやる事が雑過ぎますね」フレアはため息交じりにこぼした。
ルミコンの事務所の窓は締め切られ、夜目の効くローズとフレアの基準をもってしても薄暗い。闇に沈んだ床にフレアの戦利品が並んでいる。ヘイゾウとお仕着せの男、まだやっと少年を抜け出した程度の年齢だ。小遣いに等しい金に釣られて侯爵家に毒入りの菓子を届けようとした。その隣には塀を乗り越え別邸に侵入しようとした二人組だ。フレアは塀にしがみついている二人組の足を持ち引きずり下ろした。顔に擦り傷が付いているのは地面で頭を打ち気を失った後に引きずられたためだ。
「すべてこのヘイゾウの企てね。こいつがルミコンにすべてを任せて相応の報酬を渡していればそれなりの成果は出せたでしょうけど、高いと思ったようね。ピンハネのために値切ったんでしょう。だから、ルミコンは最初の一件にしか人手を貸さなかった。枝や角材で道をふさいだのはヘイゾウ自身で報酬を値切るため、けち臭い男よ。この三人は日雇いの仲介所で拾ったようね。値切るもんだから半端者しかつかめない」
「呆れた奴ですね。どうします。この連中」
「その辺に転がしておきなさい。気が付いたら勝手逃げていくでしょうから」
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